【高校生区分】 ◆優秀賞 丹治 遥(たんじ はるか)
普通ではなくて良い丹治 遥(ルネサンス大阪高等学校2年 大阪府)
私が始めて「障がい」という言葉に出会ったのは小学一年生の時だった。同級生に「障がい」を持つ子がいた事もあるが、一番の理由であるその事は突然やってきた。それは自分が少しみんなとは違っているという事だ。
「な、に、ぬ、ね、の。あれ、『な』と『ぬ』と『ね』のくるっと回るのはどっちだったっけ」
「9の棒ってどっちにつけるのだっけ」
「あれ、おかしいな上手く書けないや」
文字や数字を書いたら鏡文字になる。板書をしようとしてもノートに向かうと覚えたはずのことを忘れている。残念ながら今も時々そうなってしまうのだが、その頃よりは自分なりの工夫で少し進歩したと思う。
小学生の時の私はこう考えた。
「みんなは出来ているから私にもできるはず」と。
「さぼっている。まじめにやりなさい。もっとがんばれ。」と周囲の声に押しつぶされそうになった。今思えば「障がい」という言葉に出会った一瞬だったのだ。
みんなと違うと気付いた時、小さな私は何を考えていたのかはっきりとは思い出せないが、これだけは考えていたと思う。
「何で私は人とは違うの」
今ならそのままで良いのだよと小さな私にはっきり言えるのだが、人と違うことを恐れた私は、どうにかしないといけない、どうしよう、どんどん深い沼にはまっていってしまい、怖いという感情を沢山生み出していき、その結果学校に行くことができなくなってしまった。
その後病院では様々な診断名と病名を告げられた。
ある日、「ここに行ってみようよ」と母に連れられて行った場所は小学校の特別支援学級だった。生徒一人一人が自由に過ごしているその空間は、私にとって小学校でできた初めての居場所だった。特別支援学級で過ごしていくうちに、気づいたことがある。
「障がい」という言葉は、大きな括りで、それは人によって少しずつ変わるということだ。何を「障がい」だと捉えるのか、どこからが「普通」なのか、目が見えない、耳が聞こえない、身体に動かないところがある、そして私のように人と少し違う、と挙げだしたら止まらない。その終着点はどこにあるのだろうか。行政が発行してくれる手帳、電車やバスの優先座席や点字ブロックに音声案内、手話に筆談、車椅子に松葉杖、その全ては、生活していく上で大変なことを補うために、工夫してできたものだ。不自由を感じる人達の声で何十年もかけて取り組み、改良されてきた「普通」に近付く為の制度や道具たち。
それでもまだまだ生きづらさを感じている人は多数いて、その中の一人としての私には何が出来るのか。
今年の四月から市の主催する手話講座に参加している。初めは特技の一つとして習おうと軽い気持ちで考えたのだが、ろうあ者の皆さんや他の受講者の方々の熱意に私の考え方は根底から覆された。これまで手話はろうあ者だけの言葉であると思っていた。しかし、講座では手話の形を覚えるだけではなく、それを読み取る力、相手の言いたい事を理解し、自分の気持ちを表現する大切なコミュニケーションツールであるという事を学んでいる。ろうあ者の皆さんは手話をより多くの人に理解し、使ってもらいたいと考えている。
実際、手話通訳者の人数はまだまだ足りていない現状がある。
私は人とコミュニケーションを取ることが不得意で、聴覚過敏、視覚過敏があり大勢の人が集まる場所ではパニックを起こしてしまうことがある。自分の努力だけではどうにもならない不自由を感じつつ生活している。
これまで私は主治医、カウンセラー、支援学級の先生、ソーシャルスキルトレーニングの先生、そして家族など沢山の人に助けられ支えてもらいながら進んできた。その中でこのままで良いのだと言う事と、自分の特性を個性として受け入れることを学んだ。
今私はこれから将来に向けて、私自身のこれまでの体験を活かし、得意な分野であるIT技術を使って不自由を感じている人、一人一人に合ったサポートが出来ないかと考えている。手話を言葉に、言葉を手話に変えることだって可能だ。
小学校で苦手な作業であった板書、音読などをサポートできるアプリケーション、文字情報を画像で読み込み音声化するシステム、考え始めると次々にやりたい事が浮かんでくる。
「障がい」のある人も無い人もみんながお互いに理解し、寄り添える社会、それらが私の将来の夢に繋がっている。