【中学生区分】 ◆優秀賞 大棟 真衣(おおむね まい)

「個性」と生きること大棟 真衣(静岡市立藁科中学校3年 静岡市)

三年前。私の父は突然「障害者」になった。足の小さなけがが悪化してのことだった。父は二度の手術を行い、右足の半分を失った。父の右足は、下腿義足というものになった。以前とは全く違う、鉄とプラスチックでできた足だ。父はもう、普通の人のようにすたすたと歩いたり、走ったりすることはできない。体に大きなハンデを抱えてしまったのだ。

父が退院した後、私は、ついこの前まであったはずの父の足がなくなってしまったことが、自分の想像していた以上にショックだった。もう父と一緒に走ることはできなくなってしまった。これからどんな生活が待っているのだろう。日が経つごとに積み重なっていく不安が、呆然としている私の心に、大きすぎる存在感を残していった。それから私は、不安を紛らわしたいという思いもあり、「仕事が忙しい母に代わって、私が父を助けてあげないと。」という使命感に駆られていた。

そんな私の思いとは裏腹に、父との生活は不思議なくらい「いつも通り」だった。父は私の知っている、いつもの父だ。父は、落ち込んだり、怒ったりすることはなかった。それどころか、自分のことは自分でやっていたり、趣味を楽しんだりしていた。時には私をドライブに連れていってくれたこともあった。父は、障害を抱える前と同じように、いや、もしかするとそれ以上に充実した毎日を送っているようだった。父は、外を歩くときも堂々としている。歩き方が少し不自然でも、周りの目を気にすることはなく、ただ前を見て歩いているのだ。あまりにも「普通」な父の姿を見て、私は一度だけ
「なんでそんなに堂々としているの。お父さんは、周りの目とか、気にしないの。」
と、父に聞いたことがある。すると父は、すこし考えてから、私の目をまっすぐと見て、こう言った。
「お父さんは、自分の足を恥ずかしいとか嫌だとか思ったことはないよ。この足も自分の個性だと思ってる。ほら、誰にでもあるだろ。個性っていうものが。」
と。私はその言葉に衝撃を受けた。「個性」。それは誰にでもあるもので、人それぞれ違うもの。チャームポイントでもあり、コンプレックスでもある。私は父の話を聞いて、自分の個性を自分で認めることの大切さに気付くことができた。私は、普通にしている父を見て、「不思議」だと思っていた。でもそれは、私自身が「障害者は可哀想」と思い込んでいたからだ。

私は父の背中から学んだことがある。それは、「自分らしく生きる」ことの大切さだ。体に障害を持っていても、持っていなくても、それはその人の「個性」だ。誰だって毎日を一生懸命に生きている。だから、「健常者」や「障害者」という風に線引きせず、一人の人間として見てみると、誰もが「個性」を認めて、自分らしく生きられるはずだ。私は、あの日父からもらった言葉を忘れずに、個性を受け入れて、自分らしく生きていきたい。