【一般区分】 ◆佳作 田中 里奈(たなか りな)

垣根も性別も世代をも超えて田中 里奈(鳥取県)

私は発達障害を持っています。あまり自分に自信が無く正直友達もあまり居る方ではありません。よく発達障害ゆえに場の空気が読めず、コミュニケーションなどに支障があるとつらくて寂しい気持ちになりますがなんとか日々を過ごしてきました。

しかし、私は趣味で絵を描いたり写真を撮ったりするので、元々美術教師の資格を持っている母が私に絵や写真で生きがいを見つけるよういろいろ県内の画廊や美術展などによく連れて行ってくれます。私は病気ゆえの多動や対人恐怖で就労支援の作業所に通うことがあまり得意では無く、家で絵を描いたりと病気と付き合いながらのんびり過ごしていますが、5年以上前、私は一度だけ中規模の個展を催したことがありました。その時のお客さんに似顔絵を描いて販売していたのですが、とあるおじいさんが2度訪れて2回とも似顔絵の依頼をして下さったのです。
「あんたにもう一度似顔絵を描いて貰いたい。孫が気に入ってね」
それを聞いて、
「喜んで描かせて戴きます」
と快く引き受け、初めての似顔絵業のお得意様と、爽やかな記憶として残っていました。その方は写真家のプロの方のようで、私の撮り始めたばかりの写真にはピリリと辛口に評価下さったのですが、私にとってはとても勉強になると、本場の空気を味わえた気がして幸せでした。

あれから幾数年の時が経ち、今年のこと。私は発達障害の薬の副作用でとてつもなく太ってしまい、必死にダイエットを始めました。体幹トレーニングのプランク、筋トレ、スクワット、ボクササイズなどなどとにかく身体を引き締めることに躍起になりました。そんなある日、急に心臓に負荷が掛かり、息が出来ず、激しい頭痛、めまい、手足の麻痺と、しびれ、呂律の変調を来し色んな病院をまわった結果、大病院に緊急入院することになりました。病名は可逆性脳血管攣縮症候群。手足に全く力が入らず、ペットボトルすら開けられない。全身の麻痺がひどくてスマホも持てない。大好きな絵を描くことも、カメラを構えることも出来なくなり、病室でも退院後も毎日自主的にリハビリをするも、終わりが見えない恐怖で生きがいであったはずの趣味を奪われた私は
「死にたい、死にたい」
と毎日泣きわめくようになりました。まさか全身麻痺になってしまったなんて。せめてもの救いは「可逆性」つまり、元通り治るということ。

しかし私の苦しみは半端ではなく、母や病院のスタッフさんも私をなだめるしか無かったのです。

生きることに希望をなくした私に、通っている日本画教室の先生は「一文字を書く練習」「頑張って教室に顔だけは見せて」と篤く応援して下さいました。絵を描けず気力のない私を励ましてくれ、もう一度絵の練習をゼロから始めました。手が痛くて、息切れがする。腕が痛すぎて涙が出る。苦しみの果てに、久しぶりに大作を描き上げました。とても嬉しくて喜んでいたら、その絵を日本画教室の展覧会に出さないかと打診され、二つ返事で引き受けました。

そして展覧会初日。私は母に展覧会へ連れて行って貰いました。すると日本画教室の会長さんと一人のおじいさんが私の絵の前で何やら話し込んでいました。恐る恐る話に混じってみると、以前似顔絵を2度買ってくれたおじいさんだったのです。その方はSさんといって、鳥取の芸術団体の会長をしておられる偉大な方と言うことを知りました。

Sさんというおじいさんはいつも私の絵や写真を陰ながら応援してくれていたようで、せっかくだから連絡先を教えてということで連絡先を交換しました。その後Sさんは私に時々メールをくれるようになりました。ひとりぼっちだと思っていたけど、Sさんは
「僕はあんたが障害者でも病気でも関係ないよ。世代も年齢も遙かに離れたお友達になってね」と電話を下さいました。凄くありがたくて涙が滲みました。必死に毎日リハビリを続け、絵やカメラ、日常で必要なことは少しずつ出来るようになりました。

そんな日々が続いたある日。鳥取市に線状降水帯という極めて危険な雨が降りました。私の家は土手に挟まれていて、家の隣の川が氾濫危険水位を超えました。全国ニュースに出るくらいになり、まだ麻痺のある私は1階で生活していて、その日母は檀家寺さんの見回り当番の為家を留守にしていました。外はサイレンが鳴っていて、猫を飼っていることもあり、見殺しに出来ず、もう死を覚悟しました。そんなとき、私の携帯が鳴りました。
「里奈さんの家は川に挟まれていたね。テレビ見てるよ。大丈夫?」
おじいさんでした。安堵で涙が出そうでした。おじいさんの必死の声がけメールは何度も続き、必死に手足を動かしてなんとか2階に上がり猫もみんな無事雨を逃れることが出来ました。命の恩人としか言えません。あのまま下で過ごしていたら、万が一があったかも知れないからです。あれ以来おじいさんことSさんは大事な友達になりました。世代も年齢も性別も、病気障害という垣根をも越えて、人間信頼出来る友達を作ることが出来る。本当におじいさんは垣根を作らないとても優しい紳士です。涙しかありません。

Sさんへ。いつも本当にありがとう。豪雨の時のメールももちろん嬉しかったけど、本当に嬉しかったのは「私が病気でも障害者でも関係ない」と私自身を見てくれたことです。言葉が見つからないくらい嬉しかった。本当に本当にありがとう。Sさんもお身体にはくれぐれも気をつけてこれからも仲良くしてね。