【一般区分】 ◆佳作 山元 正史(やまもと まさふみ)
小さな手の温もり山元 正史(大分県)
私は網膜色素変性症という進行性の難病で視覚障がいがあり、父も同じ病気で遺伝した形である。視野(見える範囲)がだんだん狭くなり、運転を辞める事を家族で話し合い決断した。目の前に人がいきなり現れるような見え方なので白杖を人が多い時は使用している。その事を父と話す機会があった。「そこまで悪くなってきたか。もう少し車も運転出来ると思っていた。」と申し訳なさそうに言われた。「そんなに苦労させるなら産まなければ良かった」と胸を引き裂かれるような衝撃的な言葉を聞いてしまった。私も10歳の娘と5歳の息子がいる父親の立場なので、自分を責める気持ちから出た言葉である事は十分理解している。
頭では理解していても、心で受け止めるのに時間がかかった。いやまだ受け止めきれていないかもしれない。家族の前で何とも言えない気持ちを抑えきれずに号泣した。日頃あまり感情を表現しない私は久しぶりにこんなに涙って出るのだなと感じた。遺伝する病気なので私の息子にも遺伝する可能性はもちろんある。息子にはこの思いは絶対にさせてはいけないとその時固く心に誓った。
息子にも夜盲症といって暗い場所で物が見えにくい症状は既に出ているが、まだ小さく確定診断がついていない。もし私と同じ人生を歩む事になった時に父としてどうあるべきかを必死に考えた。私自身も小学生の頃から父と同じ病気の症状が出ており、高校生の時にコンタクトレンズを作りに診察に行った際にこの病気の確定診断をされた。その時からするともう 年程、この病気と付き合ってきたが、なかなか受容するのに難しさを感じている。
前向きに思える時もあれば、ネガティブに考える時もあり、日々一喜一憂している。あの衝撃的な言葉を言われてから、この病気も悪くないなと息子に感じてもらえるように背中で語るのだといろいろ活動を始めた。見た目では分からないこの病気、見え方や困りそうな場面の想定を自分が困ってきた事、同じ病気の方へヒアリングして就学先や職場へ説明する際の資料として使ってもらえればとパンフレットの作成。ガイドヘルパー養成講座で視覚障がい者の心理という立場でお話もさせて頂いた。一般雇用から障がい者雇用に変更してもらった時にご縁があった視覚障がい者就労事例集へも登録させて頂いた。子どもの時に読んでもらった絵本が心の中にまだ残っていて人生の財産になったという事をお聞きして、いろんな障がいがあってもそのままで良いんだよと伝えたくて絵本の作成にもトライした。視覚障がいがあるからこそ出来る事、自分の存在価値を出すのに必死だった。
ある時、妻から「いろんな活動するのは良いと思うけど家族の時間とのバランスを取ってほしい。障がいがあるとか無いとか関係なく毎日を生きているだけで良いんよ」と言われた。出来なくなっていく事が多くなる中でどこか自分が役立たずと思っていた部分があった事に気付かされた。そんな大切な家族との時間を犠牲にしてきた事を申し訳なく思い、こんな家族に恵まれた事に感謝しても感謝しきれない。そんな日々の葛藤をしていく中でも、嬉しい事が最近あった。見えにくくなっていく私を気遣い、手を引いてくれる息子とのお出かけ。どうしても私の歩くペースが遅いので5歳の息子の方が歩くのが早くなり引っ張られるような歩き方になるがそのリードがまた頼もしく感じる。別に頑張って背中を見せる必要なんて無かったのかもしれない。自然の親子のふれあいで十分なのだと思った。親が一番健康に産んであげたかったと思っている事は言うまでもない。息子の手を握りしめながら親心というものを考えさせられた。今は難病と言われているこの病気も10年後には、IPS細胞等の医療の進歩で治る病気と言われてきている。この私の心配が無駄だったと笑い話になるような日が来る事を切に願うばかりだ。今ではこのような思いにさせてくれた両親に産んでくれた事を感謝している。