【高校生区分】 ◆佳作 小原 はる(こはら はる)
自分の障害がつなげる共生社会小原 はる(筑波大学附属聴覚特別支援学校2年 千葉県)
私は生まれつき重度の難聴者だ。中学校まで、聴覚障害者が通う聾学校ではなく、地域の学校に通う道を選んできた。選んだ理由は、地域の学校には友人が沢山いるから、というのが大きかった。勉強の進度が地域の学校より遅れている、生徒数が少ないなど、聾学校に偏見を抱いていたというのもある。一方で聾学校は少人数のため、皆が言っていることがわかり、かつわからないことを人に聞きやすいなどの利点もあることは知っていた。
私は、幼稚園の頃こそ活発だったものの、小学校では内気であった。大人数で友人が同時に喋っているため、友人の話していることが聞き取れず、話の輪に入りたくても入れなかった。また、当時の自分はわからないことを聞くのを恥じていたため、それがさらに壁となっていた。班活動でも、クラス全体の話し合いでも、皆の話している内容がほとんどわからなかった。
小学校卒業後、地域の中学校に進学した。小学校では耳が聞こえないことを自分から説明できなかったため、中学ではコミュニケーションに困らないように、自分の障害について説明しようと考えた。始めが肝心だと思い、何度も何度も自己紹介の練習をした。
いよいよやってきた入学式当日、私は恥ずかしさと消え入りそうな気持ちで目一杯になりながらも、クラスの前で自己紹介や自分の障害を説明することができた。説明後、我に返って教室を見ると、少し笑顔でこっちを見てくれる人や、一生懸命な顔をして頷いてくれる人がいた。それだけで救われたような気持ちになれた。勇気を出して説明してよかったと思った。そのクラスでとても楽しく過ごすことができた。「はるは、はるでいいじゃん」と言ってくれる、良き理解者もできた。
しかし、進級してクラス替えした二年生。私は新しいクラスメイトに自分の障害を説明しなかった。一年生の時の知っている顔もちらほらいる。説明しなくてもわかってくれるだろう、と判断してしまったのだ。
当然、初めて同じクラスになった人とのコミュニケーションは難しく、相手もどうしてよいのかわからない表情をしていた。「始めが肝心」ということが改めてよく身に染みた。結局、それからあまり人と話すことのできない日々を過ごしていた。
そんな中、私に転機が訪れた。二年生の冬、国語の授業で人権作文を書く機会があった。私は、今までの学校生活でのコミュニケーションの不安や苦しさ、この気持ちをわかってもらえないもどかしさ、そういう溜め込んでいた思いが溢れ出すかのように、障害者の人権に関わる障害者の事件や自分の想いを書き綴った。そのようにしてできた作文をクラスの発表会で発表した。その結果、学年会で発表するクラス代表弁士に選ばれた。そして学年会で発表した時、他のクラスの同級生が驚いたような表情であったり、真剣に耳を傾けてくれたりしたのが視界の隅で見えた。そして、学年発表会の後から、同級生が話すときにわかりやすく話すように配慮してくれるようになったのだ。
これを機に、私はもっと自分の思いを誰かに伝え届けたい、と思うようになった。中学三年生では、コンクールに障害者の現状と扱いを題材にした作文を応募した。そしてなんと入賞することができたのだ。自分でも驚いたが、自分の思いを多くの人に伝えることができ、そして認められたようで、欣快の至りであった。
入賞が決まり、問題は表彰式であった。今までの学校でのコミュニケーションを通して、話の内容を全てわかりたいと思うようになり、初めて手話通訳者の派遣を依頼した。手話通訳では専門用語もあり、わからない単語もあったが、声を聞くだけよりはるかに情報量が多くて感動したのを覚えている。また、手話通訳者の方がとても笑顔で優しく対応してくれたのが今でも記憶に残っている。さらに、市長が挨拶をするときに、「こんにちは」の手話をしてくれたのだ。私が賞状を受け取った後の拍手も、手話の拍手であったのだ。私は感動するとともに、驚きを隠せなかった。目を見張っていたであろう私の顔を見た市長は、柔らかく笑って、「手話を覚えたんだよ」と、言ってくれた。入賞よりも手話をしていただいたことが、とても嬉しかった。
表彰式を通して、手話で対応していただけたことに対して喜びを感じ、かつ聴覚障害者としての配慮を受けられることに興味を持ち始めた。そして、聴覚障害に対して前向きに考えられるようになったのは、表彰式に限らず、自身の聴覚障害に対して理解を示してくれた中学校の同級生や先生方がきっかけだ。
現在、私は聾学校に通う高校生だ。学校生活では多くの視覚的な情報保障が当たり前のようにあり、日常的に手話を使う生活になっている。しかし、中学校での経験を思い出せば、情報保障を受けられる喜び、そしてその情報保障に関わってくれる人がいることの感謝の気持ちを忘れないようにすることができている。
私は将来、聴覚障害者と健常者との架け橋になりたいと考えている。健常者に対しては、聴覚障害についての見識を広げ、理解を深めてもらうために、小さい頃から学校で手話に触れる体験や、聾学校との交流の場を設けるべきではないかと思う。また、健常者との壁をなくすためには、障害のある人でも飲食店や営業店のレジなど接客の場に積極的に立ち、コミュニケーションの時には指差しで協力してもらうなど、健常者との触れ合いの場を増やして行くべきではないかと思う。そして、多くの人が障害の有無に関わらず、相手を思いやり、積極的に助け合うことで、共生社会が実現するための一歩になるのではないかと考えている。