【高校生区分】 ◆佳作 松井 彩吹(まつい いぶき)

人助け=良いこと松井 彩吹(富山県立南砺福野高等学校2年 富山県)

ある日の、帰り道だった。電車通学の私は、最寄り駅で降りて、家に帰る。帰りは、向かい側のホームに行かなければならないので、階段を登る。普段通り電車を降り、階段を登ろうとしたときだった。荷物を持った七十代くらいのおばあちゃんがいた。おばあちゃんは、とても辛そうな顔をして、階段を一段、二段とゆっくり登っていた。田舎に住んでいる私は、老人が階段を登っている光景には、見慣れていた。困っていたら声をかけるのも普通だった。私は、いつもと変わらず、
「大丈夫ですか? 何かお手伝いしますよ。」
と、声をかけた。するとおばあさんは、
「なん! 私できるわ! 助けなんかいらん!」
と、私に強く言い放った。まさかそんなことを言われるとも思わず驚いた。ただ、人助けをしたかっただけなのに。人助け=良いことと思っていた私は、少しショックだった。でも辛そうで、今にも泣き出しそうなおばあちゃんを放っておくことはできなかった。私の中で引っかかった言葉は、でも何か助けてあげたいという気持ちに変わった。
「じゃあ、そばにいさせてください。何もしません。そばで見守らせてください。一人ぼっちより人がいた方が良いじゃないですか。」そう言うと、渋々うなずいてくれた。ゆっくりと階段を登り踊り場まで行ったときだった。

おばあちゃんは、スッと力が抜けたかのように、膝から崩れ落ちた。突然のことに驚き、急いでおばあちゃんを支えた。おばあちゃんは、少しほほえんで静かに話し始めた。 「私、閉塞性動脈硬化症でね。難しい名前やろ。その病気のせいで足が悪くて。よくこういうことが起きるんやちゃ。ごめんね、びっくりしたやろ。」

難しい病名がスラスラと並べられ、おばあちゃんの話についていくのに必死だった。そんなことにかまわず、おばあちゃんは話を続ける。 「まあ簡単に言うたら、下半身の動脈がつまったり、狭くなったりして酸素が十分に行き渡らん病気ながいぜ。そうやさかい、間欠性跛行言う症状出るもんで。」

もう、わけがわからなかった。 「歩くことはできる。でも、痛て痛て。少し休めば歩けるようなるんやけど…。」

そうおばあちゃんは説明してくれた。聞いたことのない病気に症状が脳内をぐるぐると回る。こんなところで話していてもキリがないと思いおばあちゃんに声をかける。 「おばあちゃん。ゆっくりでいいので、あっちのホームに行きましょう。ベンチに座って話しませんか?」

おばあちゃんは、少し元気そうにそうしよかと、言った。ゆっくり一段ずつ、休憩しながら、反対側のホームに渡った。改札をくぐりベンチのある待合室に行き、二人でゆっくりと腰かけた。
「さっきは大きな声出してごめんね。恥ずかしいことやけど、できんこと認めたくなくて。人に助けてもらうと自分に障害がある言うて、実感してしまうのが怖くて。」

声の大きさがだんだん小さくなっているのがわかった。そのときやっと気づいた。なぜあのとき大きな声で言われたのかが。気づくと同時に悲しくなった。特に障害を持っているわけでもない。でも、なぜか悲しくなった。気持ちが何となくわかったから。できないことから目を背けたくなる気持ちが。私は、おばあちゃんのシワだらけの手を握った。 「その気持ちわかります。おばあちゃんほど、大きなことじゃないけど。障害があってもなくても気持ちは変わらないんですね。」

おばあちゃんは少し嬉しそうに手を握り返してきた。心がつながった気がした。障害の有無に関係なく、一人の人間として尊重するべきだと思った。 「強く当たってごめんね。あなたみたいな人で良かったわ。本当は嬉しかったのよ。認めたくなかっただけで。あなたみたいな人が増えると良いわね。障害の有無によって辛い思いをする人もたくさんいるから。ありがとう。」

おばあさんは、ゆっくりと立ち上がり荷物を持ってタクシーに乗って行ってしまった。最初に見たときとは正反対な笑みをうかべていた。心があたたかくなったような、チクリと痛んだような。障害の有無は仕方ないと言ってしまえば、そこまでだ。でも、接し方や考え方によっては、全く変わらない一人の人間だということを忘れてはいけない。障害にも様々なものがある。未だに、身体障害者は、接することができるけど、知的障害や精神障害の人は怖い、接しにくいと言う人がいる。正直私も少し前まではそう思っていた。でも、接してないだけで同じ人間だし、一日の価値だって、命の価値だって変わらないと思う。

全員じゃなくていい。考え方に違いがでてくるのは当然のことだから。でも少しでも偏見がなくなってほしい。みんなが対等に生きることができるように。人助け=良いことは、間違いではないけど、慎重に考えていかないといけない。私の頭の中は、そのことでいっぱいだった。