【中学生区分】 ◆佳作 能智 柚月(のうち ゆづき)

妹の笑顔能智 柚月(西条市立東予東中学校1年 愛媛県)

僕には一つ年下の妹がいます。正確には、いました。妹は、母のお腹の中にいる時に、「先天性水頭症」と診断されました。生まれた時の体重は、八百五十四グラムでした。水頭症は、簡単に言うと、頭に水が溜まる病気です。妹は、そのため、脳にダメージを受けました。頭に溜まった水を流す手術をしました。自分で飲み込む事ができないので鼻から、胃にチューブ入れて、栄養を摂取していました。退院して、家に帰ってから、母は、たくさんの人に心ない言葉を かけられたそうです。例えば、「お母さんが五体満足に生んでくれんかったんやね。」「鼻のチューブはどんなになっとん。何の病気。」またある時は、「歩けるのにいつまでも、ベビーカーに乗せるな。」とスーパーで知らないおじさんに怒鳴られた事もあるそうです。母は辛くて悲しくてたまらなかったそうです。でも、妹を見ると、いつも笑顔で母を見ていたそうです。妹が3才くらいになってから、僕とテレビを見たり、遊んだりした記憶があります。そのころの妹は歩く事もできず話しもできません。でも、いつも天使のような笑顔でした。言葉や歩くリハビリをしていました。福祉サービスを利用して児童デイサービスにも通いはじめました。僕も一緒にリハビリやデイサービスについて行っていました。そこには、いろんな障がいを持った妹と同じくらいの年の子が一生懸命がんばっていました。そんな環境の中で僕は過ごしていたので、障がいのある人と障がいのない人の差が何なのかよくわかりません。それは、障がいのある人も障がいのない人も一生懸命生きているからです。みんな違っていてあたりまえだと僕は思います。僕たち家族は、妹にたくさんのことを教えてもらいました。妹に関わったすべての人達に僕たち家族は助けられました。病院の先生、リハビリの先生、保育園の先生や、友 達、僕の友達や友達のお母さん。妹の笑顔がこんなにたくさんの勇気や力をくれました。みんなのたくさんの優しさで歩けなかった妹は、つかまり立ちができるようになり、少し、言葉もでるようになりました。僕のことは、「ゆづき」と言えなくて「ゆじゅ」と呼んでいました。妹ががんばったのはもちろんですがまわりの助けがないとできないことだと思います。妹は6才で天国へ逝ってしまいましたが、たくさんのものを残してくれました。妹が天国へ逝ってから少しして母は妹を助けてくれたたくさんの人へ恩返しをしようとヘルパーの勉強をはじめました。今は障がいのある人の家でお手伝いをしています。訪問介護と言うそうです。利用者さんの笑顔を見ると今日も一日がんばろうと思うそうです。お互いが頼ったり頼られたりの助け合いが大切だと母は言います。僕も妹に負けないようにたくさんの助け合いをしていこうと思います。天国から僕を見守っていてね。