【一般区分】 ◆優秀賞 宮地 伸治(みやち しんじ)

モクレンの花宮地 伸治(大阪府)

白い花が咲く。花びらが大きい。りんとしている。あっという間に散ってしまう。モクレンの花。私がうつ病になり障がい者作業所に行っていた頃、ある女性の学生さんが実習に来ていた。パソコンを教えてくれながらいろいろな話をした。「私モクレンの花が好きなんですよ」と学生さんが言った。私はどんな花か調べた。ちょうど咲いている時期だった。その学生さんは首に大きな黒いあざがあったが、
「私大きなあざがあるんですよ。ははは」と無邪気に笑った。女性なのに全然気にしていないことが意外だった。実習が終わり学生さんは去っていった。モクレンの花はぱっと散る。美しさをみせびらかすことなく短命で潔い。あざを気にせず、夢に向かう、あの学生さんのようだ。人との出会いは、時に人を救う。そして、時に人を踏みにじる。人は、人生を山登りに例えることがある。平らな道もあれば、上り坂も。たまには谷もあるのかもしれない。みんな人生という山を登っている。親から言わせると、私は手のかからない子だったらしい。親は、子供が受験という山、就職という山、それに立ち向かうためにいろいろな装備を子に与える。しかし、私にその装備は与えられなかった。衣食住は与えられたが、中学生の時から自分の人生の山を自分で登っていた。金銭的に大学はあきらめ、工業高校に進学した。高校の授業料を親が支払ってくれたことにはもちろん感謝している。高校を卒業し、親元を離れ、大阪の会社に就職し、会社の寮に入った。会社で待っていたのはパワハラだった。仕事を教えてもらえず、毎日「役立たず、辞めてしまえ、おまえもバカなら親もバカだな」と怒られ続けた。その頃から、うつの症状は出始めていたと思う。会社という山は厳しかった。会社を辞めたいと父に打ち明けた。父は、3年間辛抱しろと私を叱った。私に逃げ道は無かった。私は自分の判断で会社を辞めた。そして新聞配達でお金を稼いだ。新聞配達で数年たつと昼夜逆転で体調をひどく壊した。うつ病である。そして仕事を辞めた。こうして普通の人の山登りルートから外れ、立ち止まった。病院の精神科に行き、障害者手帳をもらった。障害者の仲間入りである。人生中途で障害者になると、正直大変である。何も分からなかった。この先の山は登れるだろうか、不安しかなかった。親が優しかったなら実家に引きこもることも出来ただろう。親に理解が無かったことが私にとっては良かった。実家ではなく、社会資源へと道を歩み始め、障がい者としての山を登り始めることになる。精神科の主治医は言った。
「宮地さんから働く気持ちを無くしたくはない。動くことで気持ちもつられて上がってきます。いくらでも協力します。」それでまず精神障害者生活支援センターに相談に行った。精神保健福祉士さんがよく話を聴いてくれた。その人とは今でも交流が続いている。ああ、こういう人がお母さんという人柄なのかなぁと心を動かされ、大阪のお母さんだと感じている。とても苦しかった時、遺書のような手紙を渡したことがある。落ち着いた口調でこう言った。「死ぬことは許しません。私が許しませんからね」。私の心が泣いた。うれしかった。そして、作業所を利用し、生活リズムを身に着けることから始めた。その時に最初にふれた実習の学生さんにも会えた。作業所に慣れると、次に就業支援センターに行き、企業実習をさせてもらった。それから大阪市職業リハビリセンターで訓練を受けて、鉄道会社の特例子会社に就職した。就職のゴールに思えたが、3年働いて、うつ病が悪化。退職する。再び、作業所に通所した。そこから次に、A型事業所で2年働いた。ハローワークにも定期的に足を運び、同時進行で一般就労への就職活動もした。そうして、現在の会社で採用となり、自社ビルの清掃業務に励んでいる。3年くらい続いている。就職という山があるのならば、山のふもとから頂上のゴールまでよく登ったものだ。自分をほめてあげたい。しかし、この山は、自分だけの力で登りついたわけではない。主治医、支援者の方々、私をサポートしてくれた人がいたからこそたどり着くことができた。人は人に傷つき、そしてまた人に救われる。私を励まし背中を押し引っ張りあげてくれた人たちに感謝している。うつ病になり、数十年普通の人とは違うルートで人生という山を登ってきたけれど、一生懸命頑張ってきた。気がつけば、もう 歳。半世紀生きた。もう普通の人の2倍は生きているような気がする。もう十分生きたかな。明日死んでも悔いは無い。そう思っていると、「死ぬのは私が許しませんからね」と大阪のお母さんに怒られそうだ。じゃあ今度は趣味で本物の山に登ってみましょうか。 歳の記念、どうせ目指すなら、日本一高い山、富士山は。でも現実大変そうだ。ならば予定変更、身近なところで、水族館でも行ってのんびりしよう。このくらいが今の自分のエネルギーに見合った自分へのごほうびだろう。

今年もモクレンの花が咲いていた。りんとして。そして潔く散った。数日後、薄い緑の若葉が品よく日光に手を伸ばしていた。花は散っても、葉は命をつないでいる。私も、もう少し頑張ってみようかな。明日は今日となり、日々がつながっていくのだろう。