【高校生区分】 ◆優秀賞 長谷川 てまり(はせがわ てまり)
仲間のために、未来のために ~私のスーパーヒーロー~長谷川 てまり(盈進中学高等学校5年 広島県)
「部屋に飾っておくね。」私たちが作った似顔絵入りの誕生日プレゼントをすごく喜んでくださった。しあわせな時間だった。
ずっと直接会えなかった。新型コロナウイルス対策で、会うのはいつもパソコンの画面越し。だからずっと、少し悲しかった。
七月上旬、感染状況が改善。「よし、行くぞ!。」やっと直接対面がかなった。笑顔がとてもチャーミングなおじいちゃん。私の大好きな人。その人は、岡山県にある国立(ハンセン病)療養所長島愛生園の自治会長を務めておられる中尾伸治さん(87)。冒頭は、その時のシーン。彼は、「飾らずにありのままに生きる」こと、「ひとはどんなときでもやさしさを大切に生きる」ことを教えてくれる、私にとっての「正義のヒーロー」なのだ。
中尾さんに初めてお会いしたのは今から半年以上前のこと。「らい予防法」(1996年廃止)に基づく終生絶対隔離政策によって、故郷を追われ、家族を奪われた中尾さんたち、ハンセン病回復者。二度と同じ過ちが繰り返されないように、彼らの生きざまを記録し、後世に残していく取り組みを部活の仲間と企画し、オンラインで聞き取りを開始した。
中尾さんらは、療養所に収容されてからも、過酷な労働を強いられ、子どもをつくることも許されなかった。家族に差別が及ぶことを恐れ、家族と縁を切るという意味で偽名が強要されることもあった。そんな生活の中での生きざまを、中尾さんから3回、時間にして約6時間も対話しながら、記録した。
「こんにちは! 今日もよろしくね!」と、明るいいつもの中尾さん。そんな元気いっぱいな姿とは裏腹に、ゆっくりと、そして少し悲しそうな表情で自身の過去を語り始めた。
17歳の時、ふるさとの奈良に帰省し、兄に「名前を変えた方がいいかな」と聞きました。すると兄は、「兄弟2人しかいないのに、そんなさびしいことを言うなよ」って言ってくれたんです。うれしかったですね。療養所では、偽名の人がたくさんいましたから。
でも数年後、再び帰省した時に、その兄がこんなことを言うんですよ。「悪いけど今後は、家に帰って来んといてくれ。」って。そのときはもう、兄は結婚して子どもができていました。兄にも守らなければならない家族ができたとき、差別を恐れたんですね。僕は兄の言葉をすぐに受け入れました。
「誰も悪くないのに…」と思った。それがいちばん悲しかった。だから泣けた。同時に、怒りが全身を襲った。それは中尾さんのお兄さんやそのご家族に対するものではない。彼らが恐れる「差別する社会」に対する怒りだ。大切な家族を守るために、大切な家族を失わなければならない状況に追いやった社会に対して、どうしても怒りが収まらなかった。
だが、もし私だったら、と考え込んだ。いや、そうやって、自分事として考えなければ、中尾さんとご家族に申し訳ないと思った。だって、私もその「社会」の一員なのだ。だから、二度と同じ惨劇を繰り返さないために、差別の事実を知った私が、差別をなくすための行動をしなければならないと思った。
でも私は正直、自信がなかった。回復者やご家族の心に深く刻み込まれた重い苦しみは到底、私には理解できない。それにハンセン病がどんな病気なのかさえ、つい最近まで知らなかった。そんな自分が後世に回復者やご家族の思いを継承できるのだろうか…。
そんなふうに、自分を見つめて迷っているときにふと、中尾さんを思い出した。彼はいま、長島愛生園の世界遺産登録に向けて精力的に活動している。そのようすを私に語ってくれたときの彼の生き生きとした表情を思い出したのだ。
長島愛生園にあった患者専用の収容桟橋。ここは入所者が家族や社会との繋がりを引き裂かれる場所。同時に、彼らが「汚い者」として扱われる生活が始まる場所だ。だが、桟橋は今、潮の流れに耐え切れずに朽ちている。中尾さんはこの現状に対してこう私に言った。
「(桟橋を)残さないと、過酷な隔離政策の歴史も失われ、忘れられることになってしまうんよね。忘れると、人間は、同じ過ちを繰り返すんよ。だから、自治会長としても何とか、残さなきゃいけないと頑張っています。」
中尾さんは、未来に生きる人々の幸せのために桟橋を復旧しようと懸命に活動している。「未来に生きる人々」とは、私のことだ。
それだけではない。中尾さんは県内外の小、中、高等学校で語り部活動もされている。療養所に暮らす回復者の平均年齢は中尾さんの年齢と同じ約87才。自治会活動も語り部活動もできる人が年々、少なくなっていく中で、中尾さんは、仲間のために自治会長を引き受け、仲間の思いも自ら背負い、語り部活動を務めているのだ。
中尾さんは、病気の後遺症で、顔や手が変形している箇所がある。その彼が語り部活動でこだわっていることを教えてくれた。
「子どもたちを前にしたとき、顔や手が見えるように工夫しています。病気そのものを知ってもらうことで、差別や偏見が少しでもなくなっていくと僕は信じているんですよ。」
どうすれば若い世代にも理解が広がるか。中尾さんは、差別する社会を、人にやさしい社会に変えるために、自分を飾らず、ありのままの自分で、自分を語り、行動している。
未来に向かって真っ直ぐな眼差しで進む中尾さんの姿は誰よりも輝き、誰よりもかっこいい。そんな中尾さんを見て、自分に自信がなく、何に対しても全力で打ち込むことをためらう自分がちっぽけに見えた。そして、私も中尾さんのように強くなろうと決心した。
私は将来、保育士になりたい。子どもたちが人を大切にして、平和な世界をつくる人に育ってほしい。そのためにも、私は子どもたちに伝えたい。仲間のために、未来のために、恐れることなく、自ら立ち上がり、私に勇気を与えてくれた私にとっての正義のヒーロー中尾伸治さんが生きた証を。「ねえ、ねえ、私の大好きなヒーローを教えてあげようか。あのね…」って。