【高校生区分】 ◆優秀賞 宇野 由里子(うの ゆりこ)

境界線なき世界へ ~その内と外を行き来して宇野 由里子(福岡県立修猷館高等学校2年 福岡市)

「心の輪を広げる」
私はこの表現の意味を考えた。「輪」と表現する以上、そこには「境界線」が存在するのだろう。私たちは無意識のうちに「普通の人」と「障がい者」の間に線を引いてはいないだろうか。つい口にしてしまう「普通」という言葉。そもそも「普通」という画一的な線引きなどできないはずだ。しかし、私自身がいつの間にかこの境界線を行き来することに苦しんでいたと気づくことになる。

「おーぅい、ゆぅーりぃたん!」

誰かに声をかけられた。どこか懐かしくて、しかしたどたどしい。顔を上げると、その笑みは私の視野いっぱいに至近距離で広がった。彼女の名前はめぐちゃん(仮名)。小学校の頃と変わらず私に元気に手を振ってくれた。びっくりして目を見開く私をおいて、彼女は小柄なお母さんに手を引かれ通り過ぎていった。診察室に向かう後ろ姿は、以前と変わらず痩せている。久々の再会だというのに笑顔を返す間もなかった。あっという間の出来事だった。

高二になった私だが、「こども病院」で年に一度の検診の日に、まさかめぐちゃんに会えるとは思いもしなかった。

同じ小学校の同級生だっためぐちゃんには知的障害がある。クラスから日替わりで三人ずつ特別支援学級に足を運ぶ「昼食交流」の場で、初めて彼女に出会った。その後運動会や合唱コンクールでは、私がめぐちゃんの介助担当になった。その後も偶然掃除場が同じになることが多く、彼女は私の名前を他の友達よりも早くに覚えてくれたようだった。

私が友達関係で落ち込むようなときも、テストであまり良くない点数を取ったときも、めぐちゃんはいつも変わらない満面の笑顔で、しかし何度か聞き直さないと聞こえないようなやさしい声で、私に話しかけてくれた。
「やっほぉー、ゆぅーりぃたん!」
「めぐちゃん! やっほー! げんき?」

短い会話だが、心を開いて包み込んでくれるようで、とても嬉しかった。

そんな低学年のころ、実は私は紫斑病という病を患い、福岡こども病院に入退院を繰り返していた。突然の腹痛と同時に下肢に現れる紫斑。診断が下れば即入院で、まずは数日の絶食から始まる治療。まだ幼くか細い腕に、ミシン針のように太い点滴針を刺し、ぐるぐる巻きにテーピングされた。ベッドから動けず、一週間後にやっと車いすの時もあった。目の前に伸びる病棟の廊下が、どこまでも長く続いているように見えた。

とはいえ、私の入院期間は一~二週間程度で短い方だった。周囲には、まさに難病と闘う子どもたちがいた。たくさんの管で機械に繋がれた子、補助車を使ってゆっくりと歩く子、ベッドから一歩も出られない子…。出身地が遠い人も多かった。長期入院の子とも知り合いになり、励まし合ったものだ。

たくさん我慢してやっと迎える退院の日、まだ入院が続く子たちに申し訳ない気持ちと、学校にやっと行けるという期待、でも学校には何となく行きたくないという気持ちが複雑に混じり合っていた。退院直後の私はいつも痩せ細り、体力は落ち、運動が得意な友達が輝いてみえた。久しぶりの再会に笑顔で囲んでくれる元気な友達たちとの間に、「壁」のようなものを感じていた。不安で薄暗い毎日の中に一筋の光を見出し、ひたむきに努力して一日を生きる仲間たちと励まし合い、つい昨日まで一緒に闘っていたつもりの私にとって、無理もないことだった。そんな私に、めぐちゃんのあの大らかな笑顔が安らぎを運んでくれたのだった。

翻って、現在の私はどうだろうか。水泳を続け、病気を克服し、スポーツでも活躍できる体を手に入れたはいいが、当時の切実な思いを忘れてはいないだろうか。置かれた状況に感謝しきれず、家族には文句ばかりで、弟には厳しく指摘する毎日。担当医の先生がいまだに勧める年に一度の定期検診も、またどうせ正常値の範囲に収まるだろうという希望的観測で臨んでいる。あのころの私はどこへ行ったのか…。辛い思い出に包まれた病院でめぐちゃんに再会した瞬間、私はあの原点にタイムスリップしていた。それも、時間軸だけではなく、空間軸も移動したような感覚。そう、幼い私が感じていた「壁」は、健常者との境界線だったのだ。確かにあの頃の私は、自らの手で線を引いた「輪」の外側にいた。「輪」の内側にいる元気な友達たちが眩しかった。しかし、健康な体を手に入れた今、私は無神経にその境界線をまたいで「輪」の中に入り込み、鈍感にあぐらをかいて日常を送っているのではないだろうか。自分を中心に考えてはいないか。めぐちゃんに笑顔を返せなかったあの瞬間の私を切り取って、自分を責め、その対応を悔いた。自分で引いた線がいつしか「障害」物になってはいまいか。いつの日かこの世の中にあるすべての境界線が限りなく広がり、その内側と外側を区別する「輪」という概念自体がなくなればいいと思う。その実現のために、私は障がい者など社会的な弱者こそ輪の中心において考えたいと思う。障がいもまた人それぞれがもつ個性であり、多様性として認め合うことが大切だ。皆かけがえのない命を燃やして生きている。今置かれた状況に感謝をし、困っている人が目の前に現れた時に躊躇なく手をさしのべる勇気を持ちたい。それがひいては
No one left behind

すべての人が認め合って、一人残らず幸せを感じられる世界を作り上げられるのだと信じている。

今回の検査も無事正常値に収まった。もう帰っていいのに、私は夕陽に赤く染まる廊下の椅子に、まだ座っていた。ふと、向こうからめぐちゃんらしき人影が現れた。その瞬間、私は立ち上がった。そして笑顔で駆け出した。