【中学生区分】 ◆優秀賞 浅野 友希(あさの ゆき)
杏実から学んだこと浅野 友希(塩竈市立玉川中学校2年 宮城県)
私には、大好きないとこがいます。いとこの名前は本堂杏実。生まれつき左手の五本の指が無い杏実は、子供の頃からラグビーやボクシングなどの様々なスポーツに挑戦し運動神経も抜群のスポーツウーマンです。
初めて杏実と会った時、指のない左手を見た私は、
「杏実はどうして指がないの?」
と聞きました。すると杏実は、
「私ね、お母さんのお腹の中で、左手をケガしちゃったんだ。」
と、笑って話したのです。私達のすぐそばでやりとりを見ていた母達は、一瞬驚いた顔をしましたが、杏実の言葉にすぐに笑顔になりました。
ある年の夏、杏実を含む親戚数人で、ショッピングモールに買物に出かけることになりました。太陽の強い日差しが照りつけ、身体中に汗がにじみ出るような暑さに、私は外出する前から気が滅入ってました。ところが、杏実は、暑い日にもかかわらず、腕全体を覆い隠すような袖の長い上着を着ていたのです。
私が驚いていると、一緒にいた私の母が、杏実に話しかけました。
「指が気になるの?」
杏実は、一瞬、間をおいてから
「私は、もう慣れたから気にしないんだけど私の左手を見た周りの人が気にするみたい。聞きとれる声で、"気もち悪い"って言ったりする人もいるし、見ちゃいけないものを見たって困った顔をする人もいる。だから、できる限り左手を隠すようにしてる。」
と答えたのです。
私は驚くと同時にとまどいました。それは、自分自身ではどうしようもないことで、障害を馬鹿にし、忌み嫌う世の中に。何よりも、そう話した杏実に何も言えなかった自分自身に腹が立ったからです。
結局、買物の間中、杏実の左手は、長袖の中から出されることはありませんでした。
この日のことは、私自身に、勝手に障害者の気持ちをわかったような気でいたのではないか。無知なことで知らないうちに誰かを傷つけていたかもしれない、と考えさせられるキッカケになったのです。
それからしばらくして、杏実は通学先の大学の先生の薦めで、パラアルペンスキーに挑戦することになりました。片手一本でストックをにぎり、雪の斜面を滑走する、スピード、技術が求められる競技です。
当初、障害者としてスポーツをすることに抵抗を感じていた杏実でしたが、与えられたチャンスを大切にし、新しい分野にチャレンジすることを決めました。
常に悩み、時には傷つきながらも、自分自身を受け入れ乗り越えていく。努力を続けた杏実は、平昌パラリンピックの代表選手に選ばれ、入賞したのです。
今年の始め、杏実は足を負傷し、手術をしました。結果、筋力と体力が低下し、現在リハビリに励んでいます。来年開催される北京パラリンピックの出場枠を獲得するため、
「目の前にあることに全力で取り組むだけ。」
そう言って笑う杏実は、今日も困難から目をそらさず、努力を続けています。
杏実の努力が実を結び、たくさんの人の想いをのせて、シュプールを描くことができたなら。白銀の上で、誰よりも輝く笑顔を見る日が来るかもしれません。
今、杏実は、左手を袖で隠しません。
障害や障害者について知り、理解すること。
私が杏実から学んだことです。
私は、優しさと思いやりを忘れず、行動できる人間になりたい。
健常者も、障害者も全ての人が、前向きな気持ちになれる社会を担う一人として。