【中学生区分】 ◆優秀賞 松尾 果凜(まつお かりん)

ありのままを受け入れる社会松尾 果凜(長崎県立長崎東中学校3年 長崎県)

「果凜ちゃんは、そのままが素敵だよ。」

これは小学生の頃、私の友達が私にかけてくれた言葉です。私は小さい頃に発達の凸凹があると診断され、小学校で週一~二回通級指導教室に通っていました。

特に感情のコントロールが苦手で、「負ける」「出来ない」という状況下では、心が悲しみでいっぱいになり、かんしゃくを起こしたり涙が止まらなくなったりしていました。一度その状態になると気持ちを切り替えることが難しく、一日中暗い気持ちで過ごすことも多かったです。

私は自分のそんなところが大嫌いでした。かんしゃくを起こしている自分はまるで自分ではないような感覚もありました。生まれつきの特性とはいえ、友達にはただのわがままにしか映っていなかったと思います。周りから「わがまま」と言われるたびに、なぜ自分はこれほどに負けることを受け入れられないのか、気持ちの切り替えができないのか、嫌でたまらず、変えたいと思っていました。

あるとき私は失敗したことを同級生にからかわれ、泣きながら教室を飛び出してしまいました。そんなとき、私を追いかけてきてくれた友達がいました。彼女は泣いている私を見て、こんな言葉をかけてくれました。「果凜ちゃんは、悔しくて泣いちゃったんだよね。からかう人もいるけれど、果凜ちゃんはありのままでいいんだよ。そのままが素敵だよ。」

私にとって目から鱗の言葉でした。私がずっと嫌だと思っていた特性を、彼女はありのままに受け入れてくれたのです。このときから私は少しずつ自分のことを受け入れられるようになり、徐々にかんしゃくを起こすことも減っていったように思います。

最近、学級崩壊に関する記事のなかで、発達障害の子どもが増えていることが原因として挙げられているのをよく見かけるようになりました。また、大人の発達障害についての記事もインターネットでよく目にします。記事に対する一般の人のコメントを読むと、発達障害の人に対して「迷惑」といった厳しいコメントが多く、とても胸が苦しくなります。多くの人は、発達障害は脳の障害であることを理解していても、共感したり受け入れたりすることは難しいようです。「わがまま」「振り回される」という言葉を見るたびに、見た目でわからない分、誤解されているように思います。

白い杖をついた視力に障害のある人や車椅子の人に対して、多くの人は親切に接することができます。その人たちが道端で困っていたら「助けたい」と思う人が多数派で、「振り回される」と感じる人は少数派ではないでしょうか。でも発達障害の人には、「助けよう」「理解しよう」と思う人が少ないように思うのです。

見た目でわかりにくいということは、どう接すればよいか、どのように助けたらよいかが伝わりにくいのだと思います。私は発達障害の人は、まず自分の得意なことや苦手なことを周りの人に知ってもらう工夫が必要だと思います。また、周りの人も自分の価値基準でその人を決めつけるのではなく、その人の生まれつきの特性によるものではないかと想像することが大切です。発達障害の人は周りに理解者がいれば、良いところを伸ばしていく力を持っているように感じるからです。

今でも私は負けず嫌いです。「人に負けたくない」という気持ちが目の前の課題に立ち向かう力になっています。私は他者のことを自分の価値基準で決めつけるのではなく、「この人は生まれつきこういう特性を持っているのかもしれない」と想像して接することのできる人になりたいと思います。あのとき、私を助けてくれたあの友達のように。