【小学生区分】 ◆優秀賞 柴田 智莉(しばた ともり)
交流日記-友達とつないだバトン柴田 智莉(名古屋市立笹島小学校6年 名古屋市)
私には、生まれつき体幹障害があります。早産でとても小さく生まれたので、呼吸状態が悪く、主に足にマヒが残ってしまいました。そのため、小さい時から病院などでリハビリの訓練を受けたり、いろいろなそう具を使って、日常生活をなるべく自分の力で送れるように毎日がんばっています。
障害があることで、最初に一番困ったことは、幼ち園や保育園選びです。前例がないからと断られる園が多いなか、ある一つの保育園に出会い、入園することができました。そこでは、スイミングやアート、体操教室やクッキング、英語教室なども、周りのお友達と変わらず参加させてもらうことができました。私にとって初めての社会との関わりとなったので、障害があっても仲良くしてくれたお友達、サポートしてくださった先生方には心から感謝しています。
小学校には、車いすで通っています。毎朝学校に着くまで、母と楽しくおしゃべりして、教室までは教頭先生が案内してくださいます。いつも私が心がけているのは、教室に入る時、元気な声で「おはようございます。」と自分からあいさつすることです。担任の先生やクラスの友達も気持ちよくむかえてくれます。
二年生の冬、足の手術をするために、特別支えん学校に転校して、医りょうセンターに入所しました。手術は無事成功したけれど、長いリハビリ期間があって、元の学校の友達とは会えなくなってしまいました。支えん学校から医りょうセンターに戻ると、毎日リハビリの集中訓練があり、週末にしか家に帰れませんでした。日曜日の夜、センターに戻る時、悲しくて涙があふれました。病とうのガラスのとびらが閉まった後も、しばらく帰っていく家族のかげがなくなるまで見つめていました。
この約半年間のつらい日々を支えてくれたのは、私の帰りを待ってくれている、元の学校の友達との交流日記です。おたがいの学校で今どのような勉強をしているか、クラスの楽しいできごと、はげましのメッセージなど、たくさんやりとりをしました。絵を書いたり、折り紙を折ってくれた友達もいました。うれしくて、私も訓練で習った編みこみをモールで作ってノートにはりました。退所するまでの間、この日記は途絶えることなく、担任の先生がお見舞いの時に持ってきてくださったり、母が学校に届けてくれたりしました。今思い出しても苦しい毎日だったけれど、友達との心のつながりが、私を強くしてくれました。いつかきっと元の学校に戻るんだ!!という決心が生まれて、訓練や学校生活を精一ぱいがんばることができました。
もうすぐ手術から四年がたちます。あの時の自分よりできるようになったこと、まだ苦手なこと、悔しいけれどできないこと、いろいろあるけれど、障害があっても周りの皆との関わりの中で、自分らしく生きることが大事だと気づきました。私にとって、交流日記はすばらしい宝物で、ずっとこれからも大切にしていきたい友達との絆です。
コロナの時代になって、人とのつながりがしゃ断されてしまうけれど、こんな時こそ皆が皆のことを思いやって、一人一人ができることを続けていけたら幸せだな、と思います。私もいつか大人になったら、助けが必要な人や困っている人の役に立てるように、いろいろなことに挑戦していこうと思います。