【一般区分】 ◆佳作 勝又 みゆき(かつまた みゆき)

「つけ麺男子の両立支援」勝又 みゆき(さいたま市)

「今日、晩御飯お願いしてもいい?仕事の後、筋トレに行きたいの。」

「いいけど、昨日と同じ、つけ麺だよ。」

ハードな超大盛・野菜無し・こってり系。んぐぐぐぐ…。でも、共働き妻には高級な料亭の懐石料理よりもおいしく、心安らぐ。

二〇二一年、心不全のためペースメーカー装着、身体障がい者一級になった。徐脈(心拍数が少なすぎる病気)がひどくなり、全身脱力のため横断歩道を渡り切れずにトラックにひかれそうになる、エスカレーターの最上段から後ろ向きに転倒しかけるなど、命に関わる出来事が続いた。このままでは、三度の食事より大好きな仕事ができなくなると、悩んだ。心臓に機械を入れさえすれば、今までのように仕事が「できる」と信じ、手術に踏み切った。ところが「できなくなった」私がいた。「障がい」は「疾病」と違い、治らないことを知ったのは、退院一か月後。宣告者は夫だった。最初は意味が全く理解できなかった。わかったことは、これは現実で、受け入れるしかないということ。

一か月で仕事に復帰した。しかし、三か月目に体力が続かなくなった。通勤が辛い。ペースメーカーの痛みで通勤時に吊革がつかめない、満員電車の中で立っているのがつらい。仕方なく、優先席の前で「身体障がい者なので、席を譲ってください」と頼むとスマホを見たまましらん顔。一番堪えたのは具合が悪くなり倒れてしまったところを、初老のスーツを着た男性に足蹴にされた時だった。ヘルプマークの認知度も、まだ低い。現実は厳しい。それでも、仕事がしたかった。働くことは、やはり楽しい。社会との接点がある。人に喜んでいただくことができる。そして、もう一つ…。障がい者になると、お金がかかることに気が付いた。疲れて歩くことができないのでタクシーに乗る、手先が動かず包丁が使えない日にはお弁当を買って帰る。腕が上がらなくなったので洋服を半分以上買い替える。経済的自立は、私たち身体障がい者の大きな課題であることを知った。

仕事を続けながら、もっと楽しく二人で生活するためにはどうすればいいのか、夫婦で話し合った。身体障がい者の両立支援会議である。両立支援というと、職場内の改善が声高に議論されるが、もっと大切なことはやはり家族の日常的なサポートだと痛感した。家事の手を抜いて、楽をするしかない、という夫の提案。

「誰がやってくれるの??」

「僕」

「何やってくれる?」

「できること」

「それ以外は?」

「できない事はできない」

「ごもっともだね…」
そこで始まったのが、ラーメン・つけ麺オンパレードの夕飯づくり。ところが、男性の特徴か、夫のこだわりか、包装紙にある出来上がり写真の通りに具材が全部そろわないと、気が済まない。値段を見て買うこともない。海鮮ラーメンには、茹でられた刺身の海老が数匹鎮座した。おいしいわけである。

身体障がい者になって、仕事を続けるために学んだことが三つある。一つ目は、家事を頑張らないこと。できない事はできないと言う勇気をもつ。中年主婦は「できる」よりも「できない」と言い切ることが難しい。私は最初、言えなくて自爆した。しかし、かえって家族に迷惑をかけてしまうことになった。二つ目は、運動する時間を作ること。私が筋トレを継続しているのは、障がいで傷んだところをほかの部位で補うためである。ペースメーカーを支える胸部の筋肉を補うために、肩甲骨周りの筋肉や背筋が必要となった。毎日続けていると身体の調子の変化を見つけることもできる。通勤に必要な体力もつく。時間が取れない、ではなく、障がい者の1つの仕事だと考えるようになった。三つ目が「働く障がい者」である自分に誇りを持つこと。私たちは、社会的弱者、或いはそれを逆手に取った強者ではない。「障がい」という経験を通じて、たくさんの経験や知識を得た、豊かな労働者だ。税金を納めることも、他者を助けることもできる。誇りを持ちたい。

ただ、これらは、全て、自分一人手でできたわけではない。夫という、障害がない人の両立支援から得たものである。物理的と精神的、両方からの支援が大切である。家事分担を通じて、私にできて、夫にできない事、また、その逆は何?と、考えるようになった。このことは、私を人間的に大きく成長させた。比較は、自分の立ち位置を知るために必要なこと。二人を比べて、そこから得るものは数えきれない。

明日も、ラーメンだろうか?仕事とジムに行く日は、世界一の御馳走が待っている。