【一般区分】 ◆佳作 大和 なゆた(やまと なゆた)

私の挑戦大和 なゆた(広島市)

私は 一九九一年十一月六日、出産予定日より二ヶ月早く産まれその影響で脳性麻痺になりました。私は全く歩くことができません。朝、起き上がる事も顔を洗う事も歯を磨く事もできません。食事も排泄も入浴も一人ではできません。日常生活全てに人の手助けがないと私の日常生活は成り立ちません。普段は車椅子で生活をしています。そんな私は毎日を明るく楽しく元気に前向きに生きています。笑顔は誰にも負けません。

私は小さい頃から障害があるからできないという感覚は全くありませんでした。なぜなら父も母も私がやりたいと言ったことはなんでもやらせてくれたからです。私には年子の弟がいるのですが、小さい頃から私の車椅子をおしてくれたり仲良く過ごしました。町内のお祭りや行事等にも参加したり楽しく過ごしました。私の両親や祖父母は弟となんら変わりなく同じように育ててくれました。

小学校中学校は地域の学校に通いました。友達が黒板の字をノートに写してくれたり階段は友達が抱えて上がってくれました。休憩時間は花いちもんめをしたりおしゃべりをしたり楽しく過ごしていました。また私の両親はたくさんの人と出会って楽しい経験をしてほしいとの思いから地域の障害児サークルに参加させてくれました。私は小さい頃からいろんな人と話すことが大好きだったのでボランティアさんにも気さくに声をかけていました。そのうち一人のボランティアさんと仲良くなってバスや電車に乗って二人で遊びに行くようになりました。その人は二十歳位の年齢だったので私にとってお姉さんのような存在でした。私が動物園に行きたいと言ったら動物園に連れて行ってくれたり温泉に行きたいと言ったら温泉に連れて行ってくれたりしました。そのうちボランティアさんがアイドルグループのコンサートに行っていることがわかり、私も行きたいとなってボランティアさんと二人で福岡ドームへ二泊三日の旅行も中一の頃までの恒例行事でした。初めて家族以外の人との外泊の楽しさを味わうことができました。

小学校五年生の時の野外活動では、両親が背負子を作ってくれて先生が私を負ぶって下さり皆と一緒に登山に参加することができました。頂上から見た景色は今思い出してもとてもきれいでした。

小学校六年生の運動会の騎馬戦では、友達の騎馬に乗り友達と一緒に楽しみました。私はとにかく友達と同じことがしたいと思っていました。皆私を特別扱いすることなく自然と接してくれました。

高校も普通校を希望していましたが、常に介護が必要な私には入学できる普通校はありませんでした。その為特別支援学校に入学しました。高校卒業前の進路決定の時に先生から「あなたは車椅子だから選択肢が限られとるんよ。まして食事や排泄が一人でできないのだからあなたの行ける場所はないんよ。」と言われてしまい非常に悔しい思いをしました。私はこれからどう生きて行くべきなのかすごく悩んでいました。そんな時、ダスキン障害者育成海外派遣事業の事を知り応募しました。私が参加したのはジュニアリーダー育成グループ研修でした。将来リーダーとして社会に貢献できる人という呼びかけに私は希望の光を見いだすことができました。研修生十名は私と同じような考えを持っていてたくさんの刺激を受け勇気をもらいました。アメリカのロサンゼルスで一週間滞在しました。ロサンゼルスのテーマパークでは、全てのアトラクションに障害のある人が乗れるように配慮されていました。特に私が印象に残っているのは、日本のテーマパークの船のアトラクションでは誰かに抱えてもらわないと乗ることはできませんでしたがアメリカの船のアトラクションでは車椅子のまま乗ることができとても快適でした。またスーパーで買い物をしていると他のお客さんが「メイアイヘルプユウ?」とごくごく自然に声をかけて下さいました。その他には障害者が障害者をサポートしている施設を見学しました。アメリカで学んだ事は自分で行動し伝える事が重要だと気づき希望を胸に帰国できました。また、海外研修に行った翌年には研修でお世話になった介護スタッフさんの所に一人で新幹線に乗り名古屋に遊びに行きました。名古屋ではスタッフさんが通う大学の学祭に行ったり名古屋城を見学しました。名古屋城では重い私を抱えてのぼってくれました。頂上から見た景色は今思い出してもとてもきれいでした。

高校卒業後は聴講生として大学に通いました。中学二年生の頃に宝塚を観劇し私も演劇をしたいと思い、大学では演劇部に入部しました。演劇部では仲間が私の介護をしてくれました。私が舞台に立てるよう工夫をしてくれました。初めての舞台で不安にならないように先輩と二人で姉妹の役を作ってくれたりしました。そのおかげで舞台に立てたことで自信となったちょうどその頃大学でお世話になっていた先生からドイツに行かないかとの誘いを受け二〇一二年の夏に広島の学生として平和をテーマに何か伝えたいと思い東日本大震災を題材に二つの町で公演しました。私の生活の介護は先輩にお願いしました。私の家に事前に泊まってもらって実際に大学や町に出かけ私の介護面を説明しました。中身の濃い充実した一ヶ月間を過ごすことができました。今でも大学の時の繋がりで演劇をしています。障害のある人とない人が一緒に活動しているおきらく劇場ピロシマに所属しています。公民館での絵本の読み聞かせや高齢者から子供まで誰もが楽しめるハンザというヨットもしています。これまでの経験で人は独りでは生きていけないことを改めて感じています。これからも感謝の気持ちを忘れず、人との出会いを大切にしていきたいと思います。