【高校生区分】 ◆佳作 木川 真綾(きかわ まや)
幸せの伝播木川 真綾(徳島県立徳島北高等学校 2年 徳島県)
私の祖父は事故の後遺症で、耳が聞こえずらく、目も悪く視野も他の人よりも狭いという障害をもっています。普段は補聴器を付けて生活していて、外出したときは祖父一人で歩くと危ないので、祖父と手を繋いでゆっくりと歩いています。特に夜道や段差がある場所、人が多い場所はより祖父を気にしながら歩いています。
私が祖父と手を繋ぎ始めたのは小学四年生頃です。私の家族と祖父母で大型ショッピングモールに行ったときに、祖父が人とぶつかりそうになりました。そのとき私がとっさに祖父の手を握ったことがきっかけです。その出来事以来、私は毎回買い物に一緒に行くときは、祖父と手を繋ぐようにしています。しかし、一度だけ祖父の手を離してしまったことがあります。それは、いつものように私の家族と祖父母で大型ショッピングモールに行ったときのことです。私は祖父と手を繋いで通路を歩いていました。すると、すれ違う人々がジロジロと私たちの手元を見てきてクスクス笑ってきました。祖父の耳にその声は届いていないと思いますが、私にははっきり届いていました。私は「この年でじいちゃんと手を繋いで歩くんっておかしんかな。恥かしい。」と思い、とっさに祖父の手を振りほどいてしまいました。すると、祖父はすれ違った人にぶつかってしまいました。それから少しの間、祖父と手を繋げないでいました。その後、家族と祖母と合流し、先程の出来事を話しました。すると母が
「じいちゃん、真綾と手繋いどるときめっちゃ安心そうな顔しとったよ。じいちゃんは真綾がおらんと困るんよ。笑ったりする人は高齢者や障害者のこと何も思ってない人なんよ。あんたほんなんでいいんか?。」
と言いました。そのとき私ははっと気付きました。他人の態度を気にしただけで、私の大好きな祖父を自然と差別する差別者になってしまったということに。同時に「これからもずっとじいちゃんの安全と安心を守るぞ。」と心に誓いました。それから祖父の所へ戻り再び手を繋ぐと祖父は嬉しそうな顔で
「ありがとう。」
と言ってくれました。その出来事があってから私の心は変わり、どこへ行っても祖父の手を堂々と引けるようになりました。
また別の日、祖父母と妹と私で買い物に行ったときのことです。私がいつものように祖父と手を繋ごうとしたら、妹が既に祖父と手を繋いでいました。私が「次買い物行ったときじいちゃんと手繋いでよ。」と頼んだ訳でもないのにどうして手を突然繋ぎ始めたのか妹に聞いてみました。すると妹は、
「この前の姉ちゃんの勇気すごいなって思ったけん私も真似しよって思って。」
と言いました。私はとても嬉しくなりました。自分のしていた行動が他の人の行動の原動力になっていた事が初めて分かりました。私の行動が妹に伝播したように、他の人々にも伝播していってほしいです。そういった人が一人でも多くなれば、高齢者や障害者の人々が住みやすい世の中になるのではないかと思うのです。
私が高校二年生、妹が中学一年生になった今でも、出かけたときには私と妹が交代ごうたいで祖父の手を引いています。あのときの出来事は、差別者になりかけていた自分に気付かせてくれた訓戒として、しっかり今も心の中から消えることなく残っています。人を見た目で判断したり、決めつけて差別したりする人は社会にはたくさんいるかもしれません。でも、そういう人こそが自分の大切な家族や人だけでなく、自分までも不幸にしてしまうのではないでしょうか。高齢者や障害者にはもちろん代わることはできません。でもその人の立場になって考えたりすることはできるはずです。少しでもいいのでその一歩を踏みだしてみてほしいです。
これからも二人で祖父を支えていきたいです。祖父の明るい未来のために。