【高校生区分】 ◆佳作 岡野 明音(おかの あかね)

幸せになる権利岡野 明音(和歌山県立新宮高等学校 2年 和歌山県)

「人権」とは、人が生まれながらにもっている権利であると、私は学校で何回も学んできました。そして、人権は、人種や性別などに関係なく、どんな人でも幸せに生きるための権利でもあるのです。しかし、どうしても自分となにか少し違う特徴をもつ人がいると差別をしてしまう人は残念ながら存在します。

世の中には、様々な障がいをもつ人がいます。障がいをもつ人に対して、世間にはかわいそうであると感じる人がいます。何故、「かわいそうである」と思うのでしょうか?私はそう思う時点で、障がいを持つ人を自分よりも下に見ていると感じてしまいます。そう思うのが悪であるとは言いません。実は私も、自身が小学生の時に同じことを思っていました。しかし、あるときからその考えは百八十度変わったのです。

私が通っていた小学校には二人、知的障がいをもっている同級生がいました。その子たちは普段、特別学級で授業をしていたため、「皆と一緒に授業できないなんて、かわいそうだ」……こんなことをずっと思っていました。周りには同じ教室で授業を受けていない二人のことをからかう子も何人かいました。その度に、その子たちは困ったような、悲しいような表情を見せていたのをよく覚えています。

そんなからかいも、高学年になっていくごとになくなっていきました。理解も増え、その子たちを含めたクラスのみんなでどんどん仲良くなりました。しかし、小学五年生になったある日、特別学級の子も含めたクラス全員での授業がありました。その授業ではペア活動があり、一人の男の子がその二人のうちの一人の子とペアになりました。でもなかなか上手くコミュニケーションをとることができずペア活動が進みませんでした。その男の子はいらいらした様子で「なんでこんなに進まないんだよ。障がいがあるからどうせ一人で何もできないんだろ!」と叫んだのです。その瞬間、教室は一気に静まりかえりました。すると、すぐに特別学級の子たちの担任の先生は、その男の子に「誰にだってできないことはある。それに、この子たちはこの子たちにしかできない、素晴らしい才能を持っているんだから。表面だけで人を判断するのは間違っていると思うよ」と言いました。私はそれを聞いてハッとしました。この男の子だけじゃなくて、私も、この子たちのことをイメージだけで判断していたのではないか、と。そのあと、自分は酷いことを言ってしまったとその男の子は泣きながら謝っていました。

それから少しして、私はなんとなく気になってその子たちのいる特別学級の教室に行きました。すると、そこにはたくさんの折り紙で作った作品や、壁一面に飾られた何枚もの絵がありました。それも、ただの遊びで出来るようなレベルではありません。私たちの知らないところでこんなにも素敵な作品を創り出していたことに驚きました。先生の言っていた、その子たちの「素晴らしい才能」のかたまりをそこで初めて気付かされました。それから、私のクラスメイトほとんどが休み時間にその作品を見に、教室に遊びに行くようになりました。不器用だった私は、折り紙で色々な動物や、楽しい物を創り出せることが面白くて、毎日折り方を教えてもらいました。

私たちが小学校を卒業する頃には、折り紙が得意なSくんは漢字に興味を持ちたくさんの時間を漢字の勉強に費やし、私たちのクラスだけでなく、学校中で「漢字博士」として親しまれていました。卒業した後、Sくんは私たちと同じ中学ではなく、支援学校に進学しました。もう一人、絵の得意なYくんは、中学校が同じだったのでまた三年間を共に過ごしました。年々絵を極めていて、自分でストーリーを考え絵巻物などを作っていたりもしました。ついには、中学三年生の秋に行われた文化祭では、Yくんの描いた絵を学校のあらゆる場所に貼り、地域の人に見てもらう「Yくん展」が開催されました。見にきた人は口をそろえて「すごい絵だった」「感動した」と言っていたのが印象的でした。そばで見ていた私たちは改めてこんなにすごいクラスメイトがいたんだと思いました。そこで私は、小学校のときにSくんとYくんのことを「かわいそう」だと思っていたことを思い出しました。今は全く思いません。私は、自分の考えを恥じました。

障がいをもっていると、他の人と同じことをするのが難しいかもしれません。でも逆に、彼らは彼らにしかできないことがたくさんあるのです。小中学校でのこの経験を通して私は知らないこともたくさん知れて、人としても成長できたと思います。好きなことをがむしゃらにやり努力をすることに、障がいの有無は関係ありません。どうか、あの二人が今も自分の「素晴らしい才能」をのびのびと伸ばせていますように。私も負けずに才能を開花させられるように頑張ろうと思います。「人権」とは、どんな人でも幸せに生きることのできる権利。そして、社会はどんどん「多様性」が認められるようになってきています。これから先の未来、障がいをもつ人もより平等に輝いていけることを強く、願っています。