【中学生区分】 ◆佳作 永井 瑚子(ながい ここ)

「音楽」はすべての人に永井 瑚子(秀光中学校 1年 宮城県)

三年前、とある音楽ホールでの発表会。私は練習の成果を発揮できるか不安になり、とても緊張しながら自分の番になるまで他の人達の演奏を聴いていました。しばらくして、ある男の子の演奏が始まりました。すると音が外れたり、テンポがずれたりして、「あの男の子も緊張しているのかな…」と私は思いました。さらに観客の中にはくすっと笑う人さえいました。私は不快な思いがこみ上げてきたと同時に、「自分も失敗したらどうしよう。」という心配が大きくなり、より一層緊張がましていくのを感じました。

演奏は続いていきましたが、私は男の子の様子を見ることができず、目を伏せて聴いていました。ところが、私が顔を上げ男の子に目を向けると、笑顔で楽しそうに、堂々とした姿勢で弾いている姿が目に飛び込んできました。瞬間的に男の子の周りが明るく見え、オーラのようなものを感じたのが今でも記憶に残っています。

演奏が終わり、男の子が挨拶すると、とても大きな拍手が飛び交いました。なんと、彼は「難聴」だったのです。自分では音を聞くことができないけれど、ピアノを演奏し音を奏でる一生懸命な姿に、観客は感動したのでした。

私はそこで恩師から教えてもらった話しを思い出しました。それはあるピアニストについてです。彼女は幼いころに神経性高度難聴と診断され、言語・聴能訓練のためにピアノを始めました。聴覚障がい者にはリズム感を取るのが難しいそうで、それを克服するためだったようです。しかしその後、たくさんのコンサートを開催し、賞を受賞しています。彼女の言葉で、そして恩師が伝えたかったこと、それは『ピアノ、言葉、そしてこの世のすべての音は、耳に聞くだけのものではなく、見えるものであり、感じられるもの。』ということでした。

男の子の演奏する音色、姿、そして観客の拍手、改めてそのことを実感することができました。ピアノは奏でる音色を耳で聴くだけではなく、表現者の姿や思い、それが目に見える音となり、そして肌で感じることができるものです。本当に感動し、今一度ピアノに向き合うきっかけを与えてくれた出来事でした。

私はそこから音楽に関わる人について調べました。有名な作曲家であるベートーヴェンは二十代後半から難聴が悪化し、四十代では完全に聴力を失ってしまいました。また、盲目の天才ピアニストの辻井伸行さんは、生まれつき全盲だったが、一歳五ヶ月からピアノを始め、絶対音感の持ち主であり、演奏の素晴らしさは言うまでもないです。様々なハンデを背負っていても、音楽と言うものは人を幸せにすることができる魔法のようなものだと私は思います。

ピアノで悩んだとき、私はいつも思い出します。
「失敗したっていい。自分が楽しく、一生懸命な姿で奏でられる音は、誰かに届いている。そしていつかはあの男の子のように、観客を感動させる演奏をできるようになりたい。」と。

私は音楽を通して、目に見えるもの、耳で聞こえるもの、その一つだけに目を向けるのではなく、それら全てとそこから感じるものこそが人の心を動かす原動力になることを知りました。身近にある音楽、すべての人が関わることのできる音楽、そんな音楽にずっとたずさわっていければ幸せです。その幸せが周りの人の幸せに変わっていくことができれば最高です。