【中学生区分】 ◆佳作 谷山 心絵(たにやま しえ)
「普通」のない平和な世の中に谷山 心絵(宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校附属中学校 3年 宮崎県)
「私の妹、障がいあるからさ。」
なるべく言いたくはなかった。嫌だった。妹が「障がい者」と呼ばれること。友達が「障がい者だから」というレッテルをつけて妹を理解すること。そして、一番嫌いなのは「障がい者である妹」とこうして言葉にしている自分自身。
私が五歳のとき、彼女は生まれた。十年も前のことなんて記憶にないが、父が撮っていた写真には、小さい小さい妹と、彼女を抱いて満面の笑みを浮かべた私がいた。よほど嬉しかったのか、いつもカメラ目線をはずさなかった私が、妹のほうばかり向いている。このときばかりはカメラ目線の写真はなかった。
保育園を卒業するまで、特別他の子と違うところはなかった。私の妹は「普通」の子だった。「普通」に友達と遊んだり、食べたり、寝たり。他の子に劣っているところも少なく、むしろ優れているところだってたくさんあった。私の小学校の同級生もみんな自然に受け入れてくれた。安心感があったのだ。
彼女が「普通」ではないと不安に思うようになったのは、私が中学校に入学してから。みんなと違う中学校に進学した私は、次第に学校生活にも慣れて友達もたくさんできた。そんなある日、
「ねぇ、妹ちゃんって何年生?どこ小?」
一瞬、答えるのをためらった。自分の妹が障がい者であることを知られたくなかった。もし知られたらどんな反応をされるのだろう?どう思われるのだろう?不安がよぎる。
「四年生。小学校は、うちの妹障がい者だから支援学校なんだよね。」
恐る恐る答えた。
「へぇ、そっか。じゃあ、好きなものは?」
友達は、それが「普通」であるかのように、驚いた素振りも見せずに話を続けた。友達の声が頭の中を通り過ぎていく。それを聞きながら思った。結局は自分の保身しか考えていなかった私。なんて愚かなんだろう。自分で「普通」を決めつけて、世の中の「多様性」を「普通」から除外する。そんな自分に心底あきれた。
改めて考える。「普通」という言葉が存在すること。「SDGs」という人類が達成すべき目標の一つに「差別や貧困をなくそう」というものがあること。障がいのある人々の症状を「病」と称すること――これだけでも私たちは多様性を受け入れた平和な世の中を生きているとは言えない。誰一人同じ人なんていないのに、障がいがあるだけで奇異の目で見る人々。なりたくて障がい者になった訳ではないのに。
妹がいて、私がいる。両腕でしっかり抱いた妹がいる。だから、分かっているつもりだった。でも、何も分かっていなかった。多分これからも想像することしかできない。障がい者の本音はその人にしか分からない。私なんかが語ることはできない。しかし、これだけは言える。彼らは私の何十倍、何百倍もの苦労を、「普通」に経験してきた。彼らは、強く優しく、美しい。
美しい彼らを「障がい者」とくくられることのない、「普通」なんて言葉のない平和な世の中をつくっていきたいと、私は思う。