【小学生区分】 ◆佳作 福田 琉斐(ふくだ るい)

「みんな幸せに」福田 琉斐(京都市立西院小学校 6年 京都市)

僕は明るくて元気である。でも、生まれつき歩くことができない。予定よりも早く生まれたかららしい。

僕がそのことに気付き始めたのは、幼稚園の頃だった。でもみんなと少し違うかなぐらいの感じで、その時は少し驚いた程度だった。毎週リハビリに行っていることはわかっていたけど、まさかここまでとは思っていなかった。

もう少しで幼稚園を卒園する時、初めて小学校の校長先生と出会い、僕のためにサポートをしてもらう部分をたくさん聞いてもらった。それで僕はとても安心し、こんなところで勉強できるんだとワクワクした。入学と同時に車いすも作ってもらい、最初は車輪をこぐのに苦労したけど、今では自分の身体の一部のように使えるようになった。今では自分の生活に欠かせないものだ。そんな僕は入学してしばらくは、学校生活に慣れず、お母さんと離れるのがいやで泣いていることが多かった。交流学級での学習も初めは馴染めなかったが、友達は歩けないことを全然気にしていない様子で、いつも優しくサポートしてくれた。友達の温かさにふれ、徐々に障がいをもっていても楽しく生きていけるんだという気持ちになっていった。二~四年生でも友達に恵まれ、僕の前向きで明るいところがどんどんつくられていった。

五年生の春、僕に思いがけない出会いがあった。担任が中村先生になったのだ。第一印象は、明るくて元気で、運動ができそうな先生で、とても楽しみだった。でもある日、先生が重い視覚障がいをもっておられることを知った。見た目では全く分からなかったが、視力もかなり悪く、特に視野が普通の人の五%未満であると教えてもらった。とても驚いた。僕たちはお互いに障がいをもっていたのだ。だけど、僕たちは共通点もある。自分の障がいを前向きにとらえ、明るく元気に過ごしているところ、今自分たちにできることを一生懸命頑張っているところだ。だから、僕たちは違う障がいをもっているけれど、同じところにいるように思えた。また、先生と過ごしているうちに、障がいがあっても仕事につけるんだ、という新たな希望ももてるようになった。僕たちはレアで似た者同士。まさに運命的な出会いだった。

そんな僕たちには最近困っていることがある。校内で走ったり、鬼ごっこをしたり、階段をとびおりたりする人が増えていることだ。歩くこと、見ることに困りがある僕たちは、とても怖い思いをしていた。僕たちだからこそできることはないか。そう考え、六年生で代表委員になったこともあり、五月の憲法朝会で全校に生放送で呼びかけることにした。僕たちの安全のことも大切だったが、一番伝えたかったのは「みんなが幸せに暮らせるように」ということ。とても緊張したが、誰もが安全に過ごせる学校になってほしいという思いを伝えられたと思う。

そして、年齢や性別、障がいの有無、世の中には様々な人がいるけれど、みんながお互いのことを思いやり、みんながお互いの幸せを考えられる社会になってほしい。僕も支えてくれる人とのつながりを大切にしながら、僕にしかできないこと、僕だからこそできることを続けていきたいと思う。

最後に、いつか僕は歩きたい。この夢は絶対に諦めない。素敵な出会いを生んでくれる僕の足が大好きだし、この足を誇りに思う。お母さん、お父さん、お兄ちゃん、僕を支えてくれる全ての人、ありがとう。