【一般区分】 ◆優秀賞 坂本 高広(さかもと たかひろ)

「失ってこそ見えるもの」坂本 高広(熊本県)

「盲目は、不自由なれど不幸ではない」と、言う名言がある。私にもそう思える日が来るだろうか…。

私は数十年前「失明」の宣告を受けた。「網膜色素変性症」と言う目の病である。ショックだった。頭の中が真っ白になった。その後も病魔は、着実に私の網膜を蝕み続けた。毎日毎日、真綿で首を絞めつけられる思いであった。目が見えなくなったら…。「この先どうやって生きて行ったらいい…」恐ろしさと不安だけが、私の心を押しつぶそうとしていた。そんな気持ちを抱えたまま、時間だけが空しく過ぎていった。「何とかしなければ何とか…」そんな焦る気持ちの中、まだ幼い子供たちの寝顔を見ていると、止めどなく熱いものが込み上げて来た。ただ一つ救いだったのは、いつもと変わらない妻の笑顔だった。本当は妻も不安で一杯だったろうに…。 そして私はすべての光を失った。「もう後戻りはできない…」「前に進まなくては…。」妻の為子供の為…いや、本当は「自分の為」であった。

まず立ち直りのきっかけを作ってくれたのは、「れえる」と言う点訳ボランティアの皆様であった。この社会の中で、障がいをもつ者にとって一番の理解者はボランティアの皆様ではないでしょうか。この、「れえる」と言う名称は、この会を立ち上げた3人の方の頭文字を取ったもので、視覚障がい者と共に正に、「レール」のごとく一緒に歩いて行こうという趣旨の下に付けられたそうです。

 れえる 平仮名 レール 線路

実に、いいネーミングだとつくづく感心しました。ここから私の「第2の人生」が、スタートしたといっても過言ではない。この頃の私は、点字の事についてはほとんどと言っていいほど、分かりませんでした。そんな私に一から懇切丁寧に教えていただきました。
「あいうえお…」「12345…」「ABCDE…」一文字一文字を確実に書く事…

一つの点の大事さ…など時には優しく、時には厳しく教えて頂きました。そして、何とか文字が書けるようになった頃、また、新しい壁が私の前に現れた。それは、文字は書けてもそれを読み返す事が出来ない… いわゆる「触読」が出来ないのである。これは、「れえる」の皆さんも頭を抱えてしまった。
「ここから先は、自分で頑張るしかありませんよ」「出来る限り協力はしますから」と言われ私は、覚悟を決めた。

そうして、月日は流れ私は「れえる」の皆様と共に、触読に取り組んだ。その間、「れえる」の皆様は、常に私のそばにいて励ましの言葉を送り続けてくれました。その甲斐あって、私は何とか触読が出来るようになった。「れえる」の皆様は、我が事のように喜んでくれました。その時の感動は、今でもはっきりと覚えています。その後も勿論「れえる」の皆様との交流は、続いています。最近は、お互いに高齢となり、交流もめっきり少なくなりましたが、私に立ち直りのきっかけを作ってくれた「れえる」の皆様方には、心から感謝申し上げたい。

そして、また、私に新しい出会いが…当時、私たちは、最も身近な情報源である町の広報誌をみんなに…と模索中であった。あるとき友人に誘われて「朗読会」に参加した。これが朗読ボランティア「トルバドール」との出会いであった。私はこの朗読会が、終わるとすぐにメンバーの人に面会を求めた。皆さんは快く応じてくれました。そこで私は、「広報誌」の事を相談してみた。当時はまだ読み手が少なく一本のテープを回し読みしていました。情報というものは、「正確な事。分かりやすい事。そして、出来るだけ早い事」が、求められます。このことからすると、私たちの現状は、「早さ」という面ではほど遠いものであった。ひどい時は、最後の人が聞く頃にはすでに月が替わっていることもしばしばでした。「トルバドール」の皆様は、これを聞いて「出来るだけ協力は惜しまない」と言ってくれました。それから忙しい合間をぬって協議を重ねついに広報誌の配布にこぎつけた。読み手は「トルバドール」の皆様に担当してもらい、これを町の社会福祉協議会で編集発送してもらう事になった。これにより私たちは、今までより格段の速さで「広報誌」を聞けるようになった。しかし、各人の家で録音する為に、録音レベルや読む速さなどまちまちであった。でも私たちにとってそんな事は問題ではなかった。より正確により早く情報を入手出来ることが嬉しかった。

その後も「トルバドール」の皆様とは、何度も協議を重ね「より聞きやすくする」為に、努力を重ねて頂きました。時には雑音を入れない為に夜中に録音したり、遠くから録音室に通ったりもしてくれました。本当に頭の下がる思いです。

そして、近年訪れた「デジタル化の波」は、「トルバドール」の皆様にとって、また「新しい壁」となった。「今さらパソコンなんて…」「私には、無理かも…」そんな声もちらほら…。しかし、「トルバドール」の皆様は、そこで諦めることはしなかった。見事この「新しい壁」を乗り越え、私達に「デイジー」(デジタル録音)を提供して頂いております。この「新しい壁」を、乗り越えるため皆様のご苦労、ご努力は言うまでもありません。お陰様で、このデイジーにより「よりクリアな音声」で「リアルタイム」に、この情報を楽しむ事が出来ています。

私たち障がいをもつ者にとってより多くの人達に自分達の事を理解して貰う為には、このボランティアの方々の大きな力を借りることも大事だと思いますが、何より私達自身が広く社会の中に溶け込んで行く事が大切ではないでしょうか。これからも、沢山の「出会い ふれあい」を重ねつつより大きな「心の輪」が広がって行く事を心から願っています。そして、今私は「失ってこそ見えるもの」とは、人のやさしさ… あたたかさ…そういった「心の灯り」だったのだと思っています。