【高校生区分】 ◆優秀賞 菅原 ルン(すがはら るん)

私の広げたい心の輪。菅原 ルン(関西創価高等学校 1年 神戸市)

障がい者。私はこれまでの生活であまり関わりが無かったように思う。そのため、毎年、夏の課題の『心の輪を広げる体験作文』も、思い浮かぶ体験が無く、気にとめてこなかった。けれど、それは自分が見えてなかっただけなのかも知れない。そう思うようになったのは、私のここ1年の体験にある。

2021年2月。私は、ダイエットを始めた。この時、肥満という訳では全く無かったが、いわゆるお正月太りを気にして、軽い気持ちだった。中学2年生の冬。それは、来年の最後の中学生活1年間に向かう時期で、勉強や部活にこれまで以上に力を入れていた。だが、結果は思うように出ない。友人に何もかも劣っている様に思え、努力の難しさを痛感していた。そして、大好きだったお菓子を食べることを辞めた。すると、少しずつ体重は減った。その時に感じた「報われた」という感覚は、忘れることはできない。そして、その後の自分をどんどん狂わせていった。次は、夕食の量を半分に減らして。次は…。そうして目標としていた体重になっても満足することはなかった。もう少し、もう少しだけ。と思っていた。夏の初めの頃になると、先生方や家族から、みるみる変わる私の体型に心配の声をかけられるようになった。自分でも、いい加減増やさないと、と思い始めていた頃だった。皆が暑く感じる部屋が寒く感じる。長袖が必需品になっていたのだ。その改善に対して前向きな思いの反面、後ろ向きの思いは手強いものだった。食べる量を増やそうにも普通の食べる量がわからない。どんどん体型が変わっていくかもしれないという恐怖。そうなった時、自分の長所は消えてしまう気がしてならなかった。だが、ある日の夜、母に言った。「病院に行きたい。」それは本当に勇気のいる言葉だ。それでも言葉にしたのには一つのきっかけがあった。ジャンプができなくなったのだ。体育の授業の時だった。準備体操のジャンプができないのだ。足に力を上手く入れられない、踏み込めない。授業が終わって1人になった時、思わず涙が溢れた。自分で変えた自分の体型。それは自分の自信、誇りだったはずなのに。そんな、今思えば理解し難い誇りに振り回された半年間。全くそうでなかったことに気づかされた瞬間だった。母はその言葉に、涙を流して、「何もできなくてごめんね。」と何度も謝りながら、病院を探し、連れて行ってくれた。謝罪の言葉に胸が痛んだ。情けない。多くの人に心配をかけて、何をしているんだろう。全部全部やり直したい。そう思った。病院の先生に告げられた病名は「摂食障がい」。自覚のあるものだった。そして、次に続けて言われた。「いつ心臓が止まってもおかしくない状態。」突然死の可能性についてだった。恐怖は覚えなかった。そんなはずないと思ったから。昨日まで、2時間弱の通学だってできた。そんなはずない。それを繰り返した。その中で、どんどん先生の説明は続いた。消費と摂取のカロリーの制限。毎週の通院である体重を切れば入院。どんどん注意事項を母に告げていたが、そんな内容は私の頭には入ってこなかった。まるで自分とは違う世界で話しているような。そんな感覚だった。その日からベットから動いてはいけない生活が始まった。食事とトイレの時以外は寝たまま。お風呂も禁止。読書も勉強も何もかもが禁止だった。ただ、天井を見て、目を閉じる。その繰り返し。虚無感という言葉が合うのだろうか。ツーっと涙が溢れるそんな毎日だった。ただでさえ忙しい家族に先生方に皆に迷惑をかけて。ただ皆のお荷物でしかない自分。消えてしまいたかった。そんな時、父が言ってくれた。「なんとかなる。なんとかする。」どうやって?どうでも良かった。友人が電話で話してくれた。「待ってる。ずっと待ってるね。」いつまで?誰にもわからないのに。こんなに素敵な人達に囲まれた自分は、今なにをしてるんだろう。そう思った。そして決意した。強い心で。少しでも、少しでも前を向こう。そして、いつかこの経験をプラスにしてみせる。そして恩返しするんだ。それから、本当に少しずつ、前進を続けた。行動の制限も取れていき、食事も自分の意志で取れるようになった。体型の変化に不安になる時もあった。そんな時、決意した日を思い出す。すると、大好きな大切な素敵な私の周りの人の顔が瞼の裏に広がる。それを続けた。そして、迎えた高校入学。沢山の人に支えられて私は入学式に参加した。大切な友に囲まれて、大切な家族に見守られて、呼名の返事をした。それは、かけがえのない最高の瞬間だった。そして、今も高校生活を謳歌している。

摂食障がい。それは私に沢山のことを教えてくれた。私を囲んでくれる大切な人達の存在、人の本当の美しさ。そして、今生きているしあわせ。本当に素敵なことを。多くの迷惑をかけてしまったと思う。けれど父は言う「迷惑じゃない。不安定な時は支えてあげることは、当たり前で、皆がすることなんだ。」迷惑じゃないと思うことは、まだできていないけれど、目の前の人を心から寄り添って支えられる自分でありたいと思うことができた言葉だった。それは今、心理士という将来の夢にも繋がっている。

障がいとは。辞書では、個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があることとある。だが、障がいは、きっと誰かの強みにもなる。前向きなものになる。改善というものがない障がいも。誰かの害でも自分の害でもない。

けれど、そう思えたのは、大切な周囲の人の存在、言葉があったからだ。私はそんな存在、言葉をかけられる人になりたい。周囲の人の心で、心の輪が繋がって、そして広がって。そこに障がいがあってもなくても素敵なことだから広げたい。大切な人、目の前の人を思う。この心の輪。私の広げたい心の輪。