【小学生区分】 ◆優秀賞 濱﨑 釉色(はまざき ゆいろ)
今、ぼくががんばっていること濱﨑 釉色(富山市立草島小学校 5年 富山県)
今、ぼくは支援級にいます。なぜなら、人との関わりが苦手だからです。
家では、すらすらと話すことができるのに一歩外に出ると、のどに何かがつまったように声が出なくなり、話すことができません。また、なぜだか分からないけれど、いつも不安な気持ちでいっぱいになります。そんなとき、
「場面かんもく症」
と言われました。家族や先生の手を借りて、年長のときにやっと幼稚園に慣れ、登園できるようになりました。もうこれで小学校生活も大丈夫と思っていました。しかし、小学校に入学すると、学校や周りの人の空気が、がらりと変わりました。慣れようと努力してもついていけなくなり、学校へ行けなくなってしまいました。やっぱり人が大きらい。でも、勉強もしたいし、友だちもほしいという気持ちは今ももっています。このままではいけないと思っていたところ、発達障害の診断を受けました。それから、ぼくは、自分の特徴がちょっとずつ分かるようになり、今までよりも先生方に気にかけてもらえるようになりました。先生にもっていた、もやもやとした気持ちが徐々になくなっていきました。
そして、二年生のとき、保健室登校と通級指導教室に行けるようになり、通級の先生や保健室の先生など、話せる先生が増えていきました。
そんなある日、担任の先生から、
「釉色さん、学校で安心できる場所を増やしませんか。一度、支援級の教室をのぞいて見ませんか。」
と誘ってもらいました。行ってみたら、とても楽しくて、クラスの友達と関わることがこんなにわくわくすることとは、思いませんでした。だから、学校へ行ける日が少しずつ増えました。さらに行事にも興味をもち、思い切って参加することができました。けれども心の疲れがたまり、また学校へ行けなくなる日が増えていきました。せっかく支援級に移ったのにどうしよう、と不安な日々が始まりました。しばらくして、母に、
「今度、放課後等デイサービスに行ってみんけ。」
と言われ、不安だったけれど、何か変われるのではないかと思い、行ってみることにしました。そこは、ぼくにとって、とても安心できるところでした。指導員の方がとても寄り添ってくれて、いろいろなことを教わるうちに、自分に自信がもてるようになってきました。
五年生になって、担任の先生と、
「交流級で十五分間授業を受けてみよう。」
と約束しました。交流級で十五分間授業を受けていると、交流級の友達に声をかけてもらえるようになり、だんだんとこの中に入りたいと思えるようになりました。そして、一学期の終わりには、交流級の授業に最初から最後まで出られるようになりました。
ぼくはこの経験を通して、前より心が少し軽くなりました。それは、自分にちょっぴり自信がもてるようになってきたことと、支援級や交流級の友だちと関わることで、人は怖くないということが分かってきたからです。
これからは、支援級とか交流級とか関係なく、いろいろな人とふれあうことで、ぼくがどんなふうに変わっていくのか不安だけど楽しみです。また、ぼくと同じようなことで困っている人がいたら、家族や先生、友だちがぼくのそばで力づけてくれたように、ぼくもそういうことができる人になりたいです。