【一般区分】 ◆佳作 森 義夫(もり よしお)

「障害者スポーツに関わってから」
森 義夫 (栃木県)

自分は、三十代前半に、過度なストレスがきっかけで、眠れないことや常に不安になることが多くなりメンタルクリニックで「うつ病」の診断を受けた。今も定期的に通院し医師から助言を頂いている。病名がついてから、自分の生活はどうなっていくのだろうという不安の中毎日を過ごしていた。家で過ごしてもどうにもならないし何か自分に出来ることはないものかと考えることが多くなった。たとえ読書をしても続かない。散歩をしても気持ちはあまり晴れることはなかった。時には死んでしまってもいいのかなと考えてしまうこともあり、変なスパイラルにはまりながらも自分にプラスになる情報があればと考えながら月日は経っていった。

自分は、数年前に地元の新聞で「栃木県障害者卓球選手権大会」の記事を見た。その中でメンバーの募集を知り行ってみようと自分を奮い立たせた。そして、栃木県宇都宮市のスポーツ施設で行われている障害者の卓球クラブの練習会に通い始めた。自分は、高校の時に少しだけ卓球はやっていたが、四十代になってからラケットを握ることに抵抗はなかった。最初は緊張して練習どころではなかったが、通う中でクラブのメンバーがとても明るく笑いがあり、また前向きであることに驚きを感じた。車椅子や義足がありながらも楽しく、そして果敢に練習している姿を見て自分の視野を広げることにつながった。自分も休日に時間を見て練習に参加した。それは、自分の外出の機会を多くするきっかけになった。練習中にアドバイスをもらい、技術の向上につなげていった。栃木県障害者スポーツ大会や県内で行われる卓球大会に参加して力試しをしたが思うような成績を出すことは出来ず、不安にかられ、メンタルで調子を崩してしまい練習が出来ないこともあったが、「楽しくやれればいいんだよ。」とメンバーから励ましを受けて下手の横好きながら何とか続けられている。

卓球をきっかけにスポーツを通して自分も何かしら出来ることはないものかと感じていた。

令和四年に、栃木県で全国障害者スポーツ大会が開催された。自分はフライングディスク競技で競技役員として関わり、実際に全国から出場する選手のプレーを目の当たりにした。コロナで数年開催できなかった大会を選手は心から楽しみにし、会場で思い切りプレーして、メダルを持ち帰りたい思いをフィールドに立ちながら感じていた。また、全国から来た選手や競技役員との何気ない語らいで心が和み、選手のディスクの投げ方や審判技術を見ることは今後の自分の課題もあったが勉強にもなった。

また、今回の大会をきっかけに障害者スポーツの楽しみをもっと知りたい、広げたいという思いから初級パラスポーツ指導員の資格も取ることも出来た。障害者が楽しむスポーツの幅は広く、障害を持つ人の特性を知るなど、いろいろと勉強不足もあるが、これからも努力を重ねていきたいと思う。

さて、はじめに自分の病からの経験から触れたことに戻るが外出の機会は、人との関わりやつながりを生み、また自分の新しい発見につながって現在に至っている。閉じこもっていても世界は広がらない。

二十代の頃、「人は世間体で生きるんだ。」と言われたことがある。とてもつまらないことで哀れな考えだと感じている。どういう状況であれ、生まれたからにはたくさん冒険をして、人やその風景に関わりを持ち、たとえ失敗しても、恥をかいても、一歩一歩前を向いて自然体で進むことが大切だろうと感じている。

自分の経験は、スポーツを通して外出の機会が得られたことで、後々の歩みの中で、社会参加につながったことではあるが、時間がかかってもいいから外に出ることから始めてほしい。そして自分の目で見て、耳で感じて、全身で感じてほしいと思う。状況によっては支援が必要なことはでてくるかもしれないが、ためらわずに周り頼ることで一歩踏み出すことは出来ると信じているし、一人ひとりが輝ける歩みをしてほしいと願っている。