【一般区分】 ◆佳作 森下 慧大
僕の歩んできた道
森下 慧大 (堺市)
僕には障害があります。話すことが出来ないので文字盤を使用して言葉を伝えます。この作文も僕が文字盤で伝えた言葉を作業所のスタッフに文章にしてもらって書いています。家族とはパソコンを使用して会話することもありますが、外では文字盤が主になります。一文字一文字指でおさえるのは集中力と体力がとても必要です。言いたいことがすぐに伝わらない時や、少し違うように伝わってしまう時など少し疲れてしまうこともあるけれど、小学生から使っている必需品です。言葉がちゃんと相手に伝わった時は「最高!」という気分になります。この作文もスタッフとああでもないこうでもないと言い合いながら作成しています。
この作文では、僕が今までに関わってきた方々との思い出を振り返りたいと思います。
以前はショートステイや入院をよくしていました。その頃は泣き虫で、そこに行くことになるたびに泣いていました。当時の僕は今よりも気持ちを伝えるのが難しくかんじていたので、大変なリハビリに加え、家族と離れるという不安がのしかかり、寂しい嫌だ帰りたいという気持ちでいっぱいでした。でも今になって思うといい経験だったと感じています。すごくしんどかったけど、この思い出が自分を強くしてくれて、今グループホームに居ることができています。
ただ21歳のときグループホームに入るという話が来て「なんで今?」という気持ちでした。いつかいくとは思っていたが、まだ早いと感じ、毎日悩みました。そんな時夢で天国のおじいちゃんが出てきてくれました。「慧大えらいなあ」「がんばれよ」と僕を励ましてくれ、今頑張り時やなあと思ったものの、さみしがりやの僕はやはり「まだいきたくない」と思ってしまうのでした。
いくといかないが半分半分で母とは毎日のようにけんかしていました。「なんでいかなあかんねん」と母に怒り、泣かせてしまったこともあります。母は「何かあってからじゃ遅い」と言います。それはわかっていましたが寂しいという気持ちや不安な気持ちが勝ってしまうのです。
そんな頃にある再会がありました。通っている事業所の新しいスタッフに見覚えが。もしかしてと思い聞いてみると、小学校の同級生でした。
彼は当時同じクラスで、僕のことを気にかけて挨拶や他愛のない話等よく話しかけてくれていました。なんてことない些細な会話でしたが、僕にとってはとてもうれしい事でした。
そんな彼が僕の通う事業所で働き始めたことにびっくりしてなぜここで働くことになったのかきいてみました。すると、なんと僕がきっかけだと言うのです。小学校の時の僕との関わりから、この仕事に興味を持ちここで働くことになったと。
僕はそれが嬉しくてたまりませんでした。僕がきっかけで今頑張っている人がいるということは、僕に決心する勇気をくれました。僕も頑張らないと、新しい一歩を踏み出さないと、と強く思ったのです。
僕がきっかけで働く彼がきっかけで僕はグループホームに入る決心がつきました。
今、平日はグループホームで過ごしています。大人として自立するという気持ちで毎日楽しく過ごしています。今僕が強くあれるのは、家族、親友、先生、友達、作業所の仲間がいるからです。この感謝の気持ちを伝えるためにも、毎日を一生懸命、楽しく、笑顔で過ごしていきます。