【高校生区分】 ◆佳作 田中 裕子
思いやりが社会を変える
田中 裕子 (関西創価高等学校 1年 大阪府)
私はある日、ひとりの女性が片手に杖を、片手にホワイトボードを持って立ち止まっているのを見かけた。ホワイトボードには赤い字で「SOS!私は目が見えません!点字ブロックが何かでふさがれているので助けてください」と書いてあった。女性の足元に目をやると、女性の持つ杖が、点字ブロックの上にのったトラックのタイヤをつついているのが見えた。女性の周囲にはたくさんの人が歩いていたが、見て見ぬふりをするどころか全く気づいていないようにすら見えた。トラックの作業員、多くの通行人の無関心さに驚きつつ、「見なかったことにして通り過ぎる」という選択肢が一瞬だけ頭をよぎった自分を恥じた。あまりに多くの人が無視していたため、困っている人を助けるという行為が間違っているように思えた。だが、私は勇気を出してその女性に声をかけた。行き先をたずね、点字ブロックがある場所まで手を引いていった。その時、女性はくるっと後ろを振り向いて「ここにトラックを停めないでください。私のような人が困ります。」と作業員に向かって言った。この女性は自分の意志を主張できる強い人なのだと感じた。周りの雰囲気に流されかけた自分とは大違いだ。
それはたった数分の出来事だったが、私の心は大きく動かされた。同時に、視覚障がいについて、ほとんど深く考えたことがないことに気づいた。そこで私は、自分の中の無関心を打ち破るべく、目が不自由な人々にとって、どんな状況が困るのか、その状況でどういった補助があると便利なのかを調べてみることにした。あの女性が持っていた杖は白杖といい、路面状態や障害物を事前に察知するために必要なこと。点字ブロックの近くに看板や木の枝が飛び出していたら危ないこと。盲導犬に食べ物を与えられたり、撫で回されたりすると困るということ。食事の際は、食べ物の配置を詳しく教えてほしいということどれも私たちの思いやりひとつでできることだった。「障がいを持つ人も生きやすい街」づくりのカギは私たちの関心と思いやりにあるのだ。障がい者を支援する法や体制、設備を整えることはもちろん大切だと思う。しかし、人々のなかに困っている人を見逃さない意識が根付かない限り、本当の「共生社会」の実現はできないのではないだろうか。
しかし、私は障がいを持つ人への思いやりを持つことと、障がいを持つ人を特別視することは別物であると思う。無意識のうちに「障がい者は助けてあげなければいけない存在」だと思っている人は少なくないように感じるが、決してそうではないと思う。障がい者は無力ではないし、無力だと決めつけることにこそ差別の原因があるのではないだろうか。たとえ障がいを持っていても、持っていない人のようにできることもある。障がい者に対して、全くの無関心でいるのではなく、すべてのことに手を出すわけではなく、困っているときにさりげなく手を差し伸べられる。そういう人になりたいし、そんな人が増えればいいなと思う。あの日出会った女性のおかげで、障がいを持つ人との向き合い方について考えることができた。彼女のように困る人がひとりでも減るよう、自分の身近なところからこの体験を広めていきたい。