【中学生区分】 ◆佳作 上垣 陽人
「吃音と本当の自分」
上垣 陽人 (出水市立鶴荘学園 9年 鹿児島県)
「吃音」とは、音を繰り返したり、伸ばしたり、つまったり症状は、人それぞれです。僕は、八歳のときに、吃音を発症しました。今までどおりに、言葉をうまく出すことができずなかなか、周りの人に理解されにくいので、説明しても、信じてくれなかったり、「もっとスラスラ話してね」と言われたりしました。友だちに、悪気がなかったことは、十分にわかっていました。でも、話せなくて迷惑になっているのではないかという思いがありました。日に日に、先生や友だちは、理解してくれたのですが、初めて会った人などと話すときは、正直嫌になることがありました。そんなとき、母が紹介してくれたのが「言葉の教室」というものでした。当時の自分にとって、正直な気持ちをだせる唯一の場所でした。自分が言い終えるまで、待ってくれる先生がいて、自分の吃音について詳しく一から十まで、教えてくれる。心の助けになってくれている場所でした。先生が教えてくれたことは、吃音を恥ずかしがらないでいいこと。悩んでいるのは僕一人ではないこと。いままで僕が悩んでいたことを、一つ一つ丁寧に解決してくれました。そして、一年に何人かの同じ障害をもっている大人や子供と一緒に話を聞いたり、遊んだりする日がありました。さらに、吃音をもちながら、先生や、話すのが絶対必要な仕事についているもいました。来た人たちは、たくさんの体験談を語ってくださいました。先生をしている人は、教員採用試験のときに、思い切って、「自分には、吃音があります。」と打ち明けたそうです。「打ち明けたことで相手も、理解してくれて、楽に話すことができた。」とおっしゃっていました。僕は、今まで、人に吃音という説明は理解している先生がいないと、うまく説明することができませんでした。でも、まだその勇気がありませんでした。
人と話す職業をしている人は、「自分が、吃音ということを理解してくれたお客さんは、話をよく聞こうとしてくれるので、こっちも話しやすい」と笑って話してくれました。自分の障害を、笑い飛ばせる姿は、素敵だなと思いました。来てくださった先生や大人は、自分なりの工夫をして、障害と向き合い、克服しているように見えました。自分は、まだ障害と向き合うことはできないので、一日一日、一歩ずつ向き合おうと思いました。
言葉の教室も終わり、中学生になりました。僕は、まだ発表することに自信がなく、あまり挙手も自分からすることがあまりありませんでした。中学校では、ソフトテニス部に入りたかったので、ソフトテニス部に入りました。やはり、運動系の部活なので、声出しは一番下の僕達の仕事です。声出しをしたいのですが、言葉がつまって、あまりすることができませんでした。でも、初めて大会をみたときに、先輩達が大きな声で、喜んでいるのを見て、先輩達のようになりたいと思いました。そして、僕は自分が声を出しやすいように、大きく息を吸ってみたり言い換えたりして、工夫をしました。そうすると、うまく声を出すことができました。やっと部員になったという気がしました。
自分が言いやすい言葉を見つけると、自然と自信がつき、スラスラと言える言葉も多くなりました。一歩ずつ障害と向き合うことができます。
僕はいつか、「吃音が僕にはあります」と、人前で笑顔で、言えるようになりたいです。そして、人々に吃音という障害を、知ってもらえるように努力したいです。そして、障害者を差別しない社会を作っていきたいです。