【一般区分】 ◆最優秀賞 牧田 恵実
闘い
牧田 恵実 (富山県)
私は精神障害者である。しかし障害者だからと言って恥ずかしさを感じることはない。なぜか?必死に闘っているからである、病気と。
病気の症状がでたのはいきなりだった。通学電車から降りると私がどこにいるのか、どうしたら学校に行けるのかわからなくなり、すぐに家族に「助けて!」と電話した。父が迎えに来てくれてパニックで動けなくなっている私の手を引いて家まで連れて帰ってくれた。その後もいつの間にか学校を出たものの自分がどこにいるのかわからなくなり泣いている私を当時担任だった先生が迎えに来てくださったこともある。そのようなことが度々起きたため学校の先生方も心配してくださり大きな病院での検査を勧められた。検査を受けに行くと、すぐに入院を勧められ入院することになった。そして検査の結果はおそらく統合失調症ではないかとのことだった。
「統合失調症」それは百人に一人はかかると言われる病。この日から私と病気との闘いが始まった。私の症状は様々で、いきなり男の人の声で「死んでしまえ!」と幻聴が聞こえてきたと思えば次は味覚と嗅覚がおかしくなり更に妄想も加わり「食べ物の中に毒が入っている!」と必死に看護師さんに「食べたらだめだ!」と訴え、その後しばらくは食事をとることができなくなり、点滴のみの生活となった。また、入院中にいつもは病室で寝ているはずなのに朝起きたら保護室にいて、「なんで私この部屋にいるのですか?」と看護師さんに聞くと、「本当に覚えていない?昨日の夜中にいきなり暴れ始めたのよ」と言われとても驚いた。そんな目に見えず記憶もない病気と闘ってきた。とはいえこれは私一人の闘いではなかった。私には家族がいた。私を元気付けようと焼き肉屋へ連れて行ってくれた。私を笑顔にしようと旅行に連れて行ってくれた。そんな家族と過ごすうちに体調も安定し始め、家族以外の人と話す余裕が出てきた。そんな時、母から一つ提案された。「障害者手帳持ってみない?」というものだった。提案されて気づいた。私は障害者なのだと。私は障害者。だから今まであんなに辛い思いをしてきたのだ。そう考えると合点がいった。だから障害者手帳を持つことを決めた。手帳を持つことで自分自身の中でまだくすぶっている「障害者」である自分ときちんと向き合い認めることができると思ったからだ。
デイケアという心のリハビリ施設にも通い始めた。そこには様々な心の病気を持つ人がたくさんおられた。そしてそこでは世間話だけでなく「今こんな症状が出て困っているのです」と家族以外の方とも病気で困っていることに対しお互い遠慮なく助けを求めることができた。自分の中でそのような助けを求められるようになったのも小さな前進だと思っている。
以前友人に「精神科」に通っていると言うと「お前廃人になったんだな」と言われた。悔しかった。私は必死に病気と闘っているのに、そんな私を「廃人」という一言でまるでダメな人間。一人では何もできない人間だとレッテルを貼られたように感じた。それからは一生懸命病気と闘ってはいるものの周りには病気になったことは隠すようになった。そしてこれ以上私を傷つけたくないと母は私の交友関係について、とても慎重になり、同級生などと会うのも止められるようになった。そんな中一人だけ「家に呼んだら?」と母が勧めてくれた友人がいた。彼女を障害者になってから初めて家に呼んだことは覚えている。だが何を話したのかは定かではない。しかし彼女の言ったたった一言。「めぐ、すごく頑張っとるね。」この一言に涙が止まらなかった。「大丈夫?」「辛そうだね」よりも何十倍も救われた。その友人とは今でも時々会って話をしたり、毎年桜の季節はお花見へ行ったりしている。「廃人だな」そして「頑張っとるね」どれもたった一言。その一言が人の心をこんなにも大きく動かすのだ。
私は今一人暮らしをしている。と言っても望んで一人暮らしを始めたのではない。父と母が癌で亡くなってしまったからだ。八年前父は家族やヘルパーさん、訪問看護師さんと力を合わせて家で闘病生活を送り家で息を引き取った。そして三年前母はコロナウイルスが流行りだしたころに何か月も入院し、コロナウイルス対策で面会も制限され、会いたくても会えない時期があった。母は癌が進行し、先が長くないとわかってから障害を持っていて一人では生きて行けないだろうという私とどう心中しようか本気で考えたそうだ。でも、母が入院している間に毎日一つずつ家事を覚えていく私を知って「めぐがここまでできる子になったとは知らなかったわ。少し安心。」と心中の話は流れたそうだ。でもやはり母の中で心配は消えなかったらしく入院中に書いたのだろう。母は涙が止まらない程元気が出ることを書いた素敵なメモを残していってくれた。その中に一つ、私の心を奮い立たせる一言が書いてあった。
「めぐ、ひとりだけど、ひとりぼっちじゃないから!」
その通りだ。毎日一人暮らしは寂しいと言っていた私には大好きな姉がいる。私には笑顔がかわいい友人がいる。私にはいろんな相談にのってくださるデイケアの皆さんがいる。他にも主治医の先生やカウンセラーの先生など。こんなにも多くの人に支えられながら今私は障害と闘っている。こんなにも心強くうれしいことがあろうか。だから負けない。逃げない。正々堂々と病気とそして障害者として自分自身と向き合おう。支えてくださる人たちに恥じぬよう。
そして最後にこれだけは忘れないでほしい。障害者がなんだ。健常者がなんだ。みんな闘いながら生きているのだ。仕事や病気、けが。そして人生とともに。