【高校生区分】 ◆優秀賞 鯉口 悠生
未来を拓く
鯉口 悠生 (鳥取県立鳥取聾学校 高等部 3年 鳥取県)
あれは、私が小学校五年生の時のことだった。母、妹二人の家族四人が和室で寝ようとしていた時、急に皆が起き上がり、楽しそうに話し始めた。その様子は、これまで見たことのないような楽しそうなものだった。私は母親に、で「何があったの。」と口話とキューサインで尋ねた。すると母親は、「ふくろうの鳴き声がするんだよ。」とキューサインで教えてくれた。
「そうか。ふくろうが鳴いていたのか。」と納得した。当時の私は、生き物に興味を持っていたので、ふくろうはどんな鳴き方をするのか、とても興味を持った。そして、その声を私だけが聴けず、話題に入っていけなかったことを悲しく思った。「なんで僕だけが…」そんな思いが極まり、私は一人泣いたのだった。
私は、幼少期に「先天性感音性難聴」と診断され、鳥取聾学校の教育相談に通うことになった。
その後、鳥取聾学校幼稚部に入学し、補聴器を装用しながら、発音・発語や聴き取りなど、人とコミュニケーションするための学習に取り組むことになった。
しかし、年中組の頃から右耳の聴力が急激に低下し、とうとう親しい人の声さえも聴き取りづらくなってしまった。その頃は、「聴くこと」が楽しくなっていた頃だったので、聴こえる世界が遠のく中、私は毎日イライラしながら過ごしていた。
そこで私は聴こえる世界を求めて、右耳の人工内耳装着手術をすることに決めた。手術後は、リハビリテーションの効果もあり、私の右耳はとてもよく聴こえるようになった。
しかし、喜びも束の間、今度は左耳と右耳との聴力や音質のギャップに苦しむようになり、左耳も人工内耳装着手術をすることにした。このことで、私の聴こえは、格段に向上した。
冒頭のふくろうに関する出来事は、人工内耳を装用することが日常になったある夜のことである。つまり、私が就寝前に人工内耳のスピーチプロセッサーを外した時のことだった。
この出来事をきっかけに私は、人工内耳を装用している自分と人工内耳を装用していない自分との二者を意識するようになった。別の言い方をすれば、将来自分は「聴こえる人」として生きるのか、「聴こえない人」として生きるのか、不安を感じながら生きていた。振り返れば、当時の私は「聴こえる人」と「聴こえない人」のどちらに属するか、そればかりをただ漠然と考え続けていた。
そんな私も、現在、鳥取聾学校高等部三年生になった。進学に向けての準備をしながらも、休日は、様々な地域活動に参加している。
一つは、地域の手話教室の講師である。小学生から高齢の方までおよそ三十名の方に手話を伝えている。皆さんに楽しんでいただけるように、手話の成り立ち、手話歌、連想ゲームなどを取り入れるなど、試行錯誤しながら取り組んでいる。
また、月に一度地域の事業所が開催するイベントに「手話歌パフォーマー」として参加している。
さらには、月に一度、ある企業のスペースをお借りし、「手話カフェ」の活動も行っている。ここでは手話での注文、手話歌の披露、簡単な手話紹介などを行っている。
なぜ、私がこのような活動をするのか。その理由は、私自身が障がいと向き合い、様々な活動を行うことで自信を得、更なる挑戦ができる人間になれると思うからだ。
また、鳥取聾学校という特別支援学校で生活の大半を過ごしているため、社会との繋がりを持ち、広い視野を得たいということも理由の一つだ。
さらに、手話に関する活動に取り組むことで、聴覚障がいや手話についての理解が深まり、「聴こえる人」と「聴こえない人」が共生する社会の実現に寄与できるということもその理由の一つである。
私は将来、大学に進学し「地域学」を学びたいと考えている。私自身の経験から、私は、「聴こえる人」と「聴こえない人」との両者の心情に寄り添えるのではないかと考えている。
私の夢は、人々が障がいの有無に関わらず共に歩み未来を拓く、その社会づくりに貢献することだ。この夢が実現できるよう、日々、自らの力を高めていきたい。