【中学生区分】 ◆優秀賞 田中 ことみ(たなか ことみ)

僕のこれからの宣言書
田中 ことみ (さいたま市立大宮東中学校 2年 さいたま市)

僕は今、中学2年生。小さい頃に自閉症と場面緘黙症だとお医者さんに告げられた。でも、その事実を知ったの最近で、2年くらい前のこと。小学校は通常学級で、障害がない子たちと小学校を共に過ごした。

楽しい小学校生活。でも、健常の子たちのなかで、自分だけ障害があって、障害告知をされていなかった当時でも、明らかに自分だけ違うというのは感じていた。みんなにとっては当たり前で、難なくこなせることが、僕にはすごく難しかった。あいさつも、会話も、ずっと座っていることも、勉強も、先生の話を理解することも。とにかく当たり前ができなかった。できないことが多すぎて、よく怒られた。
「なんでこんなこともできないの?」
と先生は怒鳴る。
「ちゃんとやって!」
とクラスメイトは呆れたように言う。
「どうして僕だけできないの」
と自分を責めて、
「自分は出来損ないなんだ」
とあきらめに近いような気持ちを持った。それでも、もっと頑張れば普通になれるかもと思って、僕は日々、精一杯努力した。苦手な会話を積極的にして、普通に喋る訓練をしたり、先生の話を一生懸命聞いて、勉強を頑張ったり、些細なことも一つ一つ頑張って、人並みには色んなことができるようになって、怒られることも減った。

僕がどれだけ頑張ったか。たくさん、たくさん頑張ったから、ここに全ては書ききれないけど、とにかく当時は、すごく必死になって普通というものに近づこうとした。なんでそこまで普通にこだわる必要があったのかと、今になれば少し思う。そう思うのは、普通に近づけば近づくほど、心が削れていくことに気づいたからだ。障害がある人が努力で健常の人になるなんて、不可能なんだ。必死になって無理をして、普通になることに夢中になりすぎて、僕は自分が崩れていくことに気づけなかった。それからはもう、色んなことがあった。学校を行き渋ったり、自分を傷つけたり、八つ当たりをしたり、暴れたり、障害のことだけじゃなくて色んな苦しい出来事やストレスが重なって入院もした。そのときは自分というものがわからなくなっていた。本当は喋らないで無表情なのが自分だったはずなのに、無理やり喋って表情を作った。ただ、普通になりたかった。健常の子たちみたいになりたかった。怒られたり、嫌がらせをされるのがイヤだった。でも、そんな苦しくて大変な思いをしてまで努力をするのは、自分のためにはなっていないから、本末転倒だと気づいた。無理な努力をしないで、必 要な努力だけして、自分らしくいることが、自分にとってこの上ない幸せなのではないかと、今の僕は思う。

そして中学校に進学するとき、僕はあえて小学校の同級生がいない、少し遠いところにある公立の中学校に進学することに決めた。そしてその中学校では、特別支援学級に在籍することにした。自分らしく生きる選択を自分でしたわけだ。僕にとっては、大きな決断だった。今は色々あって中学校には行けていないけど、その決断に後悔はない。反対に、その決断をしてよかったと思っている。今は、頑張りすぎないように、自分らしさを取り戻すために、無理に会話をしないで、自分を落ち着かせる自己刺激行動をして、大好きな創作をして、楽しく過ごしている。

障害を鬱陶しいイヤな存在だと思うんじゃなくて、「障害があってよかった」と少しずつ思い始めている自分が誇らしい。自分が抱えている障害について、「努力で治せ」なんて言う人もいるけど、そんなこと言う人のことは気にせずに、自分を理解してくれて、障害があることをわかってくれた上で優しく接してくれる人との関わりを大切にしたいと思った。最後に、僕はこの治らない障害と共に人生を歩んでいくと思うけど、障害があることを隠さずに、障害の特性を無理な努力でなくそうとせずに、自分らしく生きることをここに宣言する。