【高校生区分】 ◆佳作 山城 美緒
学んでほしい。考えてほしい。
山城 美緒 (盈進中学高等学校 1年 広島県)
「旧優生保護法は違憲である」。今年七月、最高裁判所は「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた」と明言した。その法律は優性な遺伝子は保護し劣性な遺伝子は排斥する。つまり、法が障がい者を否定し差別していた。ハンセン病患者の方々ももれなくその差別の対象だった。
ハンセン病は本来、感染力は極めて低く、まして遺伝する病気ではない。ハンセン病が流行った当時は、衛生環境が良くなく、子どもや高齢者など免疫力の低い人たちに感染していった。感染すると、足先や指先の感覚が麻痺する末梢神経障害により、火傷や怪我などに気づかなくなる。また、病気の進行により運動障害や変形があらわれる。国は「らい予防法」によって、ハンセン病がうつる病気だと嘘の情報を流し、ハンセン病患者は恐れられ、差別され、隔離されたのだ。
私が所属するクラブ活動では、岡山県の長島にある国立(ハンセン病)療養所長島愛生園を訪れ、ハンセン病問題から生きる意味を学んでいる。そこでは、ハンセン病の子どもたちが通う岡山県立邑久高等学校「新良田教室」や、手足が不自由な子どもたちが安全に歩けるよう整備された「一朗道」など、当時ハンセン病患者の方々が利用していた場所を見学することができる。その施設のひとつに「回春寮」がある。ハンセン病患者が長島に連れてこられたら最初に入れられる建物だ。そこで衣服を脱がされ、クレゾールの入った消毒風呂に入れられ、全身を消毒される。ある入所者の方は「身体検査をされたときが一番悔しかった。いよいよ長島にきたな。帰られないなと思った」と語った。そこに訪れるたびに私は、連れてこられた人たちへの差別はここから始まっていたんだと実感し、彼らの気持ちを想像し、胸が抉られる。
私はハンセン病問題を知るよりも前に、同じような差別を知っていた。それは「コロナ差別」だ。日本で徐々にコロナウイルスが流行り始めたころ、感染者の出た県のナンバーの車に傷を付けたり、医療従事者への誹謗中傷が起きたりした。私が小学六年生だったときに、隣の小学校でコロナに感染した児童がいじめられ、転校したという話を聞いた。全国的にも似たような事例があることをニュースで知った。私もコロナに感染したことがあるが、周りの人たちから全く差別などはされなかった。いじめられ、転校した子と私との違いは、周囲の環境の違いだ。私の周りにいた人は、コロナに感染した私を心配して優しく声をかけてくれた。しかし、その子の周りの人たちは、自分がコロナに感染したくないという恐怖心と、不確実な情報から、何も悪くないはずの子がコロナに感染したことを責め、いじめたのだろう。コロナは大抵の人が数日すれば症状が治まる。そして、今はワクチンや症状を抑える薬も開発された。流行り始めた当時、コロナに対して必要以上に人々が恐れた原因は、何よりも「正しい情報」がわからなかったことだと考える。まさしくハンセン病差別の二の舞だ。
ハンセン病は人々を身体的にも、精神的にも苦しめてきた。しかし、本当に恐ろしいのはハンセン病ではなく、人間の「差別心」だと思う。人は誰でも差別する心がある。人々は無意識に「未知に対する恐怖」を排除しようとする。しかし、私は全ての人にハンセン病療養所に訪れてもらい、一緒に考えたい。自らの目で見て、肌で感じ、ハンセン病患者の方に対してどんな差別があったのか。なぜその差別が起きたのか。もし自分がハンセン病患者だったら、友達がハンセン病になったら……。コロナウイルスに関しては、社会や保健体育の教科書で様々に記載されている。しかしハンセン病は、教科書にほとんど載っていない。実際私は「ハンセン病」という言葉をクラブに所属して初めて聞いた。きっと、ハンセン病について知らない若者は多いと思う。知らないままでは、また同じことを繰り返してしまう。差別があったという事実を私たちは知らなければならない。
私の高校は中高一貫校であり、中学生は、「にんげん学」という授業がある。高校三年生の先輩が、ハンセン病回復者から学んだ心の傷や彼らの体験談などをもとに、中学一年生に授業をする。私も中学一年生のとき、その授業を受けた。その中で、先輩から学んだ言葉がある。「正しく知って、正しく行動する」。これは先輩方が出会ったハンセン病回復者の一人、金泰久(キムテグ)さんの言葉だ。差別の根源は「未知に対する恐怖」だが、それに打ち勝つには正しい知識が必要なのだ。だから私はハンセン病問題から学び続け、正しく行動したい。
私には、学んだことを後世へ伝えていく活動を一緒にできる仲間がいる。これからもずっと、そんな優しいハンセン病回復者の方々から、仲間たちとともに学んでいく。