【中学生区分】 ◆佳作 澤田 光加(さわだ ひろか)

「トビラ」の先にある光へ
澤田 光加 (二戸市立福岡中学校 1年 岩手県)

小学校三年生の冬、私の人生は大きく変わった。その日は冬の日にしては気温が高く、一段と滑る日だった。集団登校で学校に向かっていた私は、途中の下り坂でしりもちをついて転んでしまった。最初は「痛いな。」くらいの我慢できる軽い痛みだったが、教室へと向かう階段で背中から腰にかけて強い痛みを感じた。朝の出欠確認で目の前がゆがみ、不安になって鉛筆をもってみると自力で握れなくなっていた。怖くなって担任の先生に話そうと立ち上がり数歩歩いたところでその場に倒れてしまい、そのまま救急車で病院に向かうことになった。
「どうしたんだろう。」
私は突然体が動かなくなったことに対する不安で気持ちが落ち着かなかった。その日は病名が出ず、翌日大学病院に転院することになった。「どうせよくなって元に戻るだろう。」と小学三年生の自分は当時の状況を重くとらえていなかった。病名が分かるまでに二週間くらいかかり、「脊髄こうそく」という病気であることが分かった。お医者さんに病名を伝えられた直後はどんな病気か、すぐ治るものか正直ピンとこなかった。詳しく説明を聞いていくと、治療法がない稀な病気であり、この病気にかかった多くの人はほとんどが元の身体に戻ることが出来ないことを知った。今の自分では考えられないが、当時はお医者さんの話を素直に受け入れ、車椅子生活に変わったことに対しても深く落ち込んだり自分を責めたりせず過ごしていくことができた。
 病気が告げられてから二ヶ月後、リハビリに専念するために病院へ入院することになった。そこには自分と似ている病気の子や、さまざまな病気を抱えた人たちがリハビリを頑張る姿があり、私はすごく安心したのを覚えている。「一人じゃないんだ。」そう思えた。その他にも、看護師さんが明るく励ましてくれたことやリハビリを一緒に頑張る同年代の友達も出来て、辛い治療も乗り越えることができた。
 一年後、リハビリの成果が出て退院することができ、地元の小学校で新たな生活が始まった。しかし、自分が想像していた学校生活とは異なるもので、今まで仲の良かった友人たちと大きな距離感ができたように感じて寂しい思いをする日々だった。「今の自分をどうにかして変えたい。」その思いを胸に今年の四月、中学校に入学した。最初は学校生活についていけるか不安でいっぱいだったが、いろんな先生が温かく迎えてくれてとても安心できた。学級目標決めでは「トビラ」という私の意見が取り入れられた。みんなで新しい扉を開きたいという思いで出した言葉だった。入学後すぐの大きな経験となった。
 中学校で最初に行われた行事は体育祭だった。小学校ではなかった組団に分かれた創作応援練習や、応援練習は先輩の存在がとても大きく、組団活動や練習の時の緊張感はこれまでで一番強く、一生懸命取り組んだ。だからこそ、体育祭本番で応援賞をとれた時の達成感は体全体に喜びが駆け巡るような最高にうれしい瞬間を味わうことができた。
 体育祭が終わって徐々に普段の生活に慣れてきた。普段の学校生活を振り返る心の余裕もでき、改めて生活を振り返った時、入学してから今まで自分の心を支えてくれた人の存在に気付くことができた。それは担任の先生である。自分が感じた不安や焦りなど思ったことを家族以上に話せる存在だ。
 先生はいつも私のいいところを見つけて励ましてくれる。先生の温かい言葉を聞く度に「もう少し頑張ってみよう。」と一歩踏みだす勇気をもつことができた。体育祭で創作応援に参加するか迷った時も「大丈夫、ゆっくり覚えていけばできるよ。」と私のことを信じて笑顔で励ましてくれたことで体育祭本番は創作応援を最後まで踊りきることができた。何度か心が折れそうになり、先生にきつく当たってしまったり、自分の思いを上手く伝えられない時もあったが、先生はいつも私のために出来ることは何かを一緒に考えてくれたり、ダメなことはだめと伝えてくれた。そんな先生の優しさに気が付いた時、私も先生のような存在になりたいと思った。自分が先生に温かく支えてもらった分、私もこれから関わる人に真剣に向き合い、優しさを届けられる人になりたいと思う。そのためにも自分から積極的にいろんな人に関わっていく努力をしていきたい。「トビラ」の先に待っている新しい可能性に期待しながら。