【中学生区分】 ◆佳作 篠﨑 迅
イスバスから学んだこと
篠﨑 迅 (桜川市立大和中学校 3年 茨城県)
数年前、車椅子バスケットボールチームの練習に参加させてもらったことがある。車椅子バスケは、障害の有無や性別に関わらず、誰でも楽しむことができ、一九六〇年のパラリンピック第一回大会から実施されている人気競技の一つとなっている。
体育館に入ると、
「キュッ、キュッ、ガシャン!」
というタイヤの音と、車椅子同士が激しくぶつかり合う光景に、私は思わず息を飲んだ。
チームの代表の斎藤さんは、高校三年生の時にバイク事故に遭い、下半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされた。リハビリで車椅子バスケと出会い、二十二歳の時に単身、障害者福祉が充実しているというアメリカに渡り、本場アメリカのチームで十年間プレーしたそうだ。
「車椅子だからできないということはない。やってやろう、と思った。」
と話してくれた。そして、
「アメリカでは、障害者の斎藤さんとしてではなく、ノブユキ・サイトウとして生きられた。」
と話すように、日本とアメリカでの障害についての捉え方の違いに驚いた。帰国後、車椅子バスケを親しみやすいように「イスバス」と呼び、イスバスを通して、障害のある人への理解を広めたいと活動している。
それから、初めて競技用車椅子に乗らせてもらった。以前、骨折をしたときに乗った病院の車椅子とは、全くの別物だった。タイヤがハの字についていて、軽くて漕ぎやすい。しかし、漕いで前に進もうとすると真っ直ぐに進めない。左右の腕に均等に力を込めないと斜めに進んでしまう。何度も体育館を往復し、慣れたところで、次はいよいよ、ボールを使っての練習だ。最初はドリブルから。イスバスは、ボールを持ったまま二回まで漕ぐことができ、三回以上漕ぐと、トラベリングの反則になる。いざボールを持つと、ボールに気を取られて、車椅子を漕ぐのを忘れてしまう。ドリブルしようとすると、ボールがタイヤに当たって、飛んでいってしまう。ベルトでシートに体を固定しているので、ボールを拾うのも一苦労だ。シュートの練習では、車椅子から見上げたゴールが、いつも以上に高く見え、足に踏ん張りがきかないため、ボールはリングにかすりもしなかった。頭の中では理解しているつもりでも、体は思うように動かず、想像以上にハードだった。悪戦苦闘している私に、チームの選手の方たちは、優しく声をかけてくれた。シュートが決まるまで何度もアドバイスをもらい、成功した時にはみんなが一緒に喜んでくれた。
私のイスバス初挑戦は、不甲斐ないものだった。しかし、得たものは大きかった。車椅子に乗って、みんなで声を掛け合いながら、同じ目線の高さでプレーをしているうちに、いつのまにか障害の有無など関係なくなっていて、私の中にあった壁のようなものは取り払われていることに気付いた。私は正直、体が不自由な人に対して、「かわいそう」とか「大変そう」という気持ちを持っていた。しかし、そんな考えはどこかに吹き飛んでしまった。そして、そんな考えを持っていた自分を恥じた。イスバスチームの選手は、みんな生き生きとしていて、キラキラと輝いて見えた。
最後に、斎藤さんは、
「障害とか健常とかいう言葉はいらないと思う。そんな垣根をなくしたい。」
と話した。斎藤さんの力強い言葉は私の心に強く響いた。車椅子バスケは、障害がある人もない人も同じ条件で楽しめる懸け橋になると思う。バリアとは、実は、人の心の中にあり、無意識に作られているのかも知れない。心のバリアフリーを目指し、垣根を超えた、多様性を認め合える共生社会を作りたい。