【一般区分】 ◆最優秀賞 赤岩 真詠(あかいわ まなえ)

2回目の人生、精神障害者11歳。
赤岩 真詠 (東京都)

「え?!まなえ銀行員になったの?!」
と高校時代の友人が、驚きの表情を浮かべる。「そうなんだよ、銀行の事務員になったの」と彼女の勢いに驚いて、少し笑ってしまった。
 高校時代、私は豪放磊落な性格で知られ、「困っている人の声を拾うジャーナリストになる」と、そう公言してはばからなかった。友人の驚きは、夢を追うのをやめ、真面目なイメージがある銀行員になったことへの当然の反応であった。私のこの変化には、私が精神障害者になったことが大きく影響している。

19歳の春、突如障害者となった。疾患名は双極性障害Ⅰ型。異常に気分が減退し落ち込む鬱状態と、異常に気分が高揚し跳ね上がってしまう躁状態を繰り返す精神障害である。「普通の人でも気分の浮き沈みはあるよ」と思われるかもしれない。しかし、躁状態の気分の昂進は、病的なものだ。
 普通の人が、公園の花壇の鉢植えから花を抜き、下着姿でそれをハンマー投げよろしく投げるだろうか。そして、普通の人がその現場を通報され、警察沙汰となるだろうか。これは、私が躁で引き起こしたことの一例だ。恐ろしいことに、ここまで異常なのに病識がない。むしろ自分のことを天才だと思い込む。心配する家族や友人を、この天才を理解できないとんでもないアホだと思っていたのだ。
 鬱状態では、躁でやらかした全てのことを猛烈に後悔した。希死念慮に襲われ、自室のベッドに引きこもった。

そんな浮き沈みを経験して11年。この間に、計4年間の引きこもりや、閉鎖病棟への長期入院を複数回経験した。大学在学中も、休学を繰り返した。「困っている人を助けるジャーナリストになる」どころか、自分自身が「困っている人」そのものになったのである。毎日闘病することで精いっぱいの私が、当然将来の夢など思い描けるはずもなかった。さりとて人生は続く。なんとか就活生となった私は、現実を見なくてはいけなくなった。

2018年に障害者雇用枠の法定雇用率に、精神障害が追加された。これを受け、私は障害者雇用枠での就活を始めた。就活を進めていくと、そこで初めて自分以外の障害者の人々と、リアルに触れ合うこととなる。そして障害には「分かりやすい」障害と「分かりにくい」障害があることを知った。
 障害者雇用のインターン会場に行く。まず目に入ったのは、白杖を手にしている人、手話で会話する人、車椅子で移動する等、外見から「分かりやすい」障害の方だった。外見からは「分かりにくい」学生と話していると、「内部障害なんです」と教えてくれた。
 帰り道で思いを馳せた。この世には様々な障害があり、様々な闘い方があるのだと。そして私は、外からどう見えているのだろうか。内部障害の彼女のように、私の障害もきっと外から分かりにくい。ならば、積極的に外に発信していかなければ、私の障害は、私の困っているは、きっとないものになってしまう。それだけは、絶対に嫌だと思った。そして、私の「困っている」は、きっと私だけのものじゃない。そんな直感があった。

とある銀行に入行した。決め手は「人」であった。説明会での障害者雇用担当の方が纏う温かい雰囲気。そして障害を持つ行員が実際の体験談を話していたことに、興味を抱いたからだ。面接を重ねていくうちに、会社全体も温かい雰囲気であるところに惹かれていった。障害者の仕事に対して配慮はしても遠慮はしない方針にも共感を覚えた。「この会社の人たちと、私は頑張りたい」。そう思った。

入行して4年が経った。この間メンタル面の調子を崩して休職することもあった。しかし、「長い人生、4か月のブランクなんてどうとでもなるから。焦らないで」と温かい言葉と配慮をしてくださる上司に恵まれた。
 同じチームには、視覚や聴覚障害の先輩がいる。拡大読書器や補聴器を使うその仕事ぶりは、健常者に全くひけを取らない。
 オープン就労している同期は、肢体不自由だが車椅子を使わない。「車椅子の障害の方は、車椅子モテがあるんだ」とぼやく彼は人間味あふれていて、つい笑ってしまう。先天性障害の彼の半生に私が興味を持つように、彼も中途障害の私の半生に興味を持つようだ。
 「人生の途中から急に障害者になるってどういう感じ?」 と、ある飲み会で彼に聞かれた。私もそれ気になる、と視覚障害の先輩もこちらを見る。言語化難しいなと思いつつも、
「えーと、2回目の人生が始まった感じかな」
と答えると、なるほどね、と2人は頷いた。障害者になる前には戻れない。でもそこで人生が終わったかというと、そうでもない。そう伝えたかった。2人の顔を見てほっとした。
 入行のきっかけとなった方は、障害の有無のバリアを越えて分かり合おうと歩み寄りを続けている。キャリアコンサルタントの資格取得であったり、視覚障害の歩行体験への参加であったり。彼女が声掛けしてくれる「一歩ずついきましょう」は、時に「生きましょう」とも私の耳には聞こえている。
 「分かりにくい」精神障害が法定雇用率に追加されて6年。まだまだ少ない特例を、誰かにとっての前例にしたい。職場で触れ合う皆さんのように、私もポジティブな影響を誰かに与えられるようになりたい。ジャーナリストになれなかったけれど、少しでも「困っている人」を減らしたい。「分かりにくい」障害になったからこそできることを探す私の2回目の人生は、精神障害者として11歳。まだまだ始まったばかりである。