【一般区分】 ◆優秀賞 麻生 恒雄
未来への種まき
麻生 恒雄 (大分県)
私は満70歳、全盲の鍼灸マッサージ師です。年に一回、学校で障害者についての講話を続けています。きっかけは、小学校教師の友人から、目の見えない人がどのような生活をしているのか、点字を書いたり読んだりはどうしているのかなどについて、学校で生徒に話をして欲しいと依頼されたからです。さて、引き受けたのは良いものの何をテーマに話そうかと悩みました。その当時、毎週グランドソフトボールという視力障害者が行う球技の練習のため、片道1時間かけて自宅から練習会場まで一人で電車で行っていました。
ある日、駅構内の自転車置き場にうっかり迷い込んでしまい、駅の入り口がわからずウロウロと狭い範囲を行ったり来たりしていました。すると小学校低学年の男の子二人が
「おいちゃん、どうしたん?」
と声をかけてくれました。
「駅に行こうと思って来たんだけど道に迷ったみたい」
と言うと二人は
「おいちゃん、こっち・こっち」
と階段まで案内してくれたのです。
「地獄で仏」
とはまさにこのことで、とても嬉しく思いました。
「そうだ、このエピソードを話そう」
と決めました。何度かこの話しをしてみると子ども達からは
「このような手助けなら私にもできそう」
という反応でした。これ以降も、小学校のみならず中学校・高校・大学で話をする機会をいただくようになりました。その度に
「困っている人を見かけたら、是非声をかけて欲しい」
と生徒・学生に必ず伝えています。そのためには視力障害者の毎日の過ごし方や困っていることを知ってもらうことも必要だと思い、私のありのままの生活を話してきました。
普段私はスマートフォンを使ってラインで友人とのコミュニケーションを楽しんでいます。視力障害者がどうやってスマートフォンを使っているのか不思議に思うかもしれませんが、画面操作に対応した内蔵の音声アプリが使えるので何とか利用できています。また紙幣の識別は、千円札のマークと横幅の長さを基準にした方法で金額を判別していましたが、今年の7月に発行された新紙幣では、わかりやすくなった統一の識別マークと、その場所の違いで簡単に判断できるようになりました。そして缶入りのアルコールには点字がついており、自分の缶ビールと孫のための缶ジュースを間違いなく冷蔵庫から取り出せます。このように社会の配慮が以前より広がっていることを、とてもありがたく感じています。
しかし家族の協力や自分自身が工夫することで多くのことができても、やはり困ることはまだまだたくさんあります。知らない所では、トイレの位置や駅の改札口がどこにあるのか迷います。一人で移動するときには、音声信号が少なく、また、電車で空いた座席がわからないことなども不便に感じています。まずはそういった実情を子ども達に知ってもらうことで、街中でも
「あの人は困っているかもしれない」
と気がつくことに繋がれば良いと思っています。そして、困っているような人を見たら
「何かお手伝いできることがありますか?」
と勇気を出して声をかけることが鍵だと話しています。そして、目が不自由な人への介助の方法はまさに「手引き」ですが、半歩斜め前に立ち、自分の肩か肘を相手に持たせて、先導すれば良いことを説明しています。その際、目隠しをした人と介助者役の二人一組で歩行を体験してもらっていますが、正しい介助だと目隠しをしていても、恐怖を感じないようです。手助けはけっして難しくはないのです。
もうひとつ子ども達に話していることはパラリンピックについてです。私はセーリング競技で過去2回出場し、障害の違う仲間3人で、お互いのハンディを補いながら世界で戦いました。風の方向は両耳に当たる左右差で判断し、声を掛け合いながらの帆走でした。これまで競技や開会式、選手村の食堂の様子などパラリンピックの話をすると、子ども達の目が輝いているように感じました。少ない練習時間をカバーするために、練習ノートを書いたり、英会話がもっとうまくできたら海外の人との会話が弾んで、もっと楽しかっただろうという話は先生も生徒も集中して聞いてくれました。若い人に夢や目標を持って努力してもらいたいと伝えることも私の役目だと思っています。
学校訪問を始めてまもなく30年を迎えようとしています。私一人のためでなく、社会全体が助け合いの心を持つようになることが希望です。何歳までできるかわかりませんが
「継続は力なり」
を信じて少しでも多くの味方を増やしたいです。困っている人に声をかけて欲しい、そして夢や目標を持って欲しい。この2つを軸に学校で生徒とのふれあいを大切にしながら、未来のための種まきをこれからも続けたいと思います。