【一般区分】 ◆優秀賞 津嶋 栄子(つしま えいこ)

マサちゃんのこと
津嶋 栄子 (千葉県)

「マサちゃん、起っきして。ごはんだよう。」
 声の主は、叔母である。マサちゃんは、叔母の息子。私にとって従弟にあたる。
 マサちゃんは自閉症で、重度の知的障害がある。
 マサちゃんと会話するのは難しい。いくつか単語は発するけれど、その数少ない単語は、本当の意味とはつながっていないことが多かった。でも、マサちゃんが見えるものや感じるものと、そのアトランダムな単語の選択は、どこかつながっていたのかもしれない。私はマサちゃんの表情を見て、楽しそうだなとか、何だかストレスが溜まっているみたいと思うのがせいぜい。だが、叔母はマサちゃんに話しかけ、マサちゃんは「うん、うん。」とうなずき、ちゃんとコミュニケーションは成立していて、私はいつも羨ましく思っていた。
 マサちゃんは時々、激しくジャンプしたりしゃがんだりを繰り返しながら「うおーっ!」と大きな声を出すことがあった。何かしらの感情を吐き出しているのか、不安定になった心を落ち着かせようとしているのか・・・。そんなマサちゃんを初めて見る人は驚いたり怪訝な顔を向けたりする。びっくりさせちゃうことはあるけれど、マサちゃんは決して人に危害を加えるようなことはしない。
 時折り、マサちゃんは楽しそうにケラケラ笑うこともある。「うおーっ!」の理由がよくわからないように、ケラケラ笑う理由も、私にはわからないのだけど、本当に楽しそうに、とても無邪気に可愛くマサちゃんは笑う。
 私の家族の中でも、マサちゃんはアイドルだった。私の両親や妹たちも、マサちゃんがお盆やお正月に来るのをとても楽しみにしていた。マサちゃんが来る日は、いつもマサちゃんの大好きな手巻きずしを作った。みんなマサちゃんに好かれたくて、手巻きずしの他にもマサちゃんが喜びそうなおもちゃやお菓子を用意した。自分が用意したものをマサちゃんが気に入ると、宝物を掘り当てたみたいに得意になった。「うおーっ!」が思い切りできるように、海にも遊びに連れて行った。
 私の妹の誕生日に、マサちゃんが来た時のこと。みんなが「ケーキのいちご争奪ジャンケン」で白熱しているそばで、最後のいちごをマサちゃんがパクっと食べてしまい、みんなで大爆笑したこともあった。
 それからだいぶ時間が経った。マサちゃんは大人になり、最近は親元を離れてグループホームで、優しい所員さんたちに囲まれて穏やかに暮らしていた。そして。
 令和五年のお正月が明けたある日、マサちゃんは、グループホームで突然バタンと倒れて、それきり亡くなった。少し前に感染した「コロナ」の影響で、肺血栓症を併発したらしい。あまりに突然の訃報だった。
 叔母に葬儀の日程を聞くと、葬儀はマサちゃんの家族(両親と姉)三人だけで行いたいとのことだった。「これまでずっと迷惑ばっかりかけて、人に嫌われる人生だったから、最後は三人で静かに見送りたいんだ。」と。
 それでも、私はどうしてもマサちゃんに会いたかったので、葬儀の前日、マサちゃんのいる斎場に行った。叔母も一緒に来てくれた。
 マサちゃん、享年四十八歳。叔母は、もうすぐ八十歳になる。近年腰を患った叔母は、杖代わりのカートを押しながら、祭壇に眠っているマサちゃんのそばにゆっくり近づくと、「マサちゃん、起っきして。ごはんだよう。」と声をかけた。悲しそうではなく、ごくごく普通に。五十年近く、叔母とマサちゃんは、優しいお母さんとかわいい子供のまま・・・。
 叔父も、決して健康とは言えない状態である。叔父も叔母も、自分たちがいなくなった後のマサちゃんが心配でしかたなかったから、先に亡くなったマサちゃんを「親孝行」と言った。自分でもよくわかってないんじゃないかと思うくらい急に逝ってしまったマサちゃんは、とても穏やかな表情で眠っていた。
 私は教員になって、約三十年。マサちゃんの影響で、特別支援教育の道に進んだ。マサちゃんがいなかったら、今の私はない。「迷惑ばっかりかけて嫌われる人生」なんて、叔母ちゃん、何言っちゃってるの。マサちゃんは、私の人生の恩人なんだよ。
 「障碍のある人とない人のあたたかいふれあい」がたくさん生まれる一方で、偏見や根拠のない誹謗中傷は、当事者だけが見える陰の中に、実はまだ確実にはびこっている。
 世の中にはいろんな人がいるけれど、マサちゃんや叔母たちを含めてみんなが、安心して心穏やかに暮らしていける社会になるといい。それは、とてつもなく難しい願いだとはわかっている。だけど、私は決してあきらめない。それが、生きている人間の使命だと思うから。