【一般区分】 ◆優秀賞 米塚 匠
個性を受け入れる教育の挑戦
米塚 匠 (青森県)
「先生、ぼく、『普通』になりたい。」
これは、私の心を強く突き動かし、その後の人生観を大きく変えた一言である。
私は小学校の教員をしている。その中で、実に多様な児童と接してきた。勉強が得意な子がいれば苦手な子もいるように、活発で話し好きな子がいれば控えめでおとなしい子もいる。人はそれぞれ違う個性をもっており、百人の子どもがいれば百通りの個性があるのも当然である。個性に違いがあっても、優劣の差はない。たくさんの子どもと関わる教師として、すべての個性を大切に受け入れ、その成長を支えていくことが自分の務めだと、そう思いながら、これまで子どもたちと向き合ってきた。
しかし、本当に私はすべての子の個性を大切に、そして前向きに受け入れてきたのだろうか。そう思わされ、もう一度見つめ直さなければいけないと感じるきっかけとなったのが、先述した「ぼく、『普通』になりたい」という言葉だった。
この言葉は、私の学級に在籍していた、発達障がいを抱える男の子がふと口にしたものだ。その子は、学校生活の中で頻繁に落ち着きを失い、他の子どもたちと衝突することがよくあった。授業中に突然立ち上がって教室を飛び出すこともあった。そのたびに私は彼を指導したり、追いかけて教室に戻るよう説得したりしていた。私は、この行動が正しいものだと思っていた。しかし、今改めて考えると、それは単なる私の思い込み、もしくは自己満足でしかなかったのではないかと感じる。私はただ、学級全体の集団行動を整えることばかり意識しており、一人ひとりの子どもの本質を理解しようとしていなかった。頭では「個性を大切に」と思っていても、それを実行できていなかったことに初めて気がついた。結局、その子に対して無意識のうちに「普通」ではない接し方、悪い意味での「特別扱い」をしてしまっており、その子もそれに気づいていたのだと思う。「ぼく、『普通』になりたい」という言葉には、私が理解しきれなかった深い孤独と不安が隠れていたのだと痛感した。
その日の休み時間、彼と個別に話す時間を取った。すると彼は、「どうしてぼくだけ違うんだろう」と泣きながら話した。私は、胸が締め付けられる思いがした。同時に、今の自分のままではこの子の心を癒やすことはできないと感じた。もっと正面から、そして心の底から本気で向き合い、「彼そのものの個性」をはっきりと理解した上で、その良さを認めてあげなければ。彼の本音に触れ、私はそう強く感じた。
その後、彼とのコミュニケーションを見つめ直し、彼の気持ちに寄り添う努力を続けた。彼の興味や好きなこと、嫌なことをより細かく把握するために、彼との対話を重ねた。また、彼が授業中に困難を感じる場面についても、学級全体でどのようにサポートできるかを考え、環境を調整することを試みた。彼の意見や提案を尊重し、時には彼の気持ちを代弁するような役割を担うことで、彼が自分の存在をより大切に感じられるように努めた。すると、少しずつ彼との心の距離感が縮まっていったような気がした。
それから数ヶ月後、私の異動が決まり、彼と別れることになった。その際、彼から手紙をもらった。そこには、「ぼくは、今まで何度も叱られたけれど、先生はぼくをちゃんと見て、心から叱ってくれました。叱られるのは嫌だけど、少し嬉しかったんです。」と書かれていた。私は、涙が溢れてきた。彼との向き合い方が間違っていなかったと、少しだけ自信をもつことができた。そして、これからも一人ひとりの個性を大切にすると誓った。
彼の言葉、そして彼の存在から、多くのことを学ばせてもらった。その中で私が今感じていることは、無意識に根付いている偏見と向き合う必要性だ。最初の頃は「この子はどうせできないから」というような偏見が、私の中で無意識にあったのだと思う。そこに悪意はないのだが、似たような偏見をおそらく多くの人が無意識にもっていると感じる。そしてそれは子どもも同じである。だからこそ、私はこの偏見をなくすための教育を実践したいという思いが強くなった。
しかし、この教育を実現するのは簡単ではない。例えば、「障がい」というテーマそのものに触れるのが難しいという問題がある。このこと自体が無意識の偏見の表れであるが、アプローチを誤ると、逆に障がいを抱える子を傷つけてしまう可能性がある。例えば、知的障がいを抱える子が在籍する学級で、その子の特性も理解しないまま「あの子は障がいがあるから大変だ、みんなで支えよう」と伝えても、かえっていじめを助長してしまうことがあるし、本人が「話してほしくなかった」と感じてしまうこともある。だからこそ、障がいをみんなで理解し受け入れるには、「その子の本質を理解しようとする、認めようとする姿勢と意識」が大切だと改めて思う。教師としてどのような教育ができるか、周囲に対してどのようなアプローチが適切かを見極めるために、その子の心と真剣に向き合うことが必要だ。
今、私にはとある目標がある。それは、目の前の子ども一人ひとりを大切にし、彼らの個性を伸ばしていくと心に誓いながら、将来的には学級や学校の枠を越え、市町村、県、そして日本に生きるすべての子どもたちが安心して過ごせる学校環境をつくる、とういうものだ。この目標は途方もない夢物語であると思われるかもしれない。しかし、私はこの目標をこれからももち続けると心に決めた。そしていつの日か、障がいを抱える子もそうでない子も、全員が笑顔で安心して生きることができる社会を実現させたい。