【一般区分】 ◆佳作 佐野 舞香
障がいの有無にかかわらず対等に人と向き合える人との出会い
~私を変えてくれた大切な支援者の人とのお話~
佐野 舞香 (大阪市)
1年前、私は今までしたことがなかった「ものづくり」が作業内容の作業所に通所し始めました。今までいくつかの作業所を転々とし、ここ数年は家に引きこもり、社会に出ることがとても怖く感じていました。そんな中、元々興味のあった絵を描くことを作業にしている、今の作業所に出会いました。最初は何もわからず泣いてしまうこともありました。しかし、スタッフさんが懸命に私のことを考えてくださり、今では作業所に週4回通うことができるようになったのです。その中で、私を変えてくれたスタッフさん、Oさんとの今までを書きたいと思います。
Oさんは、利用者さんみんなから愛されているスタッフさんです。しかし、私は元々対人関係が苦手で、すぐに心を開くことができませんでした。中々打ち解けることができず、「この作業所も合わないのかな…」と諦めていました。諦めている私とは裏腹に、Oさんは必死に私が打ち解けられないかと考えてくれていたそうです。そして月日は過ぎ去り、私とOさんは通所するたびに笑いあえる関係になっていきました。しかし、私の中でOさんは「一緒に笑いあえる存在」と思っていたため、弱音を吐くことはできずにいました。そんな中、私が心の安定が保てなくなる時期がやってきました。
誰にも弱音を吐くことができず、フラッシュバックや自傷行為、泣き叫ぶことが多くなりました。そんな時、いつもOさんは、自傷行為を止めながらもそれ以外は隣で何も言わず、そばに居続けてくれたのです。私が落ち着くまで手を握りながらずっと。そして、落ち着き始めた時、Oさんはこう言ってくれました。「佐野さん、私の目を見て。」その言葉に私はとても救われ、心を動かされたのを今でも鮮明に覚えています。「Oさんは信頼できる人なのかもしれない」そう心から感じたのです。その出来事から私はOさんにいろんな話をするようになりました。今のことも、過去の怖かったことも、人が怖いことも、自分が怖いことも、本当にいろんな話をして、時には二人で本音を話し合ったこともあります。
それでも自分に余裕がなくて「しんどい。助けてほしい」その言葉が言えなくて、一人で抱えてしんどくなってしまうことがありました。そんな時、Oさんは小さなメモに手紙を書いて渡してくれるようになりました。最初は「大丈夫?どうしたの?」と書かれたメモを渡してくれていました。そのメモに私が返事を書くことで、しんどいを吐くことができていました。そのメモを何枚も貰ううちに「自分からしんどいを伝えられないか」と私自身が模索するようになりました。そして誕生したのが「しんどいを伝える言葉カード」です。不安、怖い、わからないけどしんどいなど、いくつかのしんどいをカードにして持ち歩くようにしました。そして、しんどい状況に合わせてカードを見せながら「しんどい」と自分から発信できることが増えたのです。
そうして伝えられることが増えたおかげで、自傷行為をすることは少なくなり、しんどいことを伝えた時、Oさんは「ゆっくりでいい。佐野さんのペースでやっていこう」と言ってくれたり、作業内容を臨機応変に変更してくれたりします。時には二人で絵しりとりをすることもあります。「私らしさ」を常に引き出してくれて、出会った時から私という人を見てくれているOさんには、本当に感謝しかありません。
ある時、Oさんはこう言っていました。「私は障がいがある人ない人にかかわらず、その人を一人の人間として対等に向き合いたい」と。この考えは、現代ではいろんなところで普及し始めている考えかもしれません。しかし、私は普及だけが先走りして、実際に行動へと移せている人は、あまりいないのではないかと思います。実際に私は「障がい者だからできないだろう」と何度も言われてきました。人は「障がい者」と聞くと「自分よりできることが少ない」などの考えを持つことが多いように感じます。Oさんがまっすぐ対等に向き合える人だったからこそ、私は心から信頼することができ、自分も変わっていきたいと思うようになれたのだと思います。
私はこれからもOさんと笑い、時に本音をぶつけ、弱音を吐ける関係でいたいと思っています。そして、Oさんのような、人と対等に向き合い、優しさを分けられるような人になりたいです。Oさんと出会って本当に良かったです。
Oさん、いつもそばで変わらずいてくれてありがとう。