【中学生区分】 ◆佳作 伊藤 菜那子(いとう ななこ)

広がる弟の世界
伊藤 菜那子 (宮城教育大学附属中学校 1年 仙台市)

「ななちゃん。○○どこにあるの?」
こう聞かれるのが私の日常。なぜなら、弟は視覚障害者で視野が狭く視力も悪いから。何かを探すのがとても大変で、苦手だからだ。
 弟は私が三歳の時に生まれた。生後三か月の時に目が見えていないかもしれないと母が気付き、生後半年ほどで先天性の視覚障害であることがわかった。両親が弟に赤いおもちゃを見せて、目で追っているかを確認している光景を私は今でも覚えている。弟はまだ赤ちゃんだったので障害の程度もはっきりせず、両親は途方に暮れていた。だいぶ後になって母から聞いた話だが、当時はいろいろな人が心配してくれて、身近な障害のある人が自分なりに挑戦をしながら頑張っている話を紹介してくれたそうだ。周りの人からそのような話を聞きながら、私たち家族は祖父母も含め全員で「この子を普通に育てていこう」と心に決めた。
 我が家は両親ともに仕事をしていたため、弟を生後七か月から保育園に預けることにした。ここから、障害のある弟は家族以外の人とも関わることになった。保育園の先生方にとっても弟のような視覚障害者を預かるのは初めてのことである。戸惑いや不安がたくさんあったと思う。その頃の弟は、目が見えないことで自分から何かをしようとする気持ちをなくしていた。いつも誰かに頼って、自分の思い通りにいかないことがあると泣いていた。「自分にはできない」と言われるとどうしようもなくて、私が代わりにやってあげたこともあった。
 しかし、そんな弟は保育園で日々を過ごす中で変わっていった。両親はあらかじめ先生方へ「全部みんなと同じようにできなくてもいいです」と伝えていた。しかし先生は「みんなと同じようにできますよ」と言って、何でも他の子たちと同じようにやらせてくれた。弟が挑戦するとき、先生方は「できるよ。できるよ。」という言葉で弟の背中を後押ししてくれた。弟は少しずつ自信が持てるようになり、自分でできることも増えていった。姉の私から見てもすごい変化だった。
 そこから弟は学校、習い事、放課後デイサービス等でたくさんの人との出会い、関わり成長していった。そこで出会った人たちは誰もが弟の障害を自然に受け入れ、弟が困っているときには手を貸し、弟が挑戦するチャンスを作ってくれた。弟の合唱のコンサートを見に行った時、私が家で行っているサポートを周りの人たちが当たり前のようにやってくれているのを目の当たりにした。ステージの上で、自分を理解してくれる仲間に囲まれて、弟はとても楽しそうだった。
 自分に自信を持つことができれば、障害があってもなくても輝ける。自分の世界を広げていける。弟の姿を見ていると心からそう思う。弟も、できないことに何度も挑戦して、できるようになる喜びや楽しさをたくさん経験した。そして、その経験を支えてくれたのは弟の障害に偏見を持たず自然に接してくれる人たちである。家族ではなくても、仲間の一員として弟を認めてくれる人たちに支えられて、弟は今輝いている。
 現在、障害のある子どものために放課後デイサービスや特別支援級といった環境づくりが進められている。しかし、そういう場所に関わる人も関わらない人も同じように個々の障害や個性を受け入れ、明るく前向きに生活できる社会になってほしいと思う。弟と周りの人のようなあたたかい関係が日本中に、そして世界中に広がってほしい。
 私はこれからもいろいろな障害がある人を少しでも理解しながら、弟と、家族と、みんなで一緒に生きていこうと思う。弟を含めた一人一人がお互いを尊重して、前向きに生活できる未来へ向かって。