【高校生区分】 ◆最優秀賞 笠立 絵莉
障害とともに
笠立 絵莉 (トライ式高等学院(熊本駅前キャンパス) 2年 熊本市)
「気にし過ぎ」「考え過ぎ」
私は今までどれ程このような言葉を掛けられただろう。そしてその度に悔しくなり、心が苦しくなった。
私は強迫性障害という不安障害を患っている。強迫性障害とは強い不安や恐怖、こだわりがあることで「やり過ぎ」ともいえる考えや行動をやめることが出来ず、日常生活に支障が出てしまう病気のことで、およそ百人に一人から二人程度が経験するといわれている。具体的には不潔恐怖や加害恐怖、確認行為や儀式行為、縁起強迫や物の配置、対称性などのこだわりの症状が出る。私が初めて強迫性障害の症状を経験したのは小学一年生の頃で、物の配置や対称性へのこだわりが強く自分が決めた並べ方で物を整理しないと気が済まなかった。この症状は今も続いている。小学三年生の頃には家で一日に何回もしゃがんでしまう儀式行為があった。当時はなぜ自分がしゃがむという行動をしてしまうのかはっきりとは分からず、しゃがまないと気持ちが落ち着かなかった。家族からはいつも不思議に思われていた。だが数ヶ月経つとしゃがむ儀式行為は無くなり、次第にこのことも忘れていった。再び強迫性障害の症状が出始めたのは、中学校に入学した時だった。私は小学生の頃からクラスで騒いだり暴れたりして人や机にぶつかってきたり、陰口を言ったりする人達がとても怖く、内気な性格もありクラスにあまり馴染めていなかった。中学校でも小学校でのクラスメイトと変わらなかったので、私は中学校でも小学生の頃と同じように嫌な思いをするのがとても怖く、入学する前から不安に押し潰される思いだった。その上、母や姉から「中学校は厳しい」と聞いていたり、部活動や定期テスト、小学校とは違う校則やルール、行事など初めて経験することが多かったこともあり、中学校生活は不安なことだらけだった。この抱えきれない不安から確認行為がひどくなり、何日も前から学校に持って行く物や時間割の確認を何度も繰り返していた。だが少しずつ中学校生活に慣れていき、確認行為の時間や回数は減っていった。中学二年生の頃、今度は縁起強迫の症状が出始めた。本当は思っていないのに頭の中で勝手に悪口や暴言などが浮かんでしまい、その度にばちが当たりそうで怖く仏様に向かって気が済むまで謝っていた。謝っている間も悪口などが浮かぶので謝るのをやり直し、一時間くらい謝り続けていた時もあった。授業中や食事中などもこの症状は出続け、勉強や食事の手を止めて謝らなければ怖かったので何事にも集中することが出来ず、心の余裕も無くとても辛かった。だが中学二年生の十月頃から、私の学校生活での悩みや不安を知ってくださっていた担任の先生の勧めで学校でカウンセリングを受けるようになり、強迫性障害のことや学校生活で不安なことなどを話せるようになった。強迫性障害という病気があることを初めて知ったのもこの頃だった。この頃はカウンセリング以外で自分の悩みや不安を話す勇気が無かったのでカウンセリングの存在はとても大きかったし、今でもカウンセリングを勧めてくださった当時の担任の先生には感謝してもしきれない。そして中学校を卒業する時には保健の先生の勧めで精神科に通院するようになり薬も飲み始めたので、高校に入学してもこの症状は続いたが徐々に収まっていった。しばらく強迫性障害の症状は出ていなかったが、高校二年生の時に縁起強迫、不潔恐怖、確認行為の症状が出てきた。誰でもするような行動をしたとしても何か悪いことが起こるのではないかという不安に襲われ、母にこの行動は大丈夫なのか確認することを毎日繰り返していた。また、手が汚れているのではないかと不安になって手を洗う回数が増えたり、ドアや窓の鍵を閉めてもちゃんと閉まっているか確認したりもしていて寝る前にこれらの症状が強くなったので寝る時間も遅くなり精神面だけで無く身体的にもきつかった。これらの症状は少し軽減されたが今も続いている。
私は強迫性障害を患って、周囲の人の不安障害に対する正しい理解や声掛けの大切さを強く実感している。声掛けの中で「気にし過ぎ」や「考え過ぎ」といった言葉はかえって不安障害をもつ方の心を傷つけ苦しめることになるし、気にし過ぎたり考え過ぎたりしてしまうことは不安障害をもつ方のせいではなく不安障害の症状なのだ。そして不安障害は遺伝的要因もあるが周りの人や環境、強いストレスや過去のトラウマによって発症、悪化しやすい。これらを根本解決するのはとても難しいが、自分の悩みや不安を信頼出来る人に相談し自分の心を少しずつ労わることで不安障害の症状の緩和に繋がるかもしれない。障害をもつ方もそうでない方も誰もがたった一つの等しく尊い命を授かっている。だからこそ自分のことだけを考え自分を優先するのではなく、一人一人が常に皆んなの心を深く思いやる豊かな心を持ち、差別心、偏見を持たないことが社会の一員としてなくてはならないことであり、誰もが生きやすい社会をつくる。そして自分のこともしっかりと認め受け入れ、大切にすることも忘れてはならないことだ。また周囲の人の不安障害に対する正しい理解は、不安障害をもつ方々の自分らしさや人権を尊重する上で欠かせない。不安障害は身体障害や知的障害などと比べて詳しく知っている方が少ないのではないだろうか。不安障害はとても身近な病気である。一人一人が不安障害のことを正しく知り理解し受け入れることが、心や社会の調和に繋がると私は信じている。これは不安障害に限らずどんなことにも通じる。私は自分が置かれている環境の有り難さや周りの人の恩恵、命の尊さに感謝し、障害とともに一日一日を大切にして生きていきたい。