【中学生区分】 ◆最優秀賞 笹原 遥
ありのままの私を受け入れてくれたあなたへ
笹原 遥 (熊本県立黒石原支援学校 3年 熊本県)
私という存在を消されていくような日々だった。当時不登校真っただ中、暇を好物に、どんどん育っていく不安と焦りを持て余していた私にとって、平日の朝から夕方にかけての間、家で退屈にしている時間というのは、本当に心をむしばむものでしかなかった。ひとりで外出する元気もなく、ただただ布団の中で、時間がすぎるのをじっと待っていた。そんな私を見かねた母親は、私の居場所が必要だと判断して、近所のデイサービスに通所させた。
デイサービスの水曜日の活動は、茶道だった。私はそこで茶道の先生である「牧野先生」と知り合った。牧野先生は、とても教えるのが上手で、何度でも丁寧に作法を教えてくださった。そのうえ、とにかく優しく穏やかな方で、私が正座に耐えられず、プルプルしているのを見ると「いいのよ。足を崩しても!無理しないでね。」と慌てておっしゃったことも少なくなかった。たまに「家の片付けをしていたら見つけたの。私はもう使わないから、良かったら。」と言って、とても綺麗な髪飾りをくださることもあった。私はすぐに牧野先生が大好きになった。
ある水曜日、私はいつものように牧野先生と向かい合ってお茶の稽古をしていた。その時、ふと、牧野先生は、私の手を取って「まあ、可愛いおてて。柔らかくて、温かいですね。やっぱり若いからかしら。」と微笑みながらおっしゃって、私の手なんかよりも、ずっとずっと温かく優しいその手のぬくもりを移すように、何度も何度も私の手を撫でてくださった。私は思わず泣きそうなって、「ありがとうございます。」と言ったきり、話すことができなかった。
不登校になってから、人に優しくされたことはきっとたくさんあった。けれども、私にとって、その優しさの全ては「私を学校に行かせるためのもの」としか思えず、素直に優しさとして受け取ることができなかった。どんなに優しい言葉をかけてもらったとしても、今の、「不登校の私」を受け入れてくれる人はいないと、捻くれるばかりだった。
そのうえ私は、幼い頃から、容姿のことでからかわれることが多かったので、「ああなるほど。私は笑われるような見た目をしているのだな。」とばかり思って、容姿には自信がもてなかった。特に手は、相当ひどいものなんだろうなと思っていた。
今では、そんなことあるわけないと思うことができている。容姿についてのからかいも、私を苦しめようと思って言われたものばかりではなく、むしろその逆だったと思うことができる。でも、当時の私にとっては、その記憶たちは、生ぬるい地獄を加速させる呪いのようなものに他ならず、「忘れてしまおう、忘れてしまおう」と強く念じているうちに、本当に様々なことを忘れてしまい、あの頃受けた優しさのほとんどを、
もうほぼ思い出すことができないでいる。
そんな苦しい思いを抱いていた時、牧野先生は、私のその笑われてしまうような醜い手を、わざわざあのきれいな両の手で、離さないとばかりに握りしめてくれた。そして、「かわいい」「やわらかくて温かい」と言って、大事なものを撫でるような手つきで撫でてくれた。驚いて、思わず見上げた牧野先生のお顔は、ただただ愛おしさに溢れていたものだから、忘れることなんてとてもできなかった。あのときの私は、どんなに言葉を尽くそうとしても、きっと「ありがとうございます。」としか言えなかっただろうなと思う。
あの時の牧野先生の言葉と手のぬくもりからは、当時私が感じていたたような歪んだ優しさや、呪いになるようなものを全く感じなかった。思わず見上げたそのお顔は、眉を下げてただただ愛おしさに満ちていた。ひたすら胸に込み上げてくるものを抑えることができず、家に帰ってから、牧野先生の言葉を何度も反芻しては泣いた。
それから数年後。私は熊本再春医療センターへの入院が決まり、とうとう最後のデイサービスの水曜日を迎えることとなった。牧野先生は、いつも通り私がお茶を点てるところを黙って見ていらっしゃった。稽古が終わると、牧野先生は、「あなたは本当によく頑張っている。本当に。本当よ。私が言うんだから間違いないわ。この歳で入院するという大きな決断をしたのよ。他の人ではそう簡単にできないわ。どうか自分を認めてあげてね。けれど、きっとどうしても辛くて逃げ出したくてしょうがないときがあるわ。とっても頑張っているあなたが、どんなに頑張っても、どうしようもないときが、きっとあると思うの。そういうときは私の家に来ていいからね。逃げ出していいからね。あなたのお話を聞いて、お茶を点てることしかできないけれど、それでもいいならいつでも来ていいからね。いい?約束よ。あなたは覚えるのが早いから、教えるのが楽しかったわ。ありがとう。」と言ってくださった。
お礼を言わなければならないのは私のほうだ。本当に、何度感謝しても足りないほど感謝している。私がその言葉に一体どれほど救われたことか。ありのままの私を認めてくれる人なんていないと思っていた。本当の優しさなんてものは、この世に存在しないと思っていた。でも牧野先生は、あの醜い私の手をとって、「かわいい」と言ってくださった。こんな自分に、「辛いことがあったらうちに来なさい」とわざわざ言ってくださった。何度その言葉を頭の中で反芻したことか。あなたが、最後にかけてくださったその言葉が、いかに私の心を照らしているか。私が今まで生きてきた十五年という月日の中で、あなたの言葉はありえないほどに輝いて、私が前に進む力となっている。