【一般区分】 ◆優秀賞 糀谷 終一(こうじたに しゅういち)

人は誰かの支えになれる
糀谷 終一(大阪府)

昭和55年8月8日。交通事故で私は首から下が動かなくなりました。まだ33歳。これから夢をかなえようとしていたときの、まさかの出来事でした。
ベッドに横たわり、天井を見つめながら毎日考えました。「これから先、いったい何ができるんやろう」と。現実を受け止めきれず、ただ時間だけが過ぎていきました。
その後の5年間は、リハビリに明け暮れました。長く、苦しい日々でしたが、そんな中でも、思いがけない出会いに、何度も助けられました。
同じ病院でリハビリをしていた若い車いすの男性が、ある日ふいに声をかけてくれました。明るく、冗談まじりで。「この人、なんでこんなふうに笑えるんやろう」と、最初は戸惑いました。自分にはそんな余裕、なかったからです。
でも、彼の言葉の端々から、自分と同じような悔しさや痛みが伝わってきました。それに気づいたとき、自分の中にあった分厚い壁が、少し崩れた気がしました。「できないことを数えるより、できることを見つけていこうや」
その一言が、胸に深く残りました。それから、少しずつ前を向けるようになり、リハビリにも気持ちが入りはじめました。
退院後、私は「頚損友の会」という小さな集まりを作りました。同じように障がいを持つ人たちが、気軽に話せる場所がほしかったからです。
活動を続けるうちに、障がいのない人たちとも出会うようになりました。大学生のボランティア、地域の主婦や高齢者の方々。最初はぎこちなかったけれど、顔を合わせるたびに、少しずつ打ち解けていきました。
笑顔が増え、気がつけば、なんでも話せる仲になっていました。
ある日、道明寺南小学校での交流会で、一人の男の子が言いました。
「車いすの人って、ただ足が動かへんだけなんや。心は一緒なんやな」
その言葉に、胸がじんわり熱くなりました。子どもは本質をちゃんと見ています。障がいがあるかどうかより、大事なのはどう心を通わせるかや、と改めて思いました。
その後、「アジア障害者友の会」を立ち上げ、フィリピンやタイの障がい者施設を訪ねました。言葉が通じなくても、笑顔や手のぬくもりで心は通じます。
フィリピンの施設で、ひとりの少年がそっと私の手に花を握らせてくれたことがありました。そのとき、「人のやさしさには国境も、障がいの壁もない」と、心から思いました。今は、地域のバリアフリー活動や、認知症サポーターの養成にも取り組んでいます。障がいがあっても、ただ「助けられる存在」じゃない。誰もが誰かの支えになれる。これまでの出会いや経験が、そう教えてくれました。今は週に2回、デイサービスに通っています。ヘルパーさんとの何気ない会話や、利用者どうしの笑い声が、日々の元気の源になっています。
障がいは、たしかに不便です。でも、不幸ではありません。
人と人が、心を通わせ、助け合い、笑い合える――それこそが、私が歩んできた道で得た、何よりの宝物です。
私の「心の輪」は、今も少しずつ広がり続けています。
手と手をつなぎ、声をかけ合い、心を寄せ合えば、きっとどんな壁も越えられる。私は、そう信じています。