【一般区分】 ◆優秀賞 中西 健也
挑戦
中西 健也(徳島県)
ぼくの挑戦は、いくつかあります。その中で覚えている記憶と経験した事を話してみようと思います。
一つめは、下駄箱の片すみに見つけた黄色の小さなくつは、ぼくが始めてはいたくつでした。お母さんは、ずっと、ずっと保管していました。
このくつをはいて歩いたのは二才三ヵ月。二回目の冬。十一月でした。通勤途中に公園があります。歩き始めたぼくを、その広い場所でヨチヨチ歩きの練習に来ていたと、話すお母さんの笑顔は大好きです。
ぼくは、歩くのも、ものすごく遅かったし体も弱くて何度も入退院をくり返し成長がゆっくり、ゆっくりになってしまった。記憶はないけれど保育園の写真を見れば理解できる。
お友達は、歩いて散歩しているのにぼくだけが先生に抱っこされていた。
夏のプール遊びをしている写真もお友達とは何故か違っていた。プールの中で楽しそうにしているお友達。ぼくは、水をこわがってプールの外で先生と水遊びをしていたぼくがいた。お芋ほり、お散歩、運動会、おゆうぎ会、様々な場面でぼくだけが先生のとなりにいた。
保育園で0才から6才まで過ごしてきた中で思い出に残ることがあるとするならば、いつも決まった時間にむかえにきてくれる母が待っても、待っても中々来てくれず、お友達が一人、又一人と帰っていく。寂しさと涙で先生のひざの上でいた。先生がその時、ぼくにこう言った。
「車はいっぱい」
ぼくの記憶では、雪が降っていたのは今も鮮明に覚えています。大人になればその意味は理解できますが幼少期のぼくには理解できなかった年令でした。
先生の膝の上は温かくギュッと抱きしめてくれた腕は大きくぼくを包み込んでくれた温くもりでした。寄り添ってくれた保育園の先生に感謝致します。
先生が
「お母さん来たよ。」
と教えてくれました。ぼくは、慌ててお母さんの所に走っていきました。お母さんは、そっとぼくを抱きかかえ
「ごめんね。ごめんね。」
と言っていました。
その後の言葉は覚えていませんが、ごめんねだけの言葉は今もはっきり覚えています。
人の温くもり、思いやり、寄り添いは大切です。お母さんは介護のお仕事を二十年以上しています。人のお世話は中々できる仕事ではありません。ぼくは、お母さんを誇りに思います。人の漢字の意味を教えてくれたようにぼくも、人に対して思いやりをもつ心をもたなければならないと思う。困っている人を見かけたら勇気を出して声をかける。
困っている人がいても見て見ぬふりをして通り過ぎて行くのは何故だろうか。まるで他人事のように。お母さんは、このような場面にそうぐうしても見て見ぬふりはせず手を差しのべているタイプです。お母さんのようにぼくも勇気をもって挑戦したいと思います。
嬉しい言葉は、人を幸せにしてくれる魔法です。
二つ目の挑戦は、おじぃちゃんと練習した自転車の稽古です。最初は、一年生の時に自転車の稽古をしました。上手くいかず、自転車に乗ったまま倒れたのがきっかけとなり恐怖を覚えてしまいました。
中学校は、勿論、自転車通学。徒歩でも通える距離だがそう簡単には続かないだろう。
そんな矢先におじぃちゃんが、ぼくの為を思って小学校最後の夏に自転車の稽古を毎日してくれました。夕方の涼しい時間帯に少しづつ練習をしました。転んでは起きあがり手も足も傷だらけにもなりました。上手くいかない時は、自転車を乗りすてて泣きながら、おばぁちゃんに愚痴を聞いてもらった。
おばぁちゃんの言葉は、まるで魔法にかかったかのように。
「おじぃちゃんは、いつも乗りすてた自転車をつれてかえってるんだよ」
「遠い所から。じぃちゃんの気持ちも分かったり。今、逃げ出したらずっと逃げていく。今頑張らんといつ頑張るん。」
今でもその言葉はお覚えています。
それから、ぼくは毎日のように自転車の稽古を頑張って頑張って挑戦しました。弱音を吐かないために、ぼくは努力を惜しまない。
夏休みが終る頃、補助輪なしで自転車を一人前に乗れるようになりました。これも全ておじぃちゃん、おばぁちゃん、お母さんのおかげです。
この挑戦がなければ今日のぼくは戦う事はなかったはずです。お仕事は、毎日が目まぐるしく忙しいけどやりがいのある仕事です。
おじぃちゃんが教えてくれた挑戦は、ぼくにとって大きな財産です。
おじぃちゃん。ありがとう。頑張っているぼくをお空から見ていてね