1990年に成立した「障害を有するアメリカ人法(The AmerIcans wIth DIsabIlItIes Act, ADA)」は、雇用(第I編)、政府による公共サービスおよび公共交通機関によるサービス(第II編)、民間企業によって運営されている施設およびサービス(第III編)、テレコミュニケーション(第VI編)の分野で障害に基づく差別を禁止している。
雇用の分野における障害者差別の禁止に関しては、救済として2つの方法がある。一方が裁判所に提訴するものであり、他方が裁判外(行政委員会などによる)紛争処理制度に基づき救済を求めるものである。雇用の分野においてADA違反を理由として提訴する場合には、裁判外紛争処理制度である雇用機会均等委員会(EEOC)に申立をしなければならず、その申立の調査、協議、調整、説得のプロセスにおいて紛争が解決されない場合に、裁判所へ提訴が可能となる。行政による救済制度が比較的高い解決率と解決の満足度をもたらす一方で、ADA訴訟の原告敗訴率は極めて高いものとなっている。
雇用の分野におけるADA訴訟において問題となる要件についてみていくこととする。ADAは、ある労働者や求職者 の障害を知って、それに対する嫌悪や偏見からその個人を不利益に取り扱う直接差別(dIsparate treatment)と障害者を差別する意図のない中立な労働条件が、障害を有する労働者や求職者にとっては不利に働く間接差別(dIsparate Impact)の両方を禁止している。立証方法は、類似するが、それぞれ異なる。直接差別の事案においては、第1に原告が差別の一応の証明を行えば、立証責任は被告に移転し、第2に被告がその差別であると主張されている行為が「正当かつ差別的でない」ことを立証し、第3に、原告が、被告の反証が口実であることを証明しなければならない。
間接差別の事案においては、第1に原告が差別の一応の証明を行えば、立証責任が被告に移転することになる。その場合に原告は、少なくとも自身がADAの適用を受ける「障害者」であること、能力要件を満たす障害者であること、能力要件を満たすための便宜的措置を特定することを立証しなければならない。ただし、この立証責任はそれほど重いものではなく、それが推認される程度でよいとされる。第2に、被告が、一応の証明の内容に誤りがあること、原告が要求した便宜的措置がその事案にそくして合理的でないこと、または使用者にとって過大な負担となることを反証する。第3に原告が被告の反証に根拠がないということを証明することとなる。
間接差別の事案において原告が一応の証明をおこなうためには、まず自らがADAの保護を受ける「障害」者であることを立証しなければならない。ADAにおいて「障害」は、ある「損傷」が「日常生活の主要な活動」を「相当程度制約する」ことをいう。この「実際の障害(actual dIsabIlIty)」に加えて、そのような「障害の記録」を有する個人、およびそのような「障害があるとみなされる」個人もADAで保護される障害者となる。しかし、2008年のADA改正法により、合理的便宜の適用は、「実際の障害」および「過去の障害の記録」を有する個人に限定されている。以下で示す事件では、「実際の障害」に関して、眼鏡やコンタクトレンズなどの視力の損傷を緩和する手段の評価が問題となっている(Sutton v. UnIted AIrlInes. Inc. 事件)。その他にも、手根管症候群により特定の業務を遂行できないことが主要な生活活動を相当程度制約することになるか(Toyota Motor ManufacturIng, Kentucky, Inc. v. WIllIams 事件)や「過去の障害」を理由とする復職の是非に関しても同様である(Raytheon Co. v. Hernandez事件)。
「能力(資格)要件(qualIfIcatIon standards)」は、2つの要件によって構成される。第1に、障害を有する個人が、合理的便宜の有無にかかわらず、職務(業務)の本質的機能を遂行する能力を有するか否か、第2に、障害を有する個人を就労させることが、労働者本人または第三者の安全性に対して直接的な脅威となるか否かである。第1の「就業能力」要件においては、少なくとも供給する便宜的措置が特定されていることが求められる。また、以下で紹介する判例では、「就業能力」要件において立証することが求められる内容として、便宜的措置が業務を可能にすること、そしてその便宜的措置が使用者にとって合理的かつ過大な負担とならないものであることを信じるに足りる程度に立証することを原告に求めるもの(Reed v. LePage BakerIes, Inc.事件)や、「合理的」とは業務の遂行を可能にすることや効果的であることとは異なり、原告がその状況において便宜的措置について一応の証明が認められる程度の立証内容を求めるもの(U.S. AIrways, Inc. v. Barnett事件)があった。また、病気休業から復職時における就業能力を、従前の業務を前提とするか、便宜的措置として配置転換されうる新しい業務を前提とするかも問題となっている(Aka v. WashIngton Hops. Center事件)。また、歩行に支障のある労働者が緊急の場合に安全に非難ができるかが業務の本質的機能といえるかについても問題となっている(EEOC v. E.I. Du Pont de Nemours & Co.事件)。第2の「直接的脅威」要件においては、誰にとって直接的脅威となるかが問題となっている。合衆国連邦最高裁は、ADAがその規定上安全性に対する直接的脅威の適用対象を「職場における第三者」とだけ規定しているが、EEOCの施行規則に示されているとおり「労働者本人」も含まれる(Chevron U.S.A. Inc. v. Echazabal事件)、と判断している。
原告が一応の証明をおこなう場合、被告が、原告が求める便宜的措置がその状況にそくして合理性を有しないこと、過大な負担となることを立証しなければならない。この要件に関してもっとも難しい法的問題としては、労働協約の先任権条項に抵触する配置転換が可能か否か(たとえば、U.S. AIrways, Inc. v. Barnett事件)、または、労働協約などにおいて定められる病気休業制度を超えて休職することが可能か否か(たとえば、GarcIa-Ayala v. Lederle Parenterals, Inc事件)がある。同じ労働協約の規定に関する内容と合理的便宜との関係が問題となっているが、先任権条項と病気休業については異なった取扱がなされているようである。また、障害を理由に在宅勤務を便宜的措置として求めることが合理的か否かについても問題となる(Vande Zande v. State of WIsconsIn Department of AdmInIstratIon事件)。
一方、上記のような実体的要件に加えて、労使の手続的要件についても問題となる。いわゆるインタラクティブ・プロセス(InteractIve process)の問題である。この要件においては、たとえば障害を有する労働者が使用者に対して、障害の程度や必要な便宜的措置について伝えることが求められる。そうしない場合に、使用者がその労働者に対して便宜的措置を講ずるなどその他の適切な処遇をおこなわなくてもADA違反にならない場合(Reed v. LePage BakerIes, Inc.事件、Bultemeyer v. Fort Wayne CommunIty Schools事件、Ekstrand v. School DIstrItct of Somerset事件)がある。また、労働者が自らの障害や必要な便宜的措置について伝えているにもかかわらず、使用者が適切な対応をしない場合にもこの要件に違反することとなりうる。しかし、施行規則に規定があるのみであり、ADA自体に明文化されているわけではないため、その根拠が問題となることがある。
アメリカ合衆国において障害者教育の核となる法律はIDEA(IndIvIduals wIth DIsabIlItIes EducatIon Act)である。IDEAは、その前身であるEAHCA(EducatIon for All HandIcapped ChIldren Act)の制定以来、障害児に「無償かつ適切な公教育(Free ApproprIate PublIc EducatIon : FAPE)」を、「関連するサービス(related servIce)」 を用いながら「より制限のない環境(least restrIctIve envIronment : LRE)」 において提供することを主たる目的として掲げてきた。
IDEAは適切な公教育を提供するために、個別教育プログラム(IndIvIdualIzed EducatIonal Program:以下IEP)を定めて個人の教育上のニーズを満たすように規定している。IEPは障害児に関する情報、提供される特別支援教育の内容、サービス等について記載された文書であり、学校教職員等の専門家と親との協同によって作成される。IEPを作成する中で、当該児童にとって「適切な」教育とは何か、それを保障するために必要となるサービスは何かといったことが検討されるのであるが、「適切な」教育の解釈をめぐって学校側と親の意見が一致しないことは往々にして起こるので、IDEAとその規則はIEPに関する紛争を解決する手段として、詳細な手続的デュー・プロセスの規定を定めている。IDEAの手続的デュー・プロセスの規定は主に親の権利について定めたものであり、障害児の処遇やIEPを定める過程についてのものと、行政の決定に対してメディエーションや不服申立てを提起する過程についてのものに分けられる。
「無償かつ適切な公教育」の解釈については、1982年のRowley判決がリーディング・ケースとなっている。Rowley判決において連邦最高裁は、学校区は障害児の可能性を最大限にするようIEPを設定する必要はないと判示した。IDEAは障害児がその可能性を最大限生かすことのできるプログラムを定めることで、非障害児に与えられている機会と同等の機会を障害児に提供しているという認識を、連邦最高裁は否定したのである。
Rowley判決以降、「無償かつ適切な公教育」をめぐって多くの訴訟が提起されたが、Rowley判決にしたがって学校区寄りの障害児にとってベストではなくベターな判断を下す下級審が多かった。しかし、州によっては適切な教育についてRowley判決の基準よりも高い基準を設定している場合があり、そのような場合は州の教育基準を満たすようにプログラムを設定しなければならないと最高裁も強調している。したがって、州の基準が連邦の基準を超えている場合、IEPの適切性を判断するにあたって前者の基準が用いられる 。
障害者教育に関する裁判は、障害児に「無償かつ適切な公教育」が保障されているか否かを問うものがほとんどなのであるが、それぞれの争点によって一定の分類をすることができる。たとえば、「適切な」教育の判断についても、「より制限のない環境」の確保が問題となっているのか、あるいは「関連するサービス」の提供が問題となっているのかで争点は異なってくる。以下本報告で扱う裁判例について、各争点ごとに概要を述べることにする。
近年の障害者教育のなかで主として問題とされるのはインクルージョンの可否と合理的便宜についてであるが、IDEAの裁判例においては「より制限のない環境(LRE)」の解釈がインクルージョンに関するものである。IDEAは、最大限可能な限り障害児は非障害児と共に教育をうけられると規定しており、特別学級や特別支援学校、あるいはその他の形で障害児が通常の教育環境から引き離されるのは、障害の性質やその重さ故に補助やサービスを利用しても普通学級においては十分な教育が受けられない場合に限られるとして、インクルージョンの重要性を強調している。実際の判例において「より制限のない環境(LRE)」については、Ronckerテスト(第6巡回区)、danIel R.R.テスト(第5巡回区)をベースにして、それぞれのケースに応じた判断がなされている。インクルージョンにより得られる利益等についての比較衡量、インクルージョンの方法(授業時間とその他の時間で出席するクラスを変える等)、インクルージョンによるその他の生徒への影響等について等が考慮要素となることが多い。
「関連サービス」とは、移動手段や発達の促進、障害の軽減等の支援的なサービスを意味する 。特に問題となるのはサービスが医療性を帯びる場合で、資格を持った専門医等により提供される「医療サービス」に該当する場合は「関連サービス」には該当しない。これに対し障害児のIEPに定められている無償かつ適切な公教育を保障するために看護師を配属する場合は「関連サービス」に該当する。
現在はいずれの訴訟においても、IEPについて不服を申し立てる者が、その申立ての理由を立証しなければならないとされるが、原告が親である場合、専門的知識に乏しい親が立証責任を負うのは非常に不利である。以前は専門的知識等を有する学校区に比べて親は不利な状況にあるとして、立証責任を学校区に課す判決も存在したのであるが、2004年のSchaffer v. Weast(546 U.S. 49, 53, 126 (2005))判決において、連邦最高裁は立証責任を、不服を申立てる側に課すことを明記した。最高裁は、専門的知識等の点で親が不利な状況にあるからこそ、IDEAは手続的デュー・プロセスについて詳細な規定を設けることで、学校側と同じ土俵に上げているのだと述べているが、訴訟を提起した親へのヒアリング調査によれば、立証責任の壁を破るのは難しいとの意見が多い。
その他のIDEAに関する訴訟においては、近年、連邦最高裁は親よりの判断を行っている。たとえば、WInkelman v. Parma CIty School DIstrIct(550 U.S. 516(2007))判決において連邦最高裁は、親に対して子どもの特別支援教育に関する実体的な利益を認めているし、Forest Grover School DIstrIct v. T.A. (129. S. Ct. 2484(2009))判決においては、私立学校におけるIDEAの適用を認めている。
(判例1)障害者か否かを判断するにあたって緩和手段を考慮すべきとされた事例
Sutton v. UnIted AIrlInes, Inc., 527 U.S. 471 (1999年) 連邦最高裁判所 (Supreme Court of the UnIted States) No. 97-1943
【事実の概要】
双子の姉妹である上訴人Xらは、地域便の航空会社の操縦士であり、強度の近眼であったが、めがねやコンタクトレンズを使用すれば20/20(日本では1.0にあたる)の視力となり、日常生活を不自由なく送ることができた。Xらは、1992年に、航空会社である被上訴人Y社による旅客便の操縦士の募集に応募し、面接まで進んだが、Y社の募集条件に「裸眼で20/20以上であること」とされており、裸眼で20/100(日本では0.2にあたる)しかXらはなかったため、その面接は終了し、Xらが操縦士の職を得ることはなかった。そこで、Xらはコロラド地区連邦地方裁判所に、YがXらの障害に基づき、又はXらに障害があるとみなして、Xらの採用を拒否したことはADAに反する旨主張し、Yを相手取って訴訟を起こした。そもそもADAに基づき訴えを起こすためには、その前提として、差別されたと主張する者はADAの定める障害を有していることを証明しなければならないが、XらはADA上の障害を有していると主張した。これに対し、Yは、Xらがめがねやコンタクトレンズなどの緩和手段で矯正すれば、Xらの強度の近眼は障害には該当しないこととなるのであるから、XらはADAが定める障害を有していないと主張した。コロラド地区連邦地方裁判所は、XらはADAが定める障害の定義のいずれをも満たさないと判断した。Xらは第10巡回区控訴裁判所に上訴したが、同裁判所も同様の判断を下した。これに対し、Xらが上記判断を不服として上訴したものが本件である。
【主文】
棄却
【判旨】
まず、Xらが、主要な生活活動の1つ以上を相当程度制約する身体的又は精神的な損傷を有しているか否かについて判断を加えている。Xらは、裸眼ではYの採用基準を満たすことはできないが、めがねやコンタクトレンズで矯正すれば当該基準を満たすことができる。それゆえ、Xらが障害を有しているか否かにつき、めがねやコンタクトレンズなどの障害を緩和する手段を考慮した上で、ある損傷が主要な生活活動を相当程度制約しない場合には、ADAが定める障害者には該当しないこととなると述べている。Xらは、雇用機会均等委員会(EEOC)の解釈指針を根拠として、障害の有無を判断するに際し、緩和手段を考慮すべきではないと主張したが、Yはこういった緩和手段を用いることにより、損傷が主要な生活活動の1つ以上を相当程度制約しなくなるのであれば、障害には該当しないのであるから、障害の有無を判断するに際に、緩和手段を考慮すべきであると主張した。連邦最高裁は、ADA3条が定める「相当程度制約する」という文言に着目し、同文言では現在直接法による動詞の表現が用いられているのであるから、障害の有無を立証するには、実際に相当程度制約していることを証明しなければならないとした。したがって、ある者の損傷が緩和手段によって、なんら問題がなくなった場合には、もはや主要な生活活動を相当程度制約するとはいえないこととなるのであるから、障害の有無に際し、緩和手段を考慮すべきではないと定めたEEOCの解釈指針は妥当ではないと判断した。つづいて、YによってXらには損傷があるとみなされたかという点に関して、連邦最高裁は、この要件に当てはまる場合について述べている。その1つ目は、ADAの適用主体(covered entIty)が、ある者を相当程度制約する損傷があると誤って考えた場合であり、2つ目は、当該損傷が主要な生活活動を実際には相当程度制約していないにもかかわらず、適用主体が誤ってそのように考えた場合であるとした。その上で、Xらが、実際に損傷があるとみなされたかについては、Xらは、強度の近眼によって主要な生活活動が相当程度制約されたことをなんら立証していないので、損傷があるとみなされていると考えることはできないと判示した。
【判決のポイント】
<1> ある損傷が主要な生活活動の1つ以上を相当程度制約するか否かを判断する際には、めがねなどの緩和手段を考慮した上で、当該損傷が主要な生活活動を相当程度制約しない場合には、ADAが定める障害者には該当しないこととなる。
<2> 上記判断に際し、障害の有無の検討に際しては緩和手段を考慮すべきであるとしたEEOCの解釈指針は妥当ではない。
<3> 損傷があるとみなされているとは、適用主体が、誤ってある者を相当程度制約する損傷があると考えた場合や当該損傷が実際には相当程度制約していないにもかかわらず、適用主体が誤ってそのように考えた場合である。
(T.N.)
(判例2)単眼視を有する運転手がADAの下で障害者でないとされた事例
Albertson’s Inc. v. KIrkIngburg, 527 U.S. 555 (1999年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States)No. 98-591
【事実の概要】
1990年にX(被控訴人)がY(控訴人)であるスーパーマーケットの配送ドライバーとして採用された。Xは10年以上ドライバーとしての経験を有し、路上テストでも問題がなかった。Xは、単眼視と弱視で、連邦運輸省の視力基準を満たすことができないはずであったが、視力を測定した医師が誤り、運輸省の視力基準を満たすと判断した。1991年、Xは、業務遂行中にけがをし、病気休暇を取得した。Xが、病気休業後に復職しようとしたところ、Yからあらためて医学的な診断を受けることを求められ、その結果Xが運輸省の視力基準を満たさないことが判明した。医師が、Xがドライバーとして業務を遂行するためには、連邦運輸省から基本視力基準の適用除外を得なければならないと述べたため、Xが適用除外を申請したが、Yは、Xが基本視力基準を満たなさないことから解雇した(その後、適用除外が認められている)。Xは、本件解雇がADA違反であるとして提訴した事案である。地方裁判所は、Xが連邦運輸省の基本視力基準を満たせないことから、就業能力を有さず、その能力要件の評価にあたって合理的便宜を講ずる必要もないというサマリージャッジメントを下した。一方、第9巡回区控訴裁判所は、単眼視の個人の見え方が他の多くの個人の見え方と異なることが、ADAの下での障害を立証するのに十分であるとした。
【主文】
破棄自判
【判旨】
連邦最高裁は、Xが障害者であるか否かについて控訴裁判所が判断を誤っているとした。第1に控訴裁判所が、「相当程度の制約すること(substantIally lImIts)」を、EEOC規則にしたがい、「重大な制限(sIgnIfIcant restrIctIon, 29 CFR s.s. 1630.2(j)(II))」と理解し、「重大な制限」を見え方が「異なること」に読み替えることによって、主要な生活活動を遂行する個人の能力を「相当程度の制約」する損傷が障害となると判断していると評価し、それが本来のADAの要件を変更しているとした。第2に、控訴裁判所が、Xが、奥行きを感知し、危険な物体を認識する方法に対して無意識に調整をおこなうことによって、みずからの障害を埋め合わることを学んでいるかについて、障害を有するか否かを決定する上で重要でないとしているのに対し、最高裁は、Sutton 事件最高裁判決を引用して、無意識かそうでないか、薬や機器を使用するか否かに関係なく、緩和措置が、ある個人が障害を有するか否かを判断する上で考慮されなければならないとした。第3に、障害の判断にあたっては損傷が個人に与えるインパクトの大きさを個別に判断しなければならないが、控訴裁判所はそれに留意していないとする。たしかに損傷の種類によっては常に相当程度の制約となることがあるが、単眼視の場合はそうではなく、程度によって異なるが、控訴裁判所は損傷の程度を考慮していないとする。そして最高裁は、ADAが単眼視を有する個人に対し、奥行きの感覚や平衡感覚を欠くという制約の程度が相当程度であるとする証拠を提出することによって障害があることを立証することを求めていると判断した。さらに、Xが就業能力を有する障害者でないという点についても判断している。Xの単眼視および弱視が連邦運輸省の基本視力基準に合致しないことからADAの直接的脅威の要件をみたせないというYの主張、および適用除外を受けていることで安全性が担保されているというXの反証については、適用除外制度の実態として、基本視力基準に対して適用除外を認めることが安全性を担保することと直接的に関係しているわけではないとして、控訴裁判所の判断に誤りがあるとした。
【判決のポイント】
<1> ある損傷が「障害」となるか否かを判断する上で、その損傷が主要な日常生活活動を「相当程度」制約することが求められるのであり、単に「見え方が異なる」ということは、主要な日常生活活動のひとつである「みること」を「相当程度」制約しているわけではないとした。
<2> ある損傷が「障害」となるか否かについて、緩和措置を前提として個別に考慮されなければならないが、その措置には、薬の服用や眼鏡の装着などに加えて、無意識に奥行きや平衡の感覚を保つという身体的機能も含まれるとした。
<3> ある損傷が「障害」となるか否かについて、一部の例外を除き、損傷が日常生活活動に与える影響の程度が問題となり、その程度は個別に判断されなければならないとした。
<4> ある損傷が「直接的脅威」を構成するか否かについて、連邦運輸省の安全基準が正当なものである限り、使用者がそれに従うことについて問題はないとした。
(J.N.)
(判例3)ある作業を行うことができないということだけでは障害を有しているとはされないとされた事例
Toyota Motor Mfg., Ky., Inc. v. WIllIams, 534 U.S. 184 (2002年) 連邦最高裁判所 (Supreme Court of the UnIted States) No. 00-1089
【事実の概要】
被上訴人Xは、1990年8月に自動車製造業を営む上訴人Y社に雇用され、自動車のエンジン組み立て部門で働き始めたが、手根管症候群(carpal tunnel syndrome)になった。同症候群により、肩などの痛みがあったため、Xは、一定の時間以上、肩から上に手や腕を上げて作業しないよう医師から通告された。その結果、Xは塗装検査部門に配転されることとなった。3年後、Xは、同部門で他の職務も行うことになったが、Yに対して、従前の職務に戻してくれるよう求めたが、拒否された。その後、同症候群のために休業を取ったXは、1997年1月に、勤務状況がかんばしくないとの理由から、Yより解雇を通知する書面を受け取った。Xは、同症候群のために、自動車部品の取り付けに伴う手作業ができないことはADAが定める障害に該当するものであるから、Yによる上記取り扱いはADAで事業主が求められる合理的便宜を提供しないものであり、違法であると主張して、Yを相手取って訴訟を起こした。ケンタッキー州東部地区連邦地方裁判所は、Xは身体的損傷を有しているが、当該損傷はなんら主要な生活活動を相当程度に制約していないのであるから、当該損傷は障害ではないと判断した。Xは上訴したが、第6巡回区控訴裁判所は、前記Sutton事件判決に依拠しながら判断し、Xの主張を認めた。これに対し、Yが上記判断を不服として上訴したものが本件である。
【主文】
破棄差戻し
【判旨】
まず、ADAの障害の定義のうち、「主要な生活活動」の「主要な」とは、「重要である(Important)」ことをいい、「主要な生活活動」とは「日常生活できわめて重要な活動(those actIvItIes that are of central Importance to daIly lIfe)」をいうと述べている。さらに、「相当程度に制約する」の「相当程度に」とは、「かなり(consIderable)」又は「大幅に(to a large degree)」を意味すると判示した後に、連邦最高裁は、立法者意思に目を向け、これら文言を厳格に解釈すべきであるとしている。したがって、本件で問題となっている手仕事(manual tasks)を行うことが、主要な生活活動とされるためには、個人が有している損傷により、それを行うことができない又はきわめて制約される(prevent or severely restrIct)ものでなければならず、こうした損傷の影響が、永久的又は長期間(permanent or long-term)にわたるものでなければならない。自らに障害があると証明するには、ある損傷について診断書を提出するだけでは不十分であり、その損傷の影響は個人によっても変わるのであるから、事例ごとに評価がなされるべきである。また、働くという主要な生活活動が相当程度に制約されていることを立証するためには、ある作業を行うだけではなく、当該損傷により、広い範囲の職務を行う際に制約されている必要があると述べている。その上で、ある者の主要な生活活動を損傷が相当程度制約しているか否かを判断する際には、その者が従事している特定の職務にかかわる行為を行うことができるか否かに着目するのではなく、多くの者にとって日常生活を送る上できわめて重要な行為を行うことができるか否かに着目すべきであるとした。さらに、ADAの障害の定義は、雇用に関する第1編だけにかかわるのではなく、他の編にも適用されるのであるから、ある損傷が障害となるかを判断する際には、職場における損傷の効果を分析するだけでは十分ではない。こうした判断を示した上で、本件で問題となっている手仕事以外に手で行うことがらである家事、入浴及び歯磨きは、人が日常生活を送る際にきわめて重要なことであるから、本件でXが手仕事を行う際に相当程度に制約されているか否かを判断する際には、Xがこれらのことをできるか考慮すべきであるとした。Xは症状が悪くなった後でも、歯磨き、洗顔、入浴、花壇の手入れ、朝食の支度といった家事を行うことが出来たのである。一方で、同症候群により、掃除や踊りができなくなったり、場合によっては着替えを手伝ってもらったりするといった程度の生活の変化があった。だが、この程度の変化では、多くの人々の日常生活で重大な制約となるほど深刻な制約を受けているとはいえないのであるから、XはADAにおける障害を有してはいないと判断した。
【判決のポイント】
<1> 主要な生活活動を相当程度制約するか否かは、多くの者が日常生活を送る上できわめて重要な行為を行うことができるかという観点から判断すべきである。
<2> 損傷により、ある日常生活活動が制約されることがあっても、他の日常生活活動が制約されていない場合には障害に該当しないことがある 。
(T.N.)
(判例4)建物から避難することは職務の本質的機能とはされないとされた事例
EEOC v. E.I. Du Pont de Nemours & Co., 480 F.3d 724 (5th CIr. 2007年) 第5巡回区控訴裁判所 (UnIted States Court of Appeals for the FIfth CIrcuIt) No. 05-30712
【事実の概要】
訴外Aは、1981年、上訴人Y社の化学工場に工場労働者として働き始めた。1986年、Aは歩行が困難であると診断され、以後治療を受けなくてはならなくなった。AはYの産業医に年1回診察を受けることとなり、1996年、診察に際し、産業医はAに対し、10分以上立ち続けないこと、休まずに100フィート(約30メートル)以上歩かないこと、かがんだ状態で働かないこと及び8時間以上働かないようにと助言した。1997年、YはAを工場勤務から事務職に配転した。Yは、Aが基本的な職務能力を遂行できるか及び緊急の際に安全に歩いていけるかを判断するために、「機能能力評価(functIonal capacIty evaluatIon)」を実施した。この機能能力評価を実施した後、産業医は、Aが工場内を安全に歩くことは医学上制約されていると結論づけた。そのため、Yは、Aの歩行が制約されているために、緊急の場合にはAは工場から避難することができないのではないかと考えるようになった。結果として、YはAに6か月の休業を与えることとした。2003年にAはなんら助けがなくとも避難経路を安全に歩くことができる旨をYに示したが、Yは、工場内を安全に避難することが職務を行う上で重要であり、Aは上記のことができないと考えたために、Aは職場復帰することはできず、その後に解雇された。2003年6月、被上訴人であるX(EEOC)は、Aに機能能力評価を受けさせ、Aを解雇したことはADAに反する旨主張し、Yを相手取って訴訟を起こした。ルイジアナ東部地区連邦地方裁判所は、YはAを障害者とみなして扱ったなどと判示し、EEOCの主張を認めた。これに対し、Yが上記判断を不服として上訴したものが本件である。
【主文】
一部棄却、一部破棄
【判旨】
YはADA上の障害者でもなければ、障害者とみなされてもいないと主張するため、第5巡回区控訴裁判所はこの点について判断し、そもそも、Yの産業医たちは、Aは歩行に相当程度の制約があるために、1人で安全に歩くことはできず、工場内で歩くのは制約されていると考えたと述べている。Yは、すべての職務で工場内での歩行が求められることから、Aが一部の職を遂行するときだけでなく、工場内のすべての職を遂行するときにも制約を受けると考えたのである。また、Yは、Aの歩行に関して、工場内のみならず、工場以外の職場や家でも制約を受けると考えていたのであるから、Yの産業医が、事務職又は工場内での職といった特定の職を遂行する際にAの歩行が制約されていると考えていたとはいえない。それゆえ、Yは、Aを歩くという主要な生活活動において相当程度制約されているとみなしていたといえる。ADAは、合理的便宜があっても又はなくても、職務の本質的機能を遂行することができる者を適格障害者として保護する。したがって、AがADAにおいて保護されるか否かを判断するに当たっては、Aが職務の本質的機能を遂行できるか否かを検討する必要があり、そのため、Aの職務において本質的機能とは何かを決定しなければならないと判断した。Yは、Aが緊急の際に工場から避難することができず、また、工場から避難することは工場内で職務を行う上での本質的機能であるから、Aがこういった本質的機能を遂行できないために解雇したとしてもADAには反しない、と主張する。しかし、A及びXはそれに反する証拠を提出し、陪審はXの主張を妥当と考えたのであるから、当裁判所はその意見を尊重するものである。さらに、Aは緊急の際に安全に工場から避難することができないのであるから、Aは本人及び他者に直接的脅威(dIrect threat)を与える、とYは主張する。たしかに、ADAは、本人及び他者の健康及び安全に直接的脅威を与える者を保護しないのであるから、こうした者を解雇したとしてもADAには反しないことになる。そのため、Aが本人や他者に対し、直接的脅威を与えたか否かを検討しなければならない。Aは歩行が制約されているが、2003年には助けがなくとも避難経路を安全に歩いており、さらに、Aは他者の安全になんら脅威を与えることなく、避難することができると考えられる。よって、Yの主張は支持することができないと判示した。
【判決のポイント】
<1> 建物から避難することは職務の本質的機能とはいえない。
<2> 緊急の際に、なんら助けがなく安全に避難経路を歩くことができる場合には、他者に直接的脅威を与えるとはいえない。
(T.N.)
(判例5)連邦運輸省の安全要件の適用がADA違反となるか否かが争われた事例
Bates v. UPS, 511 F.3d 974 (9th CIr. 2007年) 第9巡回区控訴裁判所(The UnIted States Court of Appeals for the NInth CIrcuIt) No. 04-17295
【事実の概要】
X(控訴人)らは、聴覚障害を有している個人である。Xらは、配送を生業とするY(被控訴人)会社で働く労働者および求職者である。Yは、連邦運輸省が採用する聴覚基準を満たすことをすべてのドライバーに要求してした。運輸省の聴覚基準は、車両重量が約4.5トンを超える車両を運転する配送者に適用されるものであった。Xらは、大型車両を運転するドライバーではなかったが、Yで統一的に適用される連邦運輸省の聴覚基準を満たしていなかった。Yは、大型でない車両を運転する求職者などについてもその基準を満たしていることを求めた。Yが、その基準を満たしていない労働者や求職者などには運転の実地テストをおこなわず、また訓練も提供せず、また雇用上の決定を行ったが、Xらは、それがADA第I編に違反するとして提訴した事案である。連邦地方裁判所は、Yが、聴覚障害者が健常者に比べてどの程度高い事故のリスクを持っているのか、またそれについての実証データを証明していないとしていないことから、業務上の必要性の要件を立証することに失敗し、連邦運輸省の聴覚基準に合致しない個人を包括的に排除するYのポリシーは、ADAに違反すると判断した。
【主文】
一部差止請求破棄、一部原審差戻し
【判旨】
第9巡回区控訴裁判所は、Yが連邦運輸省の安全を包括的に適用していることに「業務上の必要性」が認められるか否かについて判断した。聴覚障害を有する労働者が能力を有するか否かの審査において、安全性の要件と業務上の必要性の要件について検討した。控訴裁判所は、「能力」を有する障害者であるというためには、その個人が技術、経験、教育やその他業務に関連する要件を満たしていなければならず、それを満たしている場合に、合理的便宜の有無にかかわらず、「職位の本質的機能」を遂行できなければならないとした。本件業務についての職位の本質的機能をコミュニケーション能力と安全運転としつつ、本件では安全な運転の履行のために連邦運輸省の聴覚基準を用いることに業務上の必要性が存在するか否かを重要な法的争点とした。控訴裁判所は、使用者が、業務上の必要性を立証するために、「身体的、医学的および安全性の要件を含みうる個人的または職業的な特性」である「能力要件(qualIfIcatIon standards)」が、職務に関連していること、業務上の必要性に合致していること、業務の遂行が合理的便宜によって可能であることという3つの要件を証明しなければならないとした。第1に、「職務関連性」について、使用者が、能力要件が業務の本質的機能を遂行する個人の実際の能力を公平かつ適正に量ることを立証しなければならず、能力基準によって排除される個人が障害などの特性に基づいている場合には、使用者は、能力要件と業務の本質的能との間における予想可能かつ重大な関連性を証明しなければならないとした。第2に、「能力要件が業務上の必要性に合致すること」について、使用者は、能力要件が業務上のニーズを相当程度促進するものであることを証明しなければならないとした。さらに、業務上の必要性の要件は非常に高く、単にそのほうが都合がいいというものと混合してはならないとした。さらに、安全性については、裁判所は、危険に対する脅威の蓋然性と発生しうる脅威の大きさを考慮に入れなければならないとした。第3に、「合理的便宜が業務の遂行を可能にするか」については、使用者は、合理的便宜が現状において有効でないこと、または便宜的措置が過大な負担になることを証明しなければならないとした。これを前提として、控訴裁判所は、「たしかに、連邦運輸省の規則が、本件で問題となっている車両のカテゴリーに適用されない。しかし、そのことは、この基準がYの安全性の議論に関係がないことを示しているわけではない。Yは、業務上の必要性の抗弁の証拠として、Yが政府の安全基準に拠っている事実を用いることができる」。「Yがその所有する車両のうち運輸省の基準が適用されない車両に関しても連邦安全基準を適用することが、安全性の要件として考慮されると考えられるべきである。Yが述べているように、Yの有する車両のうち運輸省の基準が適用されない車両が、それより少し大きな類似の車両と同様に重大な危険を共有するか否かは、Yの連邦基準が適用される車両と適用されない車両を運転するドライバーの間の調和に関して現実の問題となる。われわれは、このような証拠をどの程度重視するかの判断を下級審にゆだねることとしたい」として、運輸省の基準が適用される車両とそうでない車両との危険に関する類似性の判断を地方裁判所に委ねた。
【判決のポイント】
<1> 連邦運輸省の安全基準(一定以上の重量の車両を運転するドライバーに対し一定の聴覚基準を適用する)が適用されない車両を運転するドライバーに対して、その基準を適用することは、ただちにADAに基づく差別であるということはできないとした。
<2> 連邦運輸省の安全基準が適用されない車両を運転するドライバーにもその基準を適用することに、「業務上の必要性」が認められれば、ADAに基づく差別にはならない。
<3> 「業務上の必要性」を考慮する上で、使用者が、聴覚障害者が健常者に比べてどの程度高い事故のリスクを持っているのか、またそれについての実証データを証明する必要があるとした地方裁判所の判断を破棄した。
<4> 「業務上の必要性」を考慮する上で、運輸省の基準が適用される車両とそうでない車両との危険に関する類似性の判断が必要であるとした。
(J.N.)
(判例6)障害者を就業させることが直接的脅威となるか否かについて、職場における第三者だけではなく、労働者本人の安全についても考慮されるとした事例
Chevron U.S.A. Inc. v. Echazabal, 536 U.S. 73 (2002年) 連邦最高裁判所 (Supreme Court of the UnIted States) No. 00-1406
【事実の概要】
1972年以来石油精製業をY会社(控訴人)で契約社員としておこなっていたX(被控訴人)が、会社から雇用することを打診され、そのために身体検査を受けたところ、2度について肝機能の問題を指摘された。結果として、彼がC型肝炎に感染していることがあきらかになった。Yは、医師が、石油精製過程における有害物質がXの病状を悪化させると述べたことから、Xの採用の申し出を取りやめ、Xを採用している会社に対してXを有害な化学物質に被爆しない業務へ配置転換するか、石油精製部門の職をやめさせるように求めた。その結果、Xは、1996年にレイオフされることとなり、本件レイオフがADA違反であると提訴した。法的な争点は、障害者を就業させることが直接的脅威となる場合には、その労働者にはADAの保護が及ばないこととなっているが、その直接的脅威の要件が適用される対象が、ADAに規定されている職場における第三者(dIrect threat to others In the workplace)だけか、EEOC規則に規定されている労働者本人(to self)も含まれるのかであった。第9巡回区控訴裁判所は、ADAが直接的脅威の適用対象を職場における第三者と規定していることから、本人を含まず、それゆえXが能力を有する障害者であるとしてADAが適用されるとした。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
連邦最高裁は、直接的脅威の適用対象を、職場における第三者だけではなく、労働者本人を含むと判断した。その理由を3つ提示している。
第1に、第三者に対する直接的脅威を規定する条項が本人への適用を排除していないとしている。まず、第三者に対して直接的脅威を規定する条項(裁判所は「職務に関連していること、および業務上の必要性に合致していること(job-related and consIstent wIth busIness necessIty)」を求める正当な能力要件(qualIfIcatIon standards)とみなしている)は、政府機関であるEEOCに対し、能力要件について認められるべき限界を定める広範な裁量を与えている。つぎに、ADAが、「職務関連性および業務上の必要性」の要件について、「ある個人が職場における第三者の健康および安全に直接的な脅威を及ぼしてはならないという要請を含みうる」と規定しているが、この「含みうる(may Include)」というフレーズが、第三者にのみ適用を認めることを示す内容ではないとした。第2に、リハビリテーション法のEEOC施行規則が労働者本人を含んでいるにもかかわらず、ADAが直接的脅威の適用対象から労働者本人を排除しているのは議会の意図を明確化しているという主張に対して、連邦最高裁は、それが議会の意図であるとはいえないとした。その理由として、リハビリテーション法の施行規則はEEOCが作成したものを含んで3つあり、他の2つの規則は労働者本人への適用を規定していないことから、議会が、EEOC規則が労働者本人への適用を規定していることを知りつつ、意図的にそれを排除したとはいえないとした。第3に、直接的脅威の適用範囲を職場における第三者に限定するとしたら、ある個人の障害が職場の外で第三者に直接的脅威を与えるという理由から採用を拒否できないことになってしまうが、それが議会の意図と合致しないはずであるとした。また、労働者本人を直接的脅威の適用対象とすることは、EEOCがADA施行規則において規定するものであるが、使用者が労働者個人およびすべての労働者の安全に配慮しなければならないという労働安全衛生法上の政策と一致しているとした。そして、控訴審に差し戻した。
【判決のポイント】
<1> 障害を有する個人が能力を有する(qualIfIed)かという能力基準について、「職務に関連していること、および業務上の必要性に合致していること(42 U.S.C. s.s.12113(a))」を証明しなければならないことを追認した。
<2> 「職務関連性および業務上の必要性」の要件は、「ある個人が職場における第三者の健康および安全に直接的な脅威を及ぼしてはならないという要請を含みうる(42 U.S.C.s.s.12113(b))」ことを追認した。
<3> 直接的脅威の適用対象である「職場における第三者」は、職場における第三者としか規定されていなくとも、それに限定されるものではなく、労働者本人に対しても適用されるとした。したがって、障害を有する労働者を就業させることが労働者本人の健康や安全にとって直接的な脅威となる場合には、能力要件を満たすことができないとした。
(J.N.)
(判例7)就業能力要件の判断を、従前の業務ではなく、配置転換後の業務を基準とすべきとした事例
Aka v. WashIngton Hops. Center, 156 F. 3d 1284 (D.C.CIr. 1998年) DC巡回区控訴裁判所(The UnIted States Court of Appeals, DIstrIct of ColumbIa CIrcuIts) No. 96-7089
【事案の概要】
Y(病院、被控訴人)に勤務し、手術補助担当であった56歳の労働者であるX(控訴人)は、心臓病でバイパス手術を受け、病気休業を取得していたところ、復職時に医師から軽作業またはそれほど負担のかからない業務にしか就けないことを助言され、現職復帰ができなくなった。Xは、労働協約に基づく空席業務への優先雇用制度で病院内の別の複数の業務へ応募した。しかし、ある職位への募集においては、彼よりも先任権が低いが、その職に経験のある労働者が採用された。その後も複数の職務に応募するものの、面接の機会さえも与えられず、病院内の事務管理部門でボランティアとして働いていた。Xは、雇用の機会を与えられないことが、ADAに基づく差別であるとして提訴した(本件では、労働協約違反も問題とされているが、本報告書では主にADA違反に関する部分を中心的に取り上げる)。連邦地方裁判所は、合理的便宜について、Yが、協約が規定している通常の応募プロセスの外で障害を有する労働者を配置転換することを労働協約が排除していること、ADAの下で義務づけられる配置転換義務が、労働協約によって保護される他の労働者の権利に抵触する場合、講じられる必要がないことから、Yに対してサマリージャッジメントを与えた。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
DC巡回区控訴裁判所多数意見は、まずXが能力を有する障害者かを検討する上で、能力要件の対象となる業務について吟味した。Y病院の主張や他の判例にもかかわらず、多数意見は、「空席に配置転換を求める労働者は、合理的便宜の有無にかかわらず、労働者が、配置転換を求める職位について本質的な機能を遂行できれば、(ADAの規定(42 U.S.C. s.s. 12111(8))に基づく)定義におさまる」とした。つまり、業務の本質的機能を遂行する能力を量る業務とは、病気休業前に遂行していた業務ではなく、便宜を求めた業務であるとした。つぎに、ADA上の義務と労働協約の抵触が配置転換を妨げている点について判断した。労働協約14.19条が、Y内部における優先雇用制度について、これはある業務の遂行能力または職業経験を有するYで働く労働者を、Yで働いていない労働者よりも優遇すること、また同じ職務遂行能力と職業経験を有する志願者が2名以上いる場合により高い先任権を有する労働者を優先することを規定していた。一方、労働協約14.5条は、「障害を有するがゆえに業務を遂行できない労働者を、その労働者が遂行できる業務に配転しなければならない」ことを規定していた。これらについて、Yは、「労働協約14.5条は、(14.19条などの)条項に対する例外として機能することが意図されておらず、労働協約に基づく募集や先任権制度の条件を満たしてはじめて14.5条に基づく配置転換がおこなわれる」と主張した。しかし、控訴裁判所は、労働協約ができるかぎり連邦労働法に合致するかたちで解釈されるべきであるとしつつ、「YにADA上の義務を実現させるように労働協約14.5条を解釈することが特に求められる」とし、労働協約の条項がADAの法律上の義務に合致するように解釈されるべきであるとした。この労働協約の条項の下で、すくなくとも一定の状況であれば、使用者が障害を有する労働者に対して空席への配置転換をおこなう義務を有するといえるとした。ADAに基づく配置転換義務が認められないのは、その労働者が配置転換先の業務について能力を有しない場合、その配置転換が過大な負担となる場合であるとした。しかし、障害を有する労働者は、空席がない場合には配置転換を求めることができず、使用者はそのために誰かを解雇することや新たな職責を創設する必要はないとした(本判決では、使用者は、配置転換をおこなうために、他の労働者を解雇し、あらたな職責を創設したりする必要がないとする判例(Terrell v. U.S. AIr., 132 F. 3d 621 (11th CIr. 1998))を追認している。また、使用者は、配置転換が使用者の正当かつ差別でないポリシーに抵触する場合には、そのような配転をおこなう必要がないとする判例(Dalton v. Subaru-Isuzu Auto., Inc., 141 F. 3d 667 (7t h CIr. 1998))も追認している)。
ADAの配置転換義務が過大な負担などによって制約されるのに対し、労働協約14.5条が「患者に対するケアと病院の秩序ある運営を妨げない限り」配置転換を義務づける広い概念であるとみてとれるが、労働協約上の配置転換義務についてあきらかにすることを下級審に求めて、差し戻すとした。
【判決のポイント】
<1> 「能力」基準の判断を、病気休業取得前の業務ではなく、配置転換されるべき、新たな業務についておこなうべきとした。
<2> 労働協約に合理的便宜の規定がある場合には、その規定は連邦労働法およびADAに合致するよう解釈されるべきであるとした。
<3> 使用者は、障害を有する労働者が配置転換されるべきあらたな業務について就業能力を有しない場合、または配置転換が過大な負担となる場合、そのような合理的便宜を講ずる必要がないとした。
<4> 使用者は、配置転換をおこなうべき空席がない場合、合理的便宜をおこなう必要がないとするADAの規定(42 U.S.C. s.s. 12111(9))を追認した。
(J.N.)
(判例8)過去の障害を理由とする再雇用の拒否が争われた事例
Raytheon Co. v. Hernandez, 540 U.S. 44 (2003), 124 S.Ct. 513 (2003年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 02-749
【事実の概要】
ミサイルなどの製造をおこなうY会社(控訴人)に25年勤務していたX(被控訴人)が、1991年7月、行動や風貌からアルコールおよび薬物依存症の疑いをかけられ、会社の方針に基づき依存症のテストを受けることを求められた。薬物依存症のテストについて、コカインの反応がでたことから、YがXにたずねたところ、テストの前日に晩くまでビールを飲み、コカインを使用したことを認めた。Yは、雇用契約の終了に関する社内規定に従い、解雇された。1994年1月に復職の申請をYに対しておこなった。その申請書には、彼が信仰する教会の司教から彼が「敬虔かつ積極的な教会のメンバー」であること、アルコール依存症回復の支援者からXが「アルコール依存症克服のための会に参加し、回復した」ことを示す推薦状が付されていた。しかし、Yの規則には、服務規律違反によって解雇された労働者については再雇用しないことが定められていた。したがって、Yの労使関係課の担当者は、その申請を受け取ったものの、Xが薬物およびアルコール依存症を理由として解雇されたことがあきらかになったため、その申請を受け付けないことを決定した。第9巡回区控訴裁判所は、差別的効果の提訴期間が過ぎていたことから、差別的取扱の適用を検討しつつ、服務規律違反により解雇された場合には再雇用を拒否するポリシーの形式的な適用が、依存症が回復している元労働者を排除していることになり、正当かつ差別的でない(legItImate, nondIscrImInatory)とはいえないとして、ADA違反と判断した。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
連邦最高裁は、連邦地方裁判所、控訴裁判所と同様に、差別的効果に基づく提訴期間を過ぎていたことから、本件を差別的取扱と分類し、それに基づき差別となるか否かを検討した。最高裁は、McDonnell Douglas Corp. v. Green 事件において示された3段階の基準(原告が一応の証明をおこなうこと、被告が問題となる労働条件やその適用が「正当かつ差別的でない理由」であることを反証すること、原告が、被告が示した理由が口実であることの証明すること)を採用して、判断をおこなっている。連邦最高裁は、中立な再雇用拒否のポリシーおよびその適用が、正当かつ差別的でないか否かについて判断した。控訴裁判所は、Yの再雇用拒否のポリシーや決定が「正当かつ差別的でない理由」となるか否かについて、依存症から回復したにもかかわらず再雇用を拒否することが依存症の個人を排除することになることから、正当でもなく、差別的でないとはいえないとした。それに対して、最高裁は、ADAが、差別的取扱法理が適用される事件と差別的効果法理が適用される事件が異なることを認識しており、またそれぞれ考慮される証拠も異なることを前提として、控訴審判決が差別的取扱法理に事実上差別的効果法理を組み込んでいるが、差別的取扱の事案においてそうするべきではないとした。そして、本件において差別的取扱の法理を適用するならば、Xを再雇用しないYの決定が、Xの障害を理由とするものであることを立証しなければならないとした。連邦最高裁は、控訴裁判所がこの点について法の適用を誤っているとして、差し戻した。
【判決のポイント】
<1> 差別的効果法理の適用が適している事案であっても、提訴期間を超過している場合には、差別的取扱の法理が適用されるとした(ただし、過去の薬物使用を会社の再雇用拒否事由とすることが、差別的インパクトを構成するかどうかについては、非常に重要な問題であるが本判決および控訴審判決からは明らかになっていない(連邦地方裁判所判決は未搭載))。
<2> ADAが差別的取扱法理が適用される事件と差別的効果法理が適用される事件が異なるものであることを認識しており、それに伴い立証内容も異なるものとなるとした。
<3> 間接的証拠による差別意図の推定をおこなう場合には、McDonnell Douglas Corp. v. Green 事件によって示された要件により判断すべきとした。
<4> 間接的証拠による差別意図の推定の事件においては、一応の証明がなされている場合、使用者は、ある労働条件や雇用に関する決定が「正当かつ差別的でない理由」を立証しなければならないとした。
<5> 間接的証拠による差別意図の推定の事件においては、ある労働条件やその適用が「正当かつ差別的でない理由」であるか否かを判断する場合に、差別的効果法理を組み込むべきではないとした。
<6> 使用者が、ある労働条件やその適用が「正当かつ差別的でない理由」に基づくことを立証するためには、それが労働者の障害を理由としてなされていないことを立証すれば十分であるとした。
(J.N.)
(判例9)先任権制度を超える配置転換が合理的便宜といえるか否かが争われた事例
U.S. AIrways, Inc. v. Barnett, 535 U.S. 391 (2002年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 00-1250
【事実の概要】
航空会社であるY(控訴人)で貨物取扱い担当であったX(被控訴人)が、腰痛になり、先任権 に基づき郵便物配送係へ配置転換された。当該郵便物配送係の職務は、Yの先任権制度の下で先任権の高い労働者に対し与えられるものであった。その2年後の1992年にXは、彼よりも高い先任権を有する労働者が2名その職務への配転を希望したことを知り、Yに対し、彼が郵便物配送係で業務を提供しつづけることを認めるという特例措置(合理的便宜)を要求した。その問題を検討する間の5ヶ月についてXは、その職務で働くことができたが、Yは結果的にXに対し特例措置を認めず、解雇した事案である。Xは、彼が郵便物配送係の職務について業務の本質的機能を遂行する能力を有するとし、郵便配送係での業務の遂行がXの障害に対する合理的配慮であり、当該職務への配置を拒否することが差別になるとして提訴した。連邦地方裁判所は、先任権制度に対し重大な変更を迫る本件の便宜的措置が、会社にとっても、障害を有しない他の労働者にとっても過大な負担になるとしてYに対しサマリージャッジメントを与えた。第9巡回区控訴裁判所は、先任権制度が過大な負担を考慮する上でのひとつの要素にすぎず、ある配置転換が過大な負担を構成するか否かについては、個別の事案ごとの事実の分析が必要であるとしつつ、地方裁判所の判決を棄却した。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
本件においてYは、ADAに基づく合理的便宜が障害を有する労働者に対して優遇措置を定めており、先任権制度に対して特別措置を求めることが平等取扱に反するという主張、そしてADAが空席への配転義務を合理的便宜として求めているが、本件における職位が「空席」とはいえないという主張をおこなった。それに対し、最高裁は、合理的配慮が障害を有する労働者に異なった取扱いを認めることから、優遇措置ともとれないことはないが、それは障害を有しない労働者がなにもせずとも享受している雇用機会と同じものを、障害を有する労働者に保障しているにすぎない。便宜的措置が優遇措置を提供しているという事実が、その便宜的措置が合理的でないことを自動的に立証できるわけではないとした。さらに、「空席」に関しては、ADAがそれについて特別な意味を与えたとはいえず、通常解されているような「開かれた職位」とするとした。そして、これらの点につきYの主張を採用することができないとした。次に、Xは、「合理的便宜」が「効果的な便宜」であり、ADAが裁判所に対し、要請された便宜的措置の内容が障害に関連して有する個人のニーズに合致するか否かについて考慮する権限を与えているにすぎないと主張した。それに対し、最高裁多数意見は、「合理的(性)」とは、「効果的」という意味ではなく、「過大な負担」をそのままいいかえたものでもなく、また業務の本質的な機能を遂行することを「可能にする」ものでもないとした。そして、下級審が採用している立証責任の内容に同意して、原告が事件の内容にもとづき便宜が表面上合理的であることを立証すれば、Y側がその事件の内容にそくしたかたちで非合理的であること、または過大な負担となるという特別な状況を立証する責任を負うこととなる、とした。最後に、Xが、要求した便宜的措置(先任権を超えた配置転換)が一定の場合に合理的である特別な状況を立証できればいいとした。しかし、その際に原告が一定の場合に先任権制度に対する例外を合理的なものとする特別な状況を証明する証拠提出責任を果たさなければいけないというわけではなく、通常の場合には合理的なものになりえないにもかかわらず、一定の場合に使用者の先任権制度に対する例外が合理的便宜となる理由を説明しなければならないとした。それを受けて、Xは、先任権を超えた配置転換が一定の場合に合理的となる特別な状況を立証していないとした。連邦最高裁は、下級審が異なった法的な見解に基づき判断を下していることから、控訴審判決を破棄し、差し戻した。
【判決のポイント】
<1> 合理的配慮が平等取扱原則に反するという主張に対して、障害を有しない労働者と同じ雇用機会を提供するという範囲で、障害を有する労働者に対して便宜的措置の適用を認めた。
<2> 障害者に対して差別意図のない労働条件や先任権制度に対する例外的措置(便宜的措置)を優遇措置であると表現した。
<3> 障害者に対して差別意図のない労働条件や先任権制度に対する例外的措置であることが、ただちにそのような便宜的措置を非合理的なものにしないとした。
<4> 「空席への配置転換義務」における「空席」を「開かれた職位」と解した。
<5> 「合理性」とは、「効果的」という意味ではなく、「過大な負担」をそのままいいかえたものでもなく、また業務の本質的な機能を遂行することを「可能にする」ものでもないとした。
<6> 「合理性」とは立証責任に関連するものであり、原告が事件の内容にもとづき便宜が表面上合理的であることを立証すれば、Y側がその事件の内容にそくしたかたちで一定の場合に非合理的であること、または過大な負担となるという特別な状況を立証する責任を負うこととなる、とした。
<7> 先任権制度に対する例外は、原則的に合理的であるとは考えられないため、一定の場合に合理的なものになるという特別な状況立証しなければならない、とした。
(J.N.)
(判例10)在宅勤務の許可は合理的便宜には含まれないとされた事例
Vande Zande v. State of WIs. Dept. of AdmIn., 44 F. 3d 538 (7th CIr. 1995年) 第7巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the Seventh CIrcuIt) No. 94-1884
【事実の概要】
上訴人Xは、脊髄の腫瘍により下半身まひとなった。その後、当該まひのために潰瘍が進行し、数週間自宅療養が必要なほどの治療を受けなければならなくなった。1990年2月から1993年1月まで、Xは、被上訴人であるY1州の住宅部門で事務作業を行う職員として雇用されていた。Xは前記まひによる潰瘍のために数週間の自宅療養が必要なために、出社することができず、それゆえ、Y1に対し、コンピュータの提供及び在宅勤務を認めるように求めた。また、職場内で労働者が昼食をとるために用いる簡易台所(kItchenette)の流しの高さは36インチ(91センチ)あり、Xが車いすで使うには高すぎる位置にあるので、もっと低くしてほしい旨をY1の住宅部門における上司たち(Y2〜Y4)に伝えていたが、かれらは、Xは十分流しを使うことができると述べ、その要求を拒んだ。Xは、職務のために建物内を移動するので、自分が職務を行う階以外の階の簡易台所の高さも低くしてほしいと述べたが、Y1らは、Xが通常職務を行う階にある簡易台所に34インチ(86センチ)の高さの棚を備え付けるにとどまった。Xは、コンピュータの提供や在宅勤務を認めないこと及び職務を行う階にある簡易台所の高さを低くしないことは合理的便宜の不提供であり、ADA違反である旨主張し、Y1らを相手取って、訴訟を起こした。ウィスコンシン州西部地区連邦地方裁判所は、Xによる上記のような主張をすべて退けた。これに対し、Xが上訴したものが本件である。
【主文】
破棄
【判旨】
まず、Xが主張したコンピュータの提供や在宅勤務がY1らにとって合理的便宜となるか否かを判断する前に、Xの症状がADAに基づく障害となるか否かを判断している。第7巡回区控訴裁判所は、Xのような断続的(IntermIttent)に発現(manIfestatIon)する損傷も障害となるのであり、そうした障害に対しても事業主は合理的便宜を提供する必要がある旨述べている。その上で、Xの潰瘍は障害の一部であり、また、当該潰瘍に対して、Y1には合理的便宜を行う義務があるとした。Xは、潰瘍のために治療を受ける必要があることから、自宅療養をしなければならず、それゆえ在宅勤務及びその際に必要となるコンピュータの提供をY1らに求めているが、こうした主張に対し、第7巡回区控訴裁判所は次のように判断した。すなわち、就労する場所が公的な機関であろうと、私的な機関であろうと、多くの職務には上司による監督を受けた上でのチームワークが必要とされるのであり、こうしたチームワークのもとで行われる職務において在宅勤務を認めると、在宅勤務を行う当該労働者の職務能力は、相当な程度(substantIal)減退することになる。それゆえ、一般的に、こういった状況下で就労する障害をもつ労働者に対し、事業主が在宅勤務を認めることは合理的便宜とはならない。その上で、Yは、ADA上、Xの在宅勤務を認めるよう求められることはなく、Xにコンピュータを提供する必要もないと判示した。さらに、Xは、各階にある簡易台所の流しは車いすを使っているために、使いづらいものとなっているのであるから、Y1らは、Xの職場内の簡易台所の流しの高さを低くし、さらに他の階の簡易台所の流しも同様にするべきであると主張したが、第7巡回区控訴裁判所はこういった便宜をYは提供すべきかにつき、次のように判断した。すなわち、事業主には、障害をもつ労働者と障害をもたない労働者との就労条件を同一にするために、適当な(modest)金額を超えて、合理的便宜を提供する費用を支出する義務があるわけではない。それゆえ、たしかに、Xの職場がある建物内のすべての簡易台所を改修する費用よりも、Xの職場内の簡易台所を改修する費用のほうが安くすむが、それでもかなりの金額となるので、こういったことを行う義務をY1らはADA上、課されるわけではない。さらに、Xの職場の近くには手洗いがあり、その流しは34インチの高さにあるため、簡易台所の流しの代わりに手洗いの流しをXは使うことができるのであるから、Y1らが合理的便宜を提供していないというXの主張はその前提を欠くことになるとした。
【判決のポイント】
<1> 断続的に表れる症状もADAにおける障害となり、こうした障害に対しても事業主は合理的便宜を提供する義務がある。
<2> 事業主が提供する合理的便宜には、コンピュータの提供や在宅勤務を認めることまでは含まれない。
<3> 事業主は、合理的便宜を提供するに当たり、適当な金額を超えてまで合理的便宜を提供する必要はない。
(T.N.)
(判例11)復職時期が明確な場合には病気休業期間終了後の追加休業の取得を認めるべきであるとした事例
GarcIa-Ayala v. Lederle Parenterals, Inc., 212 F.3d 638 (1st CIr. 2000年) 第1巡回区控訴裁判所(The UnIted States Court of Appeals for the FIrst CIrcuIt) No.98-2291
【事実の概要】
Y(被控訴人)で事務職として働いていたX(控訴人)が、乳がんおよび胸腺の病気で手術、薬物治療、放射線治療のために1986年から1996年まで断続的に病気休業を取得していた。Y会社の病気休業制度 は、14週間の有給休業、それを取得した後60%の有給が保障される12週間の短期病気休業手当を取得でき、その後2週間働けば、同じ病気でさらに合計26週間の上記病気休業を取得することができた。さらにYは、病気休業取得者について1年間の雇用保障をおこなっていた。Xは、1995年3月17日に手術を受け、手術前から1996年3月まで断続的に入院や処置を受けるために休業した(手術前に病気休業として88.5時間、手術後に34日間(短期病気休業)、5月には46時間、6月9日から25日(医療行為に関する給与継続給付)、8月7日から20日まで、9月13日から27日まで、10月には11.5時間、1995年11月14日から1996年3月19日まで(短期病気休業)休業している)。Yは1996年6月10日に原告に対し、1996年3月に短期病気休業手当の支給期間が終了したときに1年間の雇用保障期間が終了した(それ以降の休業については、Xが長期障害休業を取得していることとなるが、Yは長期障害休業を取得している個人を労働者とはみなしていない)と伝えた。Xは、Yに対し1996年7月30日まで休業を延期するように求めた(Xの主治医は、その時点では復職時期について明確にしていなかったが、その後同年8月22日に復職できるとした)。Yは、6月13日に追加休業を認めないことを書いた手紙をX宛に送付し、解雇した。Xが追加休業を認めないことが障害を理由とする差別に該当するとして提訴した事案である。連邦地方裁判所は、要求された追加病気休業が、復職期限が明確であっても保障されるわけではなく、合理的便宜の条項が会社に無期限に待つことを要求しているわけでもないとして、Y会社に対してサマリージャッジメントを与えた。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
本件では、追加要求された無給の病気休暇の付与が合理的な否かが問題となった。第1巡回区控訴裁判所は、(Xの業務を代わって担当していた)「短期雇用の労働者がXよりも高いコストがかかっていたこと、生産的でなかったことを証明する証拠はな」く、「実際に業務を遂行していない被用者に対して賃金を支払っていたわけではないからYに財政的な負担が存在」せず、「したがって、数週間の無給の病気休業というかたちで要求された便宜的措置は、一方において満足のいくかたちで遂行された業務の機能により、合理的なものである」とした。「したがって、病気休業を取得している労働者が復職するまで短期的に本質的な機能を遂行する別の誰かを獲得することを期待することが非現実的である場合には、使用者は病気に罹患した労働者を解雇することができ、別の被用者を雇用することができる。」「病気休業制度の要請が非合理的なものか否かを考慮する他の要因は」、たとえば、いつ復職できるかがあきらかでない場合、休業理由がよくわからない、または説明がなされていない場合、復職時に就業能力を十分に有しない場合、指定された特定の業務の遂行が不可能である場合、であるとした。「われわれは、裁判所に提出された証拠が、要求された便宜的措置の結果として、Yに対しいかなるかたちの負担を与えるものでないといわざるをえない」とした。
【判決のポイント】
<1> 使用者が定めた病気休業期間を超えて、追加の病気休業を認める必要がないというこれまでの判例に対し、それを超える合理的便宜が認められるとした。
<2> 復職期日があきらかである場合、会社が規定する1年間の雇用保障期間を超えて、追加の無給病気休暇を便宜的措置として要求することは合理的であるとした。
<3> ある被用者の病気休業期間中に代替の短期雇用被用者が、その業務を滞りなく遂行し、また休業を取得している被用者よりも高いコストをかけていない場合、使用者には財政的な負担がかかっていないことになるから、追加の病気休業の付与という便宜的措置をおこなうことは過大な負担とはならず、結果として合理的なものとなるとした。
<4> 病気休業の要請が非合理的なものとなる場合とは、いつ復職できるかがあきらかでない場合、休業理由がよくわからない、または説明がなされていない場合、復職時に就業能力を十分に有しない場合、指定された特定の業務の遂行が不可能である場合であるとした。
(J.N.)
(判例12)精神疾患をもつ労働者が、自らが望む便宜を事業主にどのように伝えればいいかわからない場合には、当該事業主には当該労働者を手助けする義務があるとされた事例
Bultemeyer v. Fort Wayne Cmty. Schs.,100 F.3d 1281(7th CIr. 1996年) 第7巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the Seventh CIrcuIt) No. 96-1984
【事実の概要】
上訴人Xは、30以上の学校を運営する被上訴人Yにて1978年から1993年まで用務員として就労していたが、その間、Xは双極性障害(bIpolar dIsorder)、不安発作(anxIety attacks)及び妄想型統合失調症(paranoId schIzophrenIa)を含む重度の精神疾患の状態にあったため、1993年5月から1994年4月まで休暇をとっていた。その後、1994年4月から他の場所で就労し始めた。同年5月16日、Yの人事部門の管理者である訴外Aは、Xに対し、従前Xが就労していたB学校とは異なる大きな学校にて再び就労するつもりがあるか尋ねた。くわえて、Aは、職場復帰するにあたり、健康診断を受けなければならず、また、Xが従前就労していたB学校ではなされていた特殊な便宜も提供されなくなるだろうと述べた。Aは、Xを復帰させるにあたり、Xの主治医である訴外精神科医Cに照会したところ、Bは、Xの就労は廊下などの教室以外の場所の掃除にとどめるのがいいだろうと述べた。同月17日、Aは、Xに対し、今後就労するD学校の下見に行き、指定した時刻にD学校の下見に関する報告を行い、かりにその報告がない場合には、雇用は終了することになる旨伝えた。同日、Xは、D学校の用務の責任者である訴外Eと下見をした。その際、Eは、Xに対し、「いまあなたが歩いている速さで仕事をするならば、とても時間内では仕事は終わらないだろう」といった。Xは、それを聞いて、D学校で働くことが恐ろしくなり、健康診断を受けることも、また、Aに対し、D学校に関する下見について報告することもなかった。同月20日、Xは、Cに対し、「精神疾患のため、D学校よりもストレスが少ない学校で就労させるのがXのもっとも利益にかなう」旨の書面を書いてくれるよう頼んだ。同月24日、Aは、XからD学校での報告もなされず、また、Xが健康診断を受けなかったという理由から、Xを解雇した。その数時間後、Xは上記書面をAに送ったが、その後、Yからは何も反応はなく、同月26日、XはYに電話をかけたが、上記書面についてなんら反応がなかった。Xは、自らの精神障害に対し、Yがなんら合理的便宜を提供しないことはADAに反する旨主張し、Yを相手取って訴訟を起こした。インディアナ州北部地区連邦地方裁判所は、Xの主張を退けた。これに対し、Xが上訴したものが本件である。
【主文】
破棄差戻し
【判旨】
第7巡回区控訴裁判所は、まず、Xによる、Yの合理的便宜の不提供に関する主張には、Xの精神疾患を理解することが重要である旨述べている。その上で、Xは用務員という職務を行うことができる適格者(otherwIse qualIfIed IndIvIdual)ではないとのYの主張について、ADAは適格障害者(qualIfIed IndIvIduals wIth a dIsabIlIty)に対する差別のみを禁止するのであるから、Xはこの点に関して立証責任を負い、自らが適格者であることを証明しなければならない。その際には、1つ目として、その職務についての要件(訓練、技術及び経験)を満たしていること、2つ目として、合理的便宜があってもなくても、Xは用務員という職務の本質的機能を行うことができる旨を証明しなければならないとした。上記の2つの点のうち、Yは長い間用務員としてXを雇用してきたのであるから、1つ目の点については争いはない。ゆえに、問題は2つ目の点だけになるが、Yは、Xには合理的便宜があれば、用務員の職務の本質的機能を行うことができる旨を示す機会を与えておらず、Xは合理的便宜があれば前記機能を行うことができるので、Xは適格者となると判示した。その上で、労働者が合理的便宜を求める際には、労働者と事業主と間で十分な意思疎通が必要となるのであり、本件のような精神疾患を有している労働者にかかわる事例では、両当事者の意思疎通のプロセスは難しくなるとする。また、合理的便宜の提供に際しては、インタラクティブ・プロセスが重要であるが、とりわけ、労働者が精神疾患を有している場合には、事業主は、当該労働者が合理的便宜を必要とする旨を伝えることができると期待することは難しい。したがって、合理的便宜を提供する場合には、労働者がいかなる合理的便宜を必要としているかを知るために当該労働者と会わなければならず、また、当該労働者が事業主にどのように伝えればよいかわからない場合には、当該事業主は当該労働者を手助けしなければならないと述べた。こうしたことを踏まえると、本件では、XはYに対し、Cの手による書面を提出し、D学校よりもストレスが少ない場所で就労させてほしいと求めているのである。そもそも、XがD学校での就労を恐れたのは、AやEの言動のためであり、また、Xは、Aが解雇を通知した後にCの書面を提出しているが、精神疾患をもつ者がこういった反応を示すことはありうることである。したがって、Yは、XのD学校での就労への恐怖を取り除く機会を与えるべきところ、それを与えなかった点に違法性が認められるとした。
【判決のポイント】
<1> 事業主は、精神疾患をもつ労働者が、自らに必要な便宜がいかなるものかを伝えることができると期待すべきではない。
<2> 合理的便宜の提供に際し、それを求める労働者が事業主にどのように伝えるかがわからない場合には、当該事業主には手助けする義務がある。
(T.N.)
(判例13)労働者が自らの障害や必要な便宜的措置について適切に伝えていない場合には、使用者が合理的便宜義務を負わないとされた事例
Reed v. LePage BakerIes, Inc., 244 F.3d 254 (1st CIr.2001年) 第1巡回区控訴裁判所(The UnIted States Court of Appeals for the FIrst CIrcuIt) No. 00-1966
【事実の概要】
X(控訴人)は、1987年以来大手のパン工場であるY(被控訴人)に勤務し、パンやマフィンの製造にあたっていた労働者である。働き始めてから数年後、躁うつ病に罹患し、セラピストなどから処置を受けるようになっていた。1995年3月に、マフィンの製造機械が壊れ、修理担当者が修理をしようとしたが、修理できなかったことに対し、無能であるとののしった。その後、うつ状態となり、自殺を試み、結果として5日間入院した。その際セラピストは、彼女に対し、自らのコントロールを失うことを避けるために、ストレスのかかる状況に置かないようにする便宜的措置を使用者に要請するよう助言した。復職後、上司との話し合いにおいてXはなにも言わなかったが、上司が、状態が悪くなる前にストレスのかかる状況から離れること、またそのような状況が発生した場合にはすぐに上司に連絡するようことをXに伝えた。1996年1月、Xが業務上の災害により腕に怪我をし、休業していたことから、その労災に関する復職について人事担当者との話し合いをする中で、Xは、話し合いの目的とは異なる、自分のシフトの変更の問題に固執し、再び暴言、脅すような言葉を述べ、「なにをしたいの?解雇でしょ?」などと言った。これらから、YはXを解雇し、Xが提訴した事案である。連邦地方裁判所は、Xが要求した便宜的措置に一応の説得力があることを認めつつも、ストレスを感じたときに、使用者からストレスを感じる状況から解放されることを認めることが合理的であるというレベルで十分な証拠を提出していないとして、Yにサマリージャッジメントを与えた。
【主文】
控訴棄却
【判旨】
第1巡回区控訴裁判所は、合理的便宜の立証過程において、原告が、要求する便宜的措置が合理的であるということを信じるに足りる(plausIble)証拠を求めた。要求する便宜的措置が合理的であると信じるに足りるためには、第1にその便宜的措置が障害を有する労働者に対し業務を遂行することを可能にする(enable)ものであること、少なくともそう考えられることを立証しなければならないとした。具体的にはなにが便宜的措置を特定されていなくてはならないとした。それに加えて、第2にその便宜的措置が特定の状況において使用者に大きなコストや負担をかけないこと、またそれについて信じるに足りることを立証しなければならないとした。Xが立証責任を果たしているかについて判断するうえで、控訴裁判所は、便宜的措置の要請過程について述べた。要請した便宜的措置が合理的か否かを考える上でのもうひとつの重要な要素が、XがYに対し適正に便宜的措置を要請しているか否かであるとした(原告に要求される要請の内容として、「すくなくとも便宜的措置の要請は、要求する便宜的措置が障害と関連することを説明していなければならない」とした労働者の要請が、特別な便宜的措置を必要としていることを伝えるうえで、十分に直接的であり、特定されていなければならないとする判決(Wynne. v. Tufts UnIv., 976 F.2d 791 (1st CIr. 1992))を追認した)。その理由として、「使用者には、労働者がたんに職場における変更に対してありきたりな要請をする場合から、特別な便宜的措置に対する必要性を分ける義務はない」からであるとした。そして、この要件を本件に適用し、Xは、これまでにYに対しみずからの障害やそれに対する便宜的措置について伝えることをしていないとした。具体的には、Xが、医者の勧めにもかかわらず、Yに対し最初の言い争いが躁うつ病によるものであること、特別な便宜が必要であることなどを知らせていないことなどを挙げた。「もしXが精神疾患に罹患していること、その症状を具体的にYにあきらかにしていたとしたら、みずからが受けることが出来る便宜的措置の要請の理解のされ方は大きくことなっていたであろう。しかし、Xは、それについて十分おこなわなかった」とした。結論として、控訴裁判所は、X自らが要求した合理的便宜が合理的であること、またそうであると信じるに足りるものであることを立証できていないとして、控訴を棄却した。
【判決のポイント】
<1> 合理的便宜の立証要件として、説得責任を移転させるには、原告が、便宜的措置が合理的であると信じるに足りる証拠を提出すれば足り、その立証も重いものである必要はないとした。また、コストなどの問題については被告が立証すべきであるとして、他の控訴裁判所の判断を一部否定した。
<2> 合理的便宜の立証要件として、説得責任を移転させるには、原告が、合理的便宜が業務の遂行を可能にするだけでなく、コストなどの使用者の負担の観点からも合理的であると信じる証拠を提出しなければならないとした。
<3> 説得責任を移転させるためには、原告が、みずからの障害の内容とそれに対する便宜的措置、便宜的措置がその障害と関連性を有すること、さらには便宜的措置が業務の遂行を可能にすることについて信じるに足る証拠を提出しなければならないとした。
<4> ADAの合理的便宜の要請が、労働者によって開始されない限り、適用されないという考え方を支持した。
(J.N.)
(判例14)インタラクティブ・プロセスにおける使用者と労働者の義務が問題となった事例
ShapIro v. TownshIp of Lakewood, 292 F.3d 256 (3d CIr. 2002年) 第3巡回区控訴裁判所 The UnIted States Court of Appeals for the ThIrd CIrcuIt No. 01-3212
【事実の概要】
Y(被控訴人)である町に15年雇用されているX(控訴人)は、緊急医療技師として働いていた。Xは、医療補助業務の一環として高齢者を介助しているときにヘルニアに罹患し、しゃがんだり、屈伸をしたり、10キロ程度のものを持ち上げられなくなり、結果的にその業務を遂行できなった。Xは、軽作業または緊急医療サービス局の別の業務に就けるよう合理的便宜をYに求めた。しかし、Yでは部課間の配置転換に関するポリシーを定めており、それに基づき配転を希望する場合には庁舎の掲示板に張り出される休職案内をみて応募しなければならず、Yは、Xの再三の合理的便宜の要求にもかかわらず、担当局がXの合理的便宜の要請に対し「庁舎に行って応募しろ」としかいわず、またXの合理的便宜の要求に対して話し合いをもつこともなかった。Xは、結果的に部課間の配置転換制度に基づきある職位に応募しなかったため、配置転換が認められなかった事案である。連邦地方裁判所は、ADAの義務としての配置転換の失敗の事案においては、障害を有する労働者が、配置転換を希望する職位が、空席かつ賃金が支払われるものかいなかを特定していなければならないとしてYにサマリージャッジメントを与えた。
【主文】
Yにサマリージャッジメントを与えるという連邦地方裁判所の判断を破棄し、原審に差し戻す。
【判旨】
第3巡回区控訴裁判所は、ADAの手続的義務(インタラクティブ・プロセス)を果たしているか否かについて判断した。EEOCの規則(29 C.F.R. ss. 1630.2(o)(3))が規定している一方で、ADAがインタラクティブ・プロセスを明記していない(42 U.S.C. ss. 12112(b)(5)(A))ことについて、MengIn v. Ruyon, 114 F. 3d 415 (3d. CIr. 1997) を引用し、インタラクティブ・プロセスがADAの目的を高め、障害を有する労働者に対し適職を探すのに適し、また使用者も適職がない場合には責任を負う必要がないことから必要性があるという見解に同意しつつ、「インタラクティブ・プロセスに関与しない使用者は、大きな危険を冒す。もし使用者がインタラクティブ・プロセスに関与しない場合、労働者の障害に合理的便宜が講じられうる方法を発見できなくなる」と述べた。その後、連邦地方裁判所が、配転を希望する労働者は、配転先に空席のポジションがあることなどを確認していなければならず、またそれを特定するために具体的な配転先に正式に応募しなければならないとしたのに対し、控訴裁判所は、労働者が特定の配転先に正式に応募している必要があるか否かについて、US AIrways. Inc. v. Barnett 事件の最高裁判決が示した合理的便宜の立証要件の内容により判断をしなおさなければならないとして、連邦地方裁判所に差し戻した。
【判決のポイント】
<1> EEOC規則が規定しているが、ADAが明文化していない合理的便宜の手続的義務(インタラクティブ・プロセス)について使用者がその義務を負うべきだとした。
<2> インタラクティブ・プロセスがADAの目的を高め、障害を有する労働者に対し適職を探すのに適し、また使用者もそのプロセスにおいて適職が無い場合には責任を負う必要がないことから必要性があるという見解を追認した。
<3> 配転を希望する労働者は、配転先に空席のポジションがあることなどを確認していなければならないことを否定していない。
<4> 部課内配置転換について、配転を希望する労働者は、庁舎の掲示板をみてその職に応募することをポリシーとしている地方公共団体において、特定の職に応募していることが配転という合理的便宜の要件ではないとした。
(J.N.)
(判例15)必ずしも明らかでない障害を有している労働者より当該障害に関する書面が提出された時点から、事業主には合理的便宜を提供すべき義務があるとされた事例
Ekstrand v. Sch. DIst. of Somerset, 583 F.3d 972 (7th CIr. 2009年) 第7巡回区控訴裁判所 (UnIted States Court of Appeals for the Seventh CIrcuIt) No. 09-1853
【事実の概要】
上訴人Xは、2000年から2005年まで訴外A小学校の教員であったが、本人の希望により、幼稚園へと移った。その後、再びA小学校1年生の教員になることを希望したため、被上訴人であるY校区は、窓がない教室にXを配置した。しかし、その際に、Xは、A小学校の訴外B校長に対して、うつ病の形となって現れる季節性の情緒障害のために、人工的な光よりも自然光を取り入れることができる教室が健康状態から望ましい旨伝えた。その後も、Xは上記のような教室に変えてほしい旨繰り返し伝えたが、事態は変わることがなく、Xの健康状態は徐々に悪くなり、休暇を取得するにいたった。この間、代替教室は2つあった。2005年秋に療養休暇を取得したが、その間、Xは、集中力がないなどの状態となり、さらには、睡眠過剰や摂食障害なども現れるようになった。同年10月17日、Xは主治医より投薬を受け、3か月療養するよう忠告されることとなった。療養中にもXは繰り返し教室を変えるように求めており、同月24日及び同年11月14日の2度にわたり、訴外C教育長に上記の内容を求める書面を送った。同年11月28日、Xは、主治医による「Xには自然光が重要であり、Xの障害から考えると、就業を行っている場所を変えるのがもっともよい」旨の書面をXの労働災害補償請求部門に送った。Xのうつ病の症状は悪化の一途をたどり、2年にわたってA小学校で就労することはできない状態となった。Xは、2006年に訴外D大学で教壇に立つこととなった。Xは、Yによる行為は合理的便宜の不提供及びみなし解雇であり、ADAに反する違法なものである旨主張し、Yを相手取って、州裁判所に訴訟を起こした。Yは事件を州裁判所から連邦裁判所に移した。ウィスコンシンン州西部地区連邦地方裁判所は、Yはインタラクティブ・プロセスを行っており、Xのストレスを軽減することを行っていることから、合理的便宜の不提供とはいえないとした。さらに、Yは、Xをみなし解雇を行ったと考えられるほどの職場環境を悪化させる状態を作り出したとはいえないことから、Xのみなし解雇の主張をも退けた。これに対し、Xが上訴したものが本件である。
【主文】
一部棄却、一部破棄
【判旨】
YがXに対し合理的便宜を提供したか否かについて、第7巡回区控訴裁判所は、XとYとの間のインタラクティブ・プロセスについて述べているが、その際に、Xは、「Yとインタラクティブ・プロセスを行おうと努力したことだけではなく、インタラクティブ・プロセスを十分行わなかったことについて責任を負っていることを立証しなければならない」とした。その上で、労働者が精神障害を有している場合には、当該労働者がいかなる便宜を必要としているかは事業主にとっては明白ではないことがしばしばあるので、こうした障害を有する労働者は、当該事業主に特定の適切な便宜を求めるためには、医師による書面といった証拠を事業主に示さなければならない。つまり、事業主が労働者に対し医療上の必要性を認識していた場合を除いて、事業主には、当該労働者が求める特定の適切な便宜を提供する義務はない。そうであるから、事業主がどの程度労働者の障害を知っていたかは、当該労働者より提出された障害に関する証拠に制約されることとなる。そのため、Yは、Xから医師による書面が提出された2005年11月28日まで自然光を取り入れることが、Xの障害にとって必要な措置であることは知らなかったために、同日以降に当該便宜を提供する義務を負う。つまり、Xより当該証拠が提出された同日以降はXはADAの適格障害者であり、Yに職場復帰したい旨伝えていたのであるから、同日以降、YにXが求める医療上必要な特定の便宜が過度の負担(undue hardshIp)とならない限り、Yには当該便宜を提供する義務が生じると述べた。その上で、第7巡回区控訴裁判所は、YがXに対して便宜を提供することが過度の負担となるかを検討している。Xに割り当てることができる2教室のうちの1つはすでに使われているが、その教室とXが使っている教室を入れ替えたとしても、各教室に配置されていた備品を入れ替えるなどだけで足りる。さらに、上記2教室のうちの1つは空き教室であり、Xが使っている備品をその教室に移動するなどで済む。第7巡回区は、以上のような検討を行い、これら費用は適切なものであり、Xに適切な教室を割り当てることはYにはほとんど負担にならないと判示した。
【判決のポイント】
<1> 精神障害のような事業主には必ずしも明白ではない障害を持っており、合理的便宜を望む者は、当該障害を証明する医師の書面を事業主に提出する必要がある。
<2> 事業主が労働者になんら便宜は必要ないと認識している場合には、当該事業主は当該労働者に合理的便宜を提供しなくともよい。
<3> 労働者より当該障害状態に関する書面が提出されて以降、事業主には合理的便宜を提供する義務が生じる。
(T.N.)
(判例16)採用前健康診断が問題となる場合には、応募者は障害を有しているか否かを問うことなく、訴訟を起こすことができるとされた事例
HarrIson v. Benchmark Elecs. HuntsvIlle,Inc., 593 F.3d 1206 (11th CIr. 2010年) 第11巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the Eleventh CIrcuIt) No. 08-16656
【事実の概要】
上訴人Xは、2005年11月から、有期で派遣労働者として被上訴人Y社でコンピュータプログラム関係の業務に従事しはじめた。Xはてんかんの症状を有していたが、投薬により症状が出ることはなかった。XがYで就労し始めたころ、Yは有期労働者に対して直用の無期労働者に転換するための措置を実施することとした。その際には、無期労働者になることを希望する有期労働者は、その旨の申請書を提出し、薬物検査を受け、履歴の審査を受けなければならなかった。2006年5月、Xは上司である訴外Aに対し前記申請書を提出し、薬物検査を受けることにも同意した。同年7月、人事部の職員である訴外Bは、医療情報検査員(MedIcal RevIew OffIcer)から、Xに対する薬物検査の結果、陽性の反応が出ている旨が伝えられた。BはAに電話したが、Aには薬物検査によりXに陽性反応が出ている旨は伝えなかった。しかしながら、AがどこでXの検査結果を知ったのはわからないが、AはXに対し薬物の陽性反応が出ている旨を伝えた。Aは、医療情報検査員に電話をかけ、Xに受話器を渡した。Xは電話で当該検査員から、障害の期間、薬物の種類及び当該薬物の使用期間に関する質問を受けた。この質問に対し、Xは、2年ほど前からてんかんにかかっており、投薬により症状は出ていない旨及び投薬量について答えた。この間、同室にて、Aは一言も発することなく、Xの受け答えを聞いていた。同月19日、当該検査員はBに対し、Xの薬物検査の結果、何も問題がない旨報告した。BはAに対し上記情報を伝え、Xの雇い入れに関する許可書類を受け取っていた。しかし、Aは、人事部に対し、Xを雇い入れるおりに必要な書面を作成していないと伝え、Xの派遣元である訴外C社に対し、XをY社に就労させないでほしいと頼んだ。同年8月18日、C社は、Xに対し、YにおけるXの就労上の行為や態度に問題があり、Aに脅威を与えているといったことから、もはやXを就労させることはできない旨伝えた。同日、XはC社より解雇された。Xは、Yは違法な健康診断を行った、自身は障害があるとみなされたためにYに採用されることがなかった及び障害があるとみなされたために解雇されたとして、こういった行為はADAに反する違法なものである旨主張して、Yを相手取って訴訟を起こした。アトランタ州北部地区連邦地方裁判所は、Xがてんかん薬を正当に使用した結果につき、陽性反応が出たか否かを尋ねる権限がYにはあるので、違法ではないと判断した。これに対し、Xが上訴したものが本件である。
【主文】
破棄差戻し
【判旨】
本件では採用前の健康診断が問題となっているが、求人者が採用前にADA102条(d)(2)で禁止された健康診断を行った場合に、応募者が求人者を相手取って訴訟を提起することができるか否かは法文上明らかではない。同条(d)(2)は、いまだ求人者から雇用申し込みを受けていない、あらゆる応募者に関する採用前健康診断や医療検査が禁止される旨規定しているのであるから、いずれ使用者になりうる者であっても、いかなる健康診断も行うことが許されず、また、応募者の職務に関連する機能に関してのみ質問することができるにすぎないとした。法文を見ると、同条(d)(2)は、適用対象となる応募者になんらの限定も置いておいらず、また、障害を有しない応募者が訴訟を起こすことを認めることによって、連邦議会がADAで示した障害者差別禁止の意思を強めることとなり、さらには、応募者に対して本件のような訴訟を起こすことを認めないと同条の効果がなくなるのである。それゆえ、本件では障害を有していないとされたXも含めて、応募者は、障害を有しているか否かにかかわりなく、同条に基づき訴訟を起こす権利があるとした。YがXに対し違法な健康診断を行ったか否かについて、AがXと同じ部屋の中にいたのは、Xの障害について故意に情報を引き出そうとするものであり、こういった行為はADAが禁止する採用前の障害に関する照会にあたると判示した。
また、同条の保護を受けるためには、違法な採用前の障害に関する照会がなされたために損害が発生したことを証明する必要があるか否かについては、同条は訴訟を起こす際の要件としてなんら規定していないのであるから、正式事実審理を経ないでなされる判決(summary judgment)を求める際には当該損害を立証する必要はないと判断した。
【判決のポイント】
<1> 採用前健康診断が問題となる訴訟では、応募者は障害を有しているか否かを問うことなく、訴訟を起こすことができる。
<2> かりに自ら質問した場合でなくとも、応募者が障害の内容を電話の相手に話している際に同じ部屋にいる場合には、ADAが禁止する採用前の障害に関する照会に当たる。
<3> 採用前の健康診断や障害に関する照会に関して訴訟を起こす場合には、応募者はそれによって引き起こされた損害を証明する必要はない。
(T.N.)
(判例17)実際に障害を有しない労働者に対してADAの保護が適用されるとした事例
GrIffIn v. Steeltek, Inc.,160 F.3d 591(10th CIr.1998年) 第10巡回区控訴裁判所(The UnIted States Court of Appeal for the Tenth CIrcuIt) No. 97-5103
【事実の概要】
障害を有しないX(控訴人)が、Y会社の職に応募した。その際、その質問項目に「労災補償給付または障害年金を受給したことがあるか?」、「一定の業務の遂行を妨げる身体的問題を有していたことがあるか?」があった。Xは、1つめの質問に対し、手と足に第3レベルのやけど、肘と肩を手術したことがあり、給付を受けていたと答えた。しかし、2つめの質問には空欄のままで回答しなかった。Xは、自身に障害があるとは、そして、YがXを障害者とみているとは考えていなかった。その後Xは、Yの採用担当者から採用試験時に非常に優秀な求職者であるといわれたにもかかわらず、採用を拒否された。Yは、採用拒否の理由として、Xに対しその業務について2年間以上の実務経験がないと伝えた。しかし、Xによれば採用試験時、そのような実務経験が必要であることを伝えられたことはなかった。Xは、上記2つの質問がADAに違反すること、その質問に答えなかったことから採用を拒否されたとして提訴した事案である。連邦地方裁判所は、2年間の実務経験の必要性がXに伝えられていたか、そもそもYの2年間の実務用件が存在したかについては問題にせず、Xが障害者であること、または障害者とみなされることを立証しておらず、一応の証明(prIma facIe)をおこなっていないと判断した。
【主文】
原審破棄、差戻し
【判旨】
第10巡回区控訴裁判所は、使用者が用意した質問が、ADAがたずねてはならないと規定する内容に抵触するか、それに基づき採用しなかったことがADA違反となるかについて検討した。最初に、医療上の質問を禁止するADAの規定(42 U.S.C. s.s. 12112(d)(2) & (4))について、対象者を「能力を有する障害者」という狭い概念におしこめる用語ではなく、「求職者」または「労働者」いう用語を使用していることに着目して、広い適用範囲を想定しているとした。さらに、控訴裁判所は、「ADAのポリシーが障害者差別を根絶することであ」り、「そのポリシーは、実際に障害を有している求職者の一部狭い範囲に訴権を制限しているというよりもむしろ、違法な医療上の質問にしたがわざるをえない、または実際に障害を有しているすべての求職者に、使用者に対する訴権を認めていると解すべきである」とした。そして、それらは、ADAの立法沿革が肯定しているとした。第5巡回区控訴裁判所が、実際に障害を有しない原告の訴えを棄却したが、それは損害がなかったからであるのに対し、本裁判所は、本件では採用拒否という損害を被っているので、障害を有しなくても、訴権を認めるべきであるとした。結論として、「求職者は、一応の証明をおこなうために、彼または彼女が障害を有すること、または障害を有するとみなされることを立証する必要がない」と判断した。
【判決のポイント】
<1> ADAの規定に基づき医学上の質問を禁止する対象の範囲は、「能力を有する障害者」に限定されず、広く捉えられるべきであるとした。
<2> ADA違反に関する訴権は、ADA上の「障害」を有している個人に限定されるわけではなく、「障害」を有していなくても、ADAのポリシーや立法沿革から、原則的に認められるべきであるとした。
<3> ADA違反に関する訴権について、控訴審レベルではADA上の「障害」を有している個人に限定すべきか否かについて異なった見解が存在するが、「障害」を有していなくても、ADA上認められない質問により損害を被った個人に対して少なくとも認められるべきであるとした。
<4> ADA違反の立証過程において、求職者は、一応の証明をおこなうために、彼または彼女が障害を有すること、または障害を有するとみなされることを立証する必要がないとした。
(J.N.)
(判例18)ADA第I編における労働者の定義が争われた事例
Clackamas Gastroenterology AssocIates, P.C. v. Wells, 538 U.S. 440 (2003年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 01-1435
【事実の概要】
被上訴人Xは、診療所を設置運営している職能法人(professIonal corporatIon)であるYに1986年から1997年まで雇用されていた秘書である。Yには、4名の医師がいるが、いずれの医師も医療管理に従事し、Yの出資者でもあり、また、いずれの医師もYの理事(shareholder-dIrector)でもある。Xは1997年に解雇されたが、Yは、Xの障害を理由とした合理的便宜の不提供及び解雇は、ADA に反した違法なものである旨主張して、Yを相手取って訴訟を起こした。そもそもADAが適用されるには、ADA101条(5)(A)により、事業主が15名以上労働者を使用していなければならない。本件では、Yの4名の医師がADA上の労働者と判断される場合にはYにADAが適用されるが、上記医師が労働者と判断されない場合には適用除外となり、Xの上記訴えは不適法となるので、まずその点が訴訟で問題となった。オレゴン地区連邦地方裁判所は、ADAが適用されるには、常時15人以上の労働者を事業主は雇用していなかればならないが、「Yの4名の医師は、一般企業の株主よりもパートナーシップにおけるパートナーに近いものであ」り、それゆえ、ADAにおける労働者ではないのであるから、YにはADAは適用されないと判断した。こうした判断を不服としてXが上訴したが、第9巡回区控訴裁判所は、ある主体が、職能法人を含むいかなる法人格を用いたとしても、当該主体が事実上パートナーシップであるか否かを判断するために裁判所は審査することができると判断した。出資者である4名の医師は、医療管理や運営に積極的にかかわっており、また、雇用契約上労働者であることは文言上はっきりしているとして、YにはADAが適用されると述べた。これに対し、Yが上記判断を不服として上訴したものが本件である。
【主文】
破棄差戻し
【判旨】
連邦最高裁は、まず、ADAの「労働者」という文言は、解釈する上ではなんら手がかりを与えていないと述べ、同様に「労働者」の定義が争われた他の連邦法の判例を手がかりに解釈している。その上で、Yの4名の医師は、企業における株主よりもパートナーシップのパートナーにより近いというYの主張に対して、連邦最高裁は、出資者であり、理事である者がパートナーと同様の側面を有しているか否かという問題と、今日では数多くの構成員からなるパートナーシップが存在し、これらパートナーシップの中には、少数のパートナーによって管理が行われているものもあり、パートナーの中には労働者とされる者がいることがありうるのであるから、その者が労働者か否かという問題とは別である旨述べている。さらに、本件で扱っている職能法人は事業主体としては新しいものであるが、本件で問題となっている4名の医師が労働者となるか否かにについては、判例上の雇用関係(master and servant)準則に従い判断するのが適切であるとして、本件も当該準則に照らして判断している。その上で、EEOCが、前掲準則に照らしてADA上の労働者性を判断する際の基準を定めた指針を妥当と認めた上で、基本的には、次の6つの基準(<1>当該組織が、当該個人を雇い入れる若しくは解雇することができる、又は当該個人の職務に際し準則若しくは規則を定めることができるか、<2>当該組織が当該個人の職務をどの程度監督しているか、<3>当該個人が、当該組織において、かなりの程度ある者の指揮下にあるか、<4>当該個人が当該組織にどの程度影響を与えることができるか、<5>当事者が当該個人を書面上明示的に労働者であると解釈しているか、<6>当該個人が当該組織の利益、損失及び責任を負っているか)に従って判断している。その上で、労働者性の判断に際し、ある者が当該組織でどのように呼ばれているか(パートナー、理事、副社長など)や当該組織と取り交わした書面が「雇用契約書」とされているかとはかかわりないとした。以上のようなことから、本件の4名の医師は、診療所の運営に関して権限があり、利益を共有し、さらに医療過誤に関して個々に責任を負っていることから、診療所の労働者ではないと判断した。
【判決のポイント】
<1> ADA上の労働者性を検討するにあたって、他の連邦法の労働者性が争われた判例を手がかりにして判断している。
<2> EEOCが示した労働者性の判断基準に従い、判断している。
<3> ADA上の労働者であるかは、その者の役職や取り交わした契約書の名前のいかんにかかわりなく、実態で判断される。
(T.N.)
(判例19)インクルージョンに関して判断基準を示した事例<1>
(1)Roncker v. Walter 700 F2d 1058 (1983年) 第6巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the SIxth CIrcuIt) No.81-3494
【事実の概要】
Aは重度の知的障害を抱ており、IQ50以下の場合に該当する、訓練可能な知的障害(TraInable Mentally Retarded : TMR))とされていた 。Aは軽度の発作も抱えていたがこれは薬によってコントロールすることができた。また、Aが他者に対して危険を及ぼすということはないが、自分自身で危険な状況を認識することができないため、常にその行動を監視する者が必要とされていた。当初AのIEPを定めるにあたって、学校区(Y)はAが知的障害専門のカウンティ・スクールに在籍することを提案した。しかし、カウンティ・スクールにおいては非障害児との接触が全くなく、これを不服としたAの両親はデュー・プロセスの審理を請求した。審理官はYに対して、Aを通常の公立初等学校の特別学級に在籍するように命じ、Aは障害児と非障害児が通う公立学校の重度の知的障害児のための学級に出席することになった。しかし、非障害児と共有するのは、ランチ、休憩、体育の時間に限られているため、Aの母親(X)は、Aが学科に関して特別教育が必要であることを認めつつも、特別教育を非障害児と同じ環境において受けることが可能であるとして訴訟を提起した。原審は、メインストリーミング の判断については、学校区の広範な裁量に委ねられていると解釈し、Aがメインストリーミングから全く利益を得ていないと判断し、学校区がAを非障害児と接触ができない学校に在籍させたことは、裁量の濫用には当たらないと判示した。これを不服としてXは控訴した。
【主文】
破棄、差し戻し
【判旨】
第6巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the SIXth CIrcuIt)は、障害者教育法(以下EHA)について、あらゆるケースにおいてメインストリーミングを要求しているのではないが、「適切な場合はできるかぎり」という文言から議会がそれを非常に強く意図していたことが伺えると指摘している。生徒の処遇を検討する場合に、教育上の理由からより良いと考えられた処遇が、メインストリーミングにそぐわないという理由で不適切であるとみなされるおそれがあるということであり、分離した環境の方が障害児にとって教育上優れているという認識は、時としてメインストリーミングの理念と衝突するものとされるのである。分離した環境の方が適切であるというケースにおいて、裁判所は分離された環境において提供されるサービスが、分離されていない環境においても提供されうるかについて判断しなければならない。障害児が分離された環境において教育を受けるのが適切であるのは、メインストリーミングから利益を得ることができない場合、分離されない環境においては得ることができないサービスから得られる利益が、メインストリーミングから受けられる利益にはるかに勝る場合、障害児が分離されない環境において混乱の原因となっている場合、である。本件においてAはこれらの要件を満たさないので、普通学級に在籍することが認められた。
(判例20)インクルージョンに関して判断基準を示した事例<2>
(2)DanIel R.R. v. State Board of EducatIon 874 F2d 1036 (1989年) 第5巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the FIfth CIrcuIt)No.88-1279
【事実の概要】
Aはダウン症による知的障害や言語障害を抱えた6歳の児童であり、発達年齢は2歳から3歳の間、コミュニケーション能力は2歳未満と診断されていた。Aは1985年度、エル・パルソ独立学校区(El Paso Independent School DIstrIct:Y)の幼児プログラム(Early ChIldhood Program)において特別教育を受けていたが、Aの両親(X1、X2)がAを非障害児と共に学ばせることを望んだので、次年度においてYは、半日はプレ・キンダーガーテンクラスにおいて普通教育を、残りの半日は幼児クラスにおいて特別教育を受けられるよう、普通教育と特別教育を混合したプログラムをAに提示した。しかし、Aはプレ・キンダーガーテンクラスにおいて何ら技術を向上させることができず、教員や補助者の注意が絶えず必要であり、担当教員はAに対応するために全体の教育プログラムを変更させねばならなかった。そこで、Yは、Aにとってプレ・キンダーガーテンクラスにおける普通教育は不適切であったとして、幼児クラスにおける特別教育のみを受けるように、Aの処遇を変更した。X1,X2はこれを不服として訴えを提起した。
【主文】
認容
【判旨】
第5巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the FIfth CIrcuIt)は、学校区は全ての障害児に対してメインストリームを保障する義務を負っているのではないということを強調したうえで、メインストリームについての判断を行っている。障害児が、非障害児と同じように普通教育のカリキュラムをマスターすることができないということをとらえて、彼らが普通教育から利益を得ていないと判断してはならないと述べており、その児童のニーズがメインストリームにより満たされるのであれば、その教育上の達成度が非障害児に比べ劣っているということを理由に普通教育を否定するようなことはできないとしている。メインストリームについて判断する場合、まず普通教育から教育的利益を得ているかどうかということを判断しなければならないが、教育的利益のみを判断要素としてはならず、たとえば、普通教育の環境において非障害児から行動モデルや言語モデルを獲得することも障害児の発達にとっては非常に重要であり、また有益なことだと述べている。また、司法の役割とは、障害者教育法(以下EHA)の「普通学級において」、「できる限り適切に」、「無償かつ適切な公教育」という、競合する諸要件のバランスをとることなのだとしている。裁判所は立法府が教育政策や教育方法の選択を州や地方に委ねていることに留意しながら、州や地方の学校行政機関がEHAを遵守しているかを判断しなければならないとしている。このような判断を行うに当たって、当該裁判所は、メインストリーミングの要件が遵守されているかを判断するにあたり、EHAの規定から二段階テスト(two part test)という判断基準を導き出している。第1段階のテストにおいては、普通学級において補助等のサービスを併用しながら、配慮が必要な子どもに十分な教育を提供することができるかが検討される。障害児に対して実質的な便宜が図られているか、当該障害児がその他の非障害児に対してマイナスの影響を及ぼしていないかということが判断される。次に、第2段階のテストにおいては、学校ができる限り適切な方法で子どもをメインストリームしたかということが検討される。このテストにおいてポイントとなるのは、EHAやその規則は、障害児に対して必ずしも普通教育、特別教育のいずれかに限定した教育を提供するように規定されていないということである。たとえば、普通学級において学科に関する教育上の利益を得ることがなくても、ランチや休憩時間を非障害児と共に過ごすことで得られる利益も存在する。普通教育と特別教育の適切な割合は、個々人、子どもの発達程度によって異なるので、各年度に検討が行われる必要があるとされる。
【判決のポイント】
<1> Ronckerテスト(ポータビリティ・スタンダード)(1)障害を抱えた生徒が、インクルージョン、普通教育から利益を得るか否か、(2)そのような利益が、インクルーシブな環境では得られない利益よりも重大であるか、(3)障害児が普通学級において混乱の原因となっていないかの、3要件を考察すべきとする。
<2> DanIel R.R.テスト(二段階(two-part)テスト)
(1) 普通学級において障害児に対して実質的な便宜が図られているか、当該障害児がその他の非障害児に対してマイナスの影響を及ぼしていないかということについて検討する。
(2) できるかぎり適切な方法で普通学級へのメインストリームが図られたか否かについて
検討する。
<3> DanIel R.R.判決において、制定法上学校や教育内容の選択に関して州や地方に裁量が委ねられているということが重視された。
(判例21)インクルージョンについて積極的な解釈を行った事例
Sacramento CIty UnIfIed School DIstrIct, Board of EducatIon v. Rachel H. 14 F.3d 1398(1994年) 第9巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the NInth CIrcuIt) No.92-15608
【事実の概要】
Aは訴訟当時11歳で知的障害を抱える生徒であり、IQは44と判断された。Aは1985年以降、サクラメント・シティ統合学校区(Sacramento CIty UnIfIed School DIstrIct :Y)において、さまざまな特別支援教育プログラムに参加してきたが、Aの両親(X1、X2)は、Aがより多くの時間を普通学級で過ごすことを希望するようになり、1989年の秋にAがフルタイムで普通学級に在籍することを要求した。これに対し、YはAの障害は深刻でありフルタイムで普通学級に在籍しても利益を得ることはないとし、主要教科については特別支援学級で、美術や音楽、昼食等は普通学級で過ごす、という提案を行った。Xらはこの提案を受け入れず、Aが社会的、学問的な技能を学ぶ上で最適な環境は普通学級であり、特別支援学級においては利益を受けることができないとして、訴えを提起した。州の審理官(hearIng offIcer)はAがフルタイムで普通学級に在籍することを認め、連邦地方裁判所もこの判断を支持した。これを不服としてYが控訴したのが本件である。
【主文】
認容
【判旨】
第9巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals for the NInth CIrcuIt)はまずIDEAのメインストリームの要件について判断を行っている。すなわち、IDEAは州に対してできるかぎり適切に、障害児が非障害児とともに教育を受けられるような手続を定めなければならないとした上で、特別学級や、特別学校、その他の形で、障害児が通常の教育環境から隔離されるのが認められるのは、障害の性質やその深刻さゆえに、補助や支援サービスを利用しても普通学級では十分な教育が受けられない場合であると規定されている、と判断を行っている。したがって、このような条項から、議会が、障害児が健常児とともに普通学級に在籍することを重視しているということが読み取れると裁判所は判断を行っている。次に、裁判所は上記の要件への当てはめについて検討を行っている。 メインストリーム、すなわち、「より制限のない環境(least restrIctIve envIronment :LRE)」について判断を行う場合、主としてDanIel R.R.判決のテストとRoncker判決のテストが用いられてきた。原審は、この2つのテストを参考に、4つの判断要素を導き出し、それぞれについて比較衡量を行っている。すなわち、(1)普通学級にフルタイムで在籍することによる教育上の利益、(2)普通学級にフルタイムで在籍することによる教育上の利益以外の利益、(3)Aが普通学級の教師や生徒に与える影響、(4)Aのメインストリーミングにかかる費用、の4つの要素について分析を行っている。当該裁判所もこの分析は、IDEAにおける障害児の処遇の適切性について直接言及するものであるとして、このテストを採用している。当該裁判所の判断を各要素に即してまとめると次のようになる。教育上の利益について、カリキュラムに何らかの修正を加え、パートタイムの補助の支援を受ければ、AはIEPの目的を普通学級において実践することでき、実質的に教育上の利益を得ることができるとした。
教科外の利益について、XらはAが普通学級で過ごすことでコミュニケーション能力や自信を増したと証言しているのに対し、Yは他の生徒との関わりの中でAが学ぶことはなく、Aはクラスメートとの間で孤立していると証言しているように、両者の証言は大きく食い違っていた。裁判所は、このような違いは評価者の性質にかなりの部分影響を受けていると結論付け、Aの母親および現在の教師の証言をもっとも信用できるものと判断した。両者は、Aの学校や学習から得られる刺激や、Aの新しい交友関係、自信の向上について証言している。普通学級の生徒や教師に与える影響について、裁判所は(i)Aが授業に混乱を起こし、中断させ、収束がつかないような状況を作り出すことにより、損害を与えていないか、(ii)教師がAに対してあまりに多くの時間をさかねばならないため、他の生徒に注意が及ばず不利益が生じていないか、について判断を行っている。原告、被告双方の証言から、Aは上記のような問題を全く起こしていないと判断した。なお、当該裁判所はこの(3)の要素を重視すると判示している。費用について、YはAが普通学級に在籍する場合に負担が増加すると主張するが、その計算は信憑性にとぼしいとした。したがって、以上のことからAは何らかの支援を受けつつ、第2学年の通常学級にフルタイムで在籍することが適切であると当該裁判所は判断した。
【判決のポイント】
<1> DanIel R.R.判決のテストとRoncker判決のテストから、4つの考慮要素を導き出した。
<2> メインストリームについて判断を行う際に、裁判所は(1)普通学級にフルタイムで在籍することによる教育上の利益、(2)普通学級にフルタイムで在籍することによる、学科に関する以外の利益、(3)Aが普通学級の教師や生徒に与える影響、(4)Aのメインストリーミングにかかる費用普通学級の他の生徒や教師への影響についての4つの要素を比較衡量するとともに、特に(3)の要素を重視した。
<3> IDEAの規定を、積極的にメインストリームを推進するものと解釈した。
<4> 証拠の採用にあたって証人の性質の差異に注目した。
(判例22)インクルージョンについて消極的な判断を行った事例
FrIedman v. Board of EducatIon of West BloomfIeld PublIc School and Susan LIebetreau, 427 F. Supp.2d 768 (W.D. MIch.2006年) ミシガン州東地区地方裁判所 (UnIted States DIstrIct Court for the Eastern DIstrIct of MIchIgan) No.04-60047
【事実の概要】
原告(X)は知的障害を抱える(A)の母親である。Aは生まれて間もなくダウン症と診断され、Xとともに居住するミシガン州ウェスト・ブルームフィールド学校区において特別支援教育や関連するサービスを受けてきた(AはIDEAの「知的障害」のカテゴリーに該当するものとして、特別支援教育の適格性を有している)。Aは小学校において、カリキュラムの変更やフルタイムの専門教室補助員の配属等の支援を受けつつ普通学級に在籍したが、その間深刻な問題行動を起こすこともなく、教育目標の達成へ一定の進歩をみせていた。2003年1、4、6月にIEPのミーティングが開かれAの高校進学について検討がなされたが、Xは中学校において特別学級に在籍したが故に、Aの社会性、学問的能力等が後退したとして、普通学級における完全なインクルーシブを要求した。これに対し、ウェスト・ブルームフィールド教育委員会(Y)は引き続き特別学級に在籍しながら、科目により通常クラスで受講するという内容のIEPを定めた。このIEPによるとAは一日の約半分を特別学級において主要教科を学び、残りの約半分の時間を通常クラスにおいて過ごすことになる。Xは当該IEPに同意せず、特別学級はAにとって「より制限のない環境(least restrIctIve envIronment :以下LRE)」ではなく、当該IEPはAのLREにおける「無償かつ適切な公教育」を侵害するものであり、IDEA及びミシガン州の特別教育法(MIchIgan’s Mandatory SpecIal EducatIon Act:以下MMSEA)に反するものだとして訴えを提起した。
【主文】
棄却
【判旨】
本判決は、IDEAのケースには2つのタイプがあるとして、教育方法の決定に関するものと、インクルーシブの程度に関するものとにわけられると判断している。本件においてXは、YがAにとってベストな教育方法を検討することを怠り、効果的な教育を提供しなかったとし、これは障害児に対して「より制限のない環境」における「無償かつ適切な公教育」を保障するIDEAの規定と、IEPは障害児の「可能性を最大限引き出すように企図される」というMMSEAの規定に反するものだと訴えを提起している。すなわち、Xの訴えは、Aに対する教育の方法論、およびインクルージョンに関することということになり、上記の2つのケースに該当する。Rowley判決以来、争点が方法論に関するものである場合は、州の判断に委ねるべきであるという解釈が用いられており、州や学校区は障害児のニーズに基づく適切なプログラムを決定するにあたって一定の裁量を与えられるべきであるとされてきた。本判決はこの解釈を踏襲しており、多くの学校関係者が、児童の目的やニーズ、教育方法の比較からして、特別学級が適切であると判断していることを重視している。ミシガン州法はIDEAの要件をより厳格にとらえており、IEPは「最大限可能性を引き出すように規定され」るべきとされている。しかし、裁判所は、ミシガン州法において「最大限可能性を引き出す」という文言は十分に定義されておらず、この基準は規定というよりも希望のようなものと捉えることもできるとしたうえで、これは必ずしもベストな教育の可能性を求めるものではないとも解釈でき、Barwacz v. MIchIgan Dep’t of EducatIon(674 F. Supp. 1296, 1302(W.D. MIch. 1987)判決のように、財源や地理的な制約を度外視した理想的なモデル教育を求めるものではないという解釈が妥当であると判示した。IDEAもMMSEAも障害児の可能性を最大限引き出すためにあらゆる特別なサービスを提供することを求めてはいないと当該裁判所は判断したのであるが、これはRowley判決の判断に即したものである。XはAにとっての「より制限のない環境(LRE)」が完全なインクルージョンであると訴えているので、裁判所は証拠の優越に基づき、Aがインクルージョンによって利益を得ていること、そして、その利益がインクルーシブな環境では得られない利益よりも重大であるということをXが示しているか判断する必要があるとした上で、行政審査過程の記録や、裁判所に追加的に提出された証拠から、Xは上記の点を立証できていないと判断し、以上のことから、Xの訴えを棄却するとした。
【判決のポイント】
<1> IDEAに関するケースを、(1)教育方法の決定に関するものと、(2)インクルーシブの程度に関するものとの二つに分類し、判断基準をわけた。
<2> (1)の教育方法の決定については、行政の広範な裁量に委ねるとした。
<3> 州によっては、障害児に保障される教育内容についてのIDEAの規定を厳格化した法規定を定めている。MMSEAの「最大限可能性を引き出す…」の解釈は曖昧であるが、本件においてはRowley判決における連邦最高裁の判断が適用され、努力義務よりもさらに消極的な解釈がなされた。
<4> インクルージョンの適切性を判断するにあたって、(1)インクルージョンによる利益、(2)インクルージョンと特別教育との比較考量、(3)インクルージョンによる不利益の3要件へのあてはめが行われた。
(判例23)「関連サービス」と「医療サービス」の該当性について判断した事例
Cedar RapId CommunIty School DIstrIct v. Garret F. 526 U.S. 66 (1999年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 96-1793
【事実の概要】
Aは4歳の時にオートバイの事故により脊髄を断裂し、首から下にまひが残ったが、精神上の障害はなく、パフ・アンド・サック・ストロー(puff and suck straw)を使用することで自分が乗った電動車いすをコントロールすることや、会話も行うことができた。Aは訴訟当時、セダール・レーピッド・コミュニティ学校区(Cedar RapIds CommunIty School DIstrIct:以下Y)で、普通学級に在籍し、学力上何ら問題はなかったが、Aは人工呼吸装置が必要であり、学校にいる間特定の身体的ニーズに対応する者が必要であった。幼稚園の頃はAの叔父が付き添い、小学校入学後4年間は保険を利用して専門の看護婦に付き添いを依頼していたが、1993年、Aの母親(以下X)はYにAが学校に出席する際のヘルス・ケア・サービスの料金負担を申請した。Yは1対1で看護師を付けるサービスは法的には保障されていないとしてこの申し出を拒否したため、XはIDEAとアイオア州法の両方に依拠して、審理(hearIng)を請求した。行政法審判官(ALJ)は、連邦法は様々な障害を負っている子どもに対して、その障害が教育を受けるうえで不利益となっている場合は「特別教育や関連サービス」を提供するように規定しており、そのような子どもは非障害児と共に可能なかぎり適切な教育を受けられることが保障されるべきと述べている。その上で、連邦規則は、「資格のある学校所属の看護師やその他の有資格者」によって提供される「学校のヘルス・サービス」と、専門医によって提供される「医療サービス」とを区別しているとし、Yは前者のサービスについては提供する義務があるとした。本件においてAが必要とするサービスは前者のサービスに該当するので、したがってYはこれを提供しなければならないと判断した。Yは、Aが学校に出席する際は常に1対1で看護師を付けるサービスを提供することは、IDEAに規定されていないとして、連邦地方裁判所に訴えを提起したが、1審、2審共に敗訴している。
【主文】
認容
【判旨】
原審は、IrvIng Independent School DIst. V. Tatro判決 で最高裁が用いたIDEAの「関連サービス」の定義についての二段階の分析を引用している。すなわち、まず、要求されているサービスが「補助サービス」の中に含まれるかということを判断し、その次に、そのサービスが「医療サービス」として除外されないかということを考察するものである。原審は、まずAは請求しているサービスがなければ学校に出席できないのであるから、第一の要件を満たしていると判断している。そして、第二の要件について、Tatro判決の専門医によるサービスは医療サービスに含まれ除外されるが、看護師やその他の有資格者によって提供されるサービスは除外されない、という理由づけを用いてAへのサービスを認めている。Yは、(1)ケアの必要性が永続的か、断続的か、(2)所属する学校の職員がサービスを提供できるか、(3)サービスのコストについて、(4)サービスを適切に実行できない場合について等の要素を示し、要求されたサービスが過度の負担に当たることを示そうとしたが、連邦最高裁はYが示した要素は法規、先例法上も根拠がないものであると判断した。連邦最高裁は、IDEAの「関連サービス」の定義、Tatro判決における先例、そして制定法のスキーム全体から、原審の決定は支持しうると判断した。また、Yの財源についての訴えは適切なものかもしれないとしつつ、本件における最高裁の役割は既存の法を解釈することであるとして、IDEAが「関連サービス」の定義においてコストについて言及していないことからすると、Yのコストに基づく基準を採用することはできないと判示した。また、当該法は公立学校に対して、障害児の可能性を非障害児に与えられた機会と最大限同等のものとすることまでは求めていないかもしれないが、議会は全ての資格のある子どもに対して「公教育のドアを開くこと」を意図しており、「州に対して、可能な場合は非障害児と共に障害児を教育することを求めている」のである。したがって、YはAのような生徒が公立学校へとインテグレートされるために「関連サービス」を提供しなければならないと判示した。
【判決のポイント】
<1> IDEAの「関連サービス」から除外される医療サービスは医師によるものに限定した。
<2> 学校区が抱えるコストの問題に言及し、その事実上の問題の可能性を認めながらも、IDEAおよび規則、先例法の解釈を遵守した。
<3> IDEAの立法主旨としてインクルージョンを重視した。
(判例24)学区外への送迎をIDEAの「関連サービス」と認めなかった事例
FIck eX rel. FIck v. SIous Falls School DIstrIct 337 F.3d 968(2003年) 第8巡回区控訴裁判所(UnIted States Court of Appeals, EIghth CIrcuIt )No.02-3176
【事実の概要】
Aは癲癇の発作をかかえており、発作が起こった際には直ちに看護師からバリアムの皮下注射を受けなければならなかった。そこで、Aが居住するスーフォールズ学校区(SIoux Falls School DIstrIct:Y)は、IDEAに基づく「関連サービス」として、Aの登下校に際しては看護師を同乗させた車により送迎を行うことを認めていた。Yは学区制(cluster sItes)を設けており、子どもたちはそれぞれの学区内で、初等、中等、高等学校に進学するように定められていた。Yは特別教育を受ける子どものみならずすべての子どもに対して、登下校の際に車による送迎を行っていた。生徒は乗車場所と降車場所をそれぞれ一か所ずつ指定することができ、乗降場所は異なってもよいが生徒が居住する学区内でなければならないとされていた。しかし、障害児がIEPを実現するために必要な場合は、乗降場所を学区外に指定することも可能であると、Yは判断している。2000年の10月、Aの母親(X)は、Yに対してAの降車場所を放課後に通うデイケアセンターに変更するよう申し出た。これに対しYは、当該センターはAの学区外にあるとの理由で、変更の届け出を拒否した。Xは2001年2月のIEPミーティングにおいて同様の訴えを行ったが、要求が認められなかったので、州の特別支援教育課(the state OffIce of SpecIal EducatIon : OSE)に不服を申し立てた。非公式の調査の結果、OSEはYがXの要求を認めないことはIDEAに違反すると判断し、Yに対してAをセンターまで送ることを認めるように命じた。YはOSEの決定を不服としてデュー・プロセスの審理を請求し、公式の審理の結果、審理官はYの判断はIDEAに違反しないと判断した。審理官は、Xの要求は個人的な理由によるものであり、Aの教育上のニーズとは関係ないと結論付けた。Xはこの裁決を不服として訴訟を提起したが、第一審はXの訴えを認めなかった。
【主文】
認容
【判旨】
本件はIDEAの事例であるが、第8巡回区控訴裁判所は1973年のリハビリテーション法504条の事例として類似の事例について判断を行っており(TImothy H. v. Cedar RapIds Cmty. Sch. DIst. )、本件においてもその際の判断方法が適用できると判断した。 TImothy H.事件は障害児の親が通常指定された学校外を送迎の乗降場所とすることを求めたケースであり、送迎の乗降場所として学区外を指定するには交通費を支払う必要があるとするセダール・レーピッド学校区(Cedar RapIds School DIstrIct)の方針が、リハビリテーション法504条に違反するのではないかということが争われたものである。当該裁判所は、すべての親が送迎プログラムに参加するための費用を支払っているのであるから、親は学校区内の送迎プログラムに参加する利益が否定されたことを証明しなければならないが、障害児の教育上のニーズは指定学校においても満たされており、指定学校外への送迎を希望するのは親の個人的な理由からであると結論付けた。なお、TImothy H.判決は、学校区が、送迎プログラムについて障害児の教育上のニーズではなく親の利便性や好みによる場合は要件に適合しないとしたのは、障害児に対して法に違反することなく曖昧な政策をとっているとの指摘も行っている。当該裁判所は、リハビリテーション法504条における学校区の義務と、IDEAの「無償かつ適切な公教育」を障害児に提供するという学校区の義務は同じものであるので、TImothy判決の効力は本判決にも及ぶとして、原審の判断を認容した。
【判決のポイント】
<1> 子どもの教育上のニーズとして証明できない限り、IDEAの関連サービスとして指定学校外へ送迎を行うことは認められないとした。
<2> リハビリテーション法504条における学校区の義務と、IDEAにおける学校区の義務を同様のものとみなした。
<3> 教育上のニーズなのか、親の個人的な理由なのかというのは曖昧な判断基準であると指摘を行った。
(判例25)「無償かつ適切な公教育」について親に訴えの利益が認められた事例
WInkelman v. Parma CIty School DIstrIct, 550 U.S. 516(2007年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No.05-983
【事実の概要】
Aは自閉症スペクトラム障害を抱える6歳の児童でありIDEAの適用を受けてきた。2003年度のAのIEPを作成する際に、パルマ・シティー学校区(Y)はAの両親(X1 、X2)にAを公立小学校に入学させる提案をした。これに対して、X1、X2はAは公立小学校では適切な教育を受けることができないので、私立学校に入学するのが適切であり、当該IEPはIDEAの「無償かつ適切な公教育」に反するものであるとして不服を申し立てた。行政審査の過程においてX1らの訴えは認められなかったため、彼らは連邦地方裁判所へと訴訟を提起した。ここで問題となったのは、「無償かつ適切な公教育」についてX1、X2に訴えの利益が認められるのか、また、弁護士としての資格も訓練も受けていない彼らが本人訴訟を行えるかの2点であったが、主として問題となったのは、X1、X2に訴えの利益が認められるかということであった。原審はXらにIDEAの実体についての訴えの利益を認めなかったためXらは上告した。
【主文】
破棄、差し戻し
【判旨】
連邦最高裁は、まずIDEAにおける親の手続的権利 およびそこから導き出される訴えの利益について判断したうえで、親の実体的権利についての考察を行っている。IDEAの目的には「すべての障害を抱える子どもが、無償かつ適切な公教育を受けられることを保障し」、「障害を抱える子どもとその親の権利を保障する」ことが含まれるとされるが、連邦最高裁は従来親の権利について手続的権利は認めてきたが、実体的権利については明確に判断してこなかった。たとえば、Shaffer v. Weast(546 U.S. 49, 53, 126S.Ct.528, 163 L Ed.2d 387(2005))判決において連邦最高裁は、IDEAは「無償かつ適切な公教育」の条項を実現させるために、障害を抱える子どもそれぞれにIEPを制定するよう規定しているが、その過程において親は子どもの教育に対して実質的に関われるように手続的保護を保障され、「重要な役割」を果たすと述べている。また、審理官は、子どもが「無償かつ適切な公教育」を受けているか否かを判断するにあたって、原則、実体的な根拠に基づかねばならないとされるが、手続的な瑕疵が問題となっている場合は、<1>手続上の瑕疵が、子どもが「無償かつ適切な公教育」を受ける権利を妨害した場合、<2>親が、その子どもの「無償かつ適切な公教育」に関する意思決定過程に参加する機会を甚だしく妨害された場合、<3>教育上の利益を侵害する原因となった場合(§§1415(f)(3)(E)(1)−(2))に限り、判断を行うことができるとされる。<1>〜<3>の要件を満たせば、親は手続上の瑕疵を理由に行政不服申立てを行うことができるのである。つまり、親は手続的権利を有しており、その手続上の瑕疵が一定の要件を満たせば不服申立て適格を有するということになり、そうなれば必然的に訴訟を提起する際の原告適格も有することになると連邦最高裁は判断したのである。行政審査において認められていた権利が、司法審査の段階では認められないとするのは、制定法上のスキームにそぐわないであろうと裁判所は判断したのである。連邦最高裁はこのように手続的権利についての判断を述べたうえで、次に手続的権利と実体的権利の関係について述べている。IDEAは、§1400(d)(1)(B)で「障害児の権利とその親の権利を保障すること」が目的の一つであるとし、さらに§1415(a)において「無償かつ適切な公教育に関して、障害児およびその親は手続的保護を保障される」と規定している。したがって、制定法上の構造からすると、IEPの手続は親に対して、IDEAの手続過程に参加するだけではなく、子どもの教育プログラムを実体的に形成することにたずさわる資格も与えていると最高裁は判示している。また、IDEAは、親に対して不服申立てに始まる一連の争訟を提起する権利を与えており(§1415(b)(6)(A)、§1415(g)(1)、§1415(i)(2)(A))、これらの条項の文言および構造からは、親が手続やそれに伴う費用に関してだけではなく、実体上の決定についても訴えの利益を有しているということが認められると判断している。IDEAの手続的権利や賠償に関する権利は、子どもに提供される実体的な教育内容と絡み合うものであり、それらを分離して、子どもと親の両方に属する権利もあれば、いずれかにしか属さないものもあると判断するのは困難である。以上のことから、IDEAは親に対して、固有の強行できる権利を認めており、これらの権利の中には、子どもへの「無償かつ適切な公教育」に関する資格も含まれると連邦最高裁は結論付けた。
【判決のポイント】
<1> 「無償かつ適切な公教育」について訴える際に、行政審査過程においてのみ親に訴えの利益を認め、司法審査において認めないのは不適切であると判断した。
<2> 制定法上の文言およびその構造から、親が手続だけではなく実体的な権利を有すると認めた。
<3> IDEAに規定される親の手続的権利や賠償に関する権利は、子どもの教育に関する実体的権利と分離することはできないと判断した。
<4> 上記<3>に関して仮に親と子の権利を分離した場合は、「無償かつ適切な公教育」について、手続と賠償に関して問題になった場合のみ訴訟を提起することができるということになり、不公正であると判断した。
(判例26)障害者教育法における立証責任についての事例
Schaffer v. Weast, 377 F.3d 449 (4th CIr. 2004年), 126 S. Ct. 528(2005年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No.04-698
【事実の概要】
Aは言語障害及び注意欠陥障害を抱える、第7学年に在籍する児童である。Aはモンゴメリー・カウンティの私立学校に通っていたが、1997年に彼が第7学年になった際に、学校区はAに対してIEPを作成し、2つの公立中等学校のいずれかを選択することを勧めた。これに対しAの両親(Xら)は、Aにはその2つの学校が提供するサービスよりもより熱心で、より生徒数の少ない学校が望ましいとしてIEPに同意しなかった。XらはAを私立学校に入学させると同時に、IEPが不適切であるとして不服を申し立てた。本件において問題となっているのは、IEPが不適切であることを示す立証責任が親にあるのか、学校区(Y)にあるのかということである。行政審査の過程においては、Yの示すIEPが不適切であることを示す立証責任は親の側にあるとされたが、メリーランド連邦地方裁判所は、Yに責任を課した。これに対し第4巡回区控訴裁判所は不服を申し立てる側に立証責任があるとして、Xらにそれを課している。第4巡回区控訴裁判所は、IEPを訴えている当事者に立証責任があると判断したが、IDEAのデュー・プロセスの審理における立証責任について詳細な分析を行った。まず、既存の各裁判所によって分かれた解釈について簡潔に述べた後、立証責任を学校側に分配する判決は十分に説得力のある分析を行っていないとして、その解釈に疑問を呈した。裁判所はまず初めに、「無償かつ適切な公教育」を与えるという学校制度の制定法上の義務をして立証責任を学校側に負わせるのは、不十分な根拠であると理由づけている。裁判所は同様に学校制度の方がより法的及び教育的な専門性を有しているから、立証責任を負うべきであるという主張も否定している。また裁判所は、連邦議会が障害児の保護者に対して様々な手続的保護を与えているのは学校側と「同じ土俵に上げよう」とする適切な試みであると認めたうえで、しかしだからといって、連邦議会はそれらの保護の一環として、学校側に立証責任を課すことを明示してはいないのであるから、議会は訴えの当事者に立証責任をおく伝統的なルールを適用することを意図しているとするべきであるとした。Xらは、IDEAの基となったPARC判決(334 F. Supp. 1257 (E.D. Pa. 1971), 343 F. Supp. 279 (E.D. Pa. 1972))とMIlls判決(348 F. Supp. 866 (D.D.C. 1972))は立証責任を学校側に課していたのであるから、連邦議会はIDEAも同じ趣旨で制定したはずであると主張した。裁判所はこの主張も、もし議会が伝統的なルールからの変更を意図していたのであれば、それについて明記したであろうとして否定した。最後に裁判所は、立証責任を学校側に課すということは、仮に両親が証拠を提出できなかったとしても、制定されたIEPを覆すことができるということになろうと述べた。つまり「制定された全てのIEPは潜在的に(presumptIvely)不適切である」ということになり得ると示したのである。そして裁判所はこのような解釈は、Rowley判決において連邦最高裁が認めたIDEAの性質、すなわち地方の教育の専門性の尊重といった性質に反するものとなろう、と述べた。
【主文】
認容
【判旨】
連邦最高裁は第4巡回区控訴裁判所の判決を支持し、立証責任は不服を申立てる当事者にあると判示した。O’Connor判事は多数意見において、MIlls判決やPARC判決がIDEAの起草者に影響を与えたということがすなわち、連邦議会がこれらの判決の立証責任のスキームをも組み入れる意図を有していたことを意味するという主張を退け、もしそうであるならば、連邦議会は明確にそれを行ったであろうと述べた。また、保護者は学校側の内部文書等にある事実を証明するのは困難であるから、立証責任を学校側に負わすべきであるという主張に対して、最高裁はIDEAのその他の手続的保護、たとえば記録の開示を求める権利等を引きだして、学校側と保護者との間の情報量に考慮すべき差はないとした 。
【判決のポイント】
<1> 学校区には「無償かつ適切な公教育」を障害児に対して提供する義務があるとするIDEAの規定から、学校区に立証責任を負わせるのは根拠が不十分であるとした。
<2> 学校側が有する専門性から立証責任を学校区に課すのは不適切であるとした。
<3> 障害児の親に対して保障されている手続的保護は、親を学校区と「同じ土俵にあげる」ことを意図したものであるが、このことから学校区に立証責任を負わせることは導き出せないとした。
<4> 学校区と親との間に情報量の格差があるとしても、IDEAは親に対して記録開示を求める等の手続的保護を与えており、このことがすなわち学校区に立証責任を負わせる理由とはならないとした。
(判例27)私立学校において「無償かつ適切な公教育」が認められた事例
Forest Grover School DIstrIct v. T.A. ,129. S. Ct. 2484(2009年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 08-305
【事実の概要】
Aは幼稚園から第8学年まで、フォレスト・グルーブ学校区(Forest Grove School DIstrIct)の公立学校に在籍してきた。その間、Aはクラスにおいて問題行動が多く教員の注意をひいてきたが、Aが高校に入学した際に、問題行動はさらに深刻になった。Aの母親(X)がスクールカウンセラーや学校心理士に相談し、Aの状態についてテスト等行った結果、Aはいずれの障害にも該当しないと判断され、さらに心理士と学校教職員二人と話し合いを行った結果、Aは特別教育のサービスを受ける資格はないと判断された。
その後、Aの状態はさらに悪化していったため、Xらは民間の専門家に診察を依頼したところ、AはLD(学習障害)であると判断された。そこで、XらはAを特別支援教育専門の私立学校へ入学させ、AがIDEAの資格を有していることを訴えるために、不服申立てを行った。行政審判官は、AがIDEAの資格を有していると認め、YはAに「無償かつ適切な公教育」を提供してこなかったとして、YはAの私立学校の学費を賠償するべきと判断した。これを不服としてYが訴訟を提起したところ、地裁は1997年のIDEAの改正法は、現時点でIDEAの資格を有していない生徒の私立学校の費用を賠償することを禁止している等と判断してYの訴えを認めた。これに対し第9巡回区控訴裁判所は、改正法は上記のような生徒への賠償を否定しているわけではないとして地裁の判断を否定した。
【主文】
認容
【判旨】
連邦最高裁は、BurlIngton and Carter判決 以来、学校区が子どもに「無償かつ適切な公教育」を提供できておらず、私立学校に在籍することが適切である場合には、その学費を負担することが「無償かつ適切な公教育」に該当すると判断してきた。しかし、IDEAの資格が認められずIEPが提供されていない本件と、提示されたIEPについて争ったBurlIngton and Carter判決とは事実の背景に相違があるため、本件において連邦最高裁はまず、BurlIngton and Carter判決の射程について考察を行っている。これについて連邦最高裁は、裁判所の判断は特定の事実よりも法律の文言と目的に基づいて行われるのであるから、BurlIngton and Carter判決と本件を区別する必要はないと判断した。その上で1997年のIDEAの改正から異なる結論が導き出されない限り、BurlIngton and Carter判決の法理を適用するのが妥当であるとして、1997年のIDEAの改正法について判断を行った。1997年のIDEAの改正は、法の主たる目的について変更しておらず、また、BurlIngton and Carter判決の根拠となった§1415(i)(2)(C)(iii)の条文も変更していないと判示し、また、§1412(a)(10)(C)は私立学校の学費を賠償することを制限しているというYの主張について、以下の3点において説得力に欠けるとして訴えを退けた。まず、(1)1997年の改正は、明確にこのようなケースにおける賠償を否定していないし、議会がBurlIngton and Carter判決を変更させる意図をもっていたということを、Yは立証できていない。次に、(2)このようなケースにおける賠償を否定することは、「全ての障害児が無償かつ適切な公教育を受けることができ、またその教育は個々人に特有のニーズを満たすようにデザインされた特別支援教育でなければならない(§1400(d)(1)(A))」とする、IDEAの改正の目的と食い違うことになる。そして、(3)BurlIngton and Carter判決のように、IDEAの資格を既に有している子どもに対して、学校が特別支援教育を適切に提供できていない場合は救済を行うが、本件のように、学校が正当な理由なくIDEAの該当性を認めず、そのようなサービスを受けることを否定した場合には、親に救済を与えないというのは、著しく不合理である。以上のことから、連邦最高裁はBurlIngton and Carter判決を踏襲して、学校区が障害児に対して「無償かつ適切な公教育」を提供しておらず私立学校への在籍が適切である場合、たとえ当該児童がその時点においてIDEAの資格を有していないとしても、私立学校の学費を賠償するように規定していると結論づけた。
【判決のポイント】
<1> 学校区が公立学校において障害児に「無償かつ適切な公教育」を提供できない場合、私立学校において適切な教育が提供されるのであれば、学校区は当該児童が私立学校に在籍するための学費を支払わなければならない、という従来の解釈を踏襲した。
<2> 子どもにIDEAの資格が認められておらず、IEPを提供されていない場合であっても、私立学校に在籍することが適切である場合は、親に対して私立学校の学費の賠償を行うことを命じた。
<3> 1997年のIDEA改正は、私立学校において「無償かつ適切な公教育」を受けることの可能性を狭めたものではないと判断した。
(判例28)「無償かつ適切な公教育」の解釈について規範となった事例
Boad of EducatIon of the HendrIck Hudson Central School DIstrIct v. Rowley,548 U.S. 176; 102 S. Ct. 3034(1982年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 80-1002
【事実の概要】
Aは聴覚障害を抱える児童であり、ヘンドリック・ハドソン・セントラル学校区のFurnace Woods学校の第1学年に在籍していた。第1学年の秋学期にAに対してIEP(IndIvIdualIzed EducatIon Program:個別教育プログラム)が提示されたが、その内容は、FM補聴器を提供すること、1日1時間ずつ聴覚障害教育の専門員の指導を受けること、週3時間、言語セラピストによる指導を受けること、というものであった。Aの両親(Xら)は、これらの提案を受け入れたが、これらに加えAには授業中に手話通訳者が必要であるということを主張し、IEPそのものは受け入れなかった。教育委員会(Y)はXらの主張を認めなかったが、その背景には、Aが幼稚園の普通学級に在籍していた際に、2週間試験的に提供された手話通訳者が、Aは手話通訳がなくとも十分に教師やクラスメートとコミュニケーションがとれると判断したということがあった。Xらは行政機関に対して不服申立てを行ったが、訴えが認められなかったため、訴訟を提起した。連邦地方裁判所は、Aは普通学級に非常に順応しており、成績等は同級生の平均を上回っているが、それはAが障害を抱えていなければ得られていたであろう成果を下回るものであるとして、Aは「無償かつ適切な公教育」が受けられていないと判断した。連邦地方裁判所はまた、「無償かつ適切な公教育」についての制定法上の規定は曖昧であり、適切な教育の判断については司法に解釈が委ねられているとして、これについて他の児童が提供されている機会と完全に同等となり得るものであると定義した。これを不服としてYは控訴したが、第2巡回区裁判所も地裁判決を支持してYの訴えを退けた。そこで、Yは地裁、控訴審ともに制定法の解釈を誤っているとして上告した。
【主文】
破棄、差戻し
【判旨】
連邦最高裁判所は、本件の論点は<1>「無償かつ適切な公教育」の制定法上の要件は何かということと、<2>審査を行うに当たっての州および連邦裁判所の役割とは何かということ、であるとした。<1>は実体、<2>は手続についての問題であるが、ここでは、<1>について詳述することにする。連邦最高裁は、「無償かつ適切な公教育」という重要な文言について、制定法上定義がなされていないという、下級審の判断をまず否定した。連邦最高裁は、「無償かつ適切な公教育」とは、「特別教育」と「関連サービス」を意味すると制定法上明確に規定されており、「特別教育」とは、それぞれの障害児が抱えるニーズを満たすように、無償で提供されるものであり、「関連サービス」とは、障害児が特別教育により利益を得られるよう支援するものであり、たとえば、移動手段等の補助サービスが含まれると判示している。そして、制定法上適法性を判断するチェック項目として、教育やサービスが<1>公費によるもので、なおかつ公的な監視下にあること、<2>州の教育基準を満たすこと、<3>州の普通教育で用いられる学年基準に近いものであること、<4>児童のIEPに即したものであること、があげられており、これらの項目が満たされていれば「無償かつ適切な公教育」を受けられているということになる。しかし、連邦最高裁はこれらの制定法上の規定は「機会の基礎部分」にあたり、障害児が十分な教育上の利益を受けているか否かを判断するのはより困難な問題であるとしている。というのは、障害の種別は多様であり、児童が得られる利益も多様であると考えられるからである。そこで、連邦最高裁は、教育的利益についての判断基準を定めることはしないと明示しつつ、本件において障害児教育法が保障する教育的利益について次のように判示した。すなわち、公立学校のシステムにおいては、進級して、学校を卒業できることが教育的利益とみなされるのであるから、メインストリーミングにより普通学級に在籍する障害児の教育的利益について判断する場合は、児童のIEPをこれに沿うように定めなければならないとしたのである。したがって、本件においてAは普通学級に在籍しているので、Aの教育的利益すなわち「無償かつ適切な公教育」について判断するにあたっては、上述した「機会の基礎部分」の判断に加え、IEPが進級、卒業を可能とするように定められているかを判断することになる。Aは普通学級において、平均以上の成績をおさめているのであるから、Aには「無償かつ適切な公教育」が保障されているということになる。
【判決のポイント】
<1> 「無償かつ適切な公教育」とは、「特別教育」と「関連サービス」を意味するとした。
<2> 「無償かつ適切な公教育」の判断基準について、2段階に分け、基礎となる部分について明示した。判断項目として、(1)公費によるもので、なおかつ公的な監視下にあること、(2)州の教育基準を満たすこと、(3)州の普通教育で用いられる学年基準に近いものであること、(4)児童のIEPに即したものであること、があげられている。障害児が普通学級に在籍する場合、進級、卒業が可能となるようにIEPを定めなければならないとした。
<3> 本判決は現在に至るまでIDEAのリーディング・ケースとして扱われているが、対象となった児童が高い能力を有する児童であったため、本件で示された基準はすべての障害児に適応される基準ではないということを明示した。
(判例29)本人が居宅でサービスを受けることを望んでいる場合に、施設に入所させてサービスを受けさせることは差別になるとされた事例
Olmstead v. L.C., 527 U.S. 581 (1999年) 連邦最高裁判所 (Supreme Court of the UnIted States) No. 98-536
【事実の概要】
被上訴人の1人であるX1には精神遅滞及び統合失調症があり、1992年5月に州立病院に自ら入院した。X1の病状は1993年5月までには安定し、X1の治療チームは、X1は在宅ケアを受けることができる旨の決定をくだした。しかしながら、上訴人であるY州の反対により、1996年2月までX1は入院させられていた。もう1人の被上訴人であるX2には、精神遅滞及び人格障害があり、1995年2月に州立病院に自ら入院した。1995年3月に、当該病院はX2をホームレス収容施設(homeless shelter)に移送しようとしたが、X2の弁護士が反対したため、その計画を取りやめるにいたった。1996年、X2担当の精神科医は、X2は在宅ケアを受けることができる旨結論づけた(以下、X1とX2をまとめていうときは「X1ら」という)。X1は、1995年5月に合衆国憲法第14修正やADA202条等に基づき、宣言的救済及び差止救済を求めて、次のように主張し、Yを相手取って訴訟を起こした。すなわち、治療決定者がその患者は施設での介護ではなく、在宅ケアを受けることができると決定した場合には、Yが在宅ケアを自分に受けさせなかったことは、ADA202条に違反するというものであった。X2は、X1の訴訟に参加し、同様の主張を行った。これに対し、Yは、財源がないためにX1らを当該病院に入院させたままにしていたのであって、X1らをその障害を理由として差別したのではないと主張した。
ジョージア州北部地区連邦地方裁判所アトランタ支部は、「不必要な施設入所により障害者を隔離することは、それ自体、ADAに基づく差別にあたり、当該隔離は、財源が不足するからといって、正当化されることはなく」、また、障害者を「隔離する方法で(In a segregated manner)サービスを行うほうが、行政上又は財政上にも簡便であるという事実があるとしても」、こういった扱いにより、YがADAを遵守しなくともよいことにはならないと述べた。これを不服としてYが上訴したが、第11巡回区控訴裁判所は、X1らを隔離された環境で不必要に入所させることにより差別してきた、という地裁の判断を是認した。Yが上記判断を不服として上訴したものが本件である。
【主文】
一部棄却、一部破棄差戻し。
【判旨】
不当な隔離(unjustIfIed IsolatIon)は、障害に基づく差別と考えられるのであり、州は、さまざまな精神障害をもつ者にケアをなすために施設を維持しなければならず、さらに、公平にサービスを行わなければならない。なぜ施設入所が差別となるかについては、連邦最高裁は、次の2つを理由として挙げている。すなわち、1つ目として、施設入所は、その人が社会生活(communIty lIfe)に参加することができない、又は参加するに値しないという誤った前提(unwarranted assumptIons)を永続させてしまうこと、2つ目として、施設入所は、家族との関係、社会との接触、職業選択を含む、個人の日常の諸活動を著しく減退させること、である。こういった理由を踏まえた上で、必要な医療サービスを受ける際に、精神障害者は、障害があるために社会生活への参加をあきらめなければならないのに、健常者は、上記のような犠牲を払うことなく当該サービスを受けることができる。加えて、本件の場合には、Yの治療専門家が、X1らには在宅ケアが適切であると決定しており、これに対して、X1らは反対していないと判断している。連邦最高裁は、Yが主張した費用についての抗弁を巡回区の判断よりも緩やかに解して、結論として、「在宅ケアか適切であるとYの治療専門家が決定し、施設ケアからより制限の少ない環境に移すことに対象者が反対せず(the affected persons do not oppose)、並びに州が利用することができる財源(the resources avaIlable to the State)及び他の精神障害者のニーズを考慮した上で 、在宅ケアが合理的になされうる場合には、Yは在宅ケアを行わなければならない」と述べた。ただし、在宅ケアにかかる費用が施設入所に要する費用と比べてあまりに高かったり、同様の状況にある他の障害者との公正さを欠いたりするときには、当該入所もADA違反とはならないとした。
【判決のポイント】
<1> 必要のない施設入所はADAが禁止する差別となる。
<2> 費用がかかるというだけで、在宅ケアではなく、施設入所を公的機関が行った場合には、差別となる。
<3> 施設入所の費用と在宅ケアの費用とを比べて、後者の費用があまりに高い場合などでは差別とならない。
(T.N.)
(判例30)プロゴルフツアーにおけるカートの使用がプロゴルフ競技の基本的性質を変えないとされた事例
PGA Tour, Inc. v. MartIn, 532 U.S. 661 (2001年) 連邦最高裁判所(Supreme Court of the UnIted States) No. 00-24
【事実の概要】
X(被控訴人)は、幼い頃からゴルフの才能に恵まれており、ジュニアや大学の大会で活躍してきた。Xは、Y(控訴人)が主催するプロのゴルフツアーに参加するため、Yの養成所(Q-School)に入校した。養成所には、3つの段階があり、第1段階では千人を超える参加者がいるが、第2段階まで進めるのはそのうち半分であり、第三段階へすすめるのは約168名にすぎなかった。Xは、生まれつき、クリッペルトレノーネウェバー症候群(脚の血行障害)に罹患しており、大学時代後半から18ホール歩くこと(だけでなく、歩行が痛み、疲労、不安、出血のおそれ、凝血塊の悪化、脛骨骨折の可能性を導く)が困難であり、大学の大会では競技中のカートの使用を認められていた。また、養成所の第1段階、第2段階のレベルでは、カートの使用を認められていた。しかし、Yが定めるルールが、第3段階またはツアー競技中は歩くことを求めており、カートの使用を申し出たが、拒否されたため、ADA第III編の公共サービスの利用における差別であるとして提訴した。連邦地方裁判所および第9巡回区控訴裁判所は、2つの点について判断した。一方は、YのツアーにADA第III編が禁止する公に供される施設やサービスの利用に対する差別に該当するか否かであり、他方は、カートの使用がプロゴルフツアーの基本的性質を変えることとなるか否かであった。Yがプライベートクラブであり第III編の適用対象外であり、また観客のいる場所はそうであるが、ゴルフをプレーしているコースは、第III編が適用される場所ではないと主張したのに対し、連邦地方裁判所は、第III編の適用は飛び地的になされるべきではないとして退けた。また、歩くことが競技に与える影響については、通常それほど重大なものではなく、またXは、カートを使用したとしても18ホールをラウンドするには1マイル以上歩かなくてはならず、その疲労は、健常者が18ホール分のコースを歩くことより、否定できないほど大きいと判断し、カートの使用がYの競技の性質を変えるものではないとした。第9巡回区控訴裁判所は、ロープの向こうには一般の個人が入れないことからゴルフコースの中は第III編の適用が除外されるとしたが、名門私立大学の例を出し、施設の利用者が選ばれた人たちであることが、彼らが利用する施設が公に供されているものでないとすることができないとして退けた。また、カートの使用に関しては、地方裁判所と同様に競技の基本的性質を変更するものでないとした。
【主文】
控訴棄却
【判旨】
連邦最高裁は、まずXがADA第III編の適用対象となるか否かについて判断した。第III編が、「いかなる個人も、公に供される施設の場を所有し、賃貸借し、運営する個人によって、(略)特権(prIvIleges)(略)の平等な享受に関して、障害を理由として差別してはならない(42 U.S.C. s.s. 12182(a))」としていることに基づき、Yは、養成所やツアーをおこなうためゴルフコースを賃貸借し、運営する立場にあるとした。さらに、Xは、Yがゴルフコースにおいて提供する特権、いいかえれば養成所に入るゴルファーが、養成のために3000ドルを支払い、競争するという特権を有するとした。これらが上記の規定に該当し、Xが第III編の適用対象となるとみることができるとした。つぎに連邦最高裁は、プロゴルフトーナメントにおいてカートの使用を認めることが、その大会の「性質を根本(基本)的に変えてしまう」ことになるかについて検討した。そして、競技の中立性の観点からすれば、結果に影響を与える特別措置は、もっとも高いレベルのスポーツ競技大会の性質を根本的に変えることになってしまう可能性があるが、ADA第III編の合理的修正条項は、プロスポーツの競技大会について適用除外を認めておらず、また大会の目的に影響を与えることなく、18ホールの歩行を求めるという重要でない大会ルールに例外を与えるような修正は、大会の性質を根本的に変えてしまうものとはいえないとした。
【判決のポイント】
<1> プロゴルフが主催するプロゴルファーの養成およびツアーに参加するゴルファーが、障害ゆえに競技中にカートの使用を認められないことについて、ADA第III編に基づく差別となりうるとした。
<2> プロゴルファーの競技中にカートを使用することは、プロゴルフツアーというイベントの性質を根本的に変更するものではないとした。
<3> Xの障害に対し便宜的措置を講ずるか否かを決定する上で彼の個人的な状況を考慮しないことは、個人的な検討をおこなうことを求めるADAの目的と異なるものになるとした。
<4> Xがその障害ゆえに、健常者である他の競技者に比較してより疲労の度合いが大きいことに耐えているとした連邦地方裁判所の判断を追認した。
<5> 重要でない大会ルールの適用除外は、大会ルールの目的を損なわないのであれば、スポーツ競技の性質を根本的に変更するものではないとした。
(J.N)