伝統的にフランスにおける障害児教育は、福祉分野の事項として位置づけられてきた経緯がある(医学的研究と治療教育を行う施設として)。したがって、「統合」あるいは「インクルーシブ」といったときのイメージは、日本でのそれとはかなり異なるものであった。
まずは、国民教育省(日本の文部科学省に相当)管轄の学校教育体系の中に障害児教育が位置づくというだけで「統合」という表現は可能だった。つまり、日本の感覚からすると「分離」されていると映る場合でも、制度的には「統合」と表現される場合も、かつてはあった。1991年には、通常の学校内に障害児「専用」の学級を設けることで「統合」を推進する政策が決定されたことを、このような「伝統的」発想から眺めることもできる。しかし、これは現象としては「分離」である。このような流れのなかで、フランスは2005年の法律によってインクルージョンに舵を切ったのだが、この障害児「専用」の学級は否定されることなく存続している。では、2005年法の意義はどこに見出せばよいのか。
フランスの児童生徒数は、全体で、初等教育段階が約666万人、中等教育段階が約537万人であり、18万7,000人の障害児が通常の学校環境において教育を受けている(2009年度。初等教育段階で約12万人、中等教育段階は約6万7,000人)。また、約7万5,000人の障害児は、国民教育省の管轄ではない医療・教育施設等に在籍している。
フランスにおいて「通常の学校環境」といった場合、日本でいう特別支援学級での在籍をも含んだ表現となっている。したがって、初等教育段階には約12万人の障害児が在籍しているが、その約3分の1(約4万1,000人)は、障害児「専用」の学級「学校教育統合クラス」(classe d’intégration scolaire:CLIS、以下CLISという。)に在籍している。このCLISは、1991年に設置が決まったもので、それまで通常の教育とは区別されてきた障害児教育を通常の学校に統合していくためのものであり、初等教育段階での呼び名である。中等教育においては「統合教育授業」(unité pédagogiques d’intégration:UPI、以下UPIという。)というほぼ同様の趣旨の制度がある。
このCLISは障害別に、知的障害、聴覚障害、視覚障害及び運動障害の4種類に分けられている(なお、CLISには自閉症児の受け入れに該当するものがないことから、彼らは普通学級で過ごす場合が多く、教員の対応のあり方が課題となっている。)。しかし、この学級に在籍していても、生徒個人の就学計画に基づき、普通学級との間を行き来する生徒もいる。
また、普通学級に在籍している障害児は約7万9,000人であるが、彼ら全てが一週間の毎日をそこで過ごすのではなく、そのうちの約22%(約1万7,000人)は、医療機関その他の施設にも定期的に通っている(そのうち1割強の生徒は、週のうち半日ないしは1日のみ普通学級に通うという形態を取っている。)。
中等教育段階においても状況は初等教育段階とほぼ同様である。およそ6万7,000人の障害児が教育を受けているが、普通学級には約5万人、UPIには約1万7,000人の在籍となっている。ただし、UPIは正確には「学級」ではなく、普通学級とは異なる教室と時間で授業をする形態である。
このように、フランスにおける障害児の普通学校での就学には、大きく2つの形態がある。一つは、個人として普通学級で教育を受ける形と、生徒の健康状況等と普通学級での就学希望とが両立し得ない場合にCLIS(その後はUPI )という集団として普通学校に統合される形とである。なお、年齢が上がるにつれてCLISの在籍者は多くなっている。
ところで、CLISの正式名称は、先に書いたように、その設置当初は、classe d’intégration scolaireというようにintégration(統合)という用語が使われていた。しかし、2005年法以後においては、政府報告書などで、classe pour l’inclusion scolaire(インクルージョン教育のための学級)というようにinclusion(インクルージョン)という用語が使われている(UPIの措置についても2010年6月の通達により、unités localisées pour l’inclusion scolaire(略称:Ulis)という名称となり、やはりinclusion の語が使用されるようになった。)。制度的位置づけにおいて、その意義が「統合」から「インクルーシブ」へと変わったといえるであろう。この点は、これから読み解いていく2005年法の意義と関連してくる。
フランスでは、2005年2月11日付法律(Loi no.2005-102 du 11 février 2005 pour l’égalité des droits et des chances, la participation et la citoyenneté des personnes handicapées)「障害者の権利及び機会の平等並びに参加及び市民権のための法律」により、障害児教育制度が「原則統合」(学籍一元化)に向けて動き出すことになった。具体的には、障害の有無に関わらず、自宅に最も近い普通学校に学籍登録される制度の開始である。例えば、教育法典のArticle L112-2 は、次のように全面書き換えがなされた。
旧規定 | 「障害児の統合教育(intégration scolaire)は促進される。教育機関及び治療・保健機関は、これに協力する。」 |
新規定 | 「よりふさわしい教育を保障するために、障害のある子ども、青少年、成人は、その能力、ニーズ、取られている措置についての評価を受ける権利がある。(中略)その評価の結果に応じて、各人に、そして家族に、通常の学校環境における教育を促進しながら、個別就学計画が提供される。」(下線は筆者による。) |
つまり、障害児が教育を受ける場所は、基本的には「通常の学校環境」となったわけである。しかし、障害はその種類と程度によって様々な対応が必要とされるはずである。その点への配慮はどうなっているのか。2005年の改革によって、具体的にどのような変革が行われることになったのか。それは教育のあり方自体をどのような変えることになるのか。
この法律の趣旨は、2005年4月15日付通達(no.2005-067、「05年度新学年の準備」)と同年8月19日付通達(no.2005-129、「障害児の学校教育」)により明示されている。それらをまとめると以下のようになる。
[1] この法律は、障害のある子ども・青少年に対して公教育へのアクセスが権利であることを確認し、全ての生徒の教育水準の向上には、そのニーズに合った対応を受けられないことで学業成功に至ることができない生徒に特別な注意を払うことが必要であるとした。
[2] 通常の学校環境において教育を受けている生徒のより良い援助、生徒の学業遂行における流動性の確保が目的である。
[3] 子どもの就学問題についての親の要求に応えることが不可欠であり、地域の学校への障害児の就学は権利であることを明確にした。障害のある生徒の学校教育は、保障されるべき特別な課題を示すもののようにみなすことはできない。その援助は、教育チーム(=学校全体)に帰されるものである。
[4] 中等教育において学業が続けられるように、また、社会的及びその習得した技能に見合った職業的統合を促進するように、病気及び障害のある生徒が教育を受けている学校の能力を向上させることが重要である。
[5] 市民教育の充実も強調されねばならず、その一つの方法として、障害者を尊重し、彼らの社会への統合を促進するために、学校は、障害者施設と連携して交流していかなければならない。
ここでもっとも重要な点は、居住地に近い普通学校への就学を権利としたこと、保護者の要求を第一としたこと、そして、受け入れのための態勢整備について学校側の責任を確認したことであろう。これは、分離を前提とした交流や復籍(特別支援学校の生徒が普通学校に副次的に籍を置く。)の試み、就学先の決定について保護者の意見を聞くとした政令改正等の日本の動向と似ているようで、決定的に異なる点である。また態勢整備については、日本でよく聞かれる「障害児受け入れの理念は理解するが、施設設備や人的配置の条件が整わず、その点が解決できないかぎりインクルージョンはできないし、受け入れればかえって障害児への教育保障が難しくなる」といった発想は2005年法の下では「差別」となる。権利である限り通常の学校環境での学習が大前提であり、「条件が整わない」ことを問題にするのではなく、「どう整えるか」を問題にしなくてはならないのである。
なお、[2]にある「流動性」とは、2005年法が「個人」に着目し、その特性の一つとして「障害」を捉えようとしたことと関連している。後述するように、個別の就学計画の策定が2005年法による重要な施策の一つなのであるが、生徒個人の必要に応じて、仮にCLISに在籍していたとしても、普通学級との間を頻繁に行き来することも可能であり、医療機関に定期的に通っていたとしても、その状況は常に評価され、その生徒の状態に合わせて、就学形態が見直されることが容易になったのである。このように学習の保障においていろいろと動くことが予定されているのである。しかし、学籍は、あくまでも自宅からもっとも近い普通学校にあることはいうまでもない。
ここで、2005年法全体の理念を確認しておきたい。この法律は教育分野のことだけを定めたものではなく、障害者の生活全体を「非排除non-discrimination」の視点から捉え、市民としての「共通の権利へのアクセスaccès au droit commun」とその「アクセスの平等 égalité d’ accès」を問題としている。一言で表せば、「全ての者に全てへのアクセスを」ということになる。そして、法律の名称自体にその理念が書き込まれている(pour l’égalité des droits et des chances, la participation et la citoyenneté des personnes handicapées)。つまり、平等(égalité)、参加(participation)、市民性(citoyenneté)がそれである。
「平等」の原則とは、単純に各人に同じずつ配分するということではなく、不足している人を支援するという意味であり、公平性や社会的正義の概念として、言わば「補償(compensation)」の発想である。
「参加」は、フランス共和国が人々の合意によって成り立つ政治的共同体である限り、極めて重要な原理といえる。共和国としての原理とこの2005年法の考え方の結び付きについての考察は後述するが、ここでは、参加のための「アクセシビリティ(accessibilité)」の具体的方策が重要な課題とされる。
「市民性」も共和国を支える重要な概念であるが、2005年法においては、出生から死までの人生全体の視点から障害児・者への施策を捉えていこうとする概念である。したがって、soins(看護)・école(学校)・formation(職業訓練)・emploi(雇用)・logement(住居)・cité(街)といったように内容は広範囲にわたっており、就学・生活・仕事を一連の流れの中で把握し、そのために施策を具体化しようとしている。つまり、各人の生涯を支援するという考え方を基本に、教育・地域社会での生活・雇用を連動させようとしているわけである。このことは、成人を対象に障害を認定し、職業指導についても権限を有する「職業指導・職業再配置専門委員会(COTOREP)」と未成年者を対象とした「県特殊教育委員会(CDES)」とが2005年法によって統合され、県障害者会館(MDPH)内の「障害者権利自立委員会(CDAPH)」に一本化されたことにも現れている。
そしてこれら3つの理念を貫くものとして、「連帯(solidarité)」の観念がある。これは、この法律が社会的排除への闘いとして位置づいていることをよく表している。1970年代後半から欧米各国で若者の失業が社会問題化していく中、フランスでは移民問題も含めて都市郊外の政治・経済・文化面での社会的な断絶が問題となっていった。この点は、経済的貧困として問題化されることが多いが、むしろ、ここでの問題関心としては、社会関係の欠如という現実であった。これは、個人の能力開発への着目ではなく、排除の要因を社会構造の中に見出そうとするアプローチを用意した。つまり、平等や権利という概念を関係性(問題を生み出す過程)の問題として把握しようとする視点である。それゆえに、インクルージョンが重要な発想となっていくのである。
上記のような趣旨・理念に基づき、具体的には以下のような改革が行われることになった。
[1] 生徒の就学は、その居住地に最も近い学校(公立又は契約私立)とし、その学校を「連絡担当校établissement scolaire de référence」とする。「連絡担当教員enseignant référence」も新設され、一定の範囲の学校を担当し、県障害者会館(maison départementale des personnes handicapées)と協力して、情報提供や啓発活動などを行う。
[2] 従来の県特殊教育委員会(行政側主導)を廃止し、「障害者権利自立委員会commission des droits et de l’autonomie des personnes handicapées」(労働組合や障害者団体代表を含む)を新設する。
[3] 保護者からの要求により「個別就学計画projet personnalisé de scolarisation」が策定される。これは、保護者の意見表明を保障した上で「関連分野専門家チームéquipe pluridisciplinaire」が作成し、障害者権利自立委員会が就学先を決定する。なお、学校側から就学途中に保護者に対してこの個別就学計画の策定を提案できる。しかし、学校側に決定権はない。
[4] 障害者権利自立委員会の決定を点検するために「就学事後点検チームéquipe de suivi de la scolarisation」を新設する。これは、生徒、保護者、担任教員などを構成員とし、連絡担当教員が招集する。年一回以上、個別就学計画の実施状況を点検する。結果は、関連分野専門家チーム及び障害者権利自立委員会に報告され、必要があれば、進路などを修正する。
[5] 学校全体の力を向上させるために、教員が障害児の受け入れ及び教育に関わる特別な教育を受けられるよう教員養成・研修の見直しをする。
[6] 仮に現在は障害児の受け入れが困難な学校も、10年以内に(2015年までに)受け入れ態勢を整えなければならない(改善は、市と学校の責任)。
[7] 学校生活補助員(auxiliaires de vie scolaire:AVS、教員の資格は有していない)の職が創設され、学校内での介助にあたる。
[8] 合理的配慮を欠いた(=権利を否定した)状態を差別とみなす。
繰り返しになるが、2005年法は、保護者の決定権を第一として、障害児が自宅から最も近い普通学校で教育を受けることを大原則とした。しかし、その学校では子どもが必要とする措置が取り得ない場合もありうる。もちろん、その障害の特性を理由に就学を拒否すれば差別になるが、例えば、建築構造上、スロープの設置が不可能であるなどの問題がある場合には、その学校以外の学校に就学することになる。この場合にも、保護者の同意が必ず必要であり、また、その同意がなければこの措置は成立しない。と同時に、保健・医療関係の施設の恩恵も受けられるような権利も保障している。ただし、繰り返しになるが、あくまでも学籍は普通学校にある。
ここで就学についてのこれまでの改革をまとめておく。
まず、障害の有無にかかわらず、全ての子どもは自宅から最も近い普通学校に登録される。保護者が他の機関を選ばない限り、この学校に通うことになる。学校側は、子どもの障害を理由にその就学を拒否することはできない(もし障害児の受け入れに拒否的態度が見られれば、国民教育省から学校に対して受け入れるよう勧告が出される。)。
特別なニーズの把握は、県障害者会館(MDPH)を通して行なわれる。保護者は子どもの障害の状況によってその就学に何らかの困難が予想されると思ったならば、この会館に行き、相談することになる。言い方を変えれば、障害児であることの認定はMDPHが行なうのであり、保護者がMDPHに行くことにより行政的手続きが開始され、合理的配慮についてもMDPHを通して考えていくことになる。逆に、ここを通さなければ、学校での配慮はないということになる(合理的配慮に必要な財源は国の予算となる。)。
個々の子どもへの具体的対応のあり方については、MDPH内の障害者権利自立委員会(CDAPH)が策定する。この委員会は、親の会代表、国民教育省代表、厚生省代表、教員代表、医師、心理学者、必要があれば、理学療法士などによって構成される。なお、障害が認定されると、生活全般にわたって補償個別計画が作成されるため、幼児の頃から認定を受けている場合、義務教育就学に当たっての個別就学計画は全体的な計画の一部ということになる。
より厳密にいえば、このような個別計画はCDAPHに配置された関連分野専門家チーム(EP)によって作成される。このチームは、医師、作業療法士、精神科医、学校教育や社会労働の専門家及び教員などによって構成される。結果は学校に伝えられ、実践される。
この個別就学計画は、それを実践する学校が作成するのではなく、子どもの状況をより客観的に把握するために学校外で作られるところに特徴がある。それが子どもの最善の利益につながると考えられている。そして、この計画は固定化されることはなく、常に、就学事後点検チーム(ESS)によって点検され、その適切さについて年に1回以上の会議が開かれることになっている。この点検チームは、保護者を含む日々子どもの教育に関わっている者(教員・生徒等)によって構成される。点検結果は、EPやCDAPHに報告され、必要があれば、EPによって計画が練り直され、CDAPHで協議され、各学校に伝えられることになる。
このようなサイクルには多くの人が関わることになるが、全ての最終的な決定権は保護者にある。そして、この仕組みの中で調整役を担うのが連絡担当教員である。この教員はCDAPHにも参加しているが、あくまでもこのサイクルの中を動き回り(それゆえに通称「巡回教員」と呼ばれることもある。)、保護者や各機関の連絡・調整をし、障害児の就学についての窓口的役割を果たす存在であり、何かを決定する権限を有しているわけではない。
なお、普通学校での就学に向けた対策として、「生活の場における特殊教育及び看護サービス」(service d’ éducation spécialisée et de soin à domicile:SESSADE)という機関が設置され、学校での受け入れを容易にするための支援や医学的な診断などを行う。対象年齢は0から20歳で、障害別また年齢によって幾つかの分野に分かれて支援活動をしている。
先に述べたように、普通学校の中にある障害児のための学級(CLIS)は障害別に、知的障害、聴覚障害、視覚障害及び運動障害の4種類に分けられて編制されている。現地調査での聞き取りによれば、視覚障害の場合、コミュニケーション手段として点字を覚えることはとても大切なことであるため、小学校の低学年においては点字を集中的に学ぶためにCLISで多くの時間を過ごすことになるのが現実のようである(もちろん、そうせよと制度化されているというわけではない。)。
高校(リセ)においては、通常の学校環境において「統合教育措置(Dispositif Pédagogique d’Intégration)」が2009年度より実験的に実施されている。その目的は、障害児が社会的な規律を身につけること、自立性を獲得すること、そして、彼らに職業教育に必要な基礎的学習を保証することである。現地において実際に見学した授業では、企業での面接場面のロールプレイを実施しており、態度や発言についての社会的な「訓練」が行なわれていた。また、自らの障害について語ること(障害自認)が教育指導に取り入れられていた。これらの実践の意図は、どこにあるのか。担当の教員によれば次のようになる。
フランス社会にはまだ障害に対する差別があるのは事実である。彼らがこの社会の中で生きていくためには、自分のことを理解してもらう必要がある。そうしなければ生きていけない。いかに他者とつながりをつけていくか、そのために自らの障害をアピールすることも必要なのだ。
しかし、これでは、相互の理解が必要であるはずなのに、障害のある子どもの方に一方的に課題が担わされているように見える。確かにその通りであるが、むしろ、このような現実的で楽観的でない社会への評価があるからこそ、学ぶ場所が分離されてしまうことは避けなければならない、ということになったのである。育っていく過程において共に過ごすことで、お互いの理解が促進される。それがフランス社会の基盤になっていく。インクルーシブ教育は、フランスという社会のあり方と深く関わった理念なのであり、それを支える制度として位置づけられるものなのである。2005年法が障害者の生活全体を問題としていることの理由もここに求めることができよう。あるいは、社会のあり方を追求していった必然の帰結としてインクルーシブ教育に着地したとも言えよう。この点は、後述する。
普通学校に学籍登録をされるが、このことは、その学校にそのまま通うこととイコールではない。医療的な必要から学校の外部との連携が欠かせない子どももいるし、実態として、全日を普通学校以外の施設で過ごす場合もある。
例えば、厚生省系の医療教育機関としてIME(institut médico-éducatif:医療教育機関)がある。ここでは比較的重度といわれる障害児が日常生活を行えるような指導が行われている。設立や運営に関しては、障害のある子どもをもつ「親の会」が基盤となっている。また、職業教育は基本的には行われていないので、ここでの教育(あるいは訓練)の後に、職業教育を実施している機関に行くこともあれば、障害者を積極的に受け入れている企業に入っていく場合もある。いずれにせよ、学籍のある普通学校に「戻っていく」ことは稀である。
2005年法は、ICF(国際生活機能分類)を採用した上で、社会参加への環境要因に着目して障害を次のように定義した。
「この法律で障害とは、身体的、感覚的、精神的、認知的あるいは心理的機能、また、重複障害あるいは生活に支障をきたす(invalidant)健康上の問題の一つあるいは複数の、相当程度の、そして、永続的あるいは決定的な悪化(altération)を理由とした活動についての全ての制限(limitation)、すなわち、個人がその環境において被る社会生活への参加の制約(restriction)をいう。」
このような「環境」への着目は、「障害児」の呼称にも反映され、それまでのenfant handicapé ではなくenfant en situation de handicap(不利な状況にある子ども)と表現されることが多くなってきたことにも現れている(フランス語でのhandicapという表現は、「障害」というよりも「弱い」「不利な」といったニュアンスがある。)。
また、障害を理由とする差別の禁止については、1990年に「障害及び健康状態を理由とする差別を禁止する法律」が制定され(1990年7月12日の法律)、刑法典(Art.255-1)に次のように定められた。
「出自、性別、家族状況、妊娠、身体的外観、姓、健康状態、障害、遺伝的特徴、習慣、性的指向、年齢、政治的信条、組合活動、特定の民族・国家・人種・宗教への実際のまたは想定上の帰属または非帰属を理由に、自然人の間で行なわれる区別は全て差別にあたる。」
さらに、2008年5月27日(法律2008-496号)の法律では、差別が次のように定義(直接差別と間接差別)されている。
[直接差別]
特定の民族もしくは人種への実際のあるいは想定上の帰属あるいは非帰属、宗教、信条、年齢、障害、性的傾向又は性別に基づいて受ける比肩しうる状況の他者よりも不利な処遇。
[間接差別]
見かけは中立的な規定、基準または慣行が、特定の者に他の者よりも特別に不利益をもたらす可能性がある場合、この規定等が正当な目的によって客観的に正当化され、かつ、この目的に達する方法が必要かつ適切である場合を除き、間接的差別に該当する。
これらの定義によれば、障害によって学校への「アクセス」に制限・制約がある場合、それは「差別」となる。2005年法の理念に従えば、ここでのアクセスは、通常の学校環境で学習する権利に関するアクセスの保障のことである。医学的な個人の問題としてではなく、社会的な「制限」「制約」として「障害」を捉えることで、「差別」が定義できたのである。これは、2005年法の意義の一つといえよう。
フランスでは、上述のように1990年に障害を理由とする差別の禁止原則が導入された。それまで、性別、宗教、人種等を理由とする差別に限って認められていた刑事制裁を、障害及び健康状態を理由とする差別にも広げ、また、労働法典も修正することで、障害及び健康状態を理由とする解雇や懲戒解雇等を無効とした。
しかし、差別禁止の法律はあっても刑法典を根拠としているために、差別を受けたとする被害者が訴えようとする場合、刑事告訴という形になってしまう。これはどういうことかといえば、まずは無罪推定から出発することになり、また、差別の立証責任も検事の側にあるため、実際的な救済手段として利用するには、「差別」という「関係性」を争うには適切とは言えない側面があると言わざるを得ない。特に、教育分野に関しては、雇用関係等の事例よりも一層、「差別」を証明することは難しい。
このような問題は、次に紹介するHALDEの創設によって、解決することになる。
障害児の就学に関して日本とフランスとを比較した場合、最も大きな違いとしてあげられる点は、おそらく保護者の位置づけではないか。つまり、フランスでは、その子どもの就学について保護者が最終的な決定権を有しているのである。また、子どもの学校教育についての様々な配慮事項の決定について、必ずその保護者が、教員や医師とともにその議論に参加している。
できる限り通常の学校環境での教育が優先されるわけであるが、それでも、保護者の意向と行政側あるいは専門家チームの意向とが食い違うこともある。そして、実際に保護者にとっては「差別的」であると受け取れる決定がなされることもある。
その場合の差別事例の検討は、2004年に創設されたHALDE(Haute Autorité de Lutte contre les Discrimination et pour l’Egalité:差別禁止平等推進高等機関)という機関が行う。これは、97年の国連人権委員会勧告と2000年6月の人種差別禁止についてのEU指令に応えるものであり、法律(刑法典)で禁止された理由に基づく差別的扱い(雇用、住宅、財やサービス、教育へのアクセスの禁止または制限)を調査し、その具体的な問題を明らかにした上で和解に向けた調停や告訴をし、また、法律の改正も含む勧告を発することもできる独立行政機関である。大統領の指名による2人の評議員等計11人のメンバーからなる。
誰でもHALDEに申し立て(電話でも可)が可能である。申し立て件数は、年間でおよそ8,000件(その内約20%は健康や障害を理由とする差別に関するもの)に及び、電話での問い合わせも加えれば、2万件を超える。最も多い申し立ては出自を理由とした差別であり、次いで健康状態・障害が多くなっている。分野としては、雇用に関するものがほぼ半数である。
しかし、通常、差別を受けたとする側がその事実を立証していくことは困難と考えられる。そこでHALDEには、差別被害者だけでは入手困難な文書や証拠を学校等に要求する権限(証人から事情を聴取することも可)が与えられている。このように、かなり強い権限をもった救済機関の存在は、インクルージョンを推進し、社会的排除や差別を克服するためには欠かせない(なお、HALDEの概略は『ジュリスト』No.1369、2008年12月15日、有斐閣、96頁に紹介されている。)。
障害児の「アクセス」の確保のためには、現実問題として様々な配慮が不可欠となるが、この点についての財政的保証として、2005年法が「国は通常の学校にいる障害のある子ども、青少年及び成人の教育に必要な財政的、人的手段を講ずる」と規定していることが根拠となる。自宅から最も近い普通学校への障害児の入学は「権利」であり、彼らへの援助は学校全体に帰されるものであるとする法の趣旨は、障害児が学び続けていけるように学校を変えていくことを約束するものである。それが予算としても反映されており、障害に対応する機器の購入等はもちろんのこと、人的な措置もなされる。具体的には、インクルーシブ教育を推進していくために、学校生活補助員(AVS)による学校内での介助が制度化されている。
HALDEで審議された幾つかの事例をみれば、合理的配慮の下で、普通学校での学習を保障することがいかに重要視されているかがわかる。
例えば、自閉症児の普通学級への受け入れ拒否に関する審議では、まず、このような拒否自体が障害を理由とした差別であると断じており、障害児が過ごすための環境を整えることを強調し、また、教員を初め学校関係者全体に対して障害児受け入れについて関心を高めるよう勧告もしている(ここには研修の充実も含まれる。)。このような受け入れは、私立学校でも推進されなければならず、HALDEは、国民教育省に対して、私立学校の校長へ2005年法による障害児の受け入れ義務に関し注意を促すよう勧告している。
条件が整わないから障害児を学校に受け入れることはできない、という理由は「理由にならない」のであり、もし、学校側が受け入れ困難を言うことがあれば、その状況は厳しくチェックされることになる。すぐに対応することが難しい場合もあるが、先述のように原則的には2015年までの内には必ず何らかの配慮がなされなければならないとされている。なお、実際に物理的な困難が示されることもある。その場合には、他の学校に通うことになるが、その際の交通費は公費で補助される。
インクルーシブな学校環境の実現には、障害児に対する教員の姿勢が鍵となる。特に、生徒の「能力」をどのように判断するかという点は、具体的な「障害」を前にして、多くの教員を悩ませるであろう。ここでのポイントは、その能力に対する判断基準の方法の問題ではなく、判断すること自体の権限が学校にあるのかどうか、という点である。HALDEに申し立てのあった事例の中で、この点を端的に指摘したものがある。障害者として認定を受けた者が、現在のものよりも高い職業資格(旅行業関係)を取得するための課程履修を希望したが、学校側は本人が長時間の直立姿勢が困難というその障害を理由に受け入れを拒否したのである。学校としては、課程履修上の問題だけではなく、職業に就いた時にも多くの移動や直立姿勢が求められるのだから、実質的に職業の遂行は難しいと考えられる、と考えたわけである。結論としてHALDEは、この件を差別であるとした。なぜなら、学校側には個人の能力(適・不適)について推定・判断する権限を有していないからであった。学校側が言うような雇用へのアクセスは、雇用者側の責任の問題であり、学校側の判断基準として、しかも、推測で、採用すべきものではないとしたわけである。
要するに、障害児・者の学校への受け入れ原則を徹底させるとともに、その障害の特徴を根拠とした生徒に対する能力判断は差別となることが明らかにされたのである。ただし、特に職業教育においては、学校教育と実際の就職とを切り離して考えることは現実的ではない。特に、2005年法が障害者の人生・生活を全体として問題とし、その中での権利の保障を掲げている限り、むしろ、学校と企業との連携が必要になるであろうし、企業側には障害に対する合理的配慮義務が課されていることをより明確化していく施策が必要になってくるであろう。
パリにおいて小・中・高校を訪問し障害児教育について授業見学及び教員にインタビューを行なった結果、2005年法に基づく制度改革の下での教育実践において、極めて重要な変化が起きているとの指摘を受けた。それらをまとめると以下のようになる。
[1] 学力向上という効果・・・障害児が普通学級で学習していることによって子どもたち全体の学力向上という点で効果が見られる。障害児が入ることによって、教員にはより個別化した指導が求められ、より丁寧な教授法によって授業が進行し、子どもたち全体の学習成果も上がってきた。もちろん、障害児の言語的能力にも効果が確認できた。
[2] 相互の学び合い・・・このような学習環境のなかから、相互に学び合う姿勢が育ってきている。健常児と障害児との相互理解が進んでいる。障害児が単に普通学級にいるだけでは意味がなく、子どもたちの間での相互作用が起きなければならない。知育に限ったとしても、知識レベルでの交流が起きなければインクルージョンとは言えない。障害児「専用」の学級にいるだけでは人間関係が限定され、社会的連帯は実現しない。
[3] 個人差への着目・・・障害を個人の能力の違いとして捉える傾向が学校現場に見られるようになった。2005年法では「個別就学計画(PPS)」の作成が求められているように、言わば、医学的見地を基礎とした一般的・平均的子ども像ではなく、具体的な子ども個人に対する理解を実践の基礎に据えることになった。
[4] 学習体系の見直し・・・このような「個人」への着目から、カリキュラム論にも変化が見られる。これまでは、子どもの状態から出発して組み立てられたカリキュラムではなく、学校側が作成したものであった。それは抽象的な子ども像を元にしている。例えば、「この子のレベルは小学校2年生程度である。」といった認識は、発達の経路をその子どもに即する形ではなく一律に規定していく指導論を意味しており、インクルージョンという観点からは適切ではない。
特に「学力」に関する指摘は、普通学級への障害児の統合を学力向上への障壁とする日本での議論への反証となる。しかも、いわゆる点数学力についてばかりではなく、子どもたち相互の人間関係の形成は、正に市民として民主主義社会を支える基礎となる。その理念において2005年法は人々の「連帯」を重視しているのであり、インクルーシブな学校環境はこの点で大きな意味をもってくる。相互理解の促進こそ、この法律の意義ある効果と言えるのではないか。
2005年法の制度的問題点などは、少なくとも合理的配慮を2015年までには一定程度完成させるということになっているため、その状況を見てからということになるが、現時点において、具体的な教室場面に着目すれば、例えば、CLIS等の特別な学級に在籍する障害児の場合にその問題点が指摘できる。
既に述べたように、特別学級にいる子どもたちは、その個別の時間割に従って普通学級との間を移動することになるのだが、その調整の段階での教員への負担が問題となる。つまり、子どもによって普通学級に通う時間帯が異なるということは、普通学級の側から見れば常に構成員が微妙に異なる状況となり、かつ、それぞれの障害児の課題に応じた適切なカリキュラムを組んでおく必要がある。そのためには、CLIS等の担当教員と普通学級担当教員との間でかなり綿密な打ち合わせをしておかなければならない。
この点に関するインタビューによれば、実態としては、障害児担当の教員が普通学級の教員に理解を求める形で話が進んでいくようである。したがって、普通学級のカリキュラムを見ながら教材を障害に応じて工夫し、時間割を合わせていくのは障害児担当の教員であり、その負担はかなり大きいといえる。
例えば、先のHALDEでの審議のように、普通学級に通っていた自閉症児をCLISに移そうとする学校からの主張に対して親が納得せず、救済を求める例が何件か起きている。障害を理由としたこのような学校側の拒否は差別となるとの勧告も出されているのだが、この例に見るように、特に自閉症児の受け入れに対しては、学校現場はかなり困難を感じているようである。しかし、彼らが落ち着くような環境整備、また、補助員をつけることなどを通して対応することで成功している例も多く、やはり、障害児を受け入れる側がそれを普通のこととして意識するかどうかが鍵になってくる。
このような課題の背景には、障害児の受け入れに対する理解がまだ十分に進んでいないことがあげられる。法的には受け入れが原則であっても、そのための人的・物的措置が現段階では十分とはいえないことも事実である。「学校生活補助員」とは別の形での、教員の業務負担を軽減するような支援態勢も必要となるだろう。
ここで、インクルージョンという考え方とフランス社会を支えている「共和国」という考え方との関係についてみておきたい。
フランス「共和国」は、その個人の私的な特性に関わりなく、公的時間空間における市民としての契約に基づいて形成される政治共同体であり、その市民を形成する場が学校なのである。したがって、ある一定の子どもたちを学校から排除していくことは、正に共和国の危機となる。2005年法が「連帯」を重視するのも、このような共和国原理に基づいていると考えられる。「障害」という枠組みで特定の子どもたちをくくり、そのまとまりを基礎にして学校教育を組み立てるという発想が、少なくとも、形式上は人々を分断していくことになる。
さらに、「障害」を医学的な説明による個人の問題としてではなく、社会的諸条件による社会生活への参加の「制約」として捉えた点は、社会はいかにして成り立つのかという原理問題への問い直しにもつながるとともに、具体的な政策の基礎をなす考え方としてきわめて重要である。なぜなら、個人の問題にしてしまったのでは、社会的な連帯、すなわち、共和国の維持・更新を目指す政策として障害児・者をどのように組み込んでいくかが難しくなってしまう。市民としての参加の「制約」として捉えるからこそ、その制約を解消する責任が社会の側に発生し、政策論になっていくのである。2005年法が障害児の普通学校への統合を「権利」として確認し、それを「補償」によって支え、子どもあるいは障害児一般としてではなく、具体的な個人として把握した上で、相互理解に基づいた「連帯」を実現しようとしたことは、「共和国」という政治哲学の維持、すなわち、社会的な排除に抗する教育分野での具体的な政策として位置づけることができるであろう。
2005年法の意義は、具体的な制度改革という点でいえば、障害の有無に関わらずその居住地から最も近い普通学校に学籍登録することを権利として確認したことであろう(=学籍一元化)。そして、就学先決定については、その全ての段階で、保護者との密接な連携を取り、最終的な決定権を保護者に委ねたこと、学校教育の継続の確保を保障しようとしていること、また、ここまでの中では紹介してこなかったが、試験などの際に時間を延長するなどの条件を工夫することで教育の機会均等を確保しようとしていることなどが特徴として挙げられる。
注意点としては、学籍登録することと、その学校に実際に「通う」こととはイコールではないという点である。障害の種類や程度を直接的理由として受け入れを拒否することは差別となるが、現実問題として、医療的なケアが必要な場合(リハビリ等)には、全日を通常学校で過ごすのではなく、医療機関等との連携も考慮される。したがって、2005年法は、以前から存在していた障害児専用の特別学級(CLISやUPI)を否定してはいない。しかしながら、2005年を境に、個別就学計画に基づいて普通学級との間を頻繁に行き来しながら学習する障害児は確実に増え、普通学級で過ごす障害児も増えている。
幾つかの課題はありながらも、2005年法は、障害児・者の市民としての権利を確認し、それをHALDE等の支えを得ながら、政策として実現していった点に大きな意義が認められる。施設設備や人的配置についての問題(特に予算的な)があって、なかなか障害児の受け入れ態勢は整わず、その状態で受け入れれば、かえって障害児への教育保障が難しくなる、といった発想が障害児への権利侵害になり「差別」であること、つまり、何らかの条件が満たされなければ実施できないという考え方こそ差別なのだということを2005年法は明らかにしたのである。インクルーシブ教育の実現を権利問題として、また、政策課題として、条件整備が難しいから実施困難、という発想ではなく、どのように条件を整えるかを問うていこうとする点は、理念として明快であり、おそらく、日本の現状においては衝撃的な性質を持つであろう。2005年法は、イタリアが達成したような意味でインクルーシブ教育を実現したわけではないが、「公正」についての哲学を提示したのではないだろうか。