検討会(第2回)

1.日時:平成23年11月25日(金)10:00~12:00

2.場所:中央合同庁舎4号館 第4特別会議室

3.出席者:
(委員)清家座長、香山委員、関委員、園田委員、森委員
(オブザーバー)笹井文部科学省生涯学習政策局男女共同参画学習課長、武田厚生労働省政策統括官付社会保障担当参事官、小野田国土交通省総合政策局安心生活政策課長補佐
(内閣府)村木政策統括官、内野大臣官房審議官、伊奈川大臣官房審議官、原口高齢社会対策担当参事官、飯島高齢社会対策担当参事官補佐
4.議事:
(1)前回検討会における論点整理について
(2)意見交換

検討会(第2回)議事録

○清家座長 それでは、定刻になりまして先生方もおそろいでございますので、ただいまから「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」の第2回会議を開催させていただきます。

なお、本日は、弘兼委員が御都合により御欠席でございます。

まず、事務局から本日の検討会の配付資料の確認をしていただきます。

○原口参事官 資料1でございますが、前回、当検討会でいただきました委員の御意見を事務局にて整理したものでございます。こちらを基に、本日の検討会で御議論いただきたい点を列挙したものが資料2となります。

参考1~3につきましては、前回の検討会でもお配りしたものでございますが、参考1が高齢社会対策の枠組みについて、参考2が高齢社会の現状についてまとめた資料集、参考3が平成19年の検討会でまとめた報告書、最後の参考4が前回の検討会の議事録となっております。

以上でございます。

○清家座長 それでは、早速議事に入らせていただきます。

今、御説明がございましたが、前回の検討会でいただきました御意見を事務局に整理していただきました資料1を報告していただきたいと思います。それを踏まえて、本日の検討会で御議論いただきたい点を挙げさせていただきたいと思いますので、今日はそれに基づいて議論を進めたいと思います。

早速、事務局から、前回の検討会における各委員からの主な発言内容を資料1に沿って説明していただきます。

○原口参事官 それでは、御説明申し上げます。

まず、超高齢社会における課題と方向性という2つの点から整理させていただいております。「1.取りくむべき課題」ということと、4ページに飛びますが、「2.今後の方向性」の2つに分けて整理してございます。

「1.取りくむべき課題」といたしましては(1)~(5)の5つの柱を立てさせていただいています。順次御説明させていただきます。

まず(1)でございますが、「高齢社会の在り方の変化」ということで、主な御意見といたしましては、園田委員より、人口縮減社会に入って、世帯数の減少、家族の変化、ライフサイクルの変化、テクノロジーの変化による働き方、経済基盤などの生活環境の大きな変化があった。

香山委員からは、働きたい人は働けるが、働きたくない人や働けない人は働かなくても十分に生きている価値を認めてもらえることが重要であり、それぞれの立場で自分は生きているということの尊厳を感じられるような視点が重要であるということでございます。

また、高齢者は個人差が大きいので、年齢で切って、その方に対する福祉だとか社会的な対策を考えるというのは実現が難しいのではないかという御意見がございました。

関委員の方からは、社会が変わったことに対する認識が追い付いていないことが問題であり、意識改革を行っていくべきである。ただ、その意識を支える問題でございますが、だれを支える側ととらえて、だれが支える側ととらえるかによって負担感も全然変わってくるのではないかという御指摘がございました。

最後でございますが、園田委員の方からは、自分で頑張れる人はできるだけ頑張った方がいい。家族、親族が力を合わせて自分の可能性を最後まで追求するという「自己力の拡大」と、特別養護老人ホーム等ございますけれども、「社会の下支え」が必要である。ただ、そこの中間を支えるところが弱く、日常生活圏域の「地域力」や「仲間力」を高めることが重要ではないかという御指摘がございました。

<1>といたしましては、この検討会の検討のきっかけになりましたが、「団塊の世代への期待」というものがございます。

まず、森委員の方からは、団塊の世代はものを言う市民。方向性が示されれば、その方向に対して議論もするが、その方向に向かっていくだけの力があるということでございます。

また、関委員の方からは、団塊の世代に期待したいのは、社会貢献とか心の支え合いにつながる働き方といった、違う働き方、多様な働き方。つまり若いうちは所得のために主に働くとしても、65歳を過ぎたら自己実現だとか、社会のために働くという部分が増えてもいいのではないか。団塊の世代がもっと多様な働き方をしてくれたならば、働き過ぎの若年・中年男性も、余り働かなくても済むという社会になるのではないかという御意見がございました。

御欠席でございましたけれども、弘兼委員の方からは、東日本大震災を契機に“大人の担う役割と責務”を考えさせられた。今、大人が、団塊の世代と読み替えてもいいのかもしれませんが、大人がしなくてはならないことは、日本という社会の親として生きる姿勢を見せるということ。「相互扶助」の精神の強さを次世代に伝える。また、団塊の世代が勇気ある消費をして、経済を活性化させなくては、日本は元気のない国になってしまうということでございます。

<2>でございますが、「年齢による『高齢者』の捉え方の変化について」ということでございまして、園田委員の方からは、わずか半世紀の間に寿命が1.5倍になり、人生の後半の部分が3倍近くになったので、高齢者については、例えば年金受給前の成熟期、年金中心かつ時間にゆとりのある引退期、要介護や看取りも含む老後期の課題についてどのように考えるか。

香山委員の方からは、高齢者といっても余りにも個人差があり、70歳とか75歳といった年齢でその方の状況、特に心理的な状況などを推し量ることはできない。自己実現の欲求まで満たさないと生きている価値がないと思われている方たちも大勢おり、高齢者の方たちもその年代のグループに入りつつある。

あと、全く個人それぞれに合わせたということは難しいが、ある種、オーダーメードのような社会対策というのが必要ではないかという御指摘が、香山委員からございました。

関先生からは、高齢者は65歳からという認識を意識改革しないといけないという御指摘がございました。

(2)でございますが、「働く意欲、NPO活動等に参加する意欲のある高齢者への対応の遅れ」という形で、関委員の方から、働き方にも多様な働き方、生活の仕方にも多様な生活の仕方ができる柔軟なライフスタイルを可能とする社会が必要であるという御指摘がございました。

(3)は「格差の拡大に伴う支える仕組みに対する不安感の増加」という形で、まず1つが世代間格差の問題でございます。

関委員の方からは、今は40年間働いて、20年間支えられる形の年金制度の設計となっている。個人の人生で考えても、3分の2働いて、残りの3分の1を働かずに生活しようと思ったら相当貯蓄をしなければいけない。戦後の人口構成をベースに設定された支給開始年齢を維持したままで、支える側と支えられる側の比率はいいのか。

また、その人口構成にかんがみると、70歳、さらには75歳なども支える側に回らないと社会のバランスは保てない時代になっているという御指摘がございました。

その一方で、お金の面だけではなく、心の支え合いというのが大事な要素ではないかという御指摘がございました。

次が、世代間ではなく、世代内の格差の問題でございます。

関委員、森委員の方からは、高齢期における格差も拡大している。

世代間の格差のみならず、世代内の同じ世代の中での格差をなくす、あるいは連帯を、つながるような仕掛けづくりが必要ではないかという御指摘が森委員の方からございました。

<3>でございますが、「支えられる高齢者を支える者に対する支援の不足」ということでございまして、香山委員の方からは、福祉の最前線におられる方たちの疲弊が非常に大変になっているのを感じている。支える側、支え手を支える体制も必要だという御指摘がございました。

(4)でございますが、「地域のつながりの希薄化、高齢者の社会的孤立化」ということで整理させていただきました。

主な御意見といたしましては、森委員の方から、高度経済成長する中で地域社会が崩壊し、地域にとっての生活するインフラもなくなってきたというのが1つの大きな問題。地域社会全体の地縁というものがある意味ではなくなってきた。それを復活させるという視点が大切ではなかろうか。互助という視点がどちらかというとなくなってきており、互助というものを地縁というところでいかに取り戻すかというのがポイントであるという御指摘がございました。

また、園田委員の方からは、家族が変わり、それに代わるものとしてコミュニティーへの期待があるという御発言がございました。

その中で、都市における高齢化の問題という形で、森委員の方からは、社縁がなくなる中で、特に男性社会においては自分の居場所がなくなってきたというのが現実ではないか。

また、香山委員の方からは、こちらから御用聞きに行くようなアウトリーチ型の支援が必要となってきているのではないか。こちらからいろいろと出ていって、いろいろなお話を聞く、アドバイスするという役割も高齢者支援の中では必要だという御指摘がございました。

(5)でございますが、「高齢期への準備不足」という形で、関委員の方から、休み休み働くというような、家庭生活と両立できるような働き方が前提となるという御指摘がございました。

「2.今後の方向性」ということで3つの柱を立てさせていただいております。<主な意見>というところで、最後に座長の方から御発言がございましたけれども、市場メカニズムを通じた自助、あるいはコミュニティーを通じた互助を併せながら、尊厳のある高齢社会をつくっていく報告で大綱をまとめていってはどうかという御示唆がございました。

「(1)高齢者が意欲と能力に応じて活躍できる環境づくり」ということで、主な意見といたしましては、弘兼委員の方から、自分が人生で培ってきたことを次世代に伝えるのも団塊世代の1つの役目であるという御指摘がございました。

その中で2つ整理してございます。

こちらの方は、実際の高齢者の方々が「意欲と能力を発揮できる働き方への対応」という形でございます。

まず、関委員の方から、65歳を過ぎたら自己実現、社会のために働くという部分が増えてもいいのではなかろうか。

森委員の方からは、「新しい公共」を含めた、コミュニティー・ビジネスも含めたものを地域の中でつくりだしていくということが大事。かつての社縁を、例えばコミュニティー・ビジネスなどを通じて、地域の中でつくり出していくことが大事ではなかろうかという御指摘がございました。

弘兼委員の方からは有償ボランティアの御提案がございましたが、園田委員の方から、有償ボランティアというよりも、男性をメインにするのであれば、むしろ社会的起業をリタイアしたときぐらいから始めて、リスクを取ってもらうという仕掛けの方が面白いのではなかろうかという御指摘がございました。

<2>の方は、むしろ現役世代の方のことでございまして「長期化する働き方への対応」という形で、関委員の方から、高齢になっても働けるためには、休み休み働くというような、男性も女性も家庭生活と両立できる働き方が前提だ。例えば5年に1回は半年ぐらい全員が休める制度をつくり、その間は普通に遊んでも、ボランティアをしても、自己啓発をしてもいいこととする。いろいろな形で自分の多様な生き方、1つただ、今の仕事をしているということではない生き方を若いうちからしていれば、より長く働くこともできるのではなかろうかという御指摘がございました。

(2)が「高齢者の『安心な暮らし』を実現する環境の整備」でございます。こちらの方は、3つの柱を立てさせていただいております。

1つ目が「老後の安心を確保するための社会保障制度」という形で、関委員の方から、最後の10年は、生活や介護・医療について心配せず、安心して生活ができる社会設計の視点も重要である。ある一定年齢以上の方については、それなりの保障がある社会ということがあってもよいのではなかろうか。

2つ目が、互助というキーワードがございましたが、「地域における『互助』の再生・コミュニティの構築」ということでございます。

弘兼委員の方から、自分のことは自分でし、かつ周囲と孤立しない生き方をすることが大切という御指摘がございました。

森委員の方からは、地縁を通じて互助を取り戻していく必要があるという御指摘がございました。

園田委員の方から、身近な生活環境の中でさまざまな地域資源とか、人的な資源を活用して、そこをきちっとした循環をできる。そういう社会が、これからの私たちの設計図としてどうかという御提案がございました。

関委員の方からは、現在、その地域にあるものをもっと組み合わせてコミュニティーにしてしまうという発想があってもいいのではないか。具体的には、毎日1回は一緒に食事のできる食堂との包括契約、電話1本で電球を交換してくれる電気屋さんとの包括契約などが考えられるのではなかろうかという御指摘がございました。

<3>は「高齢者が安心して活躍できる環境整備」ということで、香山委員の方から、必要としているいろいろなケアが一気に受けられるという拠点が必要である。地域包括支援センターが、ある種、それに似た役割を果たしているのではなかろうか。

園田委員の方からは、従来の建物単位の考え方から脱却し、地域福祉居住に介護や医療が組み込まれるコンソーシアムが必要ではなかろうか。これにより「福祉と経済が循環」する地域が構築できるのではなかろうかという御指摘がございました。

(3)が「健康な心身づくりなど高齢期への備え-現役時代からの高齢期への備え-」ということでございますが、こちらの方は弘兼委員から、現役を離れて、そこから自分という個人になったときにどんな老人になっているか、定年前から想像しておくことも大切だ。自分の身の回りにも、別の社会はちゃんと存在しているのだ。生涯学習をすることをお勧めしますという言葉がございました。

(その他)という整理でございますが、政府の広報、例えばテレビとかネットを使用して、制度がどのようになっているのかということをうまく、わかりやすく宣伝していく方策にもっと力を割いてもよいのではないかという御指摘が、関委員の方からございました。

簡単ではございますが、以上でございます。

ただ、この整理につきましての柱立てでございますけれども、前回委員に御議論いただいたものを踏まえまして、事務局で次回報告書素案等を考えておりますが、このようなものになるのかなという形でつくったものでございますが、本日の御議論を含めて立て直すことにもなろうかと思っております。その辺りも含めて、御意見等を賜れればありがたいと考えております。よろしくお願いいたします。

○清家座長 ありがとうございました。

今、事務局の方から、前回の先生方の御発言を改めて整理していただきました。その整理が、今、原口参事官からもお話がございましたように、一応報告書の柱立ての順番になっているわけでございますが、その柱立ての順番等についても、またこれから少し具体的に御議論するかと思いますけれども、この段階で何かお気付きの点がございましたら、コメントとか御質問をいただければと思います。

森委員、どうぞ。

○森委員 高齢社会対策大綱ということで、前回の皆さん方の御議論の中で、何となく高齢社会ということに対しては、例えばいろいろな国の制度も含めて年齢ということが1つの大きなハードルになっているように思います。そうすると、高齢社会というのは、例えば世代間の対立も含めていろいろな意味でとらえられてしまう。

それだったら、思い切ってポジティブに考えたら長寿社会と、しかし、これは国の高齢社会対策大綱だから長寿社会という表現ではだめだということで、高齢者がこれからも自分の持てる力をいろいろな意味で発揮できるようなパラダイムにしていくという視点が必要ではないか。

高齢社会というのは、ある面では大変だ大変だということが前面に出ていく。例えば税の問題でもそうでしょうし、あるいは介護の問題もそうなんでしょうけれども、そうではなくて、持てる力、自分のパフォーマンスができるという社会。

弘兼委員が先般いただいた御本の中で、律する自律と立つ自立の両方の考え方を示されました。そうすると、私たちも含めて高齢者はそういう誇りを持って、尊厳を持って生きるための社会というものをどうつくり出していくかという視点。

そうすると、先ほどのお話の中に、いわゆる元気なとき、あるいは年金をもらうようになったとき、そして介護が必要になったとき、高齢期の中でもいろいろな意味で、その方のステージがいろいろあるというふうな、長寿社会というのはそういういろいろなステージを包含しているんだという考え方ができないのかなというふうに、この前の御議論も含めて感じました。

○清家座長 ありがとうございます。

森委員がおっしゃるように、高齢社会というのは、もともとみなが長生きするようになった結果、起きている部分があるわけです。それと少子化との2つの理由があるわけで、前者の長寿化の方は、もともと日本の経済社会が成功したからみんなが長生きするようになったわけですから、それを本当にことほげるようにするのが我々の社会の目指すところではないかというのは、本当におっしゃるとおりだと思います。

それから高齢社会大綱という名称は、何かもう法律で決まったことなのでしょうか。長寿社会大綱とか、そういうものに直すことはできるのでしょうか。まず、名称そのものを変える権限がこの検討会にあるかどうかも含めてどうでしょう。

○村木政策統括官 条文の書き方は「基本的かつ総合的な高齢社会対策の大綱を定めなければならない」でございますので、固有名詞は付けられそうな気がします。「高齢社会対策大綱」を定めなければいけないとは書いてありませんので、そこは内容に合った名前を付けるというのも非常に大事な要素になってくるかと思います。

○清家座長 それでは、その点も少し含めて議論をするということで、お願いします。

園田委員、どうぞ。

○園田委員 今のことに関わる点で、やはり「高齢社会」と「長寿社会」では、言葉によって受け取る意味は相当違いがあると思います。そういう意味で、この資料1の内容について確認をしたいのです。今回、私が参加しているのは、高齢社会の対策と理解しているのですが、資料1の4ページから後の「2.今後の方向性」を見ますと「(1)高齢者が」、5ページの「(2)高齢者の」、最後に6ページ「高齢期への備え」ということで、全部、高齢者にフォーカスされたことしか挙がっていません。

確認というのは、高齢社会というのは高齢者だけではなくて、ゼロ歳から100歳以上の人までいるわけですから、私たちが何を議論しているのかということをもう一度確認しておきたいと思います。委員のメンバーも、仮にこの中に20代か30代前半の方が一人でも加わっていればイメージが全然違うのですが、どこをフォーカスしているのかをいま一度確認して、今後の方向性を議論する必要があるのと思ったのですが、いかがでしょうか。

○清家座長 事務局からお答えいただけますか。

○原口参事官 園田委員がおっしゃるとおりでございまして、基本的に事務局の整理といたしましては、今のところ高齢者にフォーカスが当たった形の整理となっておりますが、高齢社会というのは確かに高齢者のみならず、現役世代から、ゼロ歳児からを含めての社会でございますので、すべてを包含した形の御議論をいただいても結構でございます。

○清家座長 そのような理解でよろしいですね。

今般の、いわゆる税と社会保障の一体改革の1つのポイントも、高齢社会対策ということではありませんけれども、社会保障をもっと全世代型にしていく、いわゆる年金、医療、介護といったような高齢3経費のところから、子育て支援であるとか若者の教育訓練、就業支援というところにウェートを移しましょうというところにポイントもございますので、我々の共通の認識としては、今、園田委員が言われたような、この会議は若者から高齢者まで、もうちょっと言えば、まだ生まれていない将来世代のことも念頭に置きながら高齢社会のあるべき姿を考えていく。そのための政策の大綱をつくるという理解かと思いますが、それでよろしゅうございますか。

関委員、どうぞ。

○関委員 関係することなんですけれども、先ほど御指摘があったとおり、大網には「高齢者が」とか「高齢者の」という言葉が多いんですけれども、そもそもだれを高齢者ととらえるべきかということについて、65歳以上なのか、いや75ぐらいなのかという点について疑問を持っております。

そうすると、最初に定義をすればまた違うかもしれませんが、そもそも高齢者という言葉をそのまま使うことについても少し気を使って、話を進めていった方がいいのかなと思いました。

○清家座長 香山委員、何かございますでしょうか。

○香山委員 今回、高齢者の問題をいろいろ考えている中で、私もここに含まれている問題が、今の現役世代や若者たちが抱えている問題と地続きというか、構造的には全く同じだなというふうに思うことが非常に多いなとは思っています。

ただ、そうすると本当に話が広がり過ぎてしまって、若者対策とか女性の対策とかも含まれてしまうと、逆に総花的になり過ぎるかなという気もするので、そういったことも含めた、実際的には、今、高齢になってらっしゃるというか、長寿というか、それはわかりませんが、そういった方たちが暮らしやすいような制度づくりを具体的には考えつつ、今、皆さんたちがおっしゃっているような方たちを含む、もっと広い世代の問題というふうに認識を持ちつつも、今、実際に高齢を迎えてらっしゃる方たちがより暮らしやすいようにというような、何かその辺の共通の認識を私たちの中で持っていればいいのではないかと思います。

ただ、長寿社会というふうに考えていくと、今までここにある高齢者という言い方自体も長寿者とか、違う言い方をしなければいけなくなってしまうのかなと思うと、それに代わる言葉は何かなと思います。確かにこの間の医療の問題でも後期高齢者という言い方に対して、実際の後期高齢者の75歳以上の方は非常に感情的に抵抗があって、自分たちを後期高齢者と呼ぶとは何事だみたいな、あるいはそこで失望される方も多かったので、確かに高齢者とか老人とか老年とか、私も今、老眼になっているので、眼科に行って、老眼ですと言われるとすごくショックだったりして、調節障害とかと言われると、なるほどというふうに納得がいくということがあるので、実は高齢者とか老人という言い方自身も、非常にデリカシーのない言い方だったのかなというふうにも思います。

○清家座長 長寿とか老人とかいろいろな言い方がおそらくありまして、行政や政府の立場としては、こういう用語はできるだけ中立的な用語にしようというので、高齢とか若年といった表現で、若者であるとか老人であるとか長寿と言うとちょっと価値観が入るので、客観的に年齢が高いとか、年齢が若いとか、そういうネーミングを意図的にしているのではないかとは思います。

ただ、我々がこの大綱の中に込めるべきメッセージとしては、森委員が言われたように、結果として高齢社会をもたらしたのは長寿で、それはとてもポジティブにとらえるべきで、長寿の人が、若いときから年をとったところまで元気に生きられるのが正しい高齢社会の在り方だというメッセージは強く送る必要がありますので、そこは表現のバランスもあると思いますけれども、たしかに表題などはできるだけポリティカリー・コレクトというか、余りバイアスが入らない言い方にならざるを得ないのかもしれませんが、内容のところではしっかりと、今、先生方が言われたような部分を込めていけばいいと思います。

そして、本当に内容を詰めていく中で、やはり高齢社会大綱はおかしいだろう、長寿社会大綱の方がいいのではないかということになれば、またそのときに少し考えさせていただくということでよろしゅうございましょうか。

では少し内容の議論に入ってますけれども、引き続きまして資料2をごらんいただいて、これは前回の御議論を踏まえて、今日御議論いただきたい論点として5点ほど、事務局とも御相談いたしまして挙げさせていただいてございますので、この点について順番に御議論をいただきたいと思います。

まず、第1点目の「自助、公助、共助、互助の概念について」ですけれども、前回この検討会におけるキーワードの1つとして、従来から自助、公助、共助ということは言われているわけですが、互助という概念があっていいのではないかという御議論があったわけでございます。自助、公助、共助、互助について、この検討会における共通の認識を共有させていただいた方がよいのではないかと思いますので、ここでは御参考までに、地域包括ケア研究会の報告書における定義というのは載せさせていただいてございますが、これらの概念整理について御意見をいただきたいと思います。

また、最近注目されております格差の拡大について、公助、共助の観点からどのように考えたらいいのか。あるいは都市部と地方ではそれらの概念が、これまで少し異なった形でとらえられ、果たしてきた役割が少し違うということもあるかと思いますので、これらの点について、余り時間はとらないようにはいたしますけれども、最初に意見を伺いたいと思います。

一応前回の議論の中で、我々としては今回ここに互助という新しい概念を入れた方がいいだろうということについては、もう共通の御認識というふうに思いますので、改めてその概念のとらえ方について、何か御意見がございましたらよろしくお願いいたします。

園田委員、どうぞ。

○園田委員 互助ということについては、こちらの(参考)で挙がっている地域包括ケア研究会の互助という意味合いに私も極めて近いと考えています。別の言い方にすれば助け合い、協力ということだと思います。

ただ、この言葉の意味を少し普遍的に考えると、近年、社会学とかソーシャル・ネットワークのサイエンス分野で出てきている「ソーシャル・キャピタル、社会関係資本あるいは関係資本」という概念に極めて近いことだと思います。そういうものをここでは「互助」という形できちんと位置付けて、キャピタルですから価値もあるわけですので、それをここで顕在化させることによって、「自助、共助、互助、公助」の4つの概念で社会の在り方を考えていこうという切り口かなと思っています。

○清家座長 森委員、どうぞ。

○森委員 実は、地域福祉計画を策定しましたとき、この地域福祉計画は、分権社会になりましたので、いわゆる地方自治体は義務付けではなかったんですけれども、結局これを策定する中で互助という、いわゆる支え合いという仕組みがいかに大事であるか。いわゆる公のサービスというか、そういう制度的なものだけでは支え切れなくなってきているということが現実の地域社会の中であるわけですので、そういう点でこの互助の概念というのは、ある面では地域福祉というものがそれを大きく発展をして、同時に育てていけるものであったというふうに、今でも思っております。

もう一つ、私自身の考え方の中に、まず自助がスタートする、支え合いで互助がくる、そして社会契約、最後はセーフティーネットがきちっとあるんですけれども、恐らくそれぞれが皆どこの部分でも最後は協働、コラボレーションが一番大きな力を発揮するのではないかなというふうに、現場の感覚として思いました。

○清家座長 キョウドウというのは、ともに働く。

○森委員 いわゆる協力して働く。

○清家座長 協力して働く。

○森委員 はい。この概念、考え方というのが、それぞれ皆、自助は自助としての限界がありますし、例えば社会福祉的な公助も限界があるんですけれども、そういうものが全部、1つの中のどこかできちっと交わったところ、それが協働ではないかなというふうに思ったものですから、是非互助という考え方を進めていただければというふうに思います。

○清家座長 ありがとうございます。

関委員、いかがでしょうか。

○関委員 この論点について意見を述べるに当たって、自分の頭の中が混乱していることもありまして、その整理をするために資料3をつくってまいりましたので、そちらをごらんください。

 考えをまとめるに当たって、まず最初に大綱の全体の枠組みをどういうふうにしたらいいのかということを考えました。私自身、こういったものにしたらいいということについての意見がまとまっているわけではないのですけれども、何を縦軸に、横軸にするかと考えながら、今日議論する点を整理していくことができればと思いました。

自助と公助と共助、互助の概念なのですけれども、前回この委員会で互助という点がすごく重要であるということが打ち出されて、私自身もその視点を明確に打ち出すことが必要ではないかと思いました。

これまでは自助、共助、公助という形で、共助の中に互助を含めて考えていたものが多かったと思われます。そこで、特に共助と互助がどう違うのかといったことを中心に少し考えてみました。

うちの大学の院生にもこの関係について調べてもらって、幾つか文献などを探してみたのですが、その中でまず1つ気になったのは、厚生労働省の地域包括ケア研究会の報告書などは、共助と公助の関係とかが、ちょっと私の理解と違うと思った点でした。例えば社会保険である国民年金というのは、税金も投入されている公的な保障であるという点からすると、公助という側面もあるのではないかと思われます。報告書では共助に分類されているわけですが、社会保険は保険料による相互扶助という側面に着目すると共助ですけれども、公助という側面もあるということで、ものによっては両方の側面を持つということを前提に考えていく必要があるのではないでしょうか。

あと、自助と公助が両端にあるわけですが、それを整理したものが2ページの上の図になります。

今回、互助と共助はどう違うのだろうかと考えたときに、1つのキーワードとして「顔が見えるか見えないか」という視点に着目するのもいいのではないかと考えております。このイメージ図というのは、図でもなくてちょっとわかりにくいのですけれども、そこにありますように自助というのは個人が自立する。Aが一人で自分を支援する。自分で自立するための他からの支援も含まれますが、それが自助です。

互助というのは、AとBの双方が顔の見える形でお互いの助け合いをする。

共助というのは、同じような相互扶助の助け合いなんですが、AとBの間に中間組織であるとか、中間の人であるとか、そういったものが入るのが共助なのではないか。勿論、AとBは顔が見えないと申しても、中間組織の人たちはAやBの顔が見えるわけですから、そういう意味ではどこでも顔は見えるのですけれども、AとBは顔が見えないという関係ではないかというふうにまとめてみました。

公助は、AやBやその他の人々が税金や保険料などを払って、それを使って公的機関がBに対して支援をするというものを公助ととらえるといいのではないかと整理してみました。

以上です。

○清家座長 ありがとうございました。

香山委員、どうぞ。

○香山委員 1つ質問です。

この場合、今、その方向性がいいかどうかはわからないんですが、福祉とか介護も市場化していて、お金を払ってサービスを提供してもらって受けるという人も多くいると思うんですけれども、それはこの中のどこに当たるか。あるいは入らないものなんですか。

○清家座長 事務局から何かございますか。よろしいですか。

感じとして、それは自助に入るのでしょうかね。

関委員、どうぞ。

○関委員 そこは私もまとめながら悩んだのですけれども、例えば企業年金みたいなものは共助に入れました。企業年金には会社というものが入っていますし、そういった企業年金以外の私的年金は、市場で売っている年金なのですが、お互いの助け合いという側面から見れば共助の側面もないわけではないと思います。つまり、市場がどう関わるのかというのは、整理としてはちょっと別の観点になるのではないかと思います。

つまり、公助であっても、例えば公的な社会保険医療は私的な病院で提供されています。そういう意味では公助も民間の市場を使ってはいるわけで、それぞれの側面において市場というのが関わることはあると思います。という意味で、別の側面として考えました。

○清家座長 香山委員、よろしいですか。

○香山委員 わかりました。

○清家座長 これはいろいろな視点があると思いますが、私も1つだけ付け加えさせていただくと、この整理は、民間の保険に入る、あるいは民間の保育サービスを買う、そういうことも含めて、1つは自分で市場を通じて何かをするという自助と、他方で共助と公助は、ある面で言えば強制力を伴っているわけです。社会保険や税金というのは、嫌でも他人のために保険料も払うかもしれないし、税金も払うかもしれない。ですから全くの市場メカニズムの中でやられるものと、国の制度というか、強制力のある制度の中で、共助の場合は社会保険ということで給付と負担がかなり対応しやすいものですし、公助というのはその関係がかなり薄いものだと思います。これに対して互助というのはその中間で、市場で売り買いするものでもないし、強制力を伴ってお金を徴収されて、あるいは必要な人にサービスやお金が給付されるものではない、まさに個人の自発的意思によって、他を思う気持ちの発露として様々なことが行われ、ある面ではその対価として自分も助けてもらうということもありうるという、そういうものだと思うのです。そこで多分1つ必要なのは、市場の効率性というか、市場メカニズムをとことん突き詰めていくと、市場と強制力のある公的なものしか出てこなくなってくる可能性があるということです。

また森委員に伺うべきかとも思いますけれど、地域で互助を担っているのは、例えばこういう例がいいかどうかはわかりませんが、地域の自営業の人たちであるとか、商店街の人であるとか、あるいは農家であるとか、そういう人たちがイメージとしては比較的浮かびやすいわけですけれども、そこである程度のゆとりがないと、そういう互助というのが出てこないわけですね。経済学の言葉では、よくリダンダンシーなどと言いますけれども、その地域の消費者の人たちは、もしかしたらスーパーとかに行くよりは、ちょっと高いかもしれないけれども、お店屋さん、商店からものを買ったりしていたのだけれども、実はそれは地域の人たちの余力となって、そういう人たちが自治会とか防災活動とか、そういうことをやるゆとりも生まれていた。

ところが、そこのところが本当にとことん市場メカニズムが貫徹されてくると、商店街がみんなシャッター街とかになってしまって、よく言うそういう地域のリダンダンシー、余分な力と言うとちょっと御幣もあるかもしれませんが、余力がなくなってしまうようなところがございます。

だから、その互助というのは人を思う気持ちと、それを実行に移すだけの余力がないといけない。これは別に商店街とか農業だけではなくて、普通の勤め人もそういう余力がなければ、人のためにお金を出したり、あるいは仕事を休んでどこかに行ったりすることができないので、そういう面では、互助の問題を考えるというのは、市場経済のありようというか、それを考えるとても根源的な問題を含んでいると私は思うのです。そこまで大上段に振りかぶって、この大綱の中で書くと大変ですけれども、そういうことも指摘しておきたいと思います。

ですから、徹頭徹尾効率化を追求すると、多分互助というのは、気持ちはあっても実態として伴わなくなるのではないかと思うのです。小売の規制緩和が悪いとか、そういう個別のことを言っているわけではないですけれども。

○香山委員 今の清家先生のお話につなげると、互助というのを、今、定義が難しい中で議論されていて、それが今回打ち出されると、今の話との関連で言えば、むしろ公助とか共助の方の余力というか、リダンダンシーがなくなってきているから互助でお願いしますと言っているようにとってしまう人もいるのではないかと思うんです。

そういう側面も現実的にはあるのかもしれないですが、一応打ち出し方としてはそうではなくて、そういう互助があくまで前向きにというか、今、これが非常に必要であるし、ここの力というものを育てることが、お互いにとって非常にハッピーなことなんだというようなところを考えながら打ち出していかないと、もう公助や共助ではだめだから、あなたたちは自分でやってみたいに、そっちのリダンダンシーの現象が弱くなっていることが、今度は互助に振り向けられてしまっているのではないかという方向になってしまうのは、逆にそこの互助のところを非常に縮退させてしまうことになったり、あるいは強制されたような感じを醸し出してしまうのは、方向性としては余り好ましくないかなと思いました。

○清家座長 ありがとうございます。

それでは、少し先に進みたいと思いますが、今、ここで出た議論というのは、香山委員が言われたような点に注意しながら、あるべき高齢社会として、市場の効率性だけでも寂しいし、困るし、すべて強制力によらないと社会が成り立たないというのも寂しい。そこで互助という考え方を新たに入れようということだと思いますので、その定義については、まだしばらくいろいろなお考えを伺う必要があると思いますけれども、是非これは今回の1つの目玉としていきたいと思っております。

引き続きまして、先ほどから議論が出てございますが、2点目の「高齢者の捉え方について」御議論をいただきたいと思います。

これはもう皆様方からいろいろ出ておりますように、高齢者については一律にとらえるのではなくて、例えば年金受給前の成熟期と、年金中心でまだ元気で時間にゆとりのある引退期と、要介護や看取りも含む老後期に分けたらどうかという御議論も出ているわけでございますが、この高齢者のとらえ方について、もう一度皆さんから御意見を伺いたいと思います。

これは、先ほど関委員が少し口火を切られましたので、できましたら関委員の方からお願いいたします。

○関委員 前回の話の繰り返しとなりますが、まず先ほども話がありましたように、高齢者という言葉は年齢が高齢であるという形で区切られた言葉ですので、やはりその年齢をどのようにとらえるかということは、この定義を考える上でもう少し明確にしておくべきではないかと思います。例えばここで挙がった分け方というのは、成熟期とか引退期という形で、高齢者の状態を見て分けているわけですが、もともとの定義という意味で、高齢というのは何歳ぐらいからととらえるのかということも明確にしていく必要があると思います。

その上で私自身は、前回申しましたように、今の人口構成を考えますと65歳からを高齢者ととらえるのは若過ぎると思っておりまして、70歳、できれば75歳ぐらいからを高齢者ととらえる方がよいのではないかと考えております。

○清家座長 ありがとうございました。

ほかにいかがでしょうか。

園田委員、どうぞ。

○園田委員 今まで各論的に議論をしているのですが、私の仕事の建築分野は、すごく大げさに言うと未来をつくる仕事なので、将来の目標像の共有化が常に求められます。未来をつくる仕事というのは、まだ現実には起きていない将来の目標像と、そこに到達できるんだという方法論を共有してもらわないと実現できないのです。しかも、建築というのはでき上がると姿形があるので、だれもが見られるようになります。だから、いいものか悪いものかというのはすぐにわかります。

何を言いたいかというと、今回この議論に参加していますが、文章で書かれて取り纏められても、それがどこかに潜ってしまって、その存在自体を国民が知らないとか国民にメッセージが届かないというのは、私としても非常にやりがいがないのです。是非やりがいがある仕事にしたいという意味で言うと、国民目線で、国民に未来の夢と、そこに到達できそうだという戦略を少なくともメッセージとして伝えたい。そこで、ちょっとしたキャッチフレーズを考えてきました。

この今議論になっている高齢者のとらえ方について、私が考えてきたキャッチフレーズは「高齢者には誇りを、老人には安心を」です。誇りという意味は“ディーセント”です。ですから、人間らしくあること、誇りを持てること、それを高齢者に。それから、先ほど老人という言い方はネガティブだとおっしゃいましたが、年老いたときには安心を。ですから、高齢者には誇りを、老人には安心をというのがここでの私のメッセージですけれども、いかがでしょうか。

○清家座長 その場合の高齢者というのは、例えば65~75歳ぐらいまでの人とか。年齢で区切るのは余りよくないのですけれども、イメージとしては。

○園田委員 イメージとしてはそうです。先ほどの自律・自立ということで、自分でできる人ということです。自分で選択できる人、自分で行動できる人、あるいは動けなくても自分で判断できるうちは、私が、今ここであえて高齢者と一くくりにしてしまった中に含められるというイメージです。

○清家座長 森委員、どうぞ。

○森委員 弘兼委員の自律と自立というのを私自身に置きかえた場合には、今、誇りということをおっしゃいましたけれども、もう一つの言い方で私は矜持と言うんです。そういう考え方、あるいはもう一つ別の見方をすれば、律する方の自律というのは、自分ができる、持っている力という意味の身の丈に合った時代と。それは人を支えることができる。しかし、どうしても支えられなくなるときが来るわけで、人に支えてもらう。

私は、そういうふうに高齢者のとらえ方は、年齢という考え方は勿論大事なんですけれども、もう一つは、支えておられる側と支えられるようになったという分け方が、高齢者のとらえ方としてあってもいいのではないだろうか。それが尊厳であり、誇りだというふうに思うんです。

○清家座長 わかりました。

香山委員、いかがでございましょうか。

○香山委員 支える側と支えられる側ということで考えると、私が精神科で診ているような若者でも支えられないと生きていけない若者もいて、そうすると、若者高齢者ではないですけれども、その尺度で考えると本当に年齢というのが関係なくなってしまって、国民を自分の自立度によって分けるみたいな、今までとは全く違った年齢によらないような尺度が必要になってしまって、そうすると、余りにも根源的な話になりそうな気もします。

それは、いずれは必要な気もするんです。だから、15歳でも活動としては、今、言っている高齢者みたいにケアがないとほとんど何もできない方もいれば、80歳、90歳でも非常に自律的に、何でも御自分で意思決定もされて行動力もある方もいたりするので、それは将来的に、本質的に考えていかなければいけないということにしておいて、逆に余り難しく考えずに年齢で分ける。その中で、更にその人が、今、どれぐらいの助けが必要かとかいうふうにしていくぐらいが現実的なのかなというふうにも聞いていて思いました。

○清家座長 関委員、どうぞ。

○関委員 私も香山委員に賛成で、高齢者という定義そのものは年齢で分けて、先ほど園田委員がおっしゃったような老人には安心をという側面については、例えば先ほど出てきたタームで言えば長寿者には安心をといった形で表現し、年齢の区別と、ある人達の特徴をどうとらえるかという点は分けて考え直してみてもいいのかなと思います。

というのは、実際に今、60歳とか65歳間近の方に、あなたは高齢者だと思いますかと尋ねたときに、高齢者だと思いたい人がどれぐらいいるかというと、まだ結構若いのではないかと思っている人が増えてきています。そうであれば、そもそも高齢者の年齢を変えるということを、ここで明確にしてもいいのではないかと思っています。

○清家座長 今、議論が2つあるかと思います。1つは、高齢者の定義をどうするかということ、もう一つは高齢者というものを更に分けた方がいいのではないかという御意見があるかと思います。あるいは、それをちょっとアウフヘーベンするような形で、年齢で分けたとしても、更にその内容を少し違う言い回しにしてはどうかというのが関委員の御意見でございました。

○香山委員 ただ、またその内容を分けるということになるとすごく難しいのは、私も高齢者の患者さんも精神科で診ていますが、自己評価と客観的評価が違うというか、御自分では「私はしっかりしています」とおっしゃって、実はそうでないような方もいたりして、その場合の「私は自立できています」とか「支える側です」とかいう誇りある態度はとても評価すべきなんですが、現実的な能力というか、客観的なQOLがちょっと御自身の自己評価とギャップがある。それは御自身の評価が高くて客観的に低い場合もあるし、全く逆の場合もあるわけですけれども、それが高齢者の場合、例えば認知機能の衰えとかがどうしてもあって、ギャップが起きやすいと思うんです。

若者でも自己評価と客観的評価が違う方もたくさんいますけれども、高齢者の場合はそういった生理的な変化もあり、御自身が自認してらっしゃる自立度とか「私はしっかりしています」というような感覚と、実際に周りから見て、本当はこの人は助けが必要だとか、実は御本人がおっしゃるほどは自立してらっしゃらないのではないかというギャップが、高齢者の場合はどうしても、そういった生理的な変化とともに更に起きやすくなっているので、その辺の内容で分けるときにどちらの方を採択するかというのは変な話ですけれども、御自身の自己申告の方なのか、でも、客観的評価であなたは自立していると言っているけれども本当はしていません、みたいなことを決めつけてしまうのも、また残酷な話なので、実はそこも非常に難しいことなのではないですか。

○清家座長 園田委員。

○園田委員 デザインするときのことで言うと、「Aがいいですか、Bがいいですか」というのは第1段階です。だから、分けるというのはわかりやすいのですけれども、AをとったらBはだめ、BをとったらAはだめというふうに思うとすぐに行き詰ります。デザインするというのは、清家先生は先ほどアウフヘーベンとおっしゃったけれども、まさにそれでもう一段階上をめざします。

先ほど私が申し上げた「高齢者には誇りを、老人には安心を」というのは、実は人によって両方の要素がブレンドされていたり、あるいは病気になっているときは老人度の方がすごく大きいけれども、元気になると自分はもう大丈夫だというように、自分の中でも変化すると思うんです。ですから、切り分けて「こちらの方にはこれをどうぞ、こちらの方にはこれをどうぞ」というのではなくて、もう一つ高い視点で、ちょっと下手くそなキャッチコピーだと思いますが、私たちの社会はそのどちらの状態でもOKですよということを伝えたいという気持ちです。

○清家座長 この高齢者の定義あるいはとらえ方は確かに大切なポイントで、今、園田委員が言われたようなキャッチコピーを使うということもあると思いますし、同時にこれを我々としてどう打ち出すかということは、この新しい大綱の大きなポイントにもなると思っています。

それでまず年齢で区切るとしても、確かに65歳というのはそろそろ、いろいろな意味で考え直さなければいけない時期かなとは思うというか、大分前からそう言われているわけなのですけれども、65歳の人の平均余命が男性で19年ぐらい、女性だと24年ぐらいになっているわけですから、女性だと生まれてから大学院修士課程を出るまで高齢者と呼ばれて暮らすというのは、ちょっといかがなものかというものはあるかと思います。ここのところはどうなのでしょうか。

以前議論したときには、65歳というのを変えると、あらゆる法律とかを書き替えなければいけないから大変なことになるので、それだけは勘弁してくださいというようなことを、ずっと前ですけれども、言われたことがありますけれど、例えばこういうことを大上段に振りかざして、そろそろ65歳を考え直した方がいいのではないかと言った場合に、今の行政的な混乱度はどうなのですか。もし、事務局から何か感触があれば。

○原口参事官 65歳という区切りを見直すというふうにまとめる分については、よろしいのではないでしょうか。実際に65歳をなくして制度を改正するとか、そこまで踏み込めばハレーションが起きるかもしれませんが、今の御時世でとらえ方の見直しを打ち出していくことは問題ないのではないかと思っております。

○清家座長 そういう意味では、仮に高齢者というかなり客観的な、例えば年齢で区切るようなとらえ方だとしても、そのとらえ方自体をちょっと見直していきましょう。その中で更に、今、御議論があったように、高齢者と言っても随分中身が違ってきますよねということを書き込んでいくということでいかがでしょうか。そして、もしその中で本当にキャッチーなものが出てくれば、それを幾つか。

どうぞ。

○香山委員 御参考までになんですが、たしか日野原重明先生が御自分で主催されている新老人の会というのがあり、うろ覚えで申し訳ありませんが、その新老人はたしか75歳以上か何かで、まだ非常にモチベーションが高くて社会参画もしたいという方を定義付けておられて、それを新老人と名付けて、その人たちに入会資格を与えて活動されていますけれども、そのような新しいネーミングで定義をされて、実際に活動している方たちもいらっしゃるということです。

○清家座長 それでは、そのようなことも参照しながら、また考えていきたいと思います。

引き続きまして3つ目の論点ですけれども、「働く意欲の高い高齢者への対応及び意欲を阻害する要因について」に御議論を進めていただきたいと思います。

まず、高齢者が働きたいというモチベーションの背景は何かということ、次に、高齢者が働きたい、あるいは社会参加したいという意欲を阻害する要因、課題は何かということ、そして、今後それを具体的にどのような方向に進めていったらよいかということについて、少しお話をいただきたいと思います。

どなたからでもどうぞ。森委員、先にどうぞ。

○森委員 高齢者の現状の資料もこの前、御説明いただきましたけれども、高齢者の場合、今から30年以上前にシルバー人材センターが発足した当時は、いわゆる生きがいとか健康ということがその当時のシルバーの原点だったと思うんですけれども、今はシルバー人材センターでも圧倒的に収入という視点で物事を考えるようになった。

そういうことからいくと、この資料でもそうだったんですけれども、まず基本的には収入ということが大きなものになってきた。私は税法のことはよくわかりませんけれども、今度はその収入というのを実際に一時所得というふうにとらえて、いわゆる給与所得ではないわけです。一時所得という考え方です。

そういうことになると、ある一定の時間数、その辺のことは定かではありませんけれども、例えばシルバーですと20時間以上働いてはいけないというような、いろいろ意味で本人が働きたいという意欲と、いろいろな法制度の中での矛盾というんですか、それは制度ができたときにはそういう考え方だったんでしょうけれども、ある面で高齢者はもっと収入ということを含めて働きたい。ちょうど年金がいろいろなところで狭間になってくる方たちにとっては働きたい。ある面でそこを埋めていくことというのは必要ではないだろうか。そうすると、それは制度の問題になってくる。

もう一つ、やはり働きたいという中には、生きがいとか健康あるいは社会とのつながりを持ちたいとか、そういう方も当然いらっしゃる。その辺のことで今度はもう一つ、今、マッチングの問題が出てきているんです。要するに、自分はこういうことをしたいんだけれども、例えば職安、ハローワークに行けば自分の能力、資格とか、いろいろなことを書き込んで、それによって画面をタッチしてどんなものがということですけれども、高齢者の場合はなかなかそういうことができない。シルバーでもそういうことがなかなかできてない。そうすると、それがある面では阻害要因になってしまって、なかなか自分自身がという問題が、今、現実に起こっているものですから、せっかくなら高齢者の現状のところで出てくる意欲をいかに満たしていくか。それが、ある意味では自分自身の健康保持、あるいは社会とのつながりとか、いろいろな意味でつながっていくのではないかというふうに思いました。

○清家座長 ありがとうございます。

それでは、関委員。

○関委員 資料3の2ページ目をごらんください。働く意欲の高い高齢者への対応や意欲を阻害する要因に関して、それを考えることによって大綱としてメッセージとして伝えていきたいと思っている点は、さまざまな生き方・働き方を可能とする社会になればいいという一言でまとめてみました。

実際にそういった高齢者の働きたい、社会参加したいという意欲を阻害する要因は何かと考えますと、先ほどお話のあったこととも重なりますが、1点目は意欲を活かせる場所の欠如、2点目は意欲と場所のつながりの欠如、3点目は意欲に応じた能力の欠如があるのではないかと思います。これらの点について、それぞれどのような課題に取り組んでいけば、この欠如が埋まるのかということをもう少し見ていきたいと思います。

1つは、生きがい・働きがいとワーク・ライフ・バランスの促進を、横断的に取り組む課題として挙げていったらいいのではないかと考えています。

まず、「意欲を活かせる場所の構築」についてです。若年・中年世代というのは、所得を得るために意に反した労働をしている場合もあります。勿論、高齢者も先ほどお話があったとおり収入を得るために働く必要もあり、それをどうしていくかという点は非常に難しい問題ではあります。他方、65歳を超えた者については、もう少し生きがいや自己実現によりつながる働き方が可能となれば望ましいのではないかと思っております。

そのためには、それまで働いていた職場での就労継続よりも、第2・第3の人生を可能とするような意欲を活かせる就労・社会参加の場所を創設したり、社会貢献や心の支え合いにつながる働き方を推進するといいかと思います。

更に、働くという話をすると男性のことがイメージに上がりやすいのですけれども、高齢者の半分は女性でありまして、特に主婦やパートを業としてきた高齢女性の活躍できる場所という点についても考える必要があるかと思います。

また、そういった働き方を可能にするためには楽な働き方ができればよりよいわけで、例えば短時間勤務や自宅での就労といった、就労時間・場所の柔軟化・多様化を促進するとよいのではないかと思います。

このほか、社会参加・貢献を行う場所を増やすために、ボランティア組織やNPOの発達を支援したり、人数の多い団塊の世代に、新たな多様な働き方をするように期待をしていきたいと思っています。

次に、「意欲と場所とのつながりの欠如」という観点です。意欲があってもそれを生かせる場所を知らない、積極的に探すほどの意欲がなく腰が重いという状況もあります。先ほどもどういった形で職業紹介をしていくかという話にあがりましたように、コンピューターは高齢者にはなかなか難しいかもしれません。そうだとしても、現在はホームページなど、そういった科学技術が非常に発達しておりますので、もう少し情報を集約させて、どこにいても簡単に職探しとかボランティア活動探しをできるような仕組み、職安とか、そういったセンターまで行かなくとも、身近にどんな仕事があるのだろう、ボランティアがあるのだろうということを、もう少し見つけやすい仕組みをつくっていくことも可能ではないかと思いました。

次に、「意欲に応じた能力の欠如」という観点ですが、これまで持っていた能力と求められる能力がミスマッチな場合が多々あります。しかし、高齢期になってから新たなスキルを取得するのは難しく、中年期は第2の人生を支える、働く・社会参加する場所を探す時間もありません。

そこで、高齢期における新たな学習機会の促進とともに、若年・中年期から自己啓発・スキルアップができるような環境を整備するとよいと思われます。

自己啓発を可能とする時間を確保して、ボランティア休暇を促進するなど、就労期における休暇を増やすということも重要なのではないでしょうか。若年・中年期においても長時間労働を削減し、ゆとりあるワーク・ライフ・バランスのとれた働き方を促進するとよいかと思われます。

次に、高齢者が働く場所を増やすという意味で、もう一つの視点として考えてみたいのが「名誉や時間も含めた評価基準の多様化」という視点です。

高齢者が働きたいというモチベーションの背景には、生きがいが1つ大きくあります。人のために役立ちたいという気持ちを活かす、高齢者の名誉を尊重する仕組みをより発展させるとよいのではないでしょうか。つまり、社会貢献を行う組織のみならず、社会貢献をした個人をより評価する仕組みをもう少し発展させていくとよいのではないかと思います。

例えば認定されたボランティア組織でボランティアを行った場合に、献血カードのようなものに記録が残されて、一定回数ボランティアを行った者はホームページで名前を公表したり、表彰する仕組みなど、いろいろなものが考えられると思います。

また、女性が関わる介助などの支え合いは、これまでも金銭的な評価が十分になされてきたとは言えない分野です。しかし、支えた人が支えられる仕組みがあれば、金銭が介在せずとも、必要なときに支えられることになります。

そこで、就労サービスの支援を金銭のみで評価するのではなく、就労した時間を評価する「ふれあい切符」とか「時間貯蓄」とか「タイムダラー」といった制度のように、時間を交換できる仕組みについても、もう少し促進してもいいのではないでしょうか。

3点目に、「地域を中心とした互助の促進」も、高齢者の働きがい、社会貢献に役立つのではないかと思います。

「意欲を活かせる場所の構築」との関係では、人と人のつながりをより活性化することによって、そういった生きがいにつなげやすく、それには地域というものが重要な要素を担うのではないかと思います。つまり顔の見える支え合い、先ほど出てきた互助を促進して、精神的・サービス支援を行う働き場所を開発するわけです。

このほかに、地域包括ケアのコミュニティーを創生し、働く・社会参加する場所を発展させるといった、前回話したようなお話もあるかと思います。これによって通勤時間も短縮できますし、就労時間・場所の柔軟化・多様化も促進できて、より働きやすい、社会参加しやすい環境になるのではないかと思います。

次に、「意欲と場所とのつながりの欠如」という観点からも、コミュニティーづくりというのはそれをつなげやすいと思われます。例えば高齢者が1日に一度、一緒に食事ができる食堂が重要だという話を前回しました。なかなか出てこない人がいるという話もありましたが、必ずとらなければいけない食事をきっかけに、いろいろな人と関わっていく、情報交換する場所をもう少しつくることによって、いろいろな意欲とかをつなげていくという仕組みもあるかと思います。

以上です。

○清家座長 とても包括的にコメントしていただいて、ありがとうございます。

香山委員、どうぞ。

○香山委員 今、高齢者の方の環境を整えてあげて、能力を与えてあげれば働くのはとても必要だし、いいことだということで話が進んでいると思うんですが、ちょっと水を差すようですけれども、そうとばかりも言い切れない状況もあるような気がし、今、ここでこの言葉を持ち出すのは場違いかもしれませんが、働く高齢者に対する、いわゆる老害とかと言われるような言葉もあるわけです。

今、私も大学で教えていて、今、学生は就職活動に苦労してなかなか就職できないと、彼らの中には、ちょっとこんな言い方はあれですが、老人の方たちが既得権にしがみ付いているので私たちが就職できないんだと言っている人とか、あるいは卒業して就職した卒業生と話をしていると、自分の会社にも再雇用されている高齢者の方というか、定年後にまた働いている人がいるけれども、その方たちはすごくプライドが高くて、余り仕事もしてないのに威張っていてとても働きにくいとか、そういう話もよく聞くわけです。

あるいは、ボランティア団体とかでも、団塊の世代の人たちが退職してボランティアに来てくれるのは結構なんだけれども、やはり何とか企業の何とか部長みたいなまま来てしまって、若い人たちが指導したりすると、何でお前らみたいな若造に言われなければいけないみたいな感じで、勘弁してほしいとか、実際にはそういう話もよく耳にしてしまいます。それは一部の方たちかもしれませんけれども、先ほど園田委員がおっしゃった高齢者の誇りというのはすごく大事なんですが、変なプライドというのは、むしろ社会参画する上では非常に有害なものになってしまったりして、その辺は高齢者の方たちに働いてはいただきたいんだけれども、謙虚になれとかいうのはまた言い過ぎで、そんなことは強制できないですが、例えば先ほど関委員もおっしゃったような、自分の能力と今の社会がミスマッチしているかもしれない。

でも、そういう場合は、それは別に恥ずかしいことでも何でもないんだからちゃんと学んでくださいねとか、あるいは、自分が今まで培ってきた経験も大事だけれども、若い人たちと一緒にやってくださいねといったような、高齢者の働く側の方たちの意識の改革を傷つけないように促すということも必要かなとも思いますし、また、こういった働く高齢者の方たちに対する社会全体のネガティブイメージみたいなものを払拭するためにも、やはり若者の雇用対策というのも、両輪のもう一つの輪としてやっていかないと、また老人の方たちばかりに雇用を与えて、私たち若者はどうなるんだみたいな声も高まっていくのではないかなということも、ちょっと危惧したりいたします。

○清家座長 ありがとうございます。

園田委員、どうぞ。

○園田委員 私も香山先生の意見に大賛成です。実はもう一つ、下手くそなキャッチフレーズを考えてきました。何を考えたかというと、「ヤング・オールド・バランス」ということです。「老若のバランスのとれた社会」、あるいは「長幼のバランスのとれた社会」の方が高齢者受けはいいかなとも思います。はっきり言って、私も、今の日本のいろいろな仕組みというのは老人偏重だと思います。

ですから、実は先ほどもやんわり申し上げたのですが、この委員会の構成メンバーも、ややオールドの方に偏重かもしれない。先ほど来、私が高齢社会とは何ですかと確認したことや、今、申し上げたヤング・オールドのバランスをとるというのが、この大綱の中の骨として入ることは重要です。ですから、働き方については、まさに香山先生がおっしゃったことに大賛成で、その趣旨を何とかきちっとアピールしていきたいと思います。

○清家座長 ありがとうございます。

森委員、よろしいですか。

○森委員 是非もう一つ別の視点で考えていただきたいというのは、御案内のように市町村は、国民健康保険の保険者と同時に介護保険の保険者なんです。そうしますと、御高齢の方が就労を含めた生きがいなり、例えば私どもは、市のいろいろな仕事をアウトソーシングして出している会社があるんですけれども、そこでは240人のうちの70人余が、いわゆる60歳以上の方、リタイアされた方なんです。

この方たちは、毎年毎年、いわゆる健康診断、法定された健康診断をやっていくわけです。それは社会保険の方であれしますけれども、それは医療費に即つながるわけです。シルバーの方はほとんどが生きがいを持って働いていらっしゃるけれども、その方たちは国民健康保険なんです。その方たちがアクティビティーに動く社会というのは、トータルで見たら、マクロで見ても国全体で見てもそうだと思うんですけれども、今、ある面で医療費というものが日本の大きなウェートを占めています。こういうものが全体的になだらかに減っていけば、就労のことも含めて高齢者の方が活躍する場があればあるほど、国民全体としては利益につながるのではないか。

ですから、先ほど申しましたマッチングをいかしてやってその方たちがということは、このマッチングというのはハローワークでやれということではなくて、できるだけ狭い地域社会、例えば小学校単位のところで、自分が歩いていけるような距離の中でそういうものを探し出していくことによってやる。

そして今、香山委員も園田委員もおっしゃいましたけれども、高齢者の方が若い人の職場を云々ということではなくて、これは行政の役割かもしれません、あるいは地域社会のNPOの役割かもしれませんけれども、そういうところでいかにして隙間のところ、例えば、今まで全部行政が抱えていた仕事を切り出していくとか、いろいろなやり方によって仕事をつくっていく。そのつくった仕事の中で高齢者に合うものとか、そういう仕組みとか仕掛けを地域社会の中でつくっていけば、今、両委員がおっしゃったような老害につながらなくて、健康で生きがいを持ってやれるのではないかというふうに思いました。

○清家座長 ありがとうございました。

この高齢者の活躍、能力を生かすということについては、大切なポイントは意欲ということと、能力ということと、その能力を生かす条件ということです。ですから、この整理をきちんとすることが大切だということだと思います。

もう一つは、雇用機会については若干ステレオタイプな見方、これはメディアの責任などもありますけれども、私も大学社会の人間なので少し責任もあるのですけれども、若い人は就職難と言いますけれども、例えば大卒新規学卒者の求人倍率などを見ると、1を超えているわけです。ただ、大企業に限ると0.7とかで、1,000人以下だと2に近い、300人以下だと3を超えている。

そういう面では、中小企業は高齢者ももっと雇いたいし、若い人も雇いたいのだけれどもそうはなっていない。大企業は若い人もそんなに雇いたくないし、高齢者も早く追い出したいという感じなので、その辺のバランスのとれた見方、とくに雇用の代替や補完関係については、少し事実を整理した方がいいとは思います。

ただ、やはり年功賃金をそのままで高齢者の雇用の促進と言っても困難ですし、年をとった人がみんな管理職のままで、高齢者の雇用の促進というのもあり得ないわけで、意欲と能力のところはかなりいいんだけれども、その能力の活用が可能になる条件は何かというのを、クールに書き込んでいくことも大切かなと思います。

それでは、4つ目の視点でございます。高齢期及び高齢期に向けた備えは、先ほどから出ております、全世代にとって高齢社会というのをどのように考えるかという点でも重要でございますが、主に所得の保障、働き方、能力形成、健康管理、自己啓発といった観点から「高齢期及び高齢期に向けた供えについて」の課題、今後の方向性について御意見を伺いたいと思います。

園田委員、どうぞ。

○園田委員 1点目の所得保障の観点からについて、私は住宅が専門なので発言させていただきたいと思います。

この書き方だと、これからの高齢者をどうするかということなんですが、はっきり申し上げて21世紀前半の所得保障について言うと、実は20世紀の後半の事後処理的な対応ということをきちんと据えないといけないと思います。なぜかというと、21世紀前半の老後問題というのは、端的に言えば戦後核家族の老後問題、最後は専業主婦の老後問題なんです。20世紀後半の日本人というのは、所得のかなりの部分を居住用不動産につぎ込んできたわけです。

うろ覚えなのできちんと確かめてほしいのですが、75歳の単身者の平均資産が約4,000万円に対して、その約7割は自分の家と土地、居住用不動産だと言われています。ところが、その居住用不動産、人生の収入のかなりの部分をつぎ込んだものが本当に価値あるものならいいんですが、この失われた20年の間に、言葉を強く言えば不良資産化しているということがあります。要するに、それが老後の所得保障というか、経済的な支えであったはずなのに、非常に劣化しかかっているという危機的な問題を、まずきちんと押さえる必要があるというのが1点です。

では、それが本当に不良資産かというもう一つの点も考えなくてはいけません。家は古いけれども、かなりいい環境にいいものが建っているのですが、日本人はそれを流動化するノウハウが全くないわけです。

現実、どういうことが起きているかというと、民法の改正からややタイムラグがあって、昭和の時代の相続は、かなり長子相続的なことが実際に行われていましたが、平成の時代は完全に均分相続です。85歳のおばあさんが亡くなると、資産のほとんどは不動産であるところに、そこに均分相続という数字で割り算をしなくてはいけない事態が起きると、居住用不動産の価値がわからないので親族間の紛争になりがちです。どういうことになるかというと、お兄さんは売った方がいい、妹は貸した方がいい、更にその下の弟は、自分の子どもがかなり大きくなってきたから住まわせてほしい。なぜなら、相続は85歳とか90歳で起きると、その子どもはもう私の年齢以上、50代、60代ですから自分がそこに住む必然性はないわけです。

ということで、せっかく数十年培われてきた居住用の不動産が粉々に分かれてしまう、あるいはその価値がきちんと評価されないということで、結局私たちが20世紀後半につくり上げてきた居住環境が、相続というところで次の世代に継承されないという問題があるのです。

ですから、ここでの記載はほんの1行なんですけれども、実は20世紀後半の高度経済成長期の日本人の資産形成がどうであったかということと、そこで資産形成をされた方が21世紀の前半は老後期を迎えられるので、そこの部分はある意味非常に特殊なかぎ括弧付きで、その方たちの資産の活用あるいは流動化と次世代への継承というのを、是非この中に入れていただきたいというのが今日の私の申したいことです。

○清家座長 ありがとうございました。

森委員、どうぞ。

○森委員 今の園田委員のおっしゃるとおり、たまたま国民健康保険の保険者として資産割と所得割というふうにやっています。例えば介護保険では、資産をどう評価するということはやってないんです。

こういうことから言って、私はある面で、どちらかというと収入に着目をしてずっとやってきたのが日本の社会ではないかと思うんです。ですから、今回233万円だったかな、それより高く上げるとか、今、例の社会保障審議会の中でいろいろ議論がありますけれども、資産形成にはいろいろな経過を経て現在があるわけですが、その資産をどう評価していくかということに着目をしていかないと、今、園田委員がおっしゃったように不良資産化をしてくる。それは、いみじくも流動性がないからということです。

1つ実際に自分のところで私自身が経験したことですけれども、東京の武蔵野でリバーズモーゲージという制度、いわゆる資産というものをどんなふうにとらえるか、私どももそれをやっていました。実際にいいところまでいくんですけれども、なかなか難しい。実はそのときに一番大きな弊害があったのは、農協さんとか労金さんはそこの点に着目していただきましたけれども、信金さんはまだまだあれだったんですが、メガバンクはそういうことに着目していただけなかったという思い出があるんです。

そういうことから言って、これからの社会の中で所得保障というのは収入に着目するだけではなくて、その人の資産形成のところも考え方に入れていかないと、高齢期と言うんですか、いわゆる自分の老後のことをどういうふうに処置していったらいいかという点で、思いがみんな違ってくる。

そうすると、一番悲しい例が東京の足立であったように、老老介護の中で年金だけ云々ということで社会的な事件になって、いわゆる行方不明の高齢者の問題ということも、いろいろな意味で社会的なそういうものが出てきてしまうということを考えたら、やはりそういう点が大事ではないかと思います。

もう一つ、実は冒頭にもたしか園田委員がおっしゃっていただいたと思うんですけれども、今、高齢社会のいろいろな施策、対策というのは、時間軸でとらえたら次の世代への対策だというふうにとらえていかないと、先ほど来お話があったように高齢の問題だけではないんだよという視点、次の世代、それは当然働き方のことでも、例えばよく言われるように、結婚して出産をすると、今、育休・産休を含めて3年ぐらいですか、その間に、いろいろな意味で世の中の進歩の方が早いとか、いろいろなことになって自分が復帰をしてもなかなかそれについていけないから、ここでリタイアをしてしまう。せっかく培ったものが、そこで一遍ゼロのところへ戻ってくる。

そういうところに、例えばリタイアして能力を持っている人たちが、家庭保育とか、あるいは地域社会の中で、1つの事例を申し上げますと、離乳食とか乳児食とかいうのは、地域の経験のある女性の方が、そういうものを使ってデリバリーをするようなものを地域の中で起こしていけば、それも1つのビジネスになる。そうすると、その方たちが引き続きずっと就労を続ける。国民全体の経済システムから言ったらその方がというような、そんなことができないのかなと思いました。

○清家座長 ありがとうございます。

香山委員は、この点で何かございますか。

○香山委員 先ほどから働く高齢者とか、いろいろな話が出ていて、先ほど関委員からも高齢者になる前からの話というのもちょっと出ていたと思うんですけれども、私たちはこうやって話しながらも、勿論高齢者の方それぞれ個人差があるんですが、豊かな成熟した高齢期の過ごし方というイメージが、何となく社会全体として非常に貧困なのではないかなという気がしながら聞いていました。

高齢者と言うと、非常に枯れた老人とか、だれからも扶助を受けられないような悲惨な状況になっている高齢者とか、先ほど私が不謹慎にも出してしまった老害的な居座っている高齢者とか、そういう非常にネガティブなイメージで、それを何とかしようということでこうやって話し合いをしているんですけれども、ちょっと議論の筋道から外れているかもしれませんが、まだ、楽しく豊かで円熟した人生の後半を送っているというロールモデル的なものが私たちの共通認識としてもなかなか持ちづらいんだなということを思いながら聞いていました。

今は、私たちがいる医療の分野でもアンチエイジングと言って、老いは悪いもので、とにかく遅らせた方がいいとか、老いはない方がいいとかというふうに、私たちは若いうちから余り老いのことを考えずに、青年期やその後の成人としての壮年期の延長、壮年期をなるべく長引かせるというような方向でしか考えてないような気がするんですが、そうではなく、老いそのもの自体がとても楽しくて、豊かで成熟したものであるというようなイメージの形成、また、そのときの何かロールモデルのようなものの想定というんですか、そういうこともしていかないと、どういう老いを過ごすか、どういう老いを目指すかということも、若い人たちもイメージしにくいのかなという気がしながら、漠然としているんですけれども、聞いていました。

○清家座長 ありがとうございます。

では、関委員、よろしくお願いいたします。

○関委員 資料3の4ページからを併せてごらんください。

高齢期及び高齢期に向けた備えについては、3つの観点を考えていく必要があるのではないかと思っています。

1点目は、先ほどから、社会保障制度は高齢者に偏り過ぎているのではないかといった話がありますが、ここでその高齢者の定義を変えて、例えば、75歳からの最後の10年とか15年を高齢期というふうにとらえるとすると、そのときについては手厚い保障をしてもいいのではないかというのが1点目です。

つまり、物語のハッピーエンドのように、人生の晩年においては、心の安定につながる社会保障制度を「お疲れ様」と整備するならば、先ほど話にあったように、若い人も将来どういった晩年が待っているのかと考えたときに、ある意味、1つの安心だとか期待を持つことができるのではないでしょうか。つまり「お疲れ様」と、高齢期には安定した保障を提供するという点を、1つの理念として掲げるといいのではないかと考えています。

というのは、所得保障の課題として何が問題と考えているかと申しますと、高齢者においても格差が拡大しているということとか、貧困化が進んでいるという点です。やはりそれを防いだ方がいいのではないか。生活保護受給者は増やさないような政策をしていった方がいいのではないかと思っております。そういう意味で、ある程度の年金給付額は維持する必要がありますし、医療や介護についても、そのニーズのために貧困化しないように、一定程度を保障すべきではないかと考えています。

このように、ある程度の年金給付額を維持するということを考えますと、公的年金については細く長く保障するというよりも厚く短く、つまり人生の晩年にある程度の額を保障するという形に考えていくといいのではないかと思います。

というのも、支える側の負担増、例えば増税とか保険料増には限界がありますので、前回の年金改正でも、そこには一定のキャップを設けるという形に改正がなされました。その中で一定の支給額を維持するためにほかに何ができるかというと、支給開始年齢を人口構成に合わせて引き上げていくしかないのではないかと思っています。

ただ、これをするに当たっては、基本理念の<1>として挙げました、長寿社会に合った高齢者像への意識改革をまず徹底して、65歳になったら引退するという価値観を変えていく必要があります。65歳の者は高齢者ではなくて、高齢者を支える側に回るということが重要なのではないかと思います。

このようにしたとしても、例えば高額所得者については年金支給後に年金に課税する方法などで再分配は行うとよいのではないかと思います。ただ、重要なのは、一定の年齢以上の者は平等に社会保障の対象とするということで、まずは年金を支給し、その後に再分配を行うという形で、心の安定を提供するのがよいのではないかというのが1点目です。

2点目は、所得を確保する年金、貯蓄、就労のいずれにしましても、若年・中年期からの備えが必要となりますので、人生設計を考慮した制度整備という観点が必要なのではないかと思っています。そこで、それを基本理念の<4>として挙げさせていただきました。例えば所得を確保する年金制度も、40年以上保険料を支払うことで満額受給が可能な制度です。また、支給開始年齢を引き上げるとしても、それに向けた人生設計とか貯蓄を可能とする準備期間が必要です。

例えばアメリカで支給開始年齢を65歳から引き上げると決定されたのは1983年で、実際に支給開始年齢が上がっていったのは2000年代です。つまり、20年先の話でしたので、アメリカ人もそれだったら上げてもいいだろうということで合意をしましたし、それだけ時間があれば備えることができたのだと思われます。ということで、日本でももう少し先を見据えた制度の改革を、今から厳しい点を提示していく必要があるのではないかと思います。

就労などについても、先ほども老害とかいろいろと話がありましたが、私自身も、森委員の御指摘のように互助を促すような地域とか、そういった若者とはまた違う側面での働く場所や生きがいをもう少し広げていけたらいいのではないかと思います。若い人と対立しないような形で、もっと別の形で働く場や社会貢献する場を広げるということに注目したらいいのではないかと思っております。

ただ、そのために、その体力とか能力に応じて就労場所を変えていくためには、若年・中年期からの備えがないと、能力形成や自己啓発がなされていないとできないと思われます。

また、主婦やパートを業としてきた高齢女性の所得を改善するためにも、若年・中年期からのワーク・ライフ・バランスが必要となります。さらに、高齢期の健康は若年・中年期の健康管理・予防の影響が大きいです。いずれも人生設計の見直しを可能とするような、長期的な視点の社会制度が必要です。というのも、公助の範囲は人生設計に影響を与えます。そこで自助の範囲を明確化するためにも、長期的な視点で制度改革を行うことが必要なのではないかと考えています。

3点目に、これはその人生設計を意識した制度改革の点と関連しますが、それを可能とするためには、「意識改革をすすめる制度の周知」というのが必要なのではないかと思っております。つまり、人口構造の変化とか社会が変わったことに対する認識を促進して、基本理念の最初に挙げた「長寿社会に合った高齢者像への意識改革」を徹底し、だれを支える側、支えられる側ととらえるかについての認識を変え、社会のバランスを確保するということに向けて、この意識改革が同時に必要なのではないかと思います。

○清家座長 ありがとうございました。

この準備というのは、経済学の言葉を使えばストックとフロー、あるいはインベストメントとリターンというか、その対応関係で整理していくことが大切かと思います。

恐らくストックは4種類ぐらいあって、1つは人的資本、まさに健康であるとか仕事能力であるとか、そのストックをどういうふうに貯めていくか、投資していくか。そして、そのリターンとして、年をとってからも収入を得られるであるとか、あるいは健康であれば余暇も楽しめるであるとか、そういうリターンがある。

もう一つは、物的資本です。個人の場合は先ほど来、園田委員などからもお話が出ているように住宅資本というのが中心となるわけで、そこからは勿論、帰属家賃というものも含めて家賃収入が得られるし、将来、それを売却等ができれば、つまり先ほど来出ているような流動性等の制度が整備されれば売却益も出てくる可能性がある。

3つ目が、いわゆる金融資産というか、金融資本というか、いずれにしても預貯金、保険、債券、株式、といったそこから配当であるとかキャピタルゲインも含めて金融的なリターンが得られる。

そして4つ目は個人の備えではないですけれども、今、関委員等も言われた、前提としての社会資本、これは公的保険制度なども含めて、そこから公的なサービスのリターンが得られる。少し漠然としたものですけれども、安心というリターンが得られる。

そのどれも大切なわけですけれども、実はそれぞれがストックをフローに変える仕掛けがまだまだ不十分ということだと思いますので、そういう整理で、今、委員から出たお話を整理していただければと思います。

大変恐縮ですけれども、あと15分ぐらいしか時間がないのですが、今日は盛りだくさんで、もう一つ5つ目の論点というのがございまして、これが「高齢者が安心して活躍できる環境整備」ということで、今まで出たことと少しオーバーラップすることもございますが、特に防災とか防犯の観点も含めて住居の環境を初めとしたハード面での課題、それから、高齢者の快適な生活とか、あるいはそれを支える人々が活躍しやすい状況をどのように考えていったらいいかということについて、この5つ目の柱についても、限られた時間の中ですけれども、少し御議論をお願いしたいと思います。

森委員、どうぞ。

○森委員 ハードの面では、例えば住宅の場合ですとバリアフリーということが常に考えられた。これは園田先生が御専門であれですけれども、しかし、実際に世の中の仕組みの中では、どちらかというといろいろな社会資本を含めてバリアアリーなんです。そういうことを前提として考えていかないと、ある面では廃用性症候群というような、要するに自分の持っている残存機能というものを使って生活していくという考え方に立たないと、なかなか生活しづらい。

そういうことを若いうちからを含めていろいろな意味で、例えば高齢期になっても予防の面で、常に世の中にはそういうバリアがあるんだと。それをどういうふうに克服していくかは、いかにして残存機能を活用していくかということ。私は、ハード面ということからいくと、やはりそういう考え方、意識を変えていくという意味でも、そうではないだろうかと思います。

もう一つ、先般いただいた資料の中でもそうですけれども、いわゆる社会的孤立、孤独死と言うんですか、こういうことは、ソフト面で地域社会の中でのいろいろな人間関係を含めたものがなくなってきた。こういうものをどういうふうに復活するかということの中で、互助という考え方が今回入ってきたということです。

もう一つ、先ほどの財産の問題にも絡んでくるかもしれませんけれども、いわゆる家族の関係も大変希薄になってきた。そうすると、社会を支える仕組みの中で1つの考え方として成年後見という考え方、ソフト的な面では本人を守るためにも、そういうことがすごく大きな意味を持ってくるのではないだろうかと思います。

恐らくそのために、今度の介護保険法の一部改正の中で、いわゆる市民後見という考え方も入ってきました。いろいろな意味で、社会の中で孤立化を防ぐ、あるいは尊厳を守っていくためにそういう仕組みが必要ではないか、また、そういう社会をつくっていければと思います。

○清家座長 ありがとうございました。

それでは、園田委員、お願いします。

○園田委員 今、ここでハード面での課題は何かと書くと、森委員がおっしゃったようにバリアフリーということにすぐなりがちなんです。しかし、これをテーマにかれこれ20年近くいろいろやってみてわかったことは、今、私たちが求めているハード環境というのは、多様な存在を受け入れられる、許容できる環境ということなんです。ゼロ歳から100歳以上までの人が同時的に存在しているというのは、人類史上初めてだと思うんです。

そういう意味で言うと、バリアフリーというのは段差があるから取るとか、幅が狭いから広げるというのではなくて、多様な存在を許容できるぐらいデザインの幅を拡張する。デザインの拡張をやらないと、この人だけ見てこれでいいと思っていると、外れてしまう人がたくさんいるということです。そもそもバリアフリーという考え方も、今、森委員から指摘があったように、変えることが必要だというのが1点目です。

2つ目は、私は、最近、あえて20世紀的バリアフリーと言っているのですが、すべてDoing型です。また、ここでの議論もそうだし、こういう政策決定もすべて目的を設定してそれに向かって突撃するというか、Doing型なんです。常に、「何かをする」という力を動かさなければいけないという方向性しか持たないんです。ところが、実はバリアフリーの研究をいろいろやってみてわかったことですが、特に知的障害のある人や、精神の障害のある人、高齢者は、ただここに存在していて気持ちがいいかどうか、音がすてきに聞こえるかどうかという、DoingではなくてBeing、存在を保障してもらえるということがすごく重要なんです。そうすると、光が気持ちいいかとか、音が心地よいかとか、空気の温熱感がいいかとか、空気がきれいかとか、そういうことがすごく重要なことなんです。

ですから、21世紀的な目標というのは、ここでハードの環境と書いてあるのですが、多様な存在を受け入れられる環境をつくることこそが新しい課題で、それに成功したら世界に誇れる高齢社会になると思います。私はそういうふうに考えています。

○清家座長 ありがとうございました。

では、関委員、お願いいたします。

○関委員 資料で言えば5ページに当たるのですけれども、今までのいろいろな議論と重なるのでかいつまんで話します。今、園田委員からお話があったように、私もデザインの拡張というのは重要で、それはユニバーサルデザインの視点ということかと思いますが、それを取り入れるということ、それをもっと活性化することが重要なのではないかと思っております。

また、先ほど来「お疲れ様」と高齢期には安心した保障を提供するといいのではないかと言っておりますが、その点からしても、森委員からも御指摘があった成年後見制度も含めて、高齢者が虐待とか詐欺の対象とならないように、高齢者の尊厳を保つための法制度をより整備していかなければならないと思っております。

そのほか、今回、被災者に高齢者が多かった事実を受けとめて、やはり防災を意識した安全な社会基盤ということについては、もう少し整備、検討していくべきではないかと思っています。

そのほか、自助・互助・共助・公助の役割分担をしっかりして、今回出ています互助の視点をより取り入れ、地域を中心とした互助を促進する形で、高齢者だけではなく、支える人も支援がしやすくなるような市場を活性化したり、有償ボランティアのように互助と市場をミックスした方法を促進したり、いろいろな形で高齢者が安心して活躍できる環境整備を行っていけばと考えております。

以上です。

○清家座長 ありがとうございました。

では、香山委員、よろしくお願いします。

○香山委員 環境整備ということになると今回の大震災でも目立ったように、いわゆる情報という問題をどうするかということがあると思います。よく情報格差とかデジタルデバイドと言われるような問題ですけれども、大震災でもそういったIT機器とかを使いこなせるような世代とか状況にある方は、いろいろな情報をいち早く入手できたと思うんですけれども、恐らくそういったことになれていない高齢者の方たちは、情報から取り残されたというような事実があったと思うんです。

そういった高齢者の方たちと情報ということを考えると、方策としては2つに1つしかないのかなという気がして、1つは皆さんをIT化するというか、ネットとか携帯電話とかを使えるように教育するとか、そういう環境を整えるという方法が1つと、あとは逆に、別にIT化されていなくても生きていけるような制度を整えていく。

今回、たしか内閣府の方たちが被災地の避難所に対して、壁新聞のようなアナログ的な刷り物で、非常にわかりやすい形で、今、政府ではこういう支援がありますよとか、こういう制度が使えますよとか、お家がなくなった方はこういうことをしてくださいというような、本当に親切に書かれたような刷り物を定期的につくられて、避難所で配ったり張り出したりしたというのを、私もとても興味深く見せていただいたんです。個人的には、デジタル的なものに余り頼り過ぎても限界があるのではないか、最終的にはそういったアナログ的な伝達というものを全くなくしてしまうわけにはいかないので、余りIT化ということだけに偏重し過ぎると、それは方向性が違うのではないかと思います。その辺はいろいろなお考えがあると思いますが、今、IT化していく社会の中で、高齢者の方たちをどうとらえていくのかということが、1つ大きな問題になるかなと思います。

あと、もう発言の機会がないと思いますので、今の話とは少しずれてしまうのかもしれませんが、1つだけ言わせていただきたいんです。

それは全体の話にも関わると思うんですけれども、幾ら高齢者の方たちが手厚い社会保障を受けたり、あるいは今、ここで議論されているように、働く機会とか場を与えられたりして生きがいのある生活を実現できたとしても、その方たちはこれからだんだん若くなるわけではなくて、恐らく近い将来亡くなるというか、死を迎えるわけで、今、孤立死とか孤独死という話も出ましたけれども、いわゆる終末期と言われる最期の段階を遠からず迎えるのが高齢者です。先ほど私は若者と一緒と言ってしまいましたが、実はそこが決定的に違っていて、すごく率直に言えば死が近い。死亡率は100%ですから、若者よりも圧倒的に死ぬ時期が近いわけです。

私たち医療の分野でもそうなんですが、いわゆる終末期とか死という問題は、割とブラックボックス化されていたりタブー視されていて、余り語ってはいけないんだということになってきていましたけれども、そのつけが回ってというんですか、今になって、延命治療をどうするのかとか、死に場所は病院なのか、ホームなのか、それとも在宅なのかとか、いろいろな問題が出てきていて、昔だったら口にするだけで忌まわしいとかと言ってみんな避けてきたわけですけれども、余りにもそこの問題が、今、顕著になってきているので、ようやく少し語ったり、あるいは去年の孤独死とか孤立死とかいう問題もあって、いわゆるいかに死ぬかということです。その辺が少し御議論できるような状況になってきております。

高齢者が豊かで楽しく生きて、その後どう死ぬかというか、そこまで対策としてどうということはないんですけれども、そこもきちんとしていないと、皆さん、本質的に安心して、今の高齢期というのを楽しんだり、十分に生き切るということができないのではないかなという気がしますし、支える家族としてもそこが一番不安で、どうしたらいいんだろうというところでもあると思いますので、今回それを盛り込むかどうかはちょっと別にしまして、いかに死ぬかとか、どう死ぬかとか、その辺のこともどこか念頭に置きながら考えていけるようになればいいなと個人的には思っています。

○清家座長 ありがとうございました。

今、おっしゃった点は先ほど関委員もちょっと触れられていたかと思いますけれども、幸せな人生の終わりというか、多分幸せな人生というのは、最後に自分はいい人生だったなと思ってこの世を去っていけるかどうかだと思いますので、とても大切なポイントだと思います。多分そこには宗教の役割なども入ってくるので、公的な報告書の中で、どこまで書き込めるかは別ですけれども、やはり高齢化社会における心豊かな人生の終わり方ということについても、少し触れる必要があるかなと思います。ありがとうございました。

今後のまとめ方ですけれども、まずこれは高齢社会大綱ということで、高齢という名前をどうするかは別としても、前回の大綱を今回改めて見直すということでして、従って新しく一から書き直すというわけではないので、政策や行政の一貫性ということもございますので、基本的には前回の大綱をどのようにリバイズするかという作業を我々しているわけですが、その中で前回と今回で変わったことは何かというと、まず何よりも高齢化のレベルが一段と変わったということがあるわけですし、先ほどから20世紀型であるとか21世紀型という言葉も出ておりますけれども、社会のありようも変わったわけですし、ITというものをポジティブにとらえるか、あるいはその問題点をどう克服するかということも含めて、やはり技術の構造というものが変わったということ。

それから、それとは少し違いますけれども、今回の大綱は3.11というものがあった後で書かれるものですから、それを受けて、先ほど来、出ている互助の考え方などもそこから出ている部分があるかと思います。大きく分けると高齢化が進展したということ、社会の構造が変わったということ、技術の構造などが変わったということ、そして3.11以降の新しい状況を受けてということで、少し素案をつくっていただきたいと思っています。

そして、その中で幾つか新しい、今回の報告書の目玉になるようなこと、例えば互助という話とか、あるいは高齢者の定義を見直すことを提言するかどうかであるとか、先ほど来、出ているような意欲と能力と、それを生かす条件という形でしっかりと整理する。あるいはストックとフローの関係をきちんと対応付けて整理するということで、今日いただいた議論を少し踏まえまして、次回は、私もその中で事務局に意見を申したりしながら、まず事務局に大綱の素案をつくっていただいて、それを議論するということで。

もちろんそれは素案ですから、まだまだ皆さんの意見をいろいろ反映したり、変えたりする余地があるという意味のまさに素案を次回おつくりいただいて、議論をしていただくということでよろしゅうございましょうか。

森委員、どうぞ。

○森委員 今、座長におっしゃっていただきましたように3.11という中で、いろいろな意味で日本人が評価されている。ある面では、これは日本人の誇りだということで、例えば避難所を含めたいろいろなところで助け合い、支え合いをやってきた。そういうことは、きちんとメッセージとして伝える。それだけ日本人というのはすばらしいんだということに誇りを持たないと、将来の展望がなかなか描けないし、そういうことは大事なことではないかなと私は思います。

○清家座長 ありがとうございます。

今、まさに森委員が言われたような視点、それから被災地自体がそれこそ日本の高齢社会をかなり先取りしているようなところがありますから、これを考えることは被災地の復興というか、あるいは被災地の復興から日本の将来像も見えてくるということもありますので、ちょっとその辺も含めて素案をつくっていただければと思います。

次回以降の日程等について、事務局の方からお願いいたします。

○原口参事官 次回の検討会は、各委員の御都合をお伺いしましたところ、来年1月12日、木曜日だったと思いますが、14時からの開催予定となっております。なお、仮に当日御欠席される場合には、できる限り事前に書類が届くようにいたしますので、文書等で御意見を提出していただきますと、会議の場で御紹介いたしたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

以上でございます。

○清家座長 ありがとうございました。

今日は少し時間を超過いたしましたけれども、積極的な御意見をありがとうございました。それでは、今日はありがとうございました。