検討会(第3回)

1.日時:平成24年1月12日(木)14:00~16:00

2.場所:中央合同庁舎4号館 第2特別会議室

3.出席者:
(委員)清家座長、香山委員、関委員、園田委員、弘兼委員、森委員
(オブザーバー)笹井文部科学省生涯学習政策局男女共同参画学習課長、武田厚生労働省政策統括官付社会保障担当参事官、山口国土交通省総合政策局安心生活政策課長
(内閣府)村木政策統括官、内野大臣官房審議官、伊奈川大臣官房審議官、原口高齢社会対策担当参事官、飯島高齢社会対策担当参事官補佐
4.議事:
(1)高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書(素案)について
(2)意見交換

検討会(第3回)議事録

○清家座長 それでは、少し定刻より早うございますけれども、香山委員は後でいらっしゃるということですので、「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会(第3回)」を開催させていただきます。

本日は、検討会1回目、2回目の議論を踏まえた上で、事務局に検討会の報告書の素案を作成していただいておりますので、これについて議論を行いたいと思います。

まず最初に、事務局から報告書(素案)について、御説明をお願いします。

○原口参事官 報告書の素案につきまして、御説明いたします前に、資料等の確認をさせていただきたく存じます。

本日の配布資料でございますが、資料1といたしまして、事務局で作成いたしました「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書(素案)」

資料2といたしまして、関委員から御提出いただきました「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書(素案)への意見」

資料3といたしまして、同じく関委員から御提出の「『高齢』保障と高齢者の功績」

資料4といたしまして、園田委員から御提出いただいております「報告書(案)目次構成に関する提案」でございます。

参考といたしまして、3点ございます。
「高齢社会の現状」という資料集。
「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会(第2回)議事録」
「社会保障・税一体改革素案」が提出されましたので、そちらの方を御参考に付けてございます。

もう一点、当方の村木統括官でございますけれども、現在、官邸の方におりまして、30分をめどに会議の方に参加する形になっておりますので、御了承いただければと存じます。

それでは、お手元の資料1に沿いまして、御説明申し上げます。

高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書(素案)

「はじめに」という形で、この検討会におきまして御議論いただいたイントロダクションのようなものを整理してございます。

我が国の平均寿命は延伸を続け、世界で前例のない高齢社会を迎えた。1970年に高齢化率が7%を超えると、その24年後の1994年には14%に達し、他国と比較し速いスピードで高齢化が進行してきた。今後、高齢化は、アジアを中心とした世界各国で進むことを鑑みると、我が国は、高齢化を迎える国々のモデルとなりうる。

長寿を可能とした高齢社会になったのは、我が国の経済社会が成功した結果の証である。このような社会を前向きにとらえ、若い時から年老いるまで、元気に生活できる社会を築き上げていく必要がある。

このような高齢社会において、周囲にいる65歳の人たちをみると多くの方は元気でまだ現役として活躍している。また、平成24年以降、高学歴化、サラリーマン化、都市化といった戦後世代の変化の象徴であり、消費文化の中で育った「団塊の世代」が65歳に達することから、従来、我々が考えていた、高齢者は支えが必要という固定的なイメージは、現実の高齢者の実態とあわなくなっている。

また、このような高齢化率の一段の上昇とともに、今後人口減少社会に入り、世帯数が現症するなど、家族やライフサイクルに変化が起きている。また、IT化などのテクノロジーの発達により、働き方のあり方や経済基盤などの生活環境に変化が起きている。

一方で、2011年3月11日、東日本大震災は未曾有の被害をもたらした。日本人の多くが経験したことのない状況に直面しながらも、事態を冷静に受け止め、秩序を乱さず統制のとれた行動をする姿は日本国内のみならず世界において、日本人の自律のある生き方が再評価されるきっかけとなった。復興に当たっては、被災者、被災地の住民のみならず、今を生きる国民全体が相互扶助と連帯の下でそれぞれの役割を担っていくことが求められている。

震災の経験を乗り越え、人口減少時代に入った我が国の社会を活力あるものとしていくため、今後の新しい高齢者像を描くとともに、現在の高齢化や高齢者を取り巻く環境の現状と課題を整理し、それに対応した今後の超高齢社会に向けた基本的な考え方について検討を行うこととする。

2ページは「1.高齢社会の現状」につきまして、初回にお示ししましたデータの中で関連が深いと思われるものを抽出したものでございます。

(1)高齢化の現状

(高齢化率は世界最高水準)

我が国の平均寿命は延伸し続け、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、2005年には20.2%となり、他の先進諸国のイタリア19.6%、ドイツ18.8%、スウェーデン17.2%等と比較してももっとも高い水準となった。高齢化率が7%を超えてからその倍の14%に達するまでの所要年数を比較すると、フランスが115年、スウェーデンが85年、イギリスが47年であるのに対し、我が国では24年であり、前例のない速さで高齢化が進んだことがわかる。その後も一層の高齢化が進み、平成22年には高齢化率は23.0%となり、2055年には、40.5%に達すると見込まれている。このように、我が国は、世界のどの国もこれまで経験したことのない高齢社会を迎えている。

一方、アジア諸国を中心に世界各国において高齢化が進んでいくことが予想されている。

(総人口の減少と高齢化率の上昇の同時進行)

高齢者人口が増加する一方で、14歳以下人口及び15~64歳人口の減少による総人口の減少が同時に進行することから、平成18年12月の推計(中位推計)では、将来的には1人の高齢者を、2020年には20~64歳の1.9人で、2050年には1.2人で支える姿になると想定されている。

(団塊の世代の高齢化、大都市圏の高齢化が進行)

団塊の世代が2012年から2014年にかけて65歳になる結果、毎年高齢者人口が100万人ずつ増加する見込みとなっている。また、『日本の都道府県別将来推計人口(平成19年5月推計)』によれば、2035年には、ほぼ全ての都道府県で高齢化率は30%以上となる見通しであるが、2035年の段階で高齢者人口が多いのは、東京都、神奈川県、大阪府、埼玉県、愛知県、千葉県といった都市部であり、今後は都市部の居住する高齢者が大幅に増加すると予想されている。

(平均寿命の更なる延伸と社会保障給付費の伸びの増加)

高齢化の大きな要因の一つである平均寿命の延伸をみると、2015年には女性が87.08歳、男性が80.22歳を超え、2055年には女性が90.34歳、男性が83.67歳を超えることが予想されている。少子化・高齢化の進行に伴い、社会保障給付費は大幅に増加することとなり、年金を含む給付については、2011年度は、108.1兆円であるのに対して、2025年度には151.0兆円まで増加する見込みとなっている。

(社会保障給付費には、基本的には地方単独事業を含んでいない。)

(要介護者の急増と介護の担い手の負担の増加)

高齢者人口が増加するのに伴い、要介護認定者及び認知症を有する高齢者は急激に増加している。要介護認定率は、2009年に16.2%であったものが、2055年には約1.5倍の25.3%まで増加すると予想されている。要介護度が重くなるにつれて日常生活の中で繰り返し介護が必要な状態になりやすく、サービスに関しても複数のサービスを組み合わせて提供する必要性が増大するとともに、医療ニーズも高まる。

介護の担い手としては、同居の親族が中心であるが、介護者の高齢化も進んでおり、2010年には、60歳以上の同居の主な介護者の割合は62.1%となっている。要介護度が重いほど、家族介護者の介護時間は長くなり、家族に介護が必要となった場合に、自分自身の肉体的・精神的負担を心配している人が多い。実際に介護等を理由に離職・転職する人も増加する傾向にある。

(所得・資産格差の拡大)

高齢者の経済的な状況をみると、2009年では、高齢者世帯人員一人あたりの年間所得は197.9万円であり、全世帯平均の207.3万円との間には大きな差はみられない。しかし、10年前と比較すると、高齢者世帯は約10%年間所得が減少しており、減少幅が他の年代よりも大きいことがわかる。高齢者の所得格差の状況を、世帯員の年齢階級別の所得のジニ係数でみると、60歳以上のジニ係数の水準は他の年齢階級と比べ高く、60歳以上の人の間の所得の格差は他の年齢層に比べて大きい。

さらに、一般的に男性よりも女性の貧困率は高いが、その差は高齢期になるとますます拡大し、特に女性単身世帯の生活状況は厳しくなっている。年間収入は、男性で見ると、夫婦世帯より単身世帯の方が低く、単身世帯で見ると、男性より女性の方が低い。

生活保護を受けている高齢者世帯は増加傾向にあり、高齢者世帯のうち生活保護を受けている世帯の割合は平成22年度で5.9%となっている。

(元気で働く意欲の高い高齢者の増加)

我が国は平均寿命だけでなく、健康寿命(心身ともに自立して健康に生活できる期間)も世界で最も長くなっている。また、健康についての高齢者の意識をみても、60歳以上で自分を健康だと思っている割合は、65.4%をしめており、韓国、アメリカ、ドイツ及びスウェーデンの4か国と比較してみても、国際的にみて日本は「自分を健康だ」と思っている高齢者の割合が高い。

また、高齢者の就業についてみると、男性の場合、60歳を過ぎても就業している人の割合は過半数を超えている。高齢者が働きたい理由で最も多いのが「経済上の理由」であり、働けるうちはいつまでも働きたい60歳以上の人は3分の1を超えている。

(高齢期に向けた準備のための時間が少ない)

仕事と生活のバランスについては、希望としては「仕事」だけではなく、「家庭生活」「地域・個人の生活」の時間も十分に確保したい人がほとんどではあるが、現実には50%弱の人が「仕事」優先の生活となっている。実際に、週60時間以上働いている就業者の割合は、30歳代、40歳代の男性で20%弱と高い。このように、現役時代の労働時間が長く、仕事以外の家族との時間、趣味のための時間、地域活動の時間等がとりづらい状況になっております。

(日常生活の安心・安全が脅かされる高齢者の増加)

高齢者の生活環境の状況をみると、日常生活に不便を感じる高齢者や、事故・犯罪被害、虐待に遭う高齢者が増加している状況にある。

地域の不便な点として、「日常の買い物に不便」「医院や病院への通院に不便」「交通機関が高齢者に使いにくい」といった日常生活に不可欠な事柄に不便を感じる高齢者が存在している。

65歳以上の交通事故件数は、上昇傾向にあり、平成15年では89,117件であったが、平成19年には102,961件まで高まり、平成22年には106,311件にも上った。また、交通事故死者全体に占める65歳以上高齢者の割合は年々増加し、平成22年には50.4%と過半数を超えている。

高齢者は家庭内事故も多く、最も多い事故時の行動は「歩いていた(会談の昇降を含む)」となっている。

また、養護者により虐待を受けている高齢者の76.5%は女性であり、虐待者は息子が42.6%と最多であり、続いて夫が16.9%、娘が15.6%を占めている。虐待者との同居・別居の状況をみると、同居が85.5%となっており、同居している身内の者から虐待を受けている高齢者が多い。

さらに、高齢者の消費者トラブル被害も増加している。振り込め詐欺の被害者の約半数が70歳以上であり、全国消費者生活センターに寄せられた契約当事者が70歳以上の相談件数も依然として10万件を超えている状況であり。

「2.現行の高齢社会対策大綱の下で講じられた施策」といたしまして、大綱の下で基本的分野といたしまして5点ございます。

(1)就業・所得

(2)健康・福祉

(3)学習・社会参加

(4)生活環境

(5)調査研究等

それぞれにつきまして、関係施策の長期にわたる方針を示しております。

今、申し上げました5点につきましては、初回に御説明申し上げましたし、こちらの方は施策の推移でございますので、説明としては割愛させていただきたく存じます。

7ページ「3.超高齢社会における課題」でございます。

このように、現大綱の下で、高齢社会を持続可能なものとしていくための精度の見直し等が進められてきた。しかしながら、全世代の参画による超高齢社会の実現に向けては、経済社会情勢等の変化に伴い、解決すべき課題も生じてきている。

(1)高齢社会の在り方の変化

<1> 団塊の世代による多様な高齢者像の形成

  • 昭和22年から昭和24年に生まれた団塊の世代は総人口の5%程度を占めており、平成24年から65歳になる。このため、平成24年から平成26年に高齢者人口が毎年100万人ずつ増加する見込みである。
  • 団塊の世代は、多様な価値観とはっきりした権利意識を持ち、戦後の経済成長の中で豊かな生活を送ってきた人たちであると考えられる。そのため、ものごとに対して意見を言う市民であり、方向性が示されれば、その方向に対して議論もするが、その方向に向かっていくだけの力がある世代である。
  • このように、団塊の世代は高齢者層の大きな比重を占めることになると同時に、これまで社会の様々な分野の第一線で活躍してきた経験を踏まえた多様な高齢者像を示し、新しい高齢社会を先導する役割が期待されている。

<2> 「高齢者」の実態とこれまでの意識の乖離

  • 1950年代に国連が65歳を「高齢者」と区分したころ、我が国の平均寿命は、男性63.60歳、女性67.75歳(1995年)であり、当時としては65歳を支えられる人ととらえることに違和感は無かったと考えられる。しかし、その後の60年間に我が国の平均寿命が延伸を続ける中、65歳を超えても元気であると認識し、就労や社会参加活動で現役として活躍している人たちが多くなっており、60年前のように65歳という年齢で一律に区切って捉えることは実態にそぐわなくなってきていると考えられる。
  • また、健康維持のためや、生きがいや社会とのつながりを持ちたいという意欲の高い高齢者も増えており、そうした高齢者の中には、自己実現の欲求まで満たさないと生きていく価値がないと思っている人も出てきている。
  • こうした現状を鑑みると、65歳以上として年齢で区切り、一律に支えが必要であるとする従来の「高齢者」に対する固定観念が、多様な存在である高齢者の意欲や能力を活かす阻害要因になっていると考えられる。
  • 今後、高齢者の意欲を活かし、さらに社会の各方面で活躍の場を広げていくためには、実態に即して、国民の意識を改革していくことが課題である。

(2)働く意欲、NPO活動等に参加する意欲の高い高齢者の意欲を阻害する要因の存在

  • これまでみてきたように、現役を引退した高齢者が引き続き働く環境は整備されてきているものの、必ずしも希望する全ての高齢者の能力や意欲が十分に発揮されているとはいえないため、生涯現役社会の実現を進めていくことが課題といえる。
  • 意欲があってもそれを活かせる場所を知らない、積極的に探すほどの意欲はなく腰が重いという状況もあると考えられる。また、これまで持っていた能力と新たに求められる能力がミスマッチな場合も考えられる。
  • また、収入のみならず、健康維持のためや、生きがい、あるいは社会とのつながりを持つため等、様々な理由から働き続けることやNPO等への参加を希望している高齢者の意欲をいかにして満たしていくのか、また、そうした意欲を阻む要因を取り除いていくことが課題である。
  • 高齢者は、家族、親族と力を合わせて自分の可能性を最後まで追求するという「自己力」を拡大させることと、それを支える「社会の下支え」を強化することが必要になってくる。今はそこの中間を支えるところが弱く、「地域力」「仲間力」を高めていくことが今後の課題であると言える。

(3)世代間格差・世代内格差に対する不安感の増加

  • 現行の社会保障制度は、負担を将来世代へ先送りしている点が問題であると指摘されている。現在の社会保障給付の財源の多くが赤字公債、すなわち将来世代の負担で賄われている。これ以上、未来への投資である社会保障のコストを、将来世代に先送りすることは困難な状況になりつつある。世代間格差がこれ以上拡大しないようにするために、現在の高齢者と将来世代がともに納得し、不公平感のない「ヤング・オールド・バランス」の実現が課題となっている。
  • 現在、そして将来の人口構成に鑑み、従来であれば支えられる側と一律にとらえられていた人々も支える側にまわらなければ、社会のバランスは保てない時代になっていると言える。
  • 支える側にまわってもらう制度設計に改めることで、世代間の衡平性を確保する必要がある。
  • 本来ならば、社会保障制度は、所得の再分配機能の強化等を通じて、全世代を通じた安心こども基金の強化を図り、国民の一人一人の安心を高めていく制度である。年齢に関係なく、すべての人が社会保障の受益者であることを実感できるようにしていくことがこれからの課題であると考えられる。
  • さらには、世代間格差のみならず、これまで見てきたように、高齢者間の所得格差、つまり世代内格差は他の年齢層に比べて大きく、高齢期における格差が拡大している状況になっている。
  • これからは世代間のバランスを確保すると同時に、世代内のバランスの確保を行うために、地域における連帯やつながりを作る仕掛けづくりが課題になる。

(4)地域のつながりの希薄化、高齢者の社会的孤立化

  • 都市における高齢化が進行し、生涯未婚率の上昇ともあいまって単身高齢世帯が増加している。単身世帯の高齢者は、他の世帯と比較して近所づきあいも少なく、65歳以上の者の孤独死も年々増加している等、地域のつながりが希薄化し、高齢者の社会的孤立化がみられる。
  • 都市をはじめ、地方においても、人々のつながりが弱くなった背景として、高度成長期の日本で、地方から都市に出てきた人々が、企業の第一線として活躍していたが、引退して地域へ戻ったあとは、自分たちの居場所がない、あるいは地域社会そのものがなくなってしまっている状況になっていることが考えられる。
  • また、都市においても、特に男性の場合、引退して会社組織とのつながりがなくなった後、地域に戻ると自分の居場所がない、居住地域の中で活躍する術を知らず孤立化してしまう状況がみられる。
  • 高度経済成長をする中で、都市でも地方でも地域社会が崩壊し、地域社会全体の地縁、地域にとっての生活するインフラが失われた。このように、地域社会の中での人間関係を含め、様々なものが失われてきた中で、社会的孤立、孤独死の問題がでてきたといえる。
  • 買い物難民も孤立化が進行した一つの例であり、地域社会の中で日常品を買う店がなく、はるか遠くまで行かなければいけなくなる。または店までの移動手段が確保されていないなど、大きな問題となっている。
  • このような状況に鑑みると、地域社会における人々のつながりをどのように復活させるかというのが今後の課題としてあげられる。
  • また、介護の面においても、要介護者が急増し、核家族化などの世帯構造の変化に伴い、家庭内での老老介護も増えており、介護者の負担感が増加している。家庭内だけで支える力には限界があり、そうした家族を支えるという点からも地域のつながりを構築することが課題である。

(5)若年期から高齢期に向けた準備不足

  • 高齢期に向けた、健康の維持増進のために心かげていることとしては、「栄養のバランスのとれた食事をとる」が最も多く、以下「規則正しい生活を送る」「休養や睡眠を十分とる」「散歩やスポーツをする」等があげられている。
  • しかし、高齢期における健康維持増進に備える上での不満や問題点について聞いてみると、具体的な項目については「仕事(家事)が忙しすぎる」「健康診査を手軽に受けられない」等があげられている。
  • 生涯学習の実施状況についてみとみると、「この1年くらいしていない」と答えた人は20代から50代で約半数となっている状況である。この理由として最も多いのが、「仕事が忙しくて時間がない」からであり、次いで「家事が忙しくて時間がない」「きっかけがつかめない」からとなっている。
  • また、60歳以上の人はNPO活動等への関心が高まっているものの、実際に活動をしていく人は多くない。
  • 高齢期になってから、急に新たなスキルを取得することは難しく、また、第2の人生を支えるための、働く場所や社会参加をする場所を探すことも難しいのが現実である。
  • こうした状況を鑑みると、現役時代から高齢期に備えて何かしらの準備ができる時間を確保しながら働くということが課題になる。仕事と生活の調和がとれた働き方は、生活面での充実感が仕事にも好影響を及ぼすと共に、長期的に心身共に健康な生活を送ることを可能とする。
  • さらに、高齢期を健康に過ごすためには、若い頃からの健康管理、健康づくりに取り組むことが必要であるが、実際の行動に結びついていない現実がある。

4.今後の超高齢社会に向けた基本的な考え方

  • これまでの高齢社会は、「自助」「共助」及び「公助」の組み合わせによって成り立ってきた。
  • 「自助」は自らの選択に基づいて自分らしく生きるために必要なものであり、高齢社会において、自助を最大限進めるためには、本人も含め社会全体が年齢で一律に区切って高齢者ととらえることについての意識改革を進める必要がある。
  • また、現役世代からの高齢期を見据えての備えを進めることが必要である。
  • 「自助」を進める大前提として、「共助」「公助」による老後の安心を確保できる制度の確立が必要である。その場合、共助、公助の範囲は人生設計に影響を与えるので、長期的な視点での社会保障制度の設計が必要である。
  • 今後は「自助」「共助」「公助」に加え、我が国が迎える超高齢社会に対応するために、地域の人々、友人たち等との間の「顔の見える」助け合いにより行われるものである「互助」を再構築する必要があると考える。
  • ここで議論する超高齢社会は、高齢者だけが幸せに暮らせる社会を目指しているのではない。人は誰しも歳をとる。現在の子どもや若者までが将来に老いた際に安心して幸せに暮らせる社会を目指しているのであって、いわば次の世代への対策である。
  • 高齢者も支える側に積極的にまわると同時に、全ての世代繁殖試験が積極的に参画することで、お互いのニーズが把握でき、本当に支えが必要な人が真に何を求めているのかを理解することができる。そうすることで、いざ支えられる側になったとしても、安心して支援を受けることが可能になることが、今後目指すべき尊厳のある超高齢社会であると考えられる。
  • 以下では、これらの考え方に基づいて、これまで述べた超高齢社会における課題に対する方向性について具体的に整理する。

(1)高齢者の捉え方の意識改革

  • これまでみてきたように、「高齢者」といっても多様で、年齢で一律に区切るという捉え方では無理が生じていると考えられる。また、団塊の世代が平成24年から65歳に到達することから、これまで作られてきた「高齢者」像に一層の変化が見込まれる。
  • 65歳以上を一律に「高齢者」と捉え、支えが必要であるとする考え方や社会の在り様は、これまでみてきた意欲と能力のある高齢者の実態から乖離している。
  • 年齢で一律に捉えることは、意欲と能力の活用の阻害要因ともなっており、高齢者のやる気や能力を最大限生かすためにも、高齢者に対する「支えが必要な人」という固定観念を変えていくことが必要である。
  • そのためには、高齢者の捉え方に対する国民の意識変革が不可欠であり、それに向けた啓発が必要である。その際には、楽しく豊かで円熟した人生を送っているという多様なロールモデルについて情報提供を行っていくことも重要である。
  • 一方で、社会保障制度をはじめとする既存の各制度における施策の手指及び現在の取扱いを踏まえ、国民生活や将来設計の安心の確保ということを考慮して、社会システムへの影響などについて多角的な観点から検討する必要があり、中長期的課題として引き続き国民的議論を深め、合意形成をしていく必要がある。その際には、実態に基づく制度設計が求められる。

(2)高齢者が意欲と能力に応じて活躍できる環境づくり

<1> 意欲と能力を発揮できる働き方や活躍の場の環境整備

  • 高齢者は経済的理由から働きたいという希望があると同時に、定年・退職後もフルタイムで働きたいという人が多い。
  • 高齢者の活力を十分に活用でき、年齢に関係なく働くことができる生涯現役社会を目指すことが重要である。
  • 就労以外に、生きがいや自己実現を図ることができるようにするため、様々な生き方を可能とする新しい活躍の場の創出、意欲と活躍できる場のつながりの強化が必要である。

(柔軟な働き方の実現)

  • 意欲と能力のある高齢者が、本人の希望に応じて働き続けることができる生涯現役社会を実現することは、それらの高齢者の生活基盤となる所得はもとより、生きがいや健康をもたらすとともに、人口減少時代における労働力の確保にもつながる。ついては、希望する高齢者の65歳までの雇用の継続のための環境づくりを進めると同時に、賃金制度や昇進・昇格などの人事管理の見直しを行うことが重要である。
  • また、高齢期における個々の労働者の意欲・体力等に個人差があり、また家庭の状況等も異なることから、雇用就業形態や労働時間等のニーズが多様化している。
  • このような高齢者の多様な雇用・就業ニーズに応じた柔軟な働き方が可能となる環境整備を行うことにより雇用・就業機会を確保する必要がある。
  • こうした多様な働き方の実現は、高齢者のみならず、子育て世代などにとっても働きやすい環境となる。このため、職業人生を通じて、子育て、介護など人生の様々な段階における仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の実現を促進することが必要である。
  • また高齢者の意欲を最大限に生かすことによって、企業の活力維持に不可欠である若い世代への円滑な技能承継、技能伝承を実現することが期待でき、若い世代の能力の向上も達成される。このようなメリットを国として情報提供していくことにより、高齢者の高い就労意欲と経験・技能を活かす取組を一層推進していくことが重要である。

(さまざまな生き方を可能とする新しい活躍の場の創出)

  • 経済的な側面だけではなく、生きがいや社会参加を重視している高齢者も多いことなどに着目して、雇用にこだわらない社会参加の機会を確保させていくことが重要である。
  • 人々の支え合いと活気のある社会をつくるために、ボランティア組織やNPOの発達支援を進めるとともに、市民、NPO、企業などが積極的に公共的な財・サービスの提供主体となり、身近な分野において、助け合いの精神で活動することや協働の概念を最大限生かした高齢者が意欲や能力を活かせる場を創出していくことについても検討していくべきである。
  • また、既存の職域に限らず、高齢者の活躍の場として様々な可能性があることを紹介することも重要である。
  • なお、有償ボランティアなどの経済的な評価のみならず、「時間貯蓄」「ポイント制」など多様な評価基準を用いることによって、高齢者の名誉を尊重する仕組みも検討されるべきである。

(意欲と活躍できる場のつながりの強化)

  • 働く意欲とそれを活かせる場所をつなぐ仕組みを構築することが重要であり、ハローワークを活用した高齢者の就労促進やシルバー人材センターの活躍促進の推進することが必要である。
  • 身近なところでボランティア活動探しを支援するシステム等が配置されているワンストップ型の総合相談窓口の設置なども望まれる。

<2> 長期化する働き方への対応

  • 技術革新等により、企業内における働き方も変化が生じ、企業において働き続けるためにも、能力開発や生涯学習が重要となると同時に、男性にとっても女性にとっても、仕事時間と育児・介護・自己啓発・地域活動等の生活時間の多様でバランスのとれた組み合わせの選択を可能にする仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)が必要である。
  • 特に、今後、仕事と親の介護との両立を迫られる人が独身男性等も含めて増加することが見込まれ、企業には、こうした状況を踏まえた雇用管理面の対応を急ぐことが求められている。
  • さらに、職業人生が長期化することにともない、職業キャリアの節目における心身のリフレッシュや、ボランティア等地域活動へ時間を配分するといったことを、若年期から行うことが重要になる。リフレッシュ休暇やボランティア休暇など、長期休暇も含めた多様な休暇制度の導入・活用等の労使による検討も必要である。

(3)高齢者の「安心な暮らし」を実現する環境の整備

<1> 老後の安心を確保するための社会保障制度

  • 社会保障制度を中心とする、「共助」「公助」のあり方は、国民個人の人生設計に大きな影響を与えることから、人生設計の見直しを可能とする長期的な視点で制度改革を行うことが重要である。
  • これまで見てきたように、総人口の減少と高齢化率の上昇により、1人の高齢者を支える現役世代の人数は減少傾向にある。このような人口構成の面から考えると、誰を支える側ととらえて誰を支えられる側ととらえるかによって、支える側の負担感が大きく変わってくる。
  • 社会保障制度は、国民の自立を支え、安心して生活ができる社会基盤を整備するという社会保障の原点に立ち返り、その本源的機能の復元と強化を図っていくことが求められている。格差の拡大などに対応し、所得の再分配機能の強化や未来世代を育てるための支出の拡大を通じて、全世代を通じた安心の確保を図り、かつ、国民一人ひとりの安心感を高めていくことが重要である。また、出産・子育てを含めた生き方や働き方に中立的な制度設計を目指すべきである。

<2> 地域における「互助」の再生・コミュニティの強化

「互助」によるコミュニティの再生)

  • 社会情勢の変化や、核家族化の進展に伴い独居者が増加すると見込まれる中で、地域の人々、友人たち等との間の「顔の見える」助け合いにより行われる「互助」を再構築する必要がある。
  • 「互助」は市場で売買されるものでも強制力を伴うものでもなく、あくまで個人の自発的意思によって他を思う気持ちの発露として行われるものと考えられる。
  • それが、他者を支えるというだけでなく、他者からの承認や尊敬を通じて自分自身の生きがいや自己実現にもつながり、支える人と支えられる人の両者にとっての人生と生活の質を豊かにすることにつながるとともに、地域コミュニティのつながり再構築に向けても重要な役割を果たす。
  • 地域のコミュニティの再構築にあたっては、地域における高齢者の円滑な移動手段を確保すると同時に、様々な地域資源や人的資源等の社会関連資本(ソーシャル・キャピタル)を活用し、それを組み合わせて、地域の中で好循環させることが重要であり、地方公共団体はじめ関係機関・団体が連携・協力して、コミュニティビジネスの起業、教育・福祉・環境・防災・防犯等の地域貢献活動における参加促進など、協働の取組を進めていくことが求められる。

(アウトリーチ型の支援を通じたコミュニティの強化)

  • 高齢者、とりわけ独居の高齢者については、地域での孤立が顕著であることから、そうした高齢者と地域のコミュニケーションづくりに加えて、そのニーズに応じた支援が必要である。
  • また、老老介護等を含め介護が必要な高齢者と同居している家族に対しても、手助けがなくいわゆる介護鬱状況に陥らないようにするために、必要な支援を行うことが重要である。
  • このような地域における高齢者や取り巻く家族の孤立化を防止するためにも、いわゆる社会的に支援を必要とする人々に対し、巡回しながらニーズを把握するなど積極的にアウトリーチするような仕組みや、個別の相談支援を行うことなどを通じて、閉塞感を払拭することも重要である。
  • また、現在様々な目的で始まっている緊急時の高齢者の安否確認システムも含めて、総合的なネットワークが構築され、高齢者の日常生活全般に地域の目が行き届いている地域を実現していくことが望まれる。

<3> 高齢者が快適で安心して生活できる環境整備

(地域包括支援の一層の充実)

  • 高齢者が安心して活躍できるためには、高齢者本人及びその家族にとって、何かあった時に対応してくれる人がいないことへの不安を払拭し、いざという時に医療や介護が受けられる環境が整備されているという安心感が必要である。
  • 日常生活圏域内において、医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスが切れ目なく、有機的かつ一体的に提供される地域包括ケアシステムを確立していくことが急務である。
  • その際には、そこに行けば必要なケアの情報が得られるというワンストップの仕組みを構築することが重要であり、地域包括支援センターの総合相談、包括的・継続的ケアマネジメント、虐待防止、権利擁護等の機能が最大限に発揮できるような機能強化などが求められる。

(全世代対応のバリアフリー、ユニバーサルデザインの考え方の深化)

  • ゼロ歳から100歳以上までの人が同時に存在しているという状況において、高齢者はもちろん、多様な人々が利用しやすいよう住宅や都市、生活環境をデザインするというユニバーサルデザインの考え方を一層推進する必要がある。
  • 公共交通機関、公共施設、住宅・建築物の整備等のハード面でのバリアフリー化と同時に、運営に従事する職員の対応や施設等の利用に関するわかりやすい情報提供などソフト面と一体となった総合的な取組や、国民誰もが自然に支え合うことができるようにする「心のバリアフリー」を推進していくことが必要である。
  • また、これまでのバリアフリーの考え方は、高齢者等が行動することを前提とし、その際の障壁に対処するという考え方に基づいていたが、今後のまちづくりにおいては音が心地よいとか、空気の温熱感がよいといった、居心地が良く快適さを感じられることができる空間づくりも視野にいれたまちづくりを検討する必要がある。
  • このような全世代型で多様な人々が安心して暮らせるまちづくりを実現することができれば、今後高齢化を迎える世界におけるモデルにもなりうる。

(高齢者が安全に暮らせる制度整備)

  • 高齢者を虐待、犯罪、消費者トラブルなどの被害者にしないために、成年後見制度や消費者被害防止施策といった制度を推進していくことが必要である。また、認知症高齢者の増加に伴い、成年後見制度の必要性は一層高まってきており、その需要はさらに増大することが見込まれる。
  • こうした状況のなかで、弁護士などの専門職後見人がその役割を担うだけでなく、専門職後見人以外の一般の市民である「市民後見人」を中心とした支援体制を構築する必要がある。
  • さらに、福祉を始め、高齢者が利用するサービスについて、高齢者が悪質業者の被害とならないように的確な情報提供、業者の指導・取締りに取り組むことも求められる。
  • 高齢者を犯罪、消費者トラブルなどの被害者にしないために、地域で孤立させないためのコミュニケーションが重要である。高齢者が容易に情報を入手できるように、高齢者にも利用しやすい情報システムの開発や、高齢者のコミュニケーションの場を設けることが必要である。
  • 東日本大震災の被災者に高齢者が多かった事実を受け止め、災害時に弱者となりやすい高齢者の安全を確保するために、要援護者の個人情報の共有など防災・減災に向けた社会基盤の整備のための検討も必要である。

(高齢者が快適に生きるためのシルバー市場の活性化)

  • 今後、高齢者が周囲とのコミュニケーションをとったり、情報を収集したりする中で期待されるのが情報機器の活用である。携帯電話、パソコンなどの普及が急速に進んでおり、機能も高齢者が利用しやすい配慮されたものが増加している。こうした機器を活用しやすくすることや、活用方法を習得することにより、高齢者がコミュニケーションや情報の面で弱者となることを防止することが可能であることから、高齢者の情報機器の利用を促進する取組みも求められる。
  • 一方で、高齢者の中には、進むIT化に遅れをとることで、周囲からの孤立感を高める人もいる。東日本大震災時の避難所における壁新聞が有効であったように、ITに偏重することなく、多様なコミュニケーション手段も検討する必要がある。
  • また、高齢者にやさしい機器やサービスの開発を支援することで、身体機能が低下しても、その人が求める生活の質が保たれ、いくつになってもどのような状態であっても安心で希望が持て、快適で豊かな暮らしを送ることを可能とすべきである。
  • 例えば、介護をする人の高齢化や老老介護が増加するといった状況で、支える人の負担を軽減することも重要であるが、高齢者の体力の低下に関しても、介護ロボットなど新しいメカトロニックスによる支援が必要になると考えられる。
  • このように、高齢者が健康的に活動し安心して生活できる環境を整備するとともに、高齢者のニーズを踏まえたサービスや商品の開発を促進することにより、高齢者の消費を活性化し、需要面から高齢化に対応した産業の拡大を支援すべきである。

(4)若年期からの高齢期への備え

  • 人間は当然のことではあるが、突然高齢者になるのではない。高齢期においても健康で自立した生活を送るためには、若い時期からの準備が必要である。特に、人的資本や実物資本、金融資本の蓄積を進め、これを高齢期に各人のライフスタイルに応じて活用することが、自立した快適な高齢期の充実した生活につながる。

(人的資本のストックの蓄積と活用の促進)

  • 年齢にかかわらず意欲に応じて働くためには、技能や人脈なども含めた仕事能力を蓄積させることが重要である。そのためには、若年・中年期からキャリア形成を図ることができるよう、キャリア・コンサルティングの活用を一層進めるとともに、自己啓発・スキルアップができるような環境を整備していくことも重要である。
  • また、定年前からどのような生活を送りたいかをイメージしておくことが重要であり、若い時期から高齢期における就労、社会参加、学習などの生活を考慮して、能力開発、社会参加、生涯学習などに取り組むことが必要である。
  • このためには、若年、中年期における長時間労働の削減、ワーク・ライフ・バランスのとれた働き方の促進などを引き続き進めていくべきである。
  • とりわけ、種々の取組を実践するにあたって、必要な情報が円滑に入手できるシステムの構築や、そうした際に幅広く相談に応じてくれる窓口の設置等が望まれる。
  • 同時に、高齢期に向けた健康管理、健康づくりが重要であることの啓発を図ることが必要である。また、栄養・食生活や運動についての情報が国民一人一人に的確に理解されることを促進していくことも重要であり、子どもの頃から生涯にわたる食育に関する取組や健康づくりが行われるよう支援するとともに、社会全体として環境の整備を図るべきである。

(実物資産や金融資産のストックの蓄積と活用の促進)

  • 高齢期における経済的自立という観点から、実物資産や金融資産のストックを蓄積させていくことやそれらから利益をあげられるような環境が求められる。
  • なお、これらの資産が必要以上にストックされた場合には、次世代育成のための移転や社会に還流できる仕組みを構築することが必要である。
  • 20世紀は高齢期の支えとして考えられてきた住宅取得による資産形成がなされてきた。これらの実物資産による資産形成、家の家賃による収益を得るほかに、帰属家賃という形で所得がもたらされる。また、実物資産の売却を通しても所得を得ることができることから、住宅の適正な評価を通した中古住宅市場の形成等実物資産の流動性の整備と次世代への継承を進めていくことが重要である。

これまで2回御議論をいただきました中身につきまして、このように整理したところでございます。

「5.おわりに」のところは、今後また整理させていただきます。

以上でございます。

○清家座長 ありがとうございました。

それでは、本報告書(素案)について、これから御議論をいただきたいと思いますが、まず初めに、本日この検討会に初めて御出席いただきました弘兼委員から、今日のところも含めてですけれども、これまでの御議論、報告書を含めて、全般的にお目通しをいただいた上で御意見をいただきたいと思いますので、弘兼委員、まず最初によろしくお願いいたします。

○弘兼委員 漫画家の弘兼と申します。

先ほどから65歳から高齢者、昭和22年、私がまさに今年、高齢者になる、いわゆる団塊の世代です。私が生まれたときの平均寿命を調べますと、男が49.何歳で、女性が54.何歳であったと。もう30年くらい延びているんです。

先ほどこの報告書の中にもありましたが、団塊の世代はいわゆる全共闘世代と重なるのですが、物を言う世代である、そのうち市民運動などもたくさん参加してきた世代ではありますが、現実、私の周囲を見回してみますと、自立できる人はいいのですが、そうでない人もかなりたくさん増えてきた。かつて、あれだけ学生運動やら市民運動やらで活動していた人が物を言うのも面倒くさくなるというような状況に陥っていることも事実でありました。

今回の検討会の議事録などをずっと見させていただきまして、そこになかったような視点を思い付きましたので、お話させていただきますと、私は漫画のアイデアを練るときにファミリーレストランでやるんですね。最近、ファミリーレストランの客層が、非常に多いのが定年を過ぎた60~65くらいのおじさんたちが2人でビールを飲んでいるか、あるいは母親を連れて食事に来ているんです。私の周囲にも実は60を過ぎて離婚される方も結構増えておりまして、それは要するに介護をするのが嫌で離婚という状況になるというのも事実なんです。 つまり、自分の親の介護も大変なのに、配偶者の親の例えば下の世話などをするというのは、真っ平御免だと言う。特に男は奥さん側にその役割を押し付けてきた結果、特に長男が離婚しているというケースが多いんですね。こういう現実がもしかしたら、これからどんどん増えていくかもしれない。60を過ぎて、母親一人、子一人で生活をしていて、そのうち母親も亡くなれば、当然その人が一人暮らしになってしまう。都会の一人暮らしの男が増えてしまう。そして、孤独死という先ほどからも出ていましたけれども、そういう状態にもなりかねないという、この辺も介護と絡んで少し真剣に考えるべきではないかと思います。

介護をする仕事はこれから物すごく増えると思いますが、例えばお医者さんとか看護師さんだったら、その患者さんを治療して治して社会に復帰させるという、ある種のモチベーションがあるわけですが、介護をしている人はお年寄りを一生懸命介護しているときに、そのモチベーションが何だろうかというのを考えなければいけない。つまり、いずれこの方は亡くなるのをただ延命している作業を自分たちがしているということになるわけですから、その仕事の意義というものは何だろうかという、その辺の考え方を国民的な合意形成をつくっていかなければいけないと思うんです。

同時に、高齢者というのが社会にとってどういう存在であるかも、これからちゃんと子どもたちに教えなければいけない。例えば働かない、生産しない方ですね。経済合理性からいくと、高齢者がどんどんすることは国家にとっていいことかというと、これはよくないことであるでしょう。ただ、それをよくないこととして片づけるわけにはいかないので、お年寄りはどういう存在であるか。例えば歳を取って動けなくなるということが、人間が成長している一つの証しだとか、いろいろ方向で子どもたちにどう教えるかということも、これから検討していかなければいけないのではないかという気がいたします。

あと、私は電機業界の漫画を描いておりまして、私がちょうど松下電器という会社にいて、昭和45年から48年の間の3年しかいなかったのですが、そのときは今のように量販店というのがなくて、パパママショップ、ナショナルショップとか日立ショップとか東芝ショップとか、系列販売店方式になっていたんです。この系列販売店というのは地域の人たちに非常に密着しておりまして、顧客台帳というのをつくっておって、その家の誕生日とかそういうものまで全部把握している。そして、お年寄りの世帯では、ある種、よろず相談的なことで、電機製品を届けにいったりしたときに、ついでに買い物をしてあげるとか、ほんのちょっとの電球を変えることすら高齢者はできないわけですから、それを変えてあげるとか、ある意味では非常にお世話までする存在であったわけです。

ところが、我々団塊の世代が主な消費者となってから、量販店というのがあって、配達して電機製品を運んでくれというようなシステムがなかなかなくなりまして、そうなってくると今あるパパママショップというのは、どんどん少なくなっていったのも事実で、今、パナソニックの場合は2万何千件ある総売上げを合わせても、ヤマダ電機の売上げに届かないとか、それくらいの規模になっておるので、こういう電器店がどんどん消えつつあるのですが、これから高齢者がたくさん増えていくということになりますと、自分で買いにいくこともできないし、電球も変えられないということになると、もう一回そういった個人の地域の電器店というものが復活していくのではないかというような憶測もなされているわけです。ということは、このシステムを戻すためには、個人経営の商店の税制優遇措置とか、そういうことも考えていかなければいけないのではないかという気もいたしました。

あと、大震災がありまして、東日本だけではなくて、この後、直下型もあれば東海もあれば、南海・中南海と危険がすごくあって、この35年以内に85~90%の割合で起きる。それが20年先かもしれないし、来年かもしれないし、つまり明日かもしれない。こういう状況の中で、先ほど言ったみたいに一人暮らしのお年寄り、長男が母親を失って一人で暮らしている人たち、動けない人たちがそういう震災に遭ったときに、その人たちをどういうふうに救うかというシステム的なことをひとつ検討する必要もあるのではないかという感想でございます。

以上です。

○清家座長 ありがとうございました。

それでは、ただいま弘兼委員から、今までの議論をまとめてコメントをいただいたわけでございますけれども、今日は、今日御説明をいただいた部分の中で、とりわけ素案の「3 超高齢社会における課題」「4 今後の超高齢社会に向けた基本的な考え方」の部分を中心に全体の構成を含めて、御意見と盛り込むべき事項等がございましたら、御議論をいただきたいと思います。

なお、時間がもし余りましたら、既に御議論をいただいているところでございますけれども、初めの部分、「1.高齢社会の現状」あるいは「2.現行の高齢社会対策大綱の下で講じられた施策」、その他、細かい語句の修正等についても御意見を伺えればと思っております。

この辺については、もし時間がなければ、また後で個別に伺うということも可能かと思いますので、今日は主にこの3.と4.を中心に御議論をいただきたいということで、もう時間もございますので、最初にまず「3.超高齢社会における課題」から意見の交換をさせていただきたいと思います。どなたからでも結構でございますので、よろしくお願いいたします。

どうぞ。

○森委員 実はこの3.からのところで、例えば9ページの「(3)世代間格差・世代内格差に対する不安感の増加」ということを含めて、いろいろなところで社会保障制度が大々的に大きなテーマになっております。

そのときに、実は一番典型的な書きぶりがここですが、9ページの4ポツ目「本来ならば社会保障制度は」というところがありますが、そこで実はここには世代間の格差、要するにバランスとか世代内のバランスということを言っていますが、私は持続可能なそういう社会保障の制度を論じていくときには、やはり給付と負担のバランスという視点が必要だと思うのです。ここには年齢に関係なく、すべての人が社会保障の受益者であることを実感できるとあり、これはわかるのですが、反面、では負担はだれがするんだという視点がないと、今日もこの資料をいただきましたけれども、いろいろな意味でそういうことの議論は、これは大変悩ましいことではあるのですが、全員が要するに受益者というだけではなくて、やはり一定の負担をするということも出していかないと、一方通行で受けるだけだと。カットのように、例えば先ほどの65歳を一つの境目にして、支える側、支えられる側という議論だけになってしまったら、特にこれは冒頭にも、ある面ではこれから高齢社会になる国々に対するモデルだということを言っているのならば、そういうモデルに足るには、受益と負担はやはり避けて通れない。特にそういう負担ということに対しての一定の書き方があってしかるべきではないか。これは率直にそう感じました。

例えば今を生きる現役世代が給付と負担のバランスに責任を持つとか、例えばそういうことも含めて、そういうふうにして次の世代に送っていかないと、ツケだけ送ってしまうと、例えば年金だったら、私たちの時代はもらえないんだから払うなというようなネガティブな方向に行ってしまったら、社会保障制度の維持可能なそういうもの。例えば皆保険もそうですけれども、いろいろなものが制度が崩れてしまう。そういうことにつながるのではないかと思いました。

○清家座長 ありがとうございます。

弘兼委員、どうぞ。

○弘兼委員 私の知り合いで、スウェーデンの会社の社長さんがこの間、日本に来られて、お話をしたんですけれども、御存じのように付加価値税、消費税が24~25%ある。更に所得税も50%くらいあると言っていまして、そうすると100万円稼いだら、自分の取り分は30万円ぐらいしかない。それで不満はないのかと言ったら、国民にだれも不満を言う人はいない。なぜならば、一定の年齢が過ぎたら自分の面倒は国家が見てくれるから、そんでみんな安心して、預貯金がなくても消費するというシステムなんだと聞きまして、日本はアメリカと一緒で、自己責任、自己負担制度ですね。

それを考えると、もしかしたら、今は日本は安い税金で介護とか老後は自分で面倒を見るという方法なんですが、もしかしたら北欧型のように相当高い税金を払っても、老後を安心に生きられる方向に国家的に転換していく必要があるのかないのかという、その辺のことをこれから考えていかなければいけないのではないかという気がしました。

○清家座長 ありがとうございます。

今、森委員、弘兼委員が言われたことで、例えば森委員が最初に御指摘された9ページ目の話は、年齢に関係なく、すべての人が社会保障の受益者という記述は、恐らく従来は社会保障と言うと、年金、医療、介護という高齢3経費といいますか、高齢者が主な受益者だったのですが、もう少し子育て支援とか、そういう意味でここは書かれているのかと思います。

そういう面では先ほど、森委員あるいは弘兼委員も言われた負担の観点を入れると。

すると、先ほど森委員が言われたような、今を生きる世代のところに入れるべきものかもしれませんし、ここの書きぶりとして、例えばすべての人が社会保障の支え手であると同時に、受益者であるというような書き方もあり得るかもしれませんので、その辺を事務局に是非工夫をしていただいて、確かに今、御両者がおっしゃるような視点で、皆が支え、そこからベネフィットも受けるということをいろいろなところで強調した方がよろしいかと思いますので、よろしくお願いいたします。

ほかにいかがでございましょうか。園田委員、よろしくお願いいたします。

○園田委員 今、3番目の課題のところということですが、3番、4番全体にかかるところで、私の方から申し上げたいことが何点かあります。

1つは、報告書(素案)は言葉でまとめるわけですが、私は「言葉」は非常に重いと思っていますが、最近の傾向として、「言葉」が非常に軽くなっている。そういう意味で考えますと、この3番、4番が全体で12ページあるのですが、今、御説明を聞いても約40分かかるので、できれば半分くらいの分量にできないでしょうか。これはあくまで量のことです。

どうしてそう言うかと申しますと、これを元に大綱に行くのですが、国民一人ずつの心の中に何か響くような道筋がないといけないのではないか。それを伝えるのは、例えば国会議員の先生がこれを読まれて、どういうふうに行動に移されるか、あるいはマスコミの方がこれをどういうふうに伝達してくださるのか。そういう意味で非常に見出しというか、組立てが、ある意味鋭くないといけないのではないかということと、その鋭さというのは変な意味ではなくて、これから大変な時代だと思いますので、国民に対してミスリードをしないものでなければならない。

そういう意味で、シンプル・イズ・ベストという言葉がありますけれども、そういうふうに考えたらどうかと思っています。

次に、資料4を参照していただきながら、3番の項目についてだけ、まず意見を申します。

今日の素案の7ページの下のところが、「超高齢社会における課題」の見出しなのですが、この文章を読むと、今までやってきたことで大丈夫だ、問題ない。けれども、あとこれだけはやるといいよというニュアンスに私には読めました。そういう流れでいいのかどうかというのが大きく引っかかりまして、私はむしろここで最後のチャンスだから、抜本的に考え方を変えよう、新しい時代に向けて構造転換をしようというような意気込みでいったらどうかと思っています。

3番のところはそういう意味で、先ほど申し上げたシンプルに伝わりやすくということで言いますと、

(1)には、高齢者ということの定義が、問題を指摘するというスタンスで見出しを付けるということですが、「高齢者の定義がずれています」ということです。

(2)が、「世代間格差・世代内格差があります」ということです。

(3)が、「高齢者等が孤立化しています、地域のつながりが希薄化しています」という問題の指摘です。

(4)が、それに対応するには、私たちはまだまだ「地域力が弱いし、仲間力も弱いです」ということです。

最後に、若年世代を含めて考えると、結局20世紀後半に制度設計された人生60年代時代のままの世代循環を今までやってきたわけですが、それがもうもたないんですね。微修正では今の社会保障の問題も解けなくなっているので、「人生60年時代のままの世代循環モデルできてしまったことが問題です」よと。見出しだけでも、そういうふうにきちとんと訴えられるようなものにして、この3番の内容をシンプル・イズ・ベストで圧縮していただいて、コンパクトにしたらどうかというのが私の今日の提案です。

○清家座長 わかりました。

では、関委員、どうぞ。

○関委員 私も園田委員がおっしゃった、伝わりやすい言葉を報告書に載せていかなければいけないということに賛同しております。4のところについては、そういう意味でサブタイトルを付けてみました。それはまた後で説明いたします。

3のところですが、資料2をごらんください。4ページ目の「3.超高齢社会における課題」の(1)と5ページ目の(3)、(4)が3の部分に対する私見です。いろいろと細かい点もありますので、かいつまんでお話しします。

1点目は、ちょうど先ほどのお話とのつながりで言うと、先ほど給付と負担のバランスを取らなければいけないという話があったところですが、それとの関係で5ページ目の一番上のところをごらんください。私も負担感の話が書かれていないことが気になりました。報告書で言えば、8ページ目の(2)の高齢者の実態とこれまでの意識の乖離になります。

高齢者を65歳以上の者と捉えるべきでない理由には、高齢者自身の捉え方に加えて、60年前より格段に人数が増えた高齢者を若中年者が支えきれていないという側面もあります。そこで、この点について例えば次のように書き加えてはどうでしょうか。報告書8ページ目<2>の2段落目の後に「さらに、高齢者の人数が60年前より格段に増えたなか、若中年者の負担感は増大しており、若中年者は元気で働く意欲のある者を含めた65歳以上の者すべてを支えきれなくなってきている。」という現状についても加えてみてはどうかと思いました。

ほかの点ですけれども、資料の4ページ目に戻りますが、今度は同じ報告書の8ページ目の2段落目のところです。ここにある書き方について、「自己実現の欲求まで満たさないと生きている価値がない」という点は、表現をもう少し柔らかくしてはどうかと思っています。その例示は資料をごらんください。

別の観点として、報告書の9ページ目の「(3)世代間格差・世代内格差に対する不安感の増加」のところの一番下の記述ですが、それまでに指摘されてきた所得の格差の話と地域における連帯、つながりの仕掛けの関係がわかりにくいので、資料2に書いておりますような形で修正をしてはどうかと考えております。

次に、報告書の10ページ目の「(4)地域のつながりの希薄化、高齢者の社会的孤立化」のところですが、ここでは1段落などに「孤独死」という言葉があります。内閣府の高齢社会白書は「孤立死」という言葉を採用していますし、ここでも「孤独死」ではなく「孤立死」としてはどうでしょうか。また、「孤独死」にはさまざまな定義がありますが、本報告では孤独死の何が問題と考えているのでしょうか。「孤独死」という言葉を使うのであれば、もう少し明確に書く必要があるのではないかと思います。

次の点は報告書5段落目のところについて、買い物難民を孤立化が進行した一例としていいのだろうかという疑問について書いています。詳しくは資料をごらんください。

10ページ目の6段落目に当たりますが、かつての地縁といったつながりを「復活させる」という言葉を使っておりますが、復活させるというよりは、今の社会に適合した新たなつながりをどうつくっていくかがここでの課題なのではないでしょうか。というのも、かつての地縁的つながりを忌避して孤立化していった人も存在し、これらの人たちのプライバシーを尊重すべきだからです。新たなつながりの具体像については、後で4の「アウトリーチ型の支援を通じたコミュニティの強化」のところで記述するとして、ここでの記述は次のように訂正してはどうでしょうか。

「このような状況に鑑みると、高齢者の現状やニーズを踏まえつつ、今後の社会に適合した地域社会における人々の新たなつながりをどのように作り出していくのかが、今後の課題としてあげられる」

以上です。

○清家座長 ありがとうございました。

園田委員が指摘されたように、この書きぶりは比較的、このように課題を解決すべしというよりは、問題点を指摘する形になっているわけですね。もちろんこれは基本的には大綱の下になる報告書でございますので、大綱自体も個別の政策をそこから派生させる文章ですから、余り踏み込んだ政策は勿論書けないわけですが、しかし、同時に多分、園田委員が言われた点というのは、そういう指摘であったとしても、より強く問題提起をするようなニュアンスがあってもよろしいのではないかということかと思います。

これは園田委員も関委員も言われたことですけれども、例えばその中の一つというのが、これはもう以前から森委員なども指摘をされていたと思いますが、高齢者の定義というか、65歳の定義の問題ですね。これは多分2つ問題があって、1つはそもそも65であろうがどうであろうが、年齢で高齢者というものを定義するということでよいのだろうかという問題と、もう一つは、さはさりながら、年齢で定義する場合に65が適当なのかということで、前者の方についてはかなり定性的な話として、皆さんは御異論なく、そのような書きぶりにできるかと思いますが、後者の場合になりますと、では70ならいいのかとか、75ならいいのかとか、そこのところは大綱的な書き方としては難しい部分があるので、その辺は少し議論をいただき、事務局にも検討をしていただく必要があるかと思います。

もう一つは、先ほど弘兼委員も言われたことと関連しますけれども、今お話の出てきた中で、もしかしたら、より強い問題提起をしなければいけないのは、孤立化の問題でしょうか。前回の大綱のときに比べて、更に一人暮らしが具体的には増えておられるわけで、その辺のところは個別の政策まで踏み込むことはないとしても、具体的にもうちょっとこういう問題を強く意識する必要があるという書きぶりが必要なのでしょうか。

その辺はどうでしょうか。先ほど弘兼委員の御指摘もございましたけれども、森委員などもその地域で問題になって。

○森委員 大家族から核家族になって、最近、おひとりさまというような大学の先生の御本もあるくらいで、ましてや結婚もしないとか、いろいろなことで、最終的には一人になるにしましても、どこかでそういう問題がクローズアップされている。だったら、これにどう対応していくかということ。いわゆる孤立ということが死につながるかは別として、孤立ということに対する恐怖感も含めて、皆さんは持っているのではないか。要するに、つながりがなくなるということに対するおそれは、みんな持っているのではないかと思います。

○清家座長 どうぞ。

○弘兼委員 例えば井戸端会議をしているのは、男がしているケースはないですね。女性の方がしているのですが、女性というのは年齢とか職業の違いに関係なく、割とフランクに話し合える人たちなんですが、男というのはどうしても自分たちが今までしょってきたものを、サラリーマンの場合はかなり矜持しているというか、それを誇りに思っている人が多くて、例えばお役人をやっている人と大工さんが、同じところで一緒に協働できるかというと、それがなかなか難しいというか、妙なプライドがぶつかり合うというのがあって、その辺のことがこれから大きく問題になってくるのではないかと思います。男がみんなうまく集まって、何かアクションを起こせるような方法はないかという気がするんです。それを考えていくべきだと思います。

○清家座長 園田委員、どうぞ。

○園田委員 確かに孤立化というのはすごく重要ですが、先ほどの高齢者の定義の問題が2方向あるとおっしゃったこととすごく似ていて、これについてもいくつかの方向性があります。今、弘兼先生がおっしゃっているのは、男性の場合は特に精神的な孤立化ということがすごく重要問題だと思いますが、量の問題と特に経済的な問題にフォーカスすると、結局、一番の老後問題は専業主婦の老後問題なんです。日本で雇用機会均等法ができたのは1985年なので、そこからスタートして考えると、2030年くらいまでは私たちが直面するのはこの問題です。

そうすると、年金の加入状況や就業の経験というようなことと、先ほど森委員がおっしゃった戦後の核家族ということがないまぜになると、実は年老いたお母さんと独身になってしまった男性も大変ですが、最後に残された専業主婦が結局どうするのかという生き方の問題がすごく大きい。20世紀はそれは息子とか娘が見たんだけれども、これからの時代はそれが非常に厳しくなると思います。そういう意味で「孤立化」というのにも実は方向性が幾つかあって、もしそこまでをきちんと明確化するのであれば、そういう書き分けもしていただくといいかと思います。

○清家座長 どうぞ。

○弘兼委員 最初からずっと結婚しないまま、年を取る人がいると思います。男の場合は、この中で14%くらいと書いてありましたが、草食系男子というのが増えて、これからもしかしたら、その数字が上がってくるかもしれない。そうすると、もしかしたら3分の1くらいの男は最初から一人暮らしで、人生死ぬまで一人で暮らす。あるいは女性だって、そういう方が増えるかもしれないということになると、その辺をどうするのかということもこの中には盛り込まれていませんが、それを考えなければいけないという気がします。

○清家座長 香山委員、どうぞ。

○香山委員 孤立化というとすごくネガティブなイメージがあって、とにかく解消をした方がいいという方向になる気がしますが、現実的には、先ほど関委員もプライバシーの問題とかおっしゃいましたが、私が実際に診療で携わっている中高年の方でも、一人の方がストレスがむしろなくていいとか、実際にはほとんどの場合は一人でも特に不自由なく、特にネットなどが使えたりすると、買い物もできたりして問題ないという方もいらして、一概に全員を同じように居場所に連れ出すとか、交流させればいいというものではなく、一人ひとりのオーダーメードの対策が必要になってきて、それを全部一人ひとりに合わせたことを大綱に書くこと自体、全く矛盾があるのですが、その辺はその人のニーズに合ったとか、あるいは普段は一人でもしっかり自立して生きておられる方がいざというときに孤立をしないとか、どんなふうに表現をしていいか、私もわからないのですが、その辺は現代においては勿論孤立化は問題なんだけれども、だからといって現代にあえて孤立というか、一人の自立した生活を望んでいる方とか、むしろ結婚とか子どもを持つことをいろいろな選択肢の中で持たないということを選んでいる方もいるということに対する配慮みたいなものは、どこかで気にしておいた方がいいのかなという気もいたします。

○清家座長 弘兼委員、どうぞ。

○弘兼委員 一人暮らしで一番何が問題かというと、自分が急にめまいがして倒れて、救急車を呼びたくても電話のところまで手が届かない。そのまま手遅れになって亡くなるというケースがあります。これを支える方向を一つ考えた方がいいのではないか。

私が知っていた魔法瓶の会社が実験的に20人くらいの一人暮らしのお年寄りのところで、ポットにセンサーを付けておいて、それを管理するところがあるのですが、朝起きて午前中に1回もポットを触っていないと、ここに何かあるのではないかというふうにして駆けつけるシステムです。

あとは電機のメーカーの方がトライをしたけれども、これはどうも失敗したらしいのですが、朝起きて1回も便座に座っていないということになると、これは何かあったのではないかと駆けつけるシステム。なぜ失敗したかというと、自分の用便の回数を知られるのが恥ずかしいので嫌だという人が多かったらしいです。

でも、そういういろいろな方法があるので、一人暮らしの人に関しては、プライバシーもあるんですけれども、望む方に対しては集中管理で、もし自分が緊急のときにはだれかが駆けつけますよというシステムを地域ごとにつくっていく方法もあるのではないかという気がします。

○清家座長 どうぞ。

○香山委員 今、弘兼先生がおっしゃったので、ちょっとだけ付け加えたいのですが、本人の望むところに応じてとおっしゃっていましたが、やはりそこが大事で、これは最後の方の問題になると思いますが、そうなると本人がどういう最期を望むかというともすごく大きく関係してくるかと思います。

個別の例で恐縮ですが、日本尊厳死協会の副理事長をされている松根敦子さんという高齢の御婦人はおひとり暮らしで、よく報道されているんですけれども、おひとり暮らしの各部屋に、もし私が倒れていても絶対に救急車を呼ばないでくださいという札を張っておいて、彼女はつまり余計な延命とかを絶対にされたくない。むしろ倒れてそのまま死ぬのが本望だという。何日も連絡が付かなかったら、それは人様に迷惑をかけるから、連絡はだれかが取ってくれるようになっていると。

そういう方が看取りサービスみたいなものが全戸に配布されて、ポットが出ないからといって、だれが駆けつけて延命になってしまったとかいうと、それは御自身の選択とは違うということになるので、その辺のバランスですね。関委員がつくってくださった資料2の方にも、プライバシーとアウトリーチのバランスとかも書かれていますが、その辺をどんなふうに、御本人の望むところに合わせるべきなのか。それとも、それは何としてでも孤立死を防ぐというような方向で関わっていくべきなのか。その辺はどこか線引きをきちんとしないと混乱していくことになるのかなという気もしました。

○清家座長 わかりました。

ここの問題は大綱のレベルですから、個別の政策でどういうふうになるかはいろいろとあるかと思いますけれども、今、出てきた御議論は、一つは孤立化というか、そういう状況が起きたとしても、一人でもちゃんと歳を取っても生きていけるような状況を確保することが必要だということはあるわけですね。

しかし、その上で、孤立化を望む場合もあるけれども、望まない孤立化が今は圧倒的に多くて、そこが問題なわけで、その中で更に精神的な孤立化の問題と、より物理的なというか、これは経済的なものも含めて、孤立化の問題。これは両方あるので、その際は先ほど、例えば弘兼委員が言われたように、精神的な孤立化の部分は、もしかしたら男性の方が問題かもしれないし、物理的あるいは経済的な孤立化は女性の方が当面は問題かもしれないということがあるので、その辺を少し書きぶりとして整理していただくということがあり得るかと思います。

4.の方も議論をしなければいけないのですが、まだ大丈夫ですので、3.のところでありましら、どうぞお願いします。

関委員、どうぞ。

○関委員 話は変わるのですが、園田委員に少し質問をさせていただければと思います。レジュメをとても興味深く拝見させていただきました。

3のところですが、この検討会報告書(素案)には意欲の高い高齢者の意欲を阻害する要因といった項目がありますが、それが挙がっていなくて、代わりに「地域力、仲間力の弱さ」が項目として挙がっています。この「地域力、仲間力の弱さ」というのはどういう意味でしょうか。つまり、資料4の3の(3)のところの「地域のつながりの希薄化」と重なる部分がないのかという辺りをまず1点、御説明いただければと思います。

2点目は「(5)人生60年時代のままの世代循環モデル」という書き方ですが、この世代循環モデルという言葉はとてもいいなと思いまして、後半のところで生きていると思ったのですが、それはもしかするともう少し、こうあったらいいというモデルの話なのではないでしょうか。今後の在り方の話だとすると、ここはもともと報告書にあったような「若年期からの高齢期に向けた準備不足」と書いた方が、課題としてはいいのではないかと思います。

○清家座長 園田委員、どうぞ。

○園田委員 お答えです。なぜ私があえて「地域力、仲間力の弱さ」をここで書き出したかということですが、9ページの「働く意欲、高齢者の意欲を阻害する要因の存在」の最後の点のところで、これまでに発言させていただいた内容を加えていただいているのですが、その趣旨を明確に伝えたいと考えたからです。

私がなぜこれをあえて項目出ししたかという今の質問の答えですが、基本は自己力の拡大だと思います。自由に選択できるとか、自分で頑張る。そうできなくなったときに、社会の下支えをきっちりやりましょうというのは、変わらない基本的な枠組みで、そこのところは、私はかなりやってきたのだと思います。

もっとそこは充実させなければいけないんだけれども、その2本だけでいけるのかというところが、今、私たちが直面している大問題です。実はその 2つだけでは足りないところを補うことができる可能性として、「地域力と仲間力」があるということです。特に、地域力がすごく重要だと思います。これは本当に小さな子どもと、本当に体の弱ったお年寄りは、意識ではいろいろなところに行きたいと思っていても、自分の生活行動の範囲とか、物理的に行けるところには限界があります。これらの人たちの日常的な生活範囲は地域と不可分なわけです。

ですから、そこの部分でまさに前にも申し上げたように、虚弱高齢者と小さな子どもは植物に似ていると思いますが、その地面に根っこを生やして、その根っこの部分にみんなで支え合う養分があって、そこで穏やかに過ごせる環境を提供するという意味での地域力と、21世紀型の新しい人は、元気があれば、自分の住んでいるところに縛られるのではなくて、仲間同士で一人ずつでも手をつなげば2人なるので、別にそれが家族だとか親族という単位ではなくて、おひとりさまも1+1=2ではなくて、4とか5になるという意味です。それらの、自助力と社会的な下支えに変わる新しい第3のパワーみたいなことを、多分私たちは持っているし、そこをもっと醸成したらどうかという意味合いで、1つ言挙げをしました。

2点目の御指摘の「人生60年代時代のままの世代循環モデル」とあえて書いたのは、次の理由です。一つには森委員が御指摘になっている世代的な支え合いの部分が、60歳の期間の中で、負担する側と受益する側に分かれていたというのが20世紀型のモデルだったと思います。

また、弘兼委員が御指摘になったことで言うと、何で介護の仕事をするのか。介護の仕事が何で必要なのかというときに、実はお世話をしている方は、ある意味、みな悲しい結末を迎えるんだけれども、その方たちが最期に生きていてよかったというところまでをきちんと私たちがつくり上げることができれば、今度はその介護をしていた人たちがそういう老後を迎える状況になったときに安心できるんだということが目の前で実現されていくことでもあるのです。それができれば、社会として、すごく安心感が生まれるし、安定的になると思います。

今までそれを60年ピッチで回すことは、うまくいっていたのですが、先ほど弘兼委員がおっしゃったように、お生まれになった1940年代と今では30年も寿命が延びてしまい、設計が合っていないわけです。ここは問題指摘として、人生60年時代の設計のままでやってきてしまい、未だにそのままですよと。そこを人生90年モデルに変えましょうということを指摘したいという意味で、こういう見出しにしたということです。

○清家座長 弘兼委員、どうぞ。

○弘兼委員 ちょうど60年ピッチの時代が非常に懐かしいんですけれども、私たちが子どものころは相当長生きしたお年寄りは、あのおじいさんはとうとうもうろくしたという一言で片づけてしまうんです。これはもしかしたらアルツハイマーかもしれないし、痴ほう症であったかもしれない。そういうことを簡単にもうろくしたという程度の事件でしかなかった。みんなが63歳、64歳で亡くなった時代ですから、ぼける前に死んでいたわけです。

今はみんな80歳以上生きてくるということになると、我々もそうなんですが、すべての人が介護する側になり、また、介護される側にもなるということを考えなければいけない。定年が終わってから、自分の人生の仕事をやり終えたけれども、もう一つ仕事がある。それはこれから親の介護をするという、この意思というものを新しく日本の国民に知ってもらうというか、仕事は2つあるんだと。それまでの社会の仕事が済んだら、あとは自分の親とかの介護をしなければいけない。これはだれにでも回ってくることだということを教え込んでいかなければいけないという気がします。

○清家座長 関委員、どうぞ。

○関委員 今の園田委員の御意見を伺っていると、人生60年代時代のモデルではよくないという点は私もそのとおりだと思います。それについて、報告書に明確に書かなければいけないという点と、若年期から高齢期に向けた準備不足という点は、もしかすると話が違うということで、もう一つそれは別の項目立てをすると良いという話なのかなと思いました。

特にこの報告書で具体的に書かれている若年期から高齢期に向けた準備不足の話の内容と人生60年代時代のままという話は、少しミスマッチなところもあるので、この視点を加えるのはいいと思いますが、それにふさわしい記述をもう少し加えるといいのではないかと思いました。

○清家座長 そうしましたら、大変恐縮でございますけれども、4.の方へも今日議論を進めないといけませんので、また3.のところに戻ることもありということで、「4.今後の超高齢社会に向けた基本的な考え方」の議論をしたいと思います。

この点について、どなたからでもどうぞよろしくお願いいたします。

そうしましたら、園田委員、関委員はそれぞれの分野について、メモをつくっていただいておりますので、まず園田委員と関委員からお話を伺います。

○園田委員 では、報告書(素案)11ページのところからです。先ほど申し上げたように、私はシンプルにストレートにということで、考えたことを資料4にまとめました。

11ページの冒頭に基本的な考え方ということで、自助・共助・公助のことで、その後に互助のことについて書かれているのですが、これが全体のイントロダクションだとすると、私たちの議論したことが十分伝わらないのではないかと思っています。もし書くのであれば、もうちょっと全体を見た総論的なことを書いた方がいいというのが、まず最初にあります。

その上で、3番で出した問題点に対して、逆に4番ではそれを受けて、答えを出していこうというのが私の作戦でして、資料4の4番を見ていくと、最初に「高齢者の定義の変更」ということです。これは先ほど清家座長がおっしゃったように、2つの方向性があるということなので、その方向性について、できる限り議論をしたことをきちんと書いたらどうか。

(2)が、実はこれを読んでみて一番引っかかった点で、冒頭に森委員が御指摘になった点で、社会保障制度のことについては、かなり内側の中に入れ込んであり、明示されていません。これは今、政治的にもすごく大きなイシューですし、影響が大きいということでこうなっているというところまでは推測がついたのですが、やはりここはきちんと書かなければ、大綱にならないということで、私はこれはきちんと大きな見出しで、「老後の安心を確保するための社会保障制度の確立」という見出しをつけました。ツールとしては年金、医療、介護がありますが、先ほどの負担と受益、世代間、世代内での格差の問題もあるので、そういうことについては、やはりここは書かねばいかぬのではないかと思ったのですが、ほかの委員の先生方はどうお考えでしょうか。

(3)は、高齢者をもっとポジティブに打ち出したらどうかということが、これまでの議論の流れの中であったので、私は見出しを「高齢者パワーの活用」としました。そうすると先ほど御指摘のあった点ですが、ここで高齢期以前の準備をきちんとやりましょうと。それから、さまざまな生き方を可能とする新しい活躍の場を創出しましょう。柔軟な働き方を実現しましょう。

それから、17ページに行ってしまっていますが、私はここに「シルバー市場の開拓と活性化」ということで、例えば、これは民間のいろいろな市場がまさにイノベーションをやって、ネガティブなシルバーではなくて、市場のきちんとした一つのプレイヤーとしてのシルバーを位置づけていくというようなことをポジティブにやりましょうというのが(3)のイメージです。

(4)はきちんと下支えするとか、先ほどの仲間力とか地域力の関係で、「地域力の強化と安定的な地域社会の実現」です。ここで「互助によるコミュニティの再生」

「地域包括ケアシステム」は厚労省の施策の名称ですけれども、これはもう推進せざるを得ないと思っているので、むしろ明瞭に書いたらどうか。

<3>が先ほどの孤立の問題です。孤立防止のためのコミュニティの強化という形で、アウトリーチ型のアプローチは、そのための有用な一つの方法論ですので、原案では見出しになっていたのですが、その中身をここに入れたらどうかという提案です。

(5)が「安全、安心な生活環境の実現」ということで、バリアフリー、ユニバーサルデザインの深化。

犯罪、消費者トラブルからの保護及び成年後見等の拡充という形にしました。

最後が先ほど、関委員から御指摘を受けた点に対しての私なりの答え方ということで、「人生90年時代に即した世代循環モデルの確立」ということで、<1>は若年期からの準備不足ということがあったのですが、つまり若いうちから人的資本を蓄積していくことと、それを中年期を過ぎ、老後期になったときに活用していくという、まさに循環モデルの中で「人的資本の蓄積とその活用」という見出し。

<2>が私の専門領域でもあるんですが、特に居住用資産としてのそういうものと、金融資産もあるのですが、「若年期、中年期の資産形成とその活用による安定した老後生活の実現」という形で見出しを付けたらという提案です。

最後の<2>のことについいては、今、19ページに書いてある内容では、真意がストレートに伝わらないかと思いますので、もし時間であれば発言しますけれども、大体こういうような流れの提案です。

○清家座長 それでは、関委員、続いてお願いします。

○関委員 それでは、資料2をごらんください。

まず初めに、先ほどもありましたように、わかりやすいキャッチフレーズを各見出しのサブタイトルという形で付けて、社会にこの報告書の中身を伝えていってはどうかと考えました。どうしても見出しそのものというのは、ある意味きっちりとしたものになりがちで、そうでないといけない部分もあるかもしれないので、そうであれば、サブタイトルにキャッチーな言葉を入れておけば、例えばワイドショーとかでも取り上げられやすいようなものになるのではないかと思って、考えてみました。

1番目の「高齢者の捉え方の意識改革」ですが、これについては65歳という年齢について明確に出すことがいいのかどうかという議論はありますが、もしそれが可能であれば、端的に「65歳は高齢者か」という問いかけをするとよいと思いました。それが難しい場合は、次の候補として、「高齢者は何歳からか」「長寿社会における高齢者の年齢」といったサブタイトルを考えてみました。

2番目の「高齢者が意欲と能力に応じて活躍できる環境づくり」の点については、エイジフリーという点を打ち出していくといいかと思いましたので、この言葉を広めるという意味でも、「エイジフリーに活躍できる舞台づくり」とうたってみました。

3番目は、「高齢者の『安心な暮らし』を実現する環境の整備」ですが、ここでは最初は「楽隠居社会へ」というキャッチフレーズを考えていました。「楽隠居社会」というのは何となく響きがいいなと思って気に入っています。楽しく楽に生きられる、そういうような社会だったらいいなという点をイメージしやすいものとして考えてみました。

園田委員が地域について、独立の形で章立てをしてくださっていて、私もこの園田委員のまとめ方と整理の仕方がとてもすっきりしていいと思って拝見しました。そういうふうに別立てとしない場合、地域とか互助という言葉が見出しに入っていないのはどうかと思いましたので、ここに「地域互助の醸成」という言葉を入れました。しかしこれは、別に分けて、地域とか互助は1つの章立てにするといいのではないかと思っています。

4番目の「若年期からの高齢期への備え」については、「今日から始まる人生後半戦への備え」とサブタイトルを考えてみました。資料は「へ」が抜けておりますので、加えておいていただければと思います。

それに併せて、「備え」と「備え」が重なるというのもよくありませんし、見出しをより明確化するために、見出しの方も、「若年期からの高齢期への人生・社会設計」とするといいのではないかと思います。

世代循環モデルの話との関係で、備えの話が出てきていて、これをどうリンクさせて書いていくかは難しいところですが、私自身は世代循環モデルというのも打ち出す必要があるのですが、同時に若いときから備えなければいけないということも結構前に明確に出していった方がいいのではないかと考えています。

その理由の一つは、やはり若い人が今日から何かをしなければいけないと、自分が思うような何か訴えかけが必要なのではないかと思いました。というのも、例えば70歳まで働くとしたら、それに向けてキャリア形成をしていくとか、別のスキルを身に着けていくとか、そういったことを若いうちからやっていかなければなりません。社会が変わるのであれば、社会設計も変わっていかなければいけないのですが、これも早いうちからの備えということを、どこかでしっかりと出していければよいと思っています。

次に、高齢者の捉え方の意識改革の点です。これは4の最初のところで、先ほど以来、話があったことですが、清家座長もおっしゃったように、この年齢については2つの点があります。とりわけ前回の大綱にない、資料2では<1>の視点を打ち出すべきだと考えています。繰り返しになりますが、<1>というのは客観的な年齢で特定の世代を表現する「高齢者」という言葉の使い方において、高齢者を65歳以上と捉えるのは長寿社会の実態に合わない点。

<2>は、高齢者は多様であって、特定の高齢者像にとらわれるべきではないという点。これは高齢者をその特徴で区分する視点です。この2点目の高齢者を、その特徴で区分する視点ですけれども、高齢者像の多様性についての認識を定着させ、それと年齢による区分を示す高齢者という言葉を使いわけるためには、65歳以上の者の特徴に応じた呼び方を提案していってはどうかと思いました。

具体的には、資料の2ページ目にあるように、働く意欲と能力のある世代と、引退し保障が必要となる世代を分けてはどうかと思います。これは年齢による区分ではないのですけれども、これらの世代をイメージするおおよその年齢としては、aは65~74歳、bは75歳以上をイメージしています。試みの通称としては、例えば若い方の世代について、「現役シニア」とか「生き活きシニア」。2つ目は「生き」「活き」で漢字を変えたんですけれども、生き活きシニアと呼んでみる。後半世代については、「悠然シニア」「円熟シニア」という呼び方はどうかと考えてみました。

どう呼ぶかというのは公募とかしたりして、いろいろと考えていく必要がありますが、いずれにしろ、そういった特徴による呼び方も打ち出していくと、メッセージが伝わりやすいのではないかと思っています。そこで生き活きと活動する現役世代であるシニアと、ゆったりと落ち着いた老後を悠然と過ごすシニアに分けてみました。

aとbは対応すべきですので、例えばaを現役シニアと呼んだ場合は、bは悠然シニアが合うかなと思いますし、aを生き活きシニアと呼ぶのであれば、bはどちらでもいいのですが、一つに候補が絞り切れなかったので、2つ挙げてみました。

こういった視点を反映して、具体的には高齢者のとらえ方の意識改革の部分、これは報告書の12ページ目になりますが、これを資料2のように書き換えてはどうかと思っています。これは読んでいただければと思いますが、太字の部分が変更している部分で、今、言った趣旨のことを反映して、具体的な文章を考えてみました。

資料3ページ目、高齢者という言葉の使い方ですけれども、65歳以上の者を指している点をどこかにちゃんと明記しておく必要があると思っています。具体的には資料をごらんください。

次に、互助のとらえ方です。本報告書が互助の視点を打ち出して、私的な支援の要として互助を推進するとしても、これは公助や共助の範囲を狭めることを前提としてはいない点を明確にすべきであると考えます。

先ほど園田委員からも社会保障制度について、しっかり打ち出していくべきだというお話があったのは、ここの点とリンクしているかと思います。というのも、例えば互助について提唱した地域包括ケア研究会報告書は、社会保障のなし崩し的な変更などを危惧するという形で、批判を受けているからです。更に、公的機関が行うのは、公助と共助に加えて、自助や互助が行われやすくなるような環境整備であって、こうした自助や互助の潤滑油としての機能も社会保障の役割として着目をする点に意義があるのではないかと思われます。

この点は新しい話なので、ここの部分を読ませていただきたいと思います。

「そこで具体的には、p15(3)<2>(『互助』によるコミュニティの再生)の最後に次のような文章を挿入してはどうか。
なお、『互助』の再構築を推進するといっても、これは、公助や共助の後退を意味するものではない。地域に根差した助け合いを推進するにあたっては、『自助・互助・共助・公助』のすべてが必要となる。このうち公的機関が行うのは、公助と共助に加えて、自助や互助が行われやすくなるような環境整備である。公的機関などによる直接的な支援や強制加入の相互扶助制度に加えて、自助や互助のバックアップにも公的資金を投入するという点に意義がある。自助や互助の潤滑油としての機能も、社会保障の役割として着目するわけである」

こういうふうに互助を打ち出し、社会保障の役割を明確化していって、社会保障の新たな役割を前面に出していくのがいいのではないかと考えました。

資料の4ページ目になります。ここは老後の安心を確保するための社会保障制度の話ですが、老後に安心を確保する社会保障制度を構築するという点のみを記載しますと、これを支える負担を担える力は、現在の若中年者にはないという批判を呼びかねません。この点本報告書は、意欲と能力のある高齢者は支えられる側ではなく、可能であれば、支える側に立つという認識に立ちます。そこで老後の安心といっても、その老後は(1)の高齢者の捉え方の認識を前提とした、支えの必要な人の老後である点も明記するとよいのではないかと思います。

具体的には、p15の冒頭の部分も資料にある形で書き換えてはどうかと思いました。詳しくは、この点について別に配布しました資料3をごらんください。ここでは高齢者の捉え方を変えた上で、高齢者の功績を評価して、人生の晩年期にはお疲れ様と、社会保障を充実するということについて、議論しております。

○清家座長 ありがとうございました。

それでは、ほかの委員の方々から御意見をいただきたいと思います。

森委員、どうぞ。

○森委員 とりわけ報告書(素案)17ページの下の段の「高齢者が快適に生きるためのシルバー市場の活性化」は、ある面ではどちらかというと、今までの日本の産業構造が、例えば家電とか自動車という、いわゆる輸出型の外需主導型のそういう産業構造が中心であったと。これは勿論、戦後、日本が経済成長をしていく中ですごく大きな推進役を果たしたということです。しかし、ある面でキャッチアップの時代が終わって、今回これが一つの大きな転換点だという、先ほどの御案内のとおりだと思います。

そうすると、内需型の産業ということの中で、ここにも医療、介護、健康、予防とか、そういうものがこれから、特に私は医療とか介護は労働集約的な人が介在をして、そこに雇用を創出すると思います。あるいはそれが地域にお金が落ちる、いわゆる循環型の地域経済をつくっていくということで、産業構造が両輪のもう一つの輪ができたということです。それによってやっていくことが、これからの時代の在り方ではないだろうか。

そういうふうに思ったものですから、特にこの18ページの「このように」の書きぶりは、これからの医療、介護あるいは予防とか、そういうような超高齢社会に必要不可欠な産業が、先ほど申しましたように、雇用というものを生み出すことにもつながる。そういうものを支援していくことによって、雇用が増大していけば、特に今は非正規雇用が大変多いとか、若年層の問題の解決にもつながる。それが社会保障の次の循環にもつながっていくというとらえ方を是非してはどうだろうかと思いました。

○清家座長 成長と整合性がある高齢社会モデルということでしょうか。

○森委員 これは高齢者だけではなくて、障害者の方にも全部通ずると思います。

○清家座長 弘兼委員、どうぞ。

○弘兼委員 そのところに付け加えますと、介護の仕事がたくさんあって募集もあるのに、みんな応募しないんです。これはなぜかと言うと、介護の就職の状況は非常に待遇が悪い、きついというのがあって、そこを改善しないと、暇で仕事がしたいのにそこには就職しないという現実があるので、待遇改善ということを根本的にやっていくべきだと思います。

○清家座長 香山委員、いかがでしょうか。

○香山委員 4の全体の話になってしまうと思いますが、そもそも今回こういったような話し合いを私たちはしていて、先ほど園田委員からも高齢者パワーの活用というお話が出てきましたが、そういうことをなぜするかというと、労働人口が減って、高齢者の方たちにも社会の中で社会のためにもうひと頑張りしてもらいたいというのもありますが、それ以上に、高齢期にある方が御自身の尊厳というものを失わないで、どのような状態であっても御自分であることの誇りを感じながら、生き生きと生きていけるためにという目的があったかと思います。

この4のところでも、高齢者が意欲と能力に応じて活躍できる環境づくりといった(2)などの項目がありますが、働き方とか活躍といつたことがクローズアップされて、そうでない方は、先ほど関委員もおっしゃったような、介護とか支えを受ける側、社会保障制度のお世話になる側。そういう方たちということになって、二分というわけではないと思いますが、その間に特にすごく活躍するわけでも、何か生産量の向上に寄与するわけでもない。でも、寝たきりとか完全に介護が必要というわけでもない方たちが、もっと居場所とか、働いたり活躍したりするわけではないけれども、趣味を楽しむとか交流をして、同性同士でも同性と異性でもいいんですが、和んで付き合うとか、そういった楽しく過ごすというか、そういったことが全体的に少し抜けていて、中には楽しく豊かで円熟した人生というロールモデルの提唱が必要というところはありますが、その後にどんな楽しく豊かで円熟した人生というのは、働くとか活躍するとかボランティアをするとか、割とまじめに頑張るみたいな人の話ばかりで、まじめでなくやってほしいというのではないですが、もうちょっと単純に年寄りになったんだから、後はいろいろな楽しいことをするとかいったようなロールモデルも念頭にあってもいいのかなというのが一つ思ったことです。

15ページ、(3)の<2>の「『互助』によるコミュニティの再生」といった話もいろいろと出ていると思いますが、この互助というのは同世代同士のお互いの支え合いとかだけではなくて、世代間の交流というか、高齢者の方が若い人たちや子どもにこれまでの経験や知識をお話するとか、自分たちが知っていることを伝えていくとか、あるいは逆に子どもとか若者から高齢者の方がITについて教えてもらうとか、世代間の交流というような視点も盛り込んでいればいいのかなとも思いました。

もう一つ、先ほどからいろいろとお話が出ている若年期から高齢期への備えという18ページの(4)に当たるところです。その備えの一つとして、何でも学校で教えろというのは、学校に負担が行き過ぎるのですが、例えば今でしたら、金融についても金融教育みたいなことが小学校、中学校くらいから行われていたり、キャリア形成についてもキャリア教育ということが学校で行われて、本来であれば、高齢期になるための備えなどの教育というか、教えは別に学校という場でなくて、地域とか家庭で行われるべきものだとは思いますが、地域力とか家庭力がどうしても弱まっている。

それが小学校がいいのか、高校がいいのかとか、私もよくわからないですけれども、もしかしたら教育の現場で高齢者というのはどういう人たちか。あるいは子どもに対して、あなたもいつかは歳を取るんだよと教えるのがいいかどうかわからないですけれども、高齢者についてとか、あるいはもしかしたらもっと進んでいくと、今でしたら死生学みたいな、死とか命について考えるという教育も実際に行われつつありますが、そういった学校教育で高齢期についての何かを教える機会があったらどうかと思います。実際にはもう行われているものですか。私もその辺の知識がなくて、よくわからないですが、そういったことも、もしかしたら必要になってくるかもしれないなと思いました。

○清家座長 ありがとうございます。

関委員、どうぞ。

○関委員 園田委員から提出された資料のまとめ方は、大分いろいろと構成を変えられていて、すっきりしていて、とてもいいなと思いました。私もこういう形に整理をするのに賛成ですが、1点、先ほどからのこだわりの若年期から高齢期への備えというのをこれに入れていただければと思います。例えば(3)の「<1>高齢期以前の準備の強化」を(6)に戻しまして、この(6)のタイトルを2つを一緒にしてしまうと長いのですが、例えば「若年期からの人生90年時代への備えと世代循環モデル」みたいな形にして、一緒にしてもいいのかなと思いました。

資料2は細かくいろいろと書いてありまして、後でごらんいただければと思いますけれども、ちょっとだけ話しておきたい点があります。資料の6ページや8ページにありますように、先ほど園田委員もおっしゃっていた、主婦や女性についての視点がこの報告書には欠けているので、それは盛り込んでいく必要があるかと思います。

7ページ目になりますが、前半の議論のアウトリーチ型の支援との関係で、プライバシーを尊重した支援がいいという話がありました。加えて、地域での緩いネットワークとか、さりげない見守りの構築という考えも入れていくといいのではないかということを書いております。

そのほか、例えば成年後見制度について、市民後見人だけではなくて、法人後見も加えたらいいとか、幾つか書いてある点についてはごらんください。

○清家座長 ありがとうございました。

よろしゅうございましょうか。もう時間になってしまいましたが、今日いろいろと御議論をいただきまして、今日は素案の段階でございますので、先生方の御意見を伺いながら、さらに案をまとめていきたいと思います。

今日は私もお話を伺っておりまして、幾つか申し上げたいのですが、1つは、最後に香山委員が指摘された点ですが、私も尊厳というのは大切だと思います。安心・安全ということはずいぶんと出てくるのですが、安心・安全に暮らせるというのは、生物として、ある面で言えば当たり前のことで、人間社会は安心・安全だけでは寂しいわけですから、尊厳という言葉がこの中にも少し出てくるのですが、大きなテーマというか、我々の高齢社会の目的として、もうちょっと全面に出てきていいのではないのかなという感じがいたしました。

いろいろな方から出てきている世代循環。これは園田委員のお話にも出てきましたし、弘兼委員も第二の人生とか、そういうお話にも出てきましたが、最後にお話になった専業主婦の話は、ちょうど私の世代はそうですが、団塊の世代もそうだと思いますが、私たちの同世代の女性は、子育てをした後、今度は親の介護とかをして、その後に今度は何をやっているかというと、自分の子どもが結婚すると、娘とかお嫁さんは仕事を続けながら子育てをするので、そういうもののお手伝いというか、それがみんな結構大変みたいで、特に専業主婦の方々はですね。

それは今の我々の同世代の女性は圧倒的に専業主婦が多いのでそうなのでしょうけれども、これからはそれはできなくなるわけです。我々の娘とか我々の息子のお嫁さんは、自分も働き続けているわけですから、その人たちが引退をした後に、さらに問題大きくなるのかもしれない。

そういうのも含めて、もちろんいろいろな在り方はあってよいわけですけれども、そういうことを考えると、まずボトムラインとして社会保障制度の中で、介護とか育児とか社会保障とかいった社会的な仕組みの中でそれはできるようになっていないと、まずいのではないかという問題意識は少しあった方がいいのかなと思います。

もう一つは、最初に弘兼さんが言われたパパママショップの話、あるいは関委員なども以前に指摘されたと思いますが、あんがい構大切ではないかと思うのは、今回の震災などでもよくリダンダンシーということが重要だと言われますね。つまり二重にいろいろなことが行われていることのメリットです。最近はそれこそ府と市の二重行政とか、そういうことを問題にされるわけですけれども、一方では、二重にあるから安心、あるいは二重にあるからゆとりがある。

ですから、弘兼さんのお話で言っても、一方で量販店もないと困るのだけれども、同時に小売店もないと困るのではないですかと。量販店と小売店がパパママショップが両立できる仕組みはどうなのかというと、なかなか難しいけれども、多分そのゆとりというのは、効率一本やりだけだと量販店だけになってしまう。

しかし、安心・安全みたいなところを考えると、パパママショップが必要で、これは一つの例かもしれないけれども、何かそういうゆとりのある高齢社会、あるいは安心・安全の高齢社会はそういう広い意味でのリダンダンシー、あるいは広い意味でのセーフティネットというか、そういうのが必要な感じがして、そういうニュアンスがどこかで出せるといいのかなという感じもします。

今はどちらかと言えば、二重になっているものは一つにしましょうというような、これは財政の制約もあるから、しかたない面もあるのだけれども、場合によっては、そういう見守りみたいなものを町でもやっているし、もう少し広域の行政機関でもやってくれるようになっていれば、なお安心というところもあると思います。

これは村木さんの専門分野かもしれませんけれども、子育てのところで言っても、保育園があってもいいし、幼稚園があっていいし、いろいろなものが重層的にあって、その中で安心できるのが本当はゆとりのある社会なのかもしれない。そういう発想は出てきていますね。リダンダンシーというと言い方がよくないかもしれませんが、今の行革的な考え方からは逆行してしまうのかもしれないけれども、そういうような視点があってもいいのではないかと。

例えば仕事のマッチングであっても、ハローワークもあっていいし、地方自治体がやってもいいし、そういうのが幾つもあったって良いではないかと。その方がむしろ安心のためにはいいのではないかという考え方もあると思いますが、今はなかなか財政の制約の中で難しいのかもしれないけれども、そういうようなことをこの御時世に事務局に盛り込んでもらうのはかわいそうですから、うまく盛り込めたらどうかということで結構ですので、お願いします。

そういうことで、今日はいろいろと御議論をいただきまして、ありがとうございました。本日御指摘いただきませんでしたこと、細かい語句等の修正等も含めて何かございましたら、また事務局にお知らせいただきたいと思います。細かいところでも、また大きなところについても、是非お知らせをいただきたいと思います。

今回、報告書の副題についても御議論をいただく時間があればよかったのですが、そこまでは行きませんでしたので、この報告書の副題についてもいろいろとお考えをいただいて、できれば次回までに事務局の方にサブタイトルの見出しについても御意見をいただき、また御指示をいただければと思います。

今後の予定等について、事務局から御説明をお願いします。

○原口参事官 次回の検討会でございますが、各委員の御都合をお伺いしましたところ、(平成24年)2月2日木曜日15時からの開催を予定しております。よろしくお願いいたします。

次回の検討会では、本日いただきました御意見等を踏まえまして、事務局にて更に素案を加筆修正を加えますので、そちらにつきまして、御議論をいただきたいと考えております。

清家座長の方からお話がございましたけれども、是非とも報告書に付ける副題とかサブタイトルとか小見出し等につきましても、お知恵をいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

当日御欠席される場合でございますけれども、できる限り事前に資料が届くように努力いたしますが、文書で御意見等を提出していただければ、会議の場で紹介させていただくという形を取らせていただきます。よろしくお願いします。

○清家座長 ありがとうございます。

では、そのようにお願いをいたします。

次回は今、お話がございましたように、2月2日木曜日にございます。ここで引き続き、この素案について御議論をいただいて、議論の状況によりましては、予備日が2月23日に予定されておりますので、そこまで含めて、報告書を最終的にとりまとめたいと思っております。

今日もそうでございますけれども、皆さん大変活発に御議論をいただきますので、時間の制約がございますから、必要に応じて、また事務局の方で先生のところに伺ったりしていただいて、意見をできるだけ反映させた形で、2日に案を提案していただきたいと思いますし、委員の先生方でお気づきの点がございましたら、どしどし事務局の方に、どんな形でも構いませんが、メールが一番簡単かもしれませんけれども、お寄せいただければと思います。

今日はお忙しいところをどうもありがとうございました。