五島文化協会
~歴史探訪を中心に同人誌の発行を通して文化の普及~
団体名 | ごとうぶんかきょうかい 五島文化協会 |
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地域 | 長崎県五島市 |
構成員 | 201名(65歳以上の者の占める割合:85%) |
活動概要 | 五島の文化普及のため、昭和34年に福江市長の音頭で発足した。同人誌「浜木綿」の発行をはじめ、五島列島小中高短歌・俳句コンクール、行政の要請による福江市史の編纂、講演活動などの活動を行っている。 |
表章の事例区分 | 教育、文化 |
キーワード | 歴史探訪/講演会活動/短歌・俳句コンクール/浜木綿 |
(注)構成員等は、平成25年4月1日時点
活動のきっかけ
歴史探訪を中心とした活動
郷土の文化や歴史を守り育てようと昭和34年に当時の福江市長の音頭で「福江文化協会」が発足し、活動が開始されました。その2年後、文化活動は市民の手でと、自主財源の任意団体として出発し、今日に至っています。昭和43年、福江では狭く、歴史探訪や研究は五島全域だからと「五島文化協会」に改称しました。
昭和40年代から50年代は、邦楽の会や児童作文コンクール、五島各地の歴史探訪や文献の発行など、幅広い活動に取り組んでいました。しかし、昭和60年頃から主として会員向けに歴史探訪に代表される文化行事に縮小して活動を実施しています。
活動内容や現在の活動状況
貴重な郷土の文献の発行
現在会員は五島列島在住か五島列島にゆかりのある県外在住者201人で構成されています(平成25年4月1日現在)。
現在の主な活動は、歴史探訪や貴重な郷土の文献を出版すること、同人誌「浜木綿」を年2回発行すること、郷土の次代を担う子どもたちの「五島列島小中高短歌・俳句コンクール」を主催することです。
同人誌「浜木綿」は、昭和36年に創刊されて以来、年2回発行し続けています。創刊間もない昭和37年9月の福江大火で甚大な罹災にもかかわらず、1年半後には復刊させました。
史話や随筆、短歌、俳句や詩などを掲載した読み応えのあるユニークな機関誌です。
平成16年から五島列島小中高短歌・俳句コンクールは始められました。学校で「俳句特別授業」が催される場合は、会員の中から講師派遣を行っています。
福江市の歴史の編纂や文化財審議会に会員の中から委員を選んで送るように協力しています。こうした活動は、島嶼の文化活動の活性化に貢献しています。
ポイント、工夫している点
記憶遺産・文化遺産として後世に残す
平成23年に創立50周年記念事業として、4年の準備期間を経て、かつて大変な混乱期の五島の暮らしの証言を昭和の記憶遺産として後世に残すために、「五島に暮らす~戦中戦後・汗の記録」(550頁)のタイトルで刊行しました。
平成24年には、五島が生んだ昭和初期のホトトギス同人で、九州の七傑の一人、大野きゆうの没後65年を記念して、句集「沖うらゝ」を昭和期の隠れた五島の文化遺産として出版し、これを機に、大野きゆうの文献を歴史資料館に寄贈することにしました。
協会の活動は、24名で構成される理事会で中長期の計画が策定され、歴史探訪、編集部会などの単位で役割を決めて活動しています。
課題と今後の展開
年度計画に沿った活動を実行
大野きゆう文献を歴史資料館に寄贈することに伴う、文献の整理や仕分け、解読を継続して行います。また、同人誌「浜木綿」の発行並びに五島列島小中高短歌・俳句コンクールも継続して行います。
〔大野きゆうプロフィール〕
明治7年福江に生まれる。長崎市の東山学院を卒業後、旧陸軍士官養成機関の教導団に入り、日清戦争後陸軍を退職。憲政の神様といわれた尾崎行雄主宰の競馬会に入社。競馬会を退職後、大阪商船に入社。30歳を過ぎてから句作を始める。昭和5年、五島に帰郷。善教寺前に「きゆう庵」を立てる。同年6月「かくれみの吟社」を興し、五島俳壇の重鎮として活躍。昭和22年、没。享年73歳。