小畑 敏子さん
~国道と橋の上に花を咲かせて25年~
名前(年齢) | こばた としこ 小畑 敏子さん(81歳) |
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地域 | 京都府南丹市 |
活動概要 | 昭和63年京都国体の「花いっぱい運動」を機に、プランターでの花作りを行い、地元の橋などに花を咲かせる活動を25年間継続して行っている。地元住民のみならず、通行者や道行くドライバーからも大変感謝されている。 |
表章の類型 | 中高年から一年発起して、物事を成し遂げた事例 |
キーワード | 花づくり/環境美化/自然保護 |
(注)年齢は、平成25年4月1日時点
活動のきっかけ
地元の橋に大好きな花を咲かせよう
昭和63年、京都国体が開催される一環として、府民運動の一つとして「花いっぱい運動」が展開されました。昭和62年(55歳)にプランターによる花の植栽講習を受け、プランターの花づくりに初めて出会いました。これを機にプランターの花づくりに魅せられ、現在の活動につながっています。
橋の上にプランターを置くヒントは、丹後町(現在の京丹後市)へ出かけた時に見つけました。橋の上にプランターで育てられた花が飾ってあるのを見て、「プランターを使って、家のそばの栃原橋歩道に花を飾ってみようかしら」とひらめきました。また、花づくりの魅力に取りつかれたのは、母親が花づくりが大好きだった影響も受けています。
活動内容や現在の活動状況
通り過ぎる方々からの声に励まされて
栃原橋は約80mの長さがあり、土木事務所の管轄なので、プランターを置くにも許可申請を行う必要があります。小畑さんは許可を取得後、昭和62年から1年も休むことなく25年間プランターでの花づくりを続けています。プランターと花の苗、肥料はすべて自費購入です。土は自宅の畑の土を用いています。冬の間プランターから土と根を掘り起こし、土は施肥して寝かせておきます。
そして、プランターの花は長持ちしないので、一年に3回ほど植え替えをしなければならず、年間を通して作業があります。健康でなければ続けられない活動です。小畑さんは、「目的があるからこそ自らの健康を守ることができる」とおっしゃいます。また、協力も不可欠です。協力者であったご主人に先立たれた後は、三世代同居している家族の協力があり、活動を継続しています。
通勤、通学、観光などで橋を渡る多くの人は、どのような色の花が咲くのかを楽しみにしています。「敏子さんの花は一味違う。きれいやな。花に敏子さんの心が宿っているんやな」とご近所の人から声をかけられることもあります。そんな声をかけられる時、「ああ、花づくりをしていてよかった」と思い、「明日も頑張ろう」と元気づけられます。
小畑さんの花づくりは新聞や広報誌などでも報道されています。最近では、町内の道路沿いに花を飾る人が増えてきました。このことに対し、「皆さんがそれぞれできる範囲で行っていることであり、どこか心が通じているようで嬉しくなります」と話されます。25年間続けているからこそ、花づくりが以心伝心で拡がっています。
ポイント、工夫している点
花づくりする人の気持ちが伝わるように話しかけながら
「小畑さんの花づくりの特徴は、約60個程のプランターに、春から秋まで花を咲き続けさせることです。マリーゴールド、ベコニア、サルビアなどを植栽しています。橋の色が黄色のため、花の色も選ぶようにしています。プランターの花は水やりを欠かすことができません。特に、夏の間の水やりに苦労しています。水をタンクに入れて一輪車で橋の上まで運び、花を育てる人の気持ちが花に伝わるといわれる通り、花に話しかけながらたっぷりと水を施すのが朝夕の日課となっています。
その他の活動
海外研修で学んだ成果を地域に還元
京都府生活研究協議会に所属していた時、京都府主催の「女性の船」に49歳(昭和56年)で参加し、京都府主催のオースラリア・ホームステイ研修に74歳(平成16年)で参加しました。日常生活での活動に加え、海外での経験も含め色々と経験したこと、蓄えた知識を京都府生活研究協議会や美山町生活改善グループ、南丹市老人クラブ役員(女性部長、副会長)としてリーダーシップを発揮しました。
健康の秘訣はグランドゴルフに興じることにあります。そして、長年住み慣れた地区に伝わる栃餅作りを地区住民の方々と続けています。