-
交通安全対策 サイトマップ
-

交通安全対策トップ普及啓発国際シンポジウム > 報告書

-

キックオフ・ミーティング

セッションI

【第一分科会「交通安全のビジョンとターゲット」】

司会太田勝敏(東洋大学教授)
報告クラウス・ティングヴァル(スウェーデン道路庁道路安全部長)
『安全な道路交通システムへのビジョン』
パネリスト村上陽一郎(国際基督教大学大学院教授)
加藤尚武(鳥取環境大学学長)

○太田 皆さん、こんにちは。 今日は午前中、オルソップ先生のほうから全体的な非常に遠大な問題提起、それからビジョンのあり方ということについてご紹介いただいたと思いますが、私どものこの第一分科会では『交通安全のビジョンとターゲット』ということで110分間でしょうか、議論させていただきたいと思っております。
 この参加者は、先程ご紹介がありましたけれども、非常に幅広く、医学系から交通安全のことをやられている方、私みたいに交通計画のほうからアプローチする者、それから科学史であるとか、倫理ということをやっておられる立場から安全についてご関心をお持ちの先生ということで、非常に多様な視点からこういった問題について議論したいというふうに思ってございます。
 進め方としましては、最初に報告ということで、スウェーデンのティングヴァル先生のほうから『安全な道路交通システムへのビジョン』ということでスウェーデンの状況を中心にご紹介いただき、その後お二方の村上先生、加藤先生からコメントをいただいた上で、少し一般的な議論に移っていきたいというふうに思っております。
 もし時間が多少調整つくようでしたら、会場の皆さんからもお一人、二人ご意見をいただけるような機会がとれればいいと思っております。
 それでは、早速ですけれども、最初にティングヴァル先生のほうからご報告のほうをお願いいたします。

○ティングヴァル
<はじめに>
 皆様、こんにちは。座長、ご紹介いただきましてありがとうございました。30分いただきまして、私なりの考え方、アイデア、そしてどのように交通安全のためのビジョンを策定していったらいいか。ビジョンと言った場合には、やはり交通安全のための構想ということで、ターゲットとは区別してお話をしていきたいと思いますが、この手段としてのビジョンについてお話をしたいと思います。
 多くの日本の皆様といろいろと協力をさせていただき、おつき合いをさせていただいていたのですけれども、実は日本には伺う機会がなかったので、今回このキックオフ・ミーティングにご招待いただきまして、私なりの考え方をご披露できることを大変うれしく思います。私、スウェーデンの人間ですので、スウェーデンにおける、私、スウェーデン道路庁の交通安全担当ディレクターをしておりまして、道路を整備するばかりでなく、スウェーデンのSNRAという私が属している組織は、この道路輸送体系を品質的にも高め、単に人々の移動の手段を確保するばかりでなく、道路交通輸送体系の安全性、そして維持に対する責任を負っています。もちろん取り締まりを行う警察のような権限をすべて持っているわけではありませんが、すべての利害関係者とのかかわり、利害関係者と言った場合には、やはり国民の税金によっていろいろ仕事をしている人たち、あるいは道路輸送体系におけるさまざまなかかわりを持っている民間企業などと折衝を行う立場にあります。
 今日、お話を申し上げる内容というのは、皆さんの議論を喚起する議論のたたき台にしていただければと思います。実際に今後の議論のたたき台として、私たちが今までどのような考え方をしてきたか、今後どういった考え方をすべきか、これは白黒決着がはっきりつけられるものでは必ずしもありませんし、時間的にも非常に遠大な構想を持たなければいけない。過去のやり方が間違っているというわけではない。しかし、近代社会において、やはり安全な道路輸送体系を実現するためにはどういった管理が必要か。昔とは違ってきていることについて少し大げさな言い方をするかもしれませんが、今後これについて議論をさせていただければと思います。
 スウェーデンのこの道路庁とスウェーデン議会、及びスウェーデンの国民がどういった試みをしてきたかについて少しご紹介をしたいと思いますが、まず、ビジョンがどういう意味で有用であるのかお話をしたいと思います。オルソップ先生の午前中のすばらしい基調講演の中で、ビジョンをどのように活用することができるか、交通安全におけるビジョンの活用方法について言及がありましたが、私なりに大事な点を整理しておきたいと思います。

<道路輸送体系とビジョン>
 まず、道路輸送体系というのは非常に複雑なものです。ほかの社会の制度、環境に比べれば一番複雑なものと言えるかもしれません。まず、すべての国民がかかわりを持っている。また、いろいろな利害関係者が存在しています。こういった利害関係者の動機づけはいろいろとあります。政治、予算、あるいは商業的な利益追求、その他いろいろな動機づけが存在しています。こういった動機づけは一様ではありませんし、また、道路輸送体系を企画立案し、それを実施していくためには長い年月がかかります。どのように私たちはこういった体系を変えていくか、道路輸送体系というのはオープンなシステムの一つですけれども、こういったさまざまなステークホルダーがかかわりを持っているオープンシステムで将来的な計画というものをきちんと立案し、また、さまざまな道路輸送体系におけるビジョンの策定の仕方というものは単純なものではありません。多くの利害関係者、市民・国民が将来的にその道路の質をどのように変えていくべきか、そのイメージというものを明確に把握する、あるいは独自に、あるいは集団でいろいろな動機づけを持っていながら、統一的な見解を持って共同で努力をしていくということは非常に困難なことだと思います。ビジョンというのは行動計画とは違います。ビジョンというのは将来のイメージをあらわすものであり、そのビジョンを描いた上で行動計画、あるいはターゲットを策定しなければいけないわけですが、やはり将来望まれる形態というものをビジョンによって明確に打ち出していかなければいけません。それを社会的にまず明確化し、共用していく必要があります。ビジョンと言った場合には、ある問題意識をまず明確に持たなければいけません。今まで私たちがやってきたこと、やるべきことを明確化し、避けるべきことは今まで犯してきた過ちの責任をなすりつけるというようなことですが、やはり現在の問題意識というものを明確に整理するということがビジョン策定に当たっては重要です。

<問題意識>
 ここに二つ挙げております問題意識、これはちょっと挑発的な内容かもしれませんけれども、社会の非常に病態をあらわしていると思います。「十分機能している道路輸送体系を市民が乱用することによって社会に対して大きな経済的損失をもたらす」というのが上に書いてある問題ですけれども、やはりこういった状況があるから問題が起こっているとも言えますし、また、人々の集団である社会が決して間違っていない環境に生計を立てていながら問題が出てくるというような、古典的な疫学的な考え方をしていくことができるわけですが、この下に書いてあるように「個別の市民が犠牲者である道路輸送体系は非常に不備なマン・マシンシステムである」と。これは前提としては、機能が本来あるべき形で実現されていないということを前提としているわけであり、こういった問題が疫学あるいは医学の分野においてはまず存在し、それにどう対応し、どういうふうに克服していくかという形で人々が努力をしてきたわけですが、スウェーデンの社会、あるいはイギリスの社会などにおいて、人々の意識というのはやはりどちらの側面も問題を有している。しかしながら、この一番下の文章のほうが現在の状況を端的に物語っているという認識があると思います。
 私たちが今まで交通安全の問題のとらえ方をしていたのとはかなり違うと思います。私たちは道路輸送体系において安全に関して問題が存在している。つまり、十分機能していないマン・マシンシステムであるという認識を持つのであれば、やはりこういったシステムに対して大きな改善を実現するためには私たち専門家集団として、専門家集団といった場合には道路輸送体系を十分機能するようにサービス、商品の提供、いろいろな側面がありますけれども、それを開発し、それを維持・提供していく者として、このシステムを改善し、社会に望まれる、期待されるものを提供していく責務が私たちにあるということになります。今日あるいは今後、より安全な輸送体系というものを実現していくためには、私たちが多大な責任、負担を負っていかなければいけないということになりましょう。安全性に対する責任は私たちの肩にかかっているということになります。
 これは私たち以外のほかの人たちの社会の人々の生命、そして健康を私たちが守っていく責任を持っているということになるわけです。私たち自身を責める必要はありませんし、また、ほかの人たちを責める必要もないのですけれども、今までとは違った問題の切り口を採用することによって、すべての責任、自分の身を社会の全員が守っていくというような形で国民に押しつけるということではなくなってくるわけです。だれかの生命、だれかの財産を守るということになると、やはり見方が違ってきます。例えば医学の世界の状況を考えてみてください。医学界では、私が患者だとすると、自分で医療のサービスを求めていくわけですけれども、道路輸送体系で今まで採用してきたアプローチとは違います。人々の健康、人生にとってどれだけの実用性があったか、功利主義的なアプローチとは違うわけで、やはりだれかの人生、健康、生命を守っていくということになった場合、私たちは専門家としての責任というものを十分考慮した上で、やはりそれぞれの人々の安全性、個人の安全性を守っていく責任を担っていかなければいけません。

<ビジョン・ゼロの四つの次元>
 オルソップ先生が「ビジョン・ゼロ」について午前中ご紹介になりましたけれども、幾つかの問題を包含しています。通常は四つの次元で「ビジョン・ゼロ」というのは語られます。まず、(1)倫理要綱というような意味合いにおいて、私たちは引き続き人の生活と健康というものを、こういった道路輸送体系が引き続き人々に便益がもたらされるような形で均衡をとっていくことができるのだろうかということを考えなければいけませんし、また、(2)責任分担、責任の共有、これも必要になってきます。個々の道路利用者がこういった道路輸送体系におけるみずからの安全性を守っていくだけではない、責任を共有していかなければいけないということと、さらに、(3)安全性に関する哲学を科学的なアプローチを通じて追求していく。安全の哲学において、こういった道路輸送体系の個々の道路利用者である市民の命を守っていかなければいけないわけですが、それを科学的にとらえていくということと、最後に、(4)変革の牽引力、こういった体系が変わるためにはどういったメカニズムが必要であるか、これをやはり考えていく必要があります。

<ビジョン・ゼロの本質>
 先ほども申し上げましたが、今後、道路輸送体系におけるその性質を今までとは違う捉え方をして、そしてマン・マシンシステムとしては十分機能していないのが現状であると考えた場合に、「ビジョン・ゼロ」というのは、まさに安全な道路輸送体系の責任は、道路ユーザーではなく専門家集団の肩にかかっているということを本質的には明確にしているわけです。とはいっても、ユーザーに全く責任がないということではありません。引き続き多大な責任を、規則あるいは道路輸送体系における法律遵守に対しては負わなければいけないわけですが、安全なシステムを提供するという責任はユーザーではなく、一般市民ではなく、私たち専門家集団にかかっているということを求めているわけです。
 ここでよく誤解があると思うのです。道路利用者の責任をすべて軽減するということではなく、この安全性に対する責任、安全なシステムを実現するための責任がプロフェッショナルにあるということを「ビジョン・ゼロ」では明確にしています。長期的には法的な枠組みが整備され、道路輸送体系における安全性の責任を明確化することはあり得るかもしれませんが、今すぐこのように、だれがどういった責任を負うか、専門家集団がどういった責任を持たなければいけないか、法律で規制するというのは決して得策とは思われません。ということから、何らかのガイドライン、あるいは倫理的なルール、もっと政策的なルールというようなもの、法的なルールというよりも、そういったルールで四つの次元、先ほど申し上げたものを持ったもの、こういったものが考えられます。

<倫理要綱>
 第一は、先ほど申しましたように、これは何よりも政策という性格のものでありまして、法的な手段にはなっていません。しかし、我々が考えるところの倫理、すなわち道路輸送システムのもたらすメリットと生命や健康は引きかえにならないというものであります。つまり、多かれ少なかれ長い目で見たとき、道路輸送体系のモビリティ、これはすなわちそのシステムの機能であるわけですが、それこそが道路輸送体系の機能ですが、これはシステムの安全性に関連しているということであります。これは短い目で見たときにはバランスがあるかもしれませんが、長期的に見たときにはこの安全性ということ、このモビリティと安全性ということが出てくるわけであります。もちろん環境とか、そういった側面も重要ではありますが、つまり、もしだれかの命や健康に関して責任を担っているとしたら、それに対しての反応として考えられるのがこういうものであります。つまり、倫理的なアプローチとして、また、健康・保健分野における倫理に大変近いものであるとともに、また、作業環境、職場環境における倫理にも近いものであります。また、午前中基調講演にもありましたように、社会の中にはいろいろな環境があり、それを考えるのも有益でありますが、しかし、安全性にかかわっている分野だけでなく、どんな倫理的なアプローチがその周辺に存在しているかということを考えるのも有益であります。例えば職場環境であれば木材とかスチールとか、そういったものを使って人々の健康や生活を支えるものとなっています。市民社会においては、つまり、人の健康や生命を犠牲にして、もっとたくさんの木材とか、あるいは鉄鋼を生産せよというようなことはないはずです。

<責任>
 これは法的な枠組みでないということを強調しておりますが、しかしながら、それでも異なった次元においての責任は存在しています。まずはあらゆる手段を尽くして人の健康や生命を守ることを義務づけられているというのです。これは決して道路の安全は社会におけるあらゆる予算を投入して改善を図るべきだと言っているわけではありません。そうではなくて、我々は常にベストプラクティス、最善の慣行というのを使っていくべきだということです。後で申し上げますが、このベストプラクティスというのは必ずしもお金がかかるものというわけではありません。ベストプラクティスを行う上ではほかのことがむしろかかわってくることがありますが、むしろこれは道路輸送体系に対して抱く期待のようなものです。例えば科学的なアプローチとか、また、利用し得る最善のアプローチを使って道路輸送体系において安全を図っていくということであって、決して人の健康や生命を実験の対象とするというようなことは決して許されておりません。社会の中のどんな分野といえども、人々の健康や生命の責任を担っている場合、そういったことが許されるわけではありません。
 さて、責任のチェーン、責任の連鎖ということを考えてみますと、これもまた政策的な色合いのものであります。ここで言わんとしているところは提供者、つまり、道路輸送体系を提供する者は、最終的に安全性の責任を担っているわけです。すなわち、仕事上道路輸送体系にかかわっている者すべて、例えば道路を建設する当局であったり、地方自治体であったり、自動車メーカー、そういったものが考えられます。輸送サービスに関しての仕事もあります。バスやタクシー、その他公共交通、どんなものであれ、あるいはどんな組織であれ、道路輸送体系にかかわっている。例えば、この道路輸送体系を使って職場に通勤しているというような場合もあるでしょう。そういった道路輸送体系を提供している者というのは、最終的には安全性の責任を担っているわけであります。
 それから、もう一つ大変重要なことは、道路使用者は規則を遵守する責任があるということです。システムの規則、あるいは規制を違反するということは許されていません。しかし、三つ目はちょっとあまのじゃく的でありますが、もし道路使用者のほうが規則を守らなかった場合には、それに応じた形でシステムを修正する責任です。つまり、すべてが悪かったというわけではないけれども、しかし、もっと改善を図る責任というのは提供者の側にあるということです。午前中何度も出てきたことですが、市民の側の期待として道路輸送体系の使い方というのは、それを使っているからといって自分に害が及ぶものではないという、そういう期待があるということでした。これは市民に対してきちんと機能する道路輸送体系を提供するということを意味しています。

<安全性の理念>
 そして、安全性にかかわる理念、哲学の問題も、また、こういったビジョンにおいては大変重要な一要素となっています。先ほど申しましたように我々としては、利用し得る最善の方法を用いるべきである、それのみを用いるべきである。しかし、また同時に利害関係者すべてに対して問いかけたいのですが、我々の行動はあくまでその失敗を犯しがちな人間に依拠しているということです。つまり、よく機能するマン・マシンシステムがあったとしても、それが実際に運用される場合、運用しているのは失敗を犯すことのあり得る人間だということです。もちろん我々はミスを犯したくないと思っています。どんなときでも100%ミスは犯したくないと思っても、しかし、完璧な人間、100%安全なシステムというものはあり得ません。そんなものは機能しません。ですから、安全性の理念というのはそういうものです。そして奇妙に聞こえるかもしれませんが、この安全性の理念というのは97年に議会で行った決定とも関連しているのです。
 もう一つこの安全性の理念に関して言えることは制約的な要因ということです。バイオメカニカルな人間の認容性をもってこれを制約要因とするというのであれば、二次的な安全性とか、そういったことを言うのかもしれませんが、それは実に間違っています。つまり、システムが問題を起こしたとき、それは道路利用者であれ、あるいはどこに問題があったのであれ、それは人間の生体力学的な認容性であるということです。運動エネルギーの対象物である人間が、そういったことが重なり合って最終的には生命を脅かす、あるいはそれを失うというものになるわけであります。ですから、このシステムをつくるに当たっての制約的な要因であるわけです。環境の分野でも同じことがあるかと思います。いわゆる臨界負荷と言われるようなことと関連しています。

<ドライビングメカニズム>
 四つ目の次元ですが、「ビジョン・ゼロ」における次元として、ドライビングメカニズムというのがあります。つまり、変化をもたらす推進力となるメカニズムです。これもちょっと、我々この分野の専門家としては挑発的と感じるかもしれません。自由市場志向型の考え方というのではなくて、要はだれを対象としてその提供を図るのかということです。それがまたビジョンのいいところでもあるのかもしれません。つまり、そのビジョンの対象はだれなのかということを明確にするからです。結局はだれもが道路を利用するわけですから、社会の中の市民こそがその安全性の対象となる。我々が安全性を提供しなければいけない対象となるのは市民です。そうなると変化をもたらす推進力というのは、すなわち生命や健康を求める市民の正当な要求であるということです。そのやり方が問題なのではありません。つまり、市民があらゆる方法を好むとは限りません。そしてまたすべてがあらゆる市民によって好んでもらえるような、そういったすばらしいものとは限りません。ですから、生命と健康に対する道路輸送体系における要求、需要ということを言っているわけですが、あらゆる利害関係者は市民に対しては責任を担っているのです。もちろん他者に対する責任というのもあるでしょうが、最終的にはビジョンを提供するということは、すなわち市民のニーズにこたえていくということなのです。

<市民参加>
 それで民主主義ということがここで問題になっているのです。つまり、市民を参加させていかなければなりません。ビジョンそのものにおいてもそれは明らかでありますが、すなわち生命と健康を提供するといえばそれは一目瞭然であって、あらゆる市民が自分たちの命や健康を守るということに関して、また、ほかの人たちの命や健康を守るということに関心があるのは当然ですが、要は市民を、そのビジョンを達成する上での活動に参加してもらうということです。道路輸送体系の質というのを隠すのではなく、むしろそれを明確な形で市民、すなわち道路の利用者に対してはっきりと説明していく。例えばそれが道路であれ、あるいは車であれ、その品質というのをきちんと明確に説明していくということです。市民をそういったプロセスの中に参加させて、あらゆる利害関係者がどういった形でよりよい品質のサービスや製品を提供しようとしているのかを見据えるということに関しては、例えば新車評価プログラムというのがあります。日本にもそういうものがあると承知しておりますし、ヨーロッパにおいては皆さんの期待以上のものを、例えばそういったものを当初考えるとすれば、期待されるそれ以上のものを提供しているものがあります。例えば、エヌキャップ(NCAP: New Car Assessment Program)というのは大きな違いをもたらしました。今ではエヌキャップアプローチを越えてというようなことまでも検討されており、将来においては重要視されています。ここでは詳しいことは申し上げません。
 一つ、ユーロラップ(Euro RAP: European Road Assessment Program)というものが間もなく導入されます。これは道路評価プログラムです。それからRPS、道路プロテクションスコアというもので、これは、この評価を行うというものです。例えば、この密集地内においての道路網などに関して、国あるいは地方自治体などがどういった形でインフラの安全性というその質の問題に取り組んでいるかについて評価しようというものです。現実には、スピード違反に対する取り締まりのようなものでありますが、ともあれ、こういった輸送サービス向け、そしてやがてはタクシー、バス、その他重量輸送系の車両に関しても出てくると思われます。これらは明確な形で市民に対して実際に将来どういったものが決定されるのかを示すものでなければなりません。つまり、規制と比べていくと、ここが大きく違うと思います。例えば、車のような製品というのはだれも自分でつくるわけにはいきませんが、しかし、その品質がどういう形でつくられるべきなのかということに関しては、つまり、安全性に関してきちんとつくられているかどうかということに関してはだれもが関心があります。

<ビジョン・ゼロのコスト>
 「ビジョン・ゼロ」というのはお金がかかるものでしょうか。大体こういったビジョンというようなものはお金がかかるものなのでしょうか。それは大変難しい問題だと思います。つまり、初期の間違いを後で補償しようとする、あるいは補正しようとするとお金がかかるという意味ではイエスです。スウェーデンにおいて今、道路安全関係の予算はすべて実は以前と比べて大変大きな金額になっています。大体ほとんどすべて過去における過ちを修正するためにお金がかかっていると言えます。ですから、正しいアプローチはもちろん最初からきちんとやるということなのでしょうが、これを詳しく申し上げることはいたしませんが、例えば道路、インフラ系ということであれば、例えば2車線、3車線の幹線道路のような場合、スウェーデンではそういった道路建設は大変お金がかかります。例えば1メートル当たり1,500ユーロぐらいかかります。最初からきちんと例えばバリアを設けるとか、そういったことを行っていたら、もし20年、25年前にそのぐらいきちんとつくられていたら1%ぐらいコストは余計にかかった。しかし、安全性ということであれば80%から90%は今日のそれを上回るものができ上がっていたということです。同じことが車などについても言えます。最初にきちんとやっていればお金はかからなかったのです。

<安全性の意味>
 もう一つ、この「ビジョン・ゼロ」に関して言われていることですが、これはかなり将来を見通したものとなっているので、人によってはこういうことを言う人もいます。社会の発展や、豊かな生活にとって高いレベルの安全性というのは脅威であろうかということです。少なくとも私個人に言わせれば、むしろ安全性がないということが人々を制約するのではないかと考えます。つまり、やりたいことができなくなってしまう、安全ではないからというわけです。つまり、安全性こそが人々の生活にとって不可欠の条件であり、それがまた我々が求めるとともに必要とされる条件でもあります。もしもきちんとしていないようなシステムが導入されるというようなことになって、それが人々の生活を制約するのだったら人々は混乱し、困るでしょう。

<まとめ>
 以上まとめますと、近代の社会において規制が盛んに行われています。しかし、必ずしもいつも規制が一番よい手段というわけではありません。確かに規制はなければ困りますが、それが最善のシステムとは言えません。しかし、多くの利害関係者にとってはこれが一つの指針となっています。つまり、そのクオリティ、品質ということに関しての最終的な目標を示すものになり得ます。今日よりもより安全であるというだけでなく、安全性そのものも定義していくということが難しいのです。安全性ということを定義するのではなく、より安全かどうかということではないというものです。
 それからもう一つ、大変チャレンジングで、しかも挑発的だと思われることがあります。実際、私は必要以上に挑発的になっていることもあるかと思いますが、しかし、今回は友人の皆さんと一緒なので慎みたいと思います。この市民というのが我々に対してプレッシャーをかけている。つまり、市民のために我々はサービスを提供していかなければいけないのであって、その逆ではないということです。
 そして最後に、責任を分担し合う。つまり、我々専門家と、そして市民との間できちんと構成された形で責任を分担していくことが必要です。
 どうもご清聴ありがとうございました。

○太田 ティングヴァル先生、どうもありがとうございました。時間どおりに終わっていただいて、スウェーデンにおける「ビジョン・ゼロ」の考え方、その背景にある一つの哲学といいますか、そういうこともご披露していただいたと思います。
 これから少し今のご発表を中心に、まず、村上先生、加藤先生にコメントをお願いしたいと思いますが、ちょっとその前に、細かいことで十分説明がなかったことを質問させていただきたいんですが、言葉だけですけれども、エヌキャップですか、その言葉の意味と、それから、ユーロラップは説明があったと思いますが、道路の安全点検みたいなことで得点化しようということのようですが、ちょっとエヌキャップということだけ短く説明してください。

○ティングヴァル 説明不足で申しわけございません、エヌキャップ、日本でもエヌキャップというのがあると思うのですけれども、新車衝突安全評価プログラムです。これは新車の衝突テストを行いまして、そして一定の基準に対してランクづけを行って、そして消費者にそれを提示する。車の安全性に関するランキングを行って提供するというものです。

○太田 ありがとうございました。
 それでは早速ですけれども、では、村上先生のほうから今の全体の発表につきましてコメントをお願いしたいと思います。

○村上 村上でございます。
 ティングヴァル先生の大変貴重なお話をありがとうございました。いろいろ考えさせていただくことが多かったように思います。その中から、主題的には必ずしも取り扱われませんでしたけれども、常日ごろ私が考えていることと、それから今のティングヴァル先生のビジョン、それから一般について、それとスウェーデンで行われている「ビジョン・ゼロ」ということについてのビジョンという面からの一つの論点を申し上げてみたいと思います。
 例えば「ビジョン・ゼロ」の背景に倫理的な前提がある。人命や人間の健康にかわるべき価値はないと。人命とのトレードオフはないのだということをおっしゃいましたし、それから責任ということで、特に行政面、プロフェッショナル・ソサエティという言葉がしばしば出てまいりましたように、特に行政ないしは道路行政に携わる人間のあらゆるステークホルダーの責任がどうなるかということです。そういったことの中で、一つ私が気になっていることがあります。四つおっしゃいましたね。科学的なアプローチと、それから変化に対してどういうドライビングフォース、市民がきちんと自分たちの命と健康に対して要求を突きつけることなどを挙げられたのに対して、私はもう一つあってもいいのかなというのが気になっているところであります。それはあえて申し上げれば、これも実は主題的には出てこなかったのですが、お話の隅々には入っていたことなのですけれども、トレランス・フォー・ミステイクスとか、トレランス・フォー・エラーというような概念があってもいいのではないかというのが私のレスポンスであります。
 それで、サイエンティフィックアプローチのところで、人間の失策という言葉も出てまいりましたので、当然のことながらそこにも一つのポイントがあることはお話の中でうかがえるわけですけれども、例えば、事故を起こすということが現在では、これは日本の場合、特にそうでありますが、レギュレーション、規制と教育、あるいはこういうときに言う道徳ですね。交通道徳なんて言うときの道徳といったようなところに力点が置かれております。これは確かに故意とか悪意とか無知に対して規制とか教育、あるいは道徳の普及というようなことが、効果があるだろうと思いますし、それが大事でないということを私は申し上げるつもりは全くありませんけれども、社会システム全体の中で、特に交通に関して必ずしも故意と悪意、あるいは無知だけが原因ではなく、やはり人間の、言ってみれば失策、ヒューマンエラーというのがしばしば大きな要素を占めることになりますが、特に日本の社会システム、交通の問題に関して、それに対して十分に寛容である、トレラントであるというふうには言えないという日本における自己反省ということも含めて今申し上げている次第です。
 なぜそういうことを申し上げるかといいますと、たまたまこれは全く別の世界の話なのですけれども、クリントン政権時代のアメリカで、医療の質、医療というのはアメリカ語では「ヘルスケア」という言葉を使っていたようですが、クオリティ・オブ・ヘルスケアということを論ずるコミュニティが大統領の諮問委員会として結成されまして、報告書が二つ出ました。どちらも日本語に翻訳されております。そのうちで安全の問題を取り扱った報告書のタイトルが私にとっては大変おもしろかったのですけれども、そのタイトルは『トゥー・アー・イズ・ヒューマン(To Err is Human)』というタイトルでありました。この言葉は皆さんご承知だと思いますけれども、イギリスの18世紀の詩人であるアレクサンダー・ポープが「トゥー・アー・イズ・ヒューマン,トゥー・フォーギヴ・ディヴァイン」という、人間は過ちを犯すけれども、それを許すのは神様だという、そういう表現の前半分をとったものでありますから、意味は少しポープが言った意味は違うのですけれども、でも、ここで使われているのは、「トゥー・アー・イズ・ヒューマン」つまり間違えるということが人間的なことなのだと。人間というのはだれでも間違える。この人間の失策に対してどれだけ社会システムが寛容な制度をきちんと立てることができるかという点で、おっしゃった「ビジョン・ゼロ」は十分そのことを考慮されていると私は受けとめさせていただきました。しかし、例えば日本の交通政策の中では、まだなかなかそれが実現されていない。特に一つ気になっておりますのは、これはフランスやドイツでは交通事故の事故情報の収集に第三者委員会としての事故調査委員会が出張っていって、警察が縄を張っていても自由にそこへ入り込んで十分な事故情報を集めてきて、それを次のフェールセイフのために利用するということができるようになっておりますが、今の日本の状況ではそれは全くできないというのが現実であります。そして警察は事故が起こったときに、だれかが刑事上・民事上の責任を負わなければならないか、だれが負うべきなのか、両方に失策があれば、その割り振りはどのぐらいになるのかということを決めるために事故情報を集めているようなところがありまして、失策をした者はいずれにしても何らかの罰を受けなければならないという、そういう発想で事故情報が集められているという現実がございます。
 このような事態からは、なぜ、では航空機事故の場合に事故調査委員会というものが組織されて、警察や、そういう側面からの事故調査以外に情報収集が可能になっているかということを考え、あるいはフランスやドイツで、なぜ交通事故に関しても同じような事故調査委員会が活動できる余地をつくるようになったのか。これも、例えばドイツの場合は、法律上の改正までして、メルツェーデスがイニシアチヴをとって、そういう事故調査委員会の活動をできるように社会の仕組みを変えていった。さっきのドライビングフォース・イズ・フォーチェンジではありませんけれども、その変革のドライビングフォースになったということを考えますと、それはやはり警察が集める。警察が警察としての目的で事故情報を集めるのとは違った目的のために事故情報を集めることが必要なのだという認識に基づいているからであるということが言えるはずであります。これは航空機事故の場合でも全く同じでありまして、事故調査委員会がインタビューをしている間に当事者からぽろっと漏れてくるいろいろな小さな、小さな、一見小さな情報というものが、よりよい方向へ変革をしていくための、例えばデザインの航空機のセットレバーの位置だとか、そういったことに対しての変革をしていくための非常に重要なきっかけになっているという経験を、当然のことながら航空機事故の経験を交通事故にも適用できるようにしていかなければならないのではないかというふうに考えておりまして、そういう意味で、その社会の仕組み、法制度やそれから今の事故の調査制度やあるいはその他もろもろ、さまざまな制度が人間の失策に対してどれだけ十分に寛容であり得るか。その寛容というのは、それを許すということではなくて、仮にそういうことが起こったとしてもなお、人命の損傷を減らし、それから重傷者は軽傷者にし、軽傷者は負傷がなくて済むような対策を立てるためにどうしたら社会システムを組んでいくことができるのかという、そういう哲学に基づいて私どもの交通事故対策のためのビジョンが築かれていくことが望ましいのではないかというのがティングヴァル先生のお話を伺いつつ、また、日ごろ私の考えていることと重ね合わせて申し上げたかったポイントであります。
 以上で私の最初の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。

○太田 ありがとうございました。非常に基本的なコメントかとも思いますが、ヒューマンエラーというものを前提にした対応、あるいはそれを受け入れる仕組み全体について、日本でまだまだ考えることがあるのではないかというご発言かと思います。
 もし、ティングヴァル先生のほうで、今の段階でショートコメントがあればお願いいたします。

○ティングヴァル はい、ありがとうございます。
 村上先生は非常に興味深い二つの点を挙げられたと思います。まず、明らかな規則違反と、それから人間である以上判断ミスをする、あるいは間違いを犯す、人的エラーを犯すということの対比で、やはり将来のこういった交通安全システム、あるいは道路輸送体系が何を根拠とすべきか。道徳的な哲学観というものについていろいろと研究があったのですけれども、やはり大人としてシステムがどういったものを受け入れることができるのか、その前提条件というものを明確にしていかなければいけないと思います。例えば寝てしまう、居眠り運転をする、これは違反なのでしょうか。法律的にはこれは居眠り運転というのは法律違反ですけれども、これは道路輸送体系のさまざまな、いろいろな期待値というものがあることに対し人間が裏切っていることなのか。例えば飲酒運転はどうなのか、飲むことはよくないとわかっていても、道路輸送体系で酔っぱらい運転に対して、安全な道路というのを実現することは決してできないと思います。いろいろと詳しく突っ込んで話をしなければいけないことが次から次に出てくると思うのですけれども、個人の道徳観というのはひとつ置いておきまして、やはり人間である以上、個人としてどうしてもミスを犯してしまう、あるいはルールで破ってしまうものがあるというようなことを一つ一つ洗い上げていく必要があるのかもしれません。
 もう一つ、伺っていて興味深いなと思いましたのは、例えば飛行機事故において、本当に一見ささいと思われることから、こういったマン・マシンシステムの改善を行っていくヒントを得るということです。いろいろな組織のリーダーが非常に重要な問題を認識するということが重要であり、各組織は独自の製品、サービスを提供するに当たって、こういった事故、衝突事故、航空機墜落事故から貴重な教訓を学んでいかなければいけないわけですが、やはりさまざまな製品、サービスを提供する企業体に対して、どんどんと負担がふえてきているという状況なのかもしれません。スウェーデンの場合には飛行機事故は単に専門家によって構成される調査委員会のメンバーばかりではなく、これは、そしてだれが悪かったから事故が起こったかということではなく、どの組織、あるいはどの利害関係者が犯したミスによって事故が起こったのかということではなく、今後の改善のためにさまざまな企業の代表なども含めて調査を行っています。ですから、これは非常に重要な点を指摘していただきまして感謝しています。ありがとうございました。

○太田 続きまして、加藤先生のほうからコメントをお願いしたいと思います。

○加藤 ティングヴァルさんのお話を聞いて、非常に個人主義的なアトム的なドライバーが想定されているという印象を受けました。個々のアトムは常にランダムでアナーキィな動きをする。その各個体が自制することによって全体が調整されるというイメージです。私は、交通の理想は魚の群れの移動だと思います。何十万というイワシが何千キロという距離を移動しても交通事故が起こらない。実はイワシの群れがどうして交通事故を起こさないかというそのアルゴリズムはまだ解明されておりません。けれども、樹木が枝を伸ばしても接触事故を起こさない理由は既に解明されております。一つ一つの枝はそれを伸ばしていくときに周りの枝との間で光の吸収が均分化されるような方向で枝を伸ばしていくということによって、枝は伸びても接触事故を起こさないというシステムになっているのだそうです。
 運転手について、今まで私たちは一度ドライバーの席に座ってドアを閉めると、もう情報が遮断されてしまうというイメージが非常に強くて、運転能力と地理的な知識と道徳観を積み込んで乗るというイメージが強いのです。例えばインテリジェント・トランスポート・システム(ITS)のような形でリアルタイムの情報が常に運転手に提供されていったとき、あるいはまた運転手自身が自分のドライブの目的地などについて情報を発信することができたときに、交通というのはどういう情報システムに変わるかという転換のイメージが今、必要なのです。例えば、スーパーマーケットで買い物をする主婦は、その日、何人ぐらいの主婦が特売に押しかけるかというようなマーケットについてのリアルタイムの情報を持っています。しかし、古典的な形で想定されたドライバーは、他のドライバーがどういう行動をとっているかということについてのリアルタイムの情報を持っていないというふうに考えられています。ですから、アダム・スミスの考えた「見えざる神の手」よりも、もっと悪い状況でドライバーは運転していると想定されていると思います。
 ケインズが株式市場を美人投票に例えたというのは大変有名な話です。すべてのドライバーは逆美人投票で最も少ない投票を受けるような地域を選んでドライブすると最適地に到達すると考えられます。ところが投票の途中経過で、だれの票数は少なそうだという情報が流れると、かえってそこが混雑してしまうという可能性もあるわけです。ですから、インテリジェント・トランスポート・システム(ITS)が採用されて、すべてのドライバーが道路の全体の状況の情報を手に入れたとき、それが必ず最適地をもたらすというふうには言えないのであって、逆に新しい混雑をもたらす可能性というものもあると思います。
 どういうふうにしたならば、一人一人のドライバーに交通全体のリアルタイムの情報を与えたならば最適の交通が実現されるかという方法論の追求が、これからの交通安全の基本にならなければならないと思います。幸いにICチップが今、実用化されようとしておりますし、また、流通のシステムの中ではサプライチェーン・マネジメントというような、今まで単にマルクスの考えたような意味でのアナーキーな自由市場に対して、需要を引き受けて流通機構に乗せるというような、ある意味で半分管理された流通機構が働き始めています。交通もアナーキーなランダムな動きが全体としてどういう流れをつくり出すかということではなくて、一人一人のドライバーがどういう情報を持ち、全体として最適のドライブを達成するかという、そういう、いわばITSを読み込んだ形での安全対策が必要でしょう。

○太田 ありがとうございました。「ビジョン・ゼロ」等を考えるときのドライバーの環境といいますか、特にITSの関係で情報がもう少しそれぞれにリアルタイムで伝わった上で行動するような、そういう社会になりつつあるのではないか。その辺をどのように考えて「ビジョン・ゼロ」がつくられているかということで、ちょっとコメントをいただければと思います。

○ティングヴァル 私がきちんと只今のコメントを理解したとすれば、この交通輸送システムに関して、今のコメントに関して言えば、やはり次のように考えることが重要だと思います。つまり、このビジョンというのは、ただ単に道路利用者をもっと個体として個人主義的なものとして考えるというのではなく、むしろ道路輸送体制というのは複雑な社会的なシステムであって、あらゆる人たちがその空間を共有している。そして、その他のものが介在している空間だととらえています。そして市民に対して、市民が個人になった場合においての生命と健康を守っていこうということでありますから、問題は、我々がいかにしてその生命と健康を個人に対して提供していくか。ますますこのシステムが今日よりも社会的なものになっていくということが期待されるわけですから、もっと多くの情報がお互いに共有されるようになると考えますし、また同時に、もっと市民は道路利用者のみならず、例えば親として、雇用者あるいは被用者として、いろいろなその資格、地位のもとで参加するようになるわけですから、もし個人主義的な形で道路を利用するというふうに感じたとしたら、決してそういうことを言わんとしたわけではないのです。私の意見としては、決してそういうことを意図したわけではありません。

○太田 後でもまた出てくると思いますが、スウェーデンではITS技術を使ったいろんな応用技術を既に実験されているということでもありますし、十分その辺もお考えの上で、さらに広いそういうITS技術がなくても、それぞれがその情報を共有する、リアルタイムということではありませんけれども、そういうことがやはり「ビジョン・ゼロ」のもとになっているのではないかと、私はそんなふうに感じております。
 残りの時間が45分程度ということで、少しこれからいろんな観点から議論したいと思いますが、今回の私どもの全体のトピックスのテーマが『交通安全のビジョンとターゲット』ということですので、この中から主要なポイントということで、私のほうから少し提案させていただきたいと思いますが、三つぐらいを主要な論点で議論を進め、もし時間がありましたら会場のほうからまたご意見をいただくということにしたいと思います。
 最初にまず、ビジョンとかターゲットということで「ビジョン・ゼロ」のお話もありましたし、また、イギリスのほうは「ビジョン・ゼロ」よりはもう少し現実的なほうがいいのではないかというようなご提案も、朝あったように思います。ということで、ビジョンとターゲットをめぐる課題について最初に議論をしたいと思います。
 それから、その次にそのターゲットを実現するためのストラトジー、戦略の話ですね。これにつきまして既にいろいろベストプラクティスの話で一番いい事例を使うとか、科学的なアプローチを使う、いろんなものがございますが、何かそういった戦略の要素としてこれから特に重要視すべきもの、あるいは日本で重要視すべきものはどんなものかということについて二番目のトピックにさせていただければと思います。
 三番目に、時間があり次第ということですが、いろんな役割分担、ステークホルダーの役割分担が出てきていましたけれども、いろんな意味で市民やドライバーとして、あるいは歩行者としていろんな形で参加しているわけですけれども、その役割についてもう少し具体的なご提案等があればということで、そういった市民を中心にした交通安全のかかわり方について、今までと違った何かがないかということをちょっと議題にさせていただきたいと思います。
 一応そんな三つのことを主軸に議論させていただければと思っておりますが、最初にビジョンとターゲットの話なのですが、一応ビジョンとターゲットをきちんと区別しているようですから、「ビジョン」というのは私の考えでは、長期的なある目標、ゴールに向かっての方向を示すもの、オルソップ先生からも、あるいはティングヴァルさんからも出ましたけれども、将来の方向についての動機づけになるようなもの、そういう言い方で表現されていまして、それに対して、「ターゲット」は年次を区切って、ある目的を具体的に達成する数値が目標値ですね。値が出てくるような、そういう具体的な、そういう内容を含んだものがターゲットであるということで、そのターゲットに合わせて戦略と、その要素であるいろんな選択肢、これが車にかかわるものであったり、道路にかかわるものであったり、教育にかかわるものであったりということが出てくるのだろうと、そんなふうに理解しておりますけれども、そういったビジョンとターゲットについて少し最初の取っかかりということで議論させていただきたいのですが、今朝のオルソップ先生のほうのお話の中で、やはりちょっとスウェーデンの考え方と、それからイギリスの考え方が、多少イギリスのほうがプラクティカルなアプローチというようなふうに思ったんですが、その点につきまして、ティングヴァルさんはどんなようにお考えか、ちょっとその辺を切り口にして、日本のターゲットということで、今日のタイトルの最初にも出ていましたが「世界一安全な道路交通の実現」と、これも一つの目標だろうと思います。ただ、それを具体的に示すものとして、交通事故死者数の更なる半減を10年間にしたい。これはまさにターゲットだろうと思うのです。ですからこの辺について適切性といいますか、それに対してどんなお考えをお持ちか、あるいはもっとこれをさらにどういう形にしていくと戦略に結びつきやすいか、その辺を中心に少し議論させていただきたいと思います。
 最初に、ティングヴァルさんに少しご意見を伺いたいのですが、方向としてはイギリスのアプローチも、スウェーデンのアプローチとかなり似ていると思いますが、ターゲットの置き方、スウェーデンのほうはゴールあるいはビジョンとしてはゼロなのですが、ターゲットはどんなふうに置かれているか、ちょっとその辺のことをご紹介かたがた、ほかの国、特にイギリス等との関係といいますか、考え方、立場が違うのか、同じ方向を目指して、多少そのやり方の順番が違うのか、そんなコメントをいただければと思います。

○ティングヴァル ご質問いただいてありがとうございます、太田先生。個人的には、現実的にはそれほど大きな違いはないと思っています。これから20年、30年の間はそれほど大きな乖離は出てこない、違いは出てこないと思っています。数値的なターゲット、オルソップさんが午前中もお話しになっていましたけれども、数値ターゲットもそれほど違っていません。というのは、世界のほとんどの国々において非常にアンビシャスな、野心的なターゲットというのを設定しているので、それも大きな違いはありません。ただ、最終的にもっと長期的に見た場合、管理構造、マネジメントストラクチャーに違いが出てくるかもしれません。これは後になって出てくる違いであって、少なくとも私たちスウェーデンでは1981年からターゲットというのを掲げています。ほかのヨーロッパの国もかなり長年にわたってターゲットを掲げているわけですが、ターゲットがあればそれでいいというわけではありません。次のステップとしてはシステムのさまざまな構成要素、インフラであるとか、シートベルトの着用率、あるいは飲酒運転がどれぐらい横行しているか、こういったさまざまな側面というものを解明し、やはりこういったターゲットを達成するためには、現状はこういった属性、特徴があるけれども、それをどうしたらターゲットを達成することができるかという考え方をしていかなければいけないわけです。そして一つの体系というものを、いわゆるサブシステム、ターゲットを達成するために部分ごとに分割して、ターゲット達成のためにそれぞれの対応策というものを実施していく必要があります。ほとんどの国々は五つ、六つ、七つ、場合によっては十ぐらいの指標に焦点を当てていると思います。やはり中期的なターゲットを達成するために、いわゆる古典的ないろいろな指標、項目ですから、日本の皆さんもよくご存じだと思いますが、ターゲットを達成するために、こういった十項目に対処しなければいけないということを国々はやっていると思います。でも、例えばシートベルト着用率を上げるにはだれがその主体となってその実施をしていくのか。やはり行動の主体というのを明確化するのは決して容易ではありません。私たちの経験に即して申し上げますと、まず利害関係者を一堂に会してもらって、集合してもらって、それぞれの動機づけに基づいて今後何をしようとしているかお互いに明確にしてもらう。ほかの利害関係者と、その利害の調整をすることによって、どういった状況を創出することができるのか。自動車産業は何ができるのか、地方自治体は何ができるのか。これもターゲット達成の一環として、どこの部分を自分たちはある程度役割分担することができるのか。後になって何がそのターゲットを達成することになるのかということを明確にすることは、ほとんどの国においてできているわけですけれども、政府あるいは行政以外、利害関係者すべてを含めてだれがターゲットを達成することができるかという行動主体を明確にするということは困難だと思います。

○太田 ありがとうございました。ターゲットというと、やはりその目標を達成するための手段ですから、だれに対して動機づけるかというのは確かに非常に重要な事柄かと思います。ちょっとまた、それは最後の市民とのかかわりということで多少議論できればしたいと思いますが、そういう意味で、今のお話で、いずれにしてもターゲットへ持っていくための指標が本当に適切かというような議論もかなり重要な課題、要するに行動に対して意識改革を促すような指標になっているだろうかということを含めて大変重要な課題かと思いますが、この点に関しまして、いかがでしょうか。加藤先生のほうから何か指標、あるいはその点、ゴール、目標、ターゲットにつきましてご意見がございましたら。

○加藤 私の住んでいる鳥取だと、まず自動車交通量を減らすという課題があります。温暖化対策で石油消費量を減らすためだけでなく、保健所のサイドから言うと、歩く量が減りすぎて健康に害が既に発生しているからです。だから一家に2台ずつ自動車があるという実情ですが、できる用事は歩いて済ませてもらいたいというのが、保健所からの勧告になっています。交通事故全体の死者の数を減らすという目標を設定する前に、自動車に乗る交通量そのものを減らすというターゲットがまずあって、その枠の中で交通事故の問題は考えていかなければならないと思います。例えば、自転車交通がもっと増えるという想定で交通システムを作る必要があります。

○太田 ありがとうございました。今日は事故の議論ですけれども、その前提になるような車の利用そのものに対しても、ある種のターゲットがあり得るんじゃないかという御指摘かと思います。村上先生のほうで、この点についていかがでしょうか。

○村上 指標の話にはちょっと入りにくいのですが、死者の数を減らすというのは当然のターゲットになると思います。あるいは負傷者の数を減らすことも当然のターゲットになると思いますし、先ほどちょっと申しましたように、重傷の方が生まれるのであれば、それを軽傷にとどめておくような対策を立てるための、つまり負傷の程度を減らすということもターゲットの1つになると思います。
 そうしますと、これはむしろ後の話題のストラトジーに引っかかってくるのかもしれませんけれども、先ほどのティングヴァル先生のお話にもありましたとおり、そのターゲットを達成するためにはあらゆる社会のインフラストラクチャーがかかわりを持ってくる。これは先ほど加藤先生が昼食のときに話題になさっていましたが、例えば救急救命センターがどれだけあるかということ、あるいはそこへのアクセスシビリティがどのぐらいあるかということ。これも当然のことながら死者の数を減らし、重傷者を軽傷でとどめておくというターゲットのために必要なことであるに違いありませんけれども、特に日本の社会で今、私たちが考えるべき、これがすべてとはもちろん申しませんが、一つのポイントは、残念ながら、いわゆる縦割り行政というようなところが、今申し上げたように、社会のあらゆるインフラストラクチャーを動員して、今のターゲットを実現するために使いこなしていこうとするときの障害になっているという点を指摘しておきたいと思います。
 一例だけ申し上げます。もうだいぶ普及しましたけれども、子供のチャイルド・セーフティシートでありますが、あれが義務化されて、法制化されて一般に買わなければならないということになったときの最初の出発点のときは、あれは通産省管轄でございまして、ご承知のとおり車の規格は運輸省管轄でありますから管轄が違いました。そのために、そのセーフティシートと車との間のインターフェイスをどうするかということで、かなりいろいろとぎくしゃくした問題が起こりました。これは直していけばいいのですけれども、でも、それは現実化した一つのまずかった点でありますが、こういうことが実は日本の社会の中に山と積まれておりまして、例えば災害対策のヘリを交通事故のためにどういうふうに使えるかというようなことに関しても、あるいは地方自治体の持っているドクターズ・ヘリを隣のまちで県が違うと使えないというような状況だとか、さまざまな縦割りの行政面が、今申し上げたような総合的な死者を減らし、負傷者を減らすというターゲットに対して障害になっているということを、ぜひ何とかしていかなければならないのではないかというのが私の意見です。

○太田 ありがとうございました。これから戦略の議論も入りますけれども、日本の特殊事情なのか、ほかの国でもあるのかもしれませんが、ある種のそれぞれの関連機関、政府機関での縦割りといいますか、権限の分断、それが必ずしもそういうことでは解くことのできない大きな課題があるのではないかというご指摘かと思います。
 ターゲットということで、やはり日本の今の考え方が、長期的には、最終的には事故をなくす、あるいは当然交通事故死傷者をなくすということですが、それを短期的にといいますか、ターゲットとして10年間で半減していこうという、そういう意味では確かにビジョンとターゲットを分けてやられているかなということで、この辺はそういう具体的なターゲットが出てきたということで大変いいと思いますが、もう一つ先ほどのヒューマンエラー等との関係で、事故は人間としての生態的な限界もありますから、必ず発生するおそれ、ミスはある。あってもそれが大渋滞事故にならない、あるいは死傷者を出さないという、そういう種類の考え方で、現在、死者という言葉で象徴的に出ているというふうに思っていまして、これはあくまでも象徴であって、それからもう少し細かくターゲットを分けていく必要があるのではないかと思います。
 先ほどティングヴァルさんは、やはり動機づけということだから、それぞれの交通社会の参加者ごとに分担した形の目標があったらどうかというようなことに関連するお話があったかと思いますが、何かこの辺のターゲットとか、あるいはゴールということでさらにコメントはございますか。ティングヴァル先生でも、パネラーの方、どなたでも結構ですが。

○加藤 保険の関係では交通事故を少なくした人に保険の有利な条件をつくり出すということをもっと強化すべきであるという意見があります。日本では酔っぱらい運転に対する罰則を強化したところ、非常に効果が上がったわけですね。例えば交通事故の保険というのは、一般に事故を起こさなかった場合に有利になるわけなのですが、実はその方式を医療保険にも導入して、たばこを吸わなかった人には医療保険を有利にしようという意見もあるわけです。今は交通事故の保険だけが自己管理を徹底すると有利になるという条件があるわけですけれども、あらゆる保険が全部自己管理を徹底すれば有利になるという方向に向かっていったとき、恐らく交通保険についての認識もまた高まるであろうという予測が立つわけです。保険に入っているから安心だというのではなくて、保険に入っているから努力目標がはっきりするというような考え方に転換していく可能性はあると思います。

○太田 なるほどそうですね。戦略にも関連しますけれども、目標の自己意識を高めるということだろうかと思います。ティングヴァルさんのほうからお手が挙がったようですが、何かコメントがございますか。

○ティングヴァル はい、先ほど議長のコメントの最後のほうでおっしゃったことなのですが、短期的な目標と、それから長期的なビジョン、これは違うかもしれないということをおっしゃっていました。それはシステムをつくろうというときにまず出てくると思います。それから、その人間の生態力的な限界というようなことをおっしゃっていました。あまり技術的な話はしたくないのですけれども、長期的に考えたとき、我々としては何をしなければいけないか。例えば車の安全性をつくり込んだようなもの、また、インフラとしてはどういったものになってくるか、また、速度制限はどういうものか。つまり、四つないし五つの要素というのが明らかになってくると思いますが、それらを関連づける必要が出てくると思います。そこで、例えば人間の生体力学的な認容性と、それからどの程度までシステムが人間の判断ミスに対応できるかといったようなこと、これをお話ししようとすれば、その利害関係者が協力して何かをつくっていかなければいけない。ところが道路輸送体系においてはそういった経験がないのです。サービスにしても、製品についても完全にとは言いませんが、それぞれ別々につくられてきました。でもしかし、ここではそれらを協調させようとしています。先ほどユーロラップの話が出ましたが、この道路評価プログラムというのは初めて、小さな一歩ではありますけれども、このシステムを一つにまとめようという動きのあらわれであります。つまり、インフラの点数を高くしようと思えば、例えばドライバーは飲酒していない。それから安全ベルトをしていて、シートベルトをしていて、そして速度制限も守っていると。そして車も最高の品質のものであると、そういった要素が絡んでくると思うのです。速度制限がもしあれば、それに耐えられるような道路でなければいけないとか、これが最終的にはその大きな第一歩につながるものだと思うのです。初めて自動車業界と、それからインフラ関係と、それから速度制限にかかわる当局が一堂に会して検討しなければいけないということで、したがって、そのために明確な目標としてのビジョンが出てきました。まだそれほど広範には広がっていませんけれども、まずはシステム的なアプローチの第一歩だと思います。お互いに問題に対して共通の見方をしていこうという取り組みのあらわれです。

○太田 ありがとうございました。目標をどうつくるか、特に指標をどうつくるか、指標の種類によっては結局ステークホルダーが相互に連携してやらないと改善できないような一つの例が道路評価システムだと。確かにおっしゃるように道路そのものの話じゃないのですね。道路そのものでもあるし、車の事故が起きやすい、安全な車かどうかということもありますし、ドライバーそのものがちゃんとそういうことに対して適切な走り方をしているかどうかという、結果はトータルな指標になり得るのだと。大変興味深いご指摘かと思います。
 ちょっとそれでは先に進ませていただいて、今、既にいろんな、具体的にそれではそういうターゲット、ゴールを決めた後、どう実現していったらいいかという戦略とか、あるいは戦術になるのでしょうか、具体的な手法についていろいろ意見が出てきましたけれども、何か十分まだ議論されていないとか、こういう点をもう少し考えたらどうかというようなご指摘がございましたらお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。

○加藤 私の県は日本で一番人口の少ない県ですから、事故で死ぬ人は当然一番少ないのですけれども、その事故で死ぬ人の数を人口当たりにするとベストワンではなくて、ワースト13番目という数字になるのです。私の県だけではなくて、事故数の少ない府県ほど人口10万人当たりの死亡者数が高い。死者の絶対数の少ないところは人口当たりの死亡者が多いというのが日本の死亡者数の全体的な特徴です。私はこの原因が、救急病院が人口比で設立されているからではないかと思います。私自身鳥取で病院に行っても救急の質が悪いとは思いません。医師の質が悪いと思いません。設備が悪いとも思いません。そういう地域による医療技術のレベルの低さが反映しているのではなくて、むしろ人口当たりの割合で救急病院が設立されているというシステム上の問題があるのではないかと思うのです。これを改善しようと思えば、人口当たりではなくて道路の距離当たりで幾つ救急病院をつくらなければならないかというふうに設計を変えればいいわけですが、そういうことをすれば物すごい大きなコストがかかります。ですから私は、救急病院の数をふやさないで、しかし、過疎地域の人々が不利益にならないようにするような情報体系はどういうものであるかということについて、まず答えを考えてみる必要があると思っています。例えば道路に「一番近い救急病院(××町医療センター)まで80kmです」というような表示をしたら効果的ではないでしょうか。

○太田 ありがとうございました。対応が道路交通システムというような限られた範囲で 議論する場合、いろんな限界があるというご指摘の一つの例かなと思ったのですが、何かそのほかの関係で、ティングヴァルさんの方で、もしございましたらお願いします。

○ティングヴァル 具体的な点についてということだったので、もちろん参加者の皆さんはどんな要素によって安全な道路輸送体系が構成されるかはご存じのことだと思いますが、要はそのやり方、あるいは新たな手法としてどういうものがあるか。例えばITSなどがその一つだと思いますが、さらにこれに関しては時間もかかりますが、もっと突っ込んで検討する必要もあるのかもしれない。例えば速度制限とか、どんなプログラムでも速度管理というようなことを言っています。速度制限、すなわち道路のインフラ側と、それから道路輸送体系のさまざまな要素すべてを勘案しなければいけないし、あるいはその人間の側の要素として、例えば監視カメラを使うと。これは今、世界的に展開されておりまして、スピード違反の取り締まりに用いられておりますが、これもインフラの一環と言えるかと思います。そしてできるだけスピード違反しないようにと、速度制限を守るようにと訴えていく。
 例えば、インテリジェント・スピード適用システムというようなものを車に取りつけるというようなことも考えられるかもしれません。例えば100%のシートベルトの着用ということも考えられます。というのも、シートベルトというのは生命を救うということで大きな効果を持っています。ですからそこではどんな手法を使うか、ここでもインテリジェントなシステムの活用が考えられます。大変高度なインテリジェンスということでなくても、ある程度のインテリジェントなシステムでできるかもしれません。もっとシートベルトの厳しい着用を義務づけるというようなことも考えられます。いろんなことが考えられると思うのですが、要は手法とか、あるいは新たな手法。我々が長年十分わかっている重要と思われる要素に対して、新たな手法を取り組むということだと思います。
 最後に一つ、飲酒運転に関してなんですが、日本でどれぐらい飲酒運転による事故があるか知りませんが、少なくともヨーロッパの多くの国においては事故のかなりの部分を占めています。従来からこれは取り締まりをやってきました。それはもちろん警察側においていろんな形での取り締まりを行って飲酒運転の取り締まりをやってきました。そして、飲酒状態においては車を運転させないようにするというようなことが考えられてきましたが、すべてが技術で解決可能だとは思いません。ただ、技術がいろいろな要素をサポートすることはできると思うのです。必要と思われる要素をサポートすることには使えると思います。問題は、ではだれがそれを提供するのか、どういったメカニズムをだれが提供するのかということだと思います。そこが一番引っかかるところで、あらゆる国でも苦闘しているところだと思います。というのも、技術はある、そして要素はわかっている、ただ、その提供の仕方がわからないということです。

○太田 リスクとの関係で新しい技術を積極的に導入したらどうかということですが、当然そこに大きなリスクが、また新しいリスクがかかるかもしれないと。この辺について、村上先生はいろいろそういうようなこともほかの分野でいろいろと勉強されているかと思いますが、ちょっとその辺についてのコメントをいただければと思います。

○村上 そのままきちんとしたレスポンスになれるかどうかわかりませんが、私のストラトジーとしての提案は、既に投資が済んでしまっているような道路ないし道路の附属物などに関しても、私は見直していく必要があると確信しております。それも、例えば先ほどの事故情報を集めることの中から学ぶべきことの一つに相当すると思うのですけれども、例えば日本社会の中にあるガードレールですが、特に都会地のガードレールが今のような形の材質と、今のような形である必要はもしかするとないかもしれない。なぜそんなことを言うかというと、あのガードレールにぶつかった結果として、ガードレールが凶器になって自動車を刺し貫いて、ドライバーや助手席に乗っている人を傷つけたり殺したりする例。それから、外れたときに歩行者に対して、あのガードレールがやはり殺したり傷つけたりする例というのを私は幾つか自分のデータの中に持っておりますが、例えば、あのガードレールの材質と形状というものがほとんどいわばギヴンのものとして、どこでもあまり疑問なく使われているということは、私は非常に気になっているポイントの一つです。
 その他、交通標識だとかさまざまな、もちろんいろいろと交通行政に携わる方々が努力をされていることはわかっておりますが、しかし、それでもまだ徹底的な事故情報に基づいて何が改善されるべき点なのかということを徹底的に洗い上げていくと、先ほどのティングヴァル先生のお話ではありませんが、ウイ・キャン・ドゥ、できることは何でもするというプリンシブルに基づけば、今のように既に投資されていて、しかも大量生産で、こういう形でもう規格も決まっていてというようなものについても十分再検討して、より人命のロスを少なくし、人々の健康の損害を少なくしていくために何ができるかということを一つ一つ洗い流していったらどうかというふうに考えております。

○太田 ありがとうございました。ある意味では、在来のいろんな技術そのものが、やはりちょっとこれからの安全を考える次のジャンプアップするためには、既存の構造そのものの基準、その他が本当に適切かどうかということを含めて見直していくべきだと。それをかなり具体的にむしろやったほうがいいのではないかというご提案のように思います。
 少なくとも道路サイドについては、新しい道路については「ロードセーフティ・オーディット」というような言い方で、道路の安全監査というようなことで、新しくできたものについて利用者を含めて点検して、開通する前に皆さんに標識から、植栽で木の葉っぱで見えないとか、そんなことがないこと、そういう非常に細かいことまで含めて実際に点検していこうというような動きがございますが、そういった動きとともに、現在ある道路そのものを、しかも、そのベースになっている基礎的な技術そのものを含めて見直したらどうかというご指摘というふうに伺って大変重要かと思います。新しい技術だけではなくてという一つのご意見と思います。
 ちょっとそれでは新しい技術について多少、私、スウェーデンで、先ほどちょっとお話がございましたインテリジェント・スピードアダプテーションということで、インテリジェントな速度制御といいますか、速度調整、速度管理といいますか、そういうことでさまざまな実験を行われているということで、その辺の効果とか、それに対する社会の受け入れ、それについてコメントをいただきたいことと、私ども日本の交通事故は高速道路では大型トラックについてはスピードリミッターですか、多少、大型車についての速度制限ということをメカニカルにするような話が出てきておりますが、多くの交通事故率は、住宅地の周りで非常に低速で動いている中で、市内のまちの中で起こっていて、それに対して20キロ、30キロというような中でのきちんと速度規制をすることが重要だと考えておりますが、ISAというのでは、そういう低速領域についてどんなアプローチをされているか、その辺について教えていただければと思います。

○ティングヴァル それでは、インテリジェント速度調整(ISA)について、これは速度制限を実際に車両に機能として搭載してしまって、さまざまな形でドライバーに速度情報を提供し、単に今の走行速度がどれぐらいなのか、速度制限を超えているのか情報を提供するばかりでなく、例えばドライバーが速度制限以下でドライバーがアクティブに、例えばアクセラレーターを踏んでも速度をもっと早くしないようにする。車に対して速度情報が実際に制御をかけてしまって、車がその速度制限以上に加速できないようにするというような検討も加えられています。スウェーデン以外ほかの国々でもこういった速度制限についての実験、試みが進行中ですが、インフォーマティブなスピードアダプテーション、これは情報を提示するという目的のものと、それからもっと積極的に速度情報を活用して車の速度を制限するということに関しては、実際に消費者あるいは一般国民が使ってみる前はかなり抵抗があったのですけれども、これは今、もうびっくりするほど受け入れられています。つまり、ほとんどの人々はやはり速度制限違反はしたくないというふうに考えているのですけれども、大多数の市民というのは法律を守って速度制限を守るというのが、このISAを導入することによってできるのであれば便利だと考えるようになってきたわけです。やはり人々の動機、心がけが大事であって、監視カメラ、あるいは速度制限違反の取り締まりを行うというのは、もちろん人々が何とか法律を破らないようにするための我々の働きかけのわけですが、車で自動的にそういった速度制限を行う機能というのがもう組み込まれていれば、人々はいろいろなカーナビシステムなどを使うのと同じように、速度制限情報というものを参照しながら法律を遵守していくということができるわけです。速度制限がどうなっているかという情報が今まで得られなかった人々にとっては、これは必要不可欠な情報になると思いますし、また輸送、大型トラック、バス、タクシーなど、こういった輸送サービスの車に使うばかりでなく、一般消費者がこういったサービスを利用するに当たって、やはりその利用者にとって危害が加えられないということを確認する一つの手段にもなるわけです。つまり一般市民、そういったサービスを購入する人たちは、例えばこういったバスなどに乗って、本当にそのバスの運転手、タクシーの運転手がスピード制限というものを守って安全運転をしてくれるのかどうか保証がなかったわけですけれども、そういう意味でISAを物理的に利用することによって、そういった利用者の安心感というものを確保することができます。こういった技術というのは、当初一般市民の要求、それからもちろんこういった交通産業の人々が求めていたわけでありまして、速度制限というものを守っていくという場合、15%から25%の車の流れというものが確保できるわけです。

○太田 これはあれでしょうか、低速の領域でもそういったことについて、いろんな実験が行われているというふうに理解してよろしいでしょうか。住宅地周辺みたいなところでの問題ですね。私どもいろいろ、どちらかというと高速道路とか幹線道路でのスピードコントロールというのは意識があるのですが、低速域というのはあまり今までもっと別のやり方、トラフィックカーミングみたいな交通静穏化というような事業でやるもので、ドライバーに対してはあまり直接できないのではないかというような先入観があるのですが、いかがでしょうか。

○ティングヴァル 先生がおっしゃるように、こういったシステムをインテリジェントな速度調整というもので低速走行しなければいけないところで、一番機能できればそれにこしたことはないのですけれども、これはインフラ、例えばこの電子的なこういった突然の測定値の違い、上昇というようなものもあるわけであって、やはり低速走行においてはまだ十分な適応というものはできていないかもしれませんけれども、一般の人々、利用者が受け入れるということがまず重要であって、例えばバス輸送に関して、ISA(インテリジェント速度管理)かスピード防止帯(スピード抑止のためのランブル・ストリップ等のガタガタ舗装)のどっちがいいかといったら、当然ISAのほうがいいということになってくると思います。ただ、将来的にこれはどうなるかということで、まだはっきりはしません。

○太田 ちょっと細かいところに議論を集中しすぎたかもしれませんが、残り時間が限られておりますので、最後に、今まであまり議論されていなかった、どこからでも結構ですが、一つ先ほどありました役割分担的なもので、市民というのはいろんな形で交通社会にかかわっているわけですが、最終的にはドライバーへの安全教育ということで、今日、別のセッションでもかなり議論があるかと思いますが、市民全体の役割とか、そんなことについてのコメントを含めて何かございましたら、もちろんそれ以外のところでも結構ですから、先生方から一言ずついただければと思います。時間的にはどうもこれが最後になってくると思いますので、よろしくお願いいたします。それでは、加藤先生のほうからお願いします。

○加藤 一般の市民の人に何かこうしてくださいということを言って、例えばこういう集会を開いていいですねと言うと、みんな「いいです」と言って大変皆さんよくわかってくれるのですけれども、あまり効果がないということがしょっちゅうありまして、私は一般の市民の方々に参加してもらうためには何か具体的に「この旗を持っているとスピード制限が強くなる」とか「お年寄りの人がまちを歩くときに自分がその旗を持っていると、すべてのドライバーはスピードを10%下げなければいけない」とか、何か具体的な行動の形に出るようなことをしないととても難しいと思います。日本人は自動車に乗ることによって必要以上に個人主義化したというふうに私は思います。そして、ふだんの生活の中ではそれほどエゴイストでもなければ個人主義者でもない人が、自動車に乗った途端に非常に個人主義的になる。そしてご近所でカーシェアリングをして1台の車を二つの家族で一緒に使ってくださいというようなことを提案すると、非常に大きな抵抗に出会うのですね。ですから、そういうこときに、カーシェアリングをすると税金でもって免除があるとか、それから私の大学の場合には1台の車を2人の学生が使った場合には、駐車場の利用券を優先するとか、そういういろんな仕組みを考えていますけれども、そういう具体的な仕組みをつくって、それに納得してもらうという形をとらなければならないように思います。

○太田 ありがとうございました。かなりインセンティブのつけ方といいますか、それも非常に重要だというお話かと思います。村上先生はいかがでしょうか。

○村上 現実はまさに今、加藤先生がおっしゃったとおりだと思うのです。今の日本社会の一般の市民がどこまで自己啓発をした上で、この難問にみずから参加していこうというインセンティブを示してくれるかということに対して、私は楽観的には全くなれない感じを持っております。したがって、今、加藤さんの言われたような、何か具体的なアメとムチが社会の中に少しずつ用意されていくことが必要だということは言えると思うのです。ただ一つ、もしかしたら光があるかもしれないと思われることは、例えばこれもネットの効用だと思うのですけれども、同じような問題意識を持った人たちがネットでつながり得るという、つまり、バーチャルなコミュニティをつくって、そのコミュニティのアイデアを共有し、かつ広げていくことができるような状況というのが生まれております。それが一つの現実のコミュニティが、今申し上げたような意味であまり楽観的になれないとすれば、そういうバーチャルなコミュニティを通じて、その意識変革をしていくことが、もしかしたら、全面的にはどうかわかりませんけれども、少なくとも一部にはできるかもしれない。そのことは実はほかの領域ではかなり進んでおります。特に医療の領域なんかですと、同じ悩みを持つ患者さんたちのグループ、ないしはその家族のグループがバーチャルコミュニティをつくって、お互いに社会に働きかけたり、自分たちの考え方を広げていったりするということが非常に積極的に行われていることは皆さんご存じだと思いますけれども、この問題は、結局は自分たちの健康と人命につながるという、そこのところをはっきり認識した上で、今のようなバーチャルコミュニティを少しずつ広げていくことの中に一つのポイントがあるかもしれない。そして、そのバーチャルコミュニティは何もその生活者だけから生まれてくるものではなくて、例えば、今日、これは内閣府の仕事のようですけれども、行政府のほうからのさまざまな働きかけもあってもいい。それこそまたいろいろな手段を尽くして、そういう問題意識を少しずつ広げていくことができるかもしれないというところに一つの光を見ている人間です。

○太田 ありがとうございました。新しい状況として、バーチャルコミュニティ、これは結構同じ関心を持って呼びかけると、こたえてくださる方がいらっしゃることは確かですよね。それがうまく実際の行動につながればというふうに思います。ティングヴァルさんのほうから、もし最後のコメントがございましたらお願いいたします。

○ティングヴァル 簡単に申し上げます。道路輸送体系における品質や輸送を変えていく。道路輸送体系というのは世界経済の10%とか15%とかを占めるわけですけれども、やはり、リーダーシップを発揮していく必要がある。そして時間をかけるという覚悟をしなければいけません。個人的にはこれは私たち行政の側に立つ人間として、あるいは専門家集団として国民一般の生命、そして人体の安全に対して責任を持つという責任感のもと、たとえ導入する手法を国民が気に入らなくても、やはりある程度の正当性というものを主張しながら実施し続けていくということが必要だと思います。私たちが社会で行っていることというのは、例えば人のまねごとをしているとも言えます。つまり、運転の仕方というのは、大体みんないろいろな癖はあるものの同じです。ですから、すべての利害関係者がよき道路利用者として行動する。つまり、スウェーデンの道路庁(SNRA)は6,000人の職員を擁していますけれども、まず少なくともSNRA、道路庁の6,000人の職員は持続可能な形で安全に効率的に道路を利用しなければいけない。まず適切な車両を購入する、あるいは借りる。そしてきちんとした安全な道路マナーで運転をしていくということを徹底しています。もちろん速度制限を守る。それからシートベルトをする。絶対に飲酒運転はしない。そして少なくともスウェーデン道路庁の人間は、だれ一人として交通事故の被害に遭わないように、職務中あるいは何らかの交通運輸のサービスを利用しているときにも事故に遭わないように心がける。こういった行政の側に立つ人間が模範を示すことによって国民に対して、よきリーダーシップ、あるいはよき市民としてどういった行動をとらなければいけないか模範を示していくということが大事だと思います。

○太田 具体的なスウェーデンの状況を伺ったわけですが、私、総括を後でしなければいけないということで、まだ十分まとまっておりませんが、今日のお話で「ビジョン・ゼロ」ということを最初のたたき台といいますか、出発点にして、いろいろ我が国で、これから私どもが、新しいターゲットに向かってどう進んでいくべきであるかということで議論をいただいたと思います。
 いろんなご意見がございましたが、やはりターゲットをきちんと明確にしていくと、そのことが非常に重要であるということと、そのときにステークホルダー、参加者、利害者関係者それぞれに合った適切な目標を具体的な分かりやすい指標といいますか、指標の取り方がかなり重要だということも出てきたかと思います。
 それからもう一つ、ちょっと考えなければならないことは、こういった戦略等を考える場合に、もっと広い車社会をどう考えるかというふうなことも横に置きながら考える必要があろうと思います。ただ、安全ということではもう少し絞ってということでいくことは当然かと思いますが、いろんな戦略の中には当然その戦略が同時に環境にもいい、あるいはそのほかのことにもいいということがあって理解が進む可能性があるということを含めて、より幅広い考え方も必要ではないかということと、もう一つは、そういったターゲットを考える場合にヒューマンエラーというもの、これをある種の前提と言うと少し誤解を招くかもしれませんが、人間は必ずそういうエラーをすることがあり得るということの中で、それをいかに安全の中に取り組めるかということを踏まえたシステムですね、それが道路交通システムに求められていると思います。特に、専門家の役割が非常に大きいというのはティングヴァルさんのご意見だと思いますし、ここに出ていらっしゃる方は何らかの形でかなりそういった分野にかかわっている方が多いかと思いますので、そういったことは大変重要なご指摘というふうに思います。
 具体的な戦略の中では、既存のインフラを含めて、やはり新しい視点で全体的に見直す、特に立場を離れてといいますか、全体的な視点で見直すことが必要じゃないかというご指摘がありました。あるいは新しい技術をもっと積極的に利用するという姿勢もやはり必要ではないかと。その中で、ITS技術で「ISA」インテリジェントな交通速度調整システムの話が出ましたが、案外ドライバーの方も受け入れてくれるのではないかという実験結果も出ているということは大変心強いことかなと思います。
 最後の議論は、特に市民の役割ということで、別途安全教育ということでは別のものがございますが、今までお聞きした中で、市民そのものは我々普通の市民ということであれば遵法精神もありますし、環境の問題、それから生命、健康の問題ということであれば、それに対してできるだけ従っていきたいという意欲は持っているのだと。ただ、それをうまく酌み上げる支援、先ほどのISAもその一つの技術だと思いますが、そういう技術とか仕組みを使って、アメとムチを組み合わせていくということが大変重要な動機づけになるのではないかと、そんな点が大変私としては興味深い点かと思います。
 全体はこんなことを議論したという総括なのですが、いずれにしましても、交通事故半減とか、あるいは「ビジョン・ゼロ」というようなことに対して、まだまだやるべきこと、やれることがありそうだというのが私の実感です。ちょっと時間がオーバーしましたが、一応これまでで、第一分科会ということでは終了したいと思います。どうもパネラーの皆さん、会場の皆さん、ありがとうございました。


目次 |  前ページ |  次ページ

▲ このページの上へ

-

交通安全対策トップ普及啓発国際シンポジウム > 報告書